Kamishibai・イズ・コミュニケーション・12

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「引き」から「受け」へと変わるとき


3、「演じ手の画面をぬく間」について

出版紙芝居、長野ヒデ子脚本/絵「はぶらしちゃんと」(1)は、
歯ブラシのはぶらしちゃんが旅をする物語です。
はぶらしちゃんは、歯みがき嫌いの人間の男の子、まあちゃんの手から逃亡を企て、
空をビューンと飛んでいく。
そして、鳥や動物たちと出会うことで、彼らがくちばしや歯をケアするしくみを学んでいきます。

最初にカラスと出会い、次にカバと出会い、そして……。

「……はぶらしちゃんは、ビューンと とんで とんで とんで、
ワニさんの せなかに ゴツン!」


ここの箇所をそのまま読んでも、それはそれでいいかもしれません。
が、ここで「間」を使うと、おもしろさの伝わり方が違ってくることも確かです。

「はぶらしちゃんは、ビューンと とんで とんで とんで……」の後にちょっとした「間」を入れる。
すると、その「間」のあいだに子どもたちは、
「え? はぶらしちゃんは、飛んで今度はどこへ行くの? 誰に会うの?」
と、あれこれ考えるようになります。

昔話でもおなじみの「くりかえし」のパターンですね。
たとえば「桃太郎」では、犬、さると出会いがくりかえされることで、
次も誰かと出会うに違いないぞと聞き手に予感させます。
そして次は誰に出会うのだろうかと予想させ、興味を引きつける。

そうした予期(予感・予想)や興味を、「間」をとることによって倍加させ引き延ばすわけです。
「はぶらしちゃんは次も誰か動物のところに行くんだな、きっと」
「今度は誰が出てくるのかな?」
と、子どもたちは想像をふくらませます。
「間」の想像を促すはたらきでもって、緊張を引き延ばし、興味を引っ張る。
こうした引き延ばし作戦の「間」については、
「クイズ$ミリオネア」司会のみのもんたさんの例などなど、
これまで見てきた通りです。

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ちなみに、「間」とは違いますが、
1990年代あたりからテレビ番組で見られるようになった「CMまたぎ」
にもちょっと似たはたらきがあると思います。

たとえば、クイズの問題を読み上げたところで、「答えはCMの後で」と言ってCMに入る。
そのあいだ、視聴者は正解が何なのか、ああだ、こうだと考えて、気をもたされ、じらされます。
興味を引っ張り続けられるわけです。

バラエティ番組などの進行でもこうした手法が使われますね。
これからどう展開するか、何が登場するか、という途中のところでプツンと切ってCMに入る。
たとえたいした内容があるわけでないとわかっていても、
視聴者は気になってCMのその後を見続けてしまうことになります。

もっとも、最近はあまりに頻繁にこのテが使われるため、視聴者は少々食傷気味かもしれません。
番組やドラマが山場を迎えたところでプツンと切ってCMに入るので「山場CM」とも言われますが、
こうした「山場CM」は、興味を引き伸ばして引きつける一方で、
安易に使われすぎるため、最近では、視聴者からの好感度が低いという調査もあるようです。

昔の街頭紙芝居でも、同じような手法が使われていたといいます。
物語が佳境となり、さあ、いよいよこれからどういう展開になるかと期待させておいて、
「この続きはまた明日」と打ち切る。
観客である子どもたちは、次の日も見たい気持ちにさせられる。
おあずけを食って、じらされるわけです。

まあ、これは伝統的とも言えるでしょうか。
寄席で毎晩続き物が演じられていた頃の落語や講談などでも使われていたそうです。
さあ、これからどうなるかという最高潮の場面で、
「この続きは明日申し上げます」
などと、途中でぶつんと打ち切って終わりにする。
「山場CM」といっしょです。

週刊誌や月刊誌などのマンガや小説の連載も同様のやり方をします。
いよいよクライマックスというその直前で「つづく」になる。
緩和出来ないまま、緊張が続く状態。
おあずけを食った読者は、これからどうなるのだろうかと緊張を引っ張られ、
興味を引かれ続けるままに、次回の連載を待つことになります。

途中で切られたり、あいだを開けられるとその先を知りたいと願うのは、
ひとつには、わたしたちに物語を好む本能的な心理があるのでしょう。

たとえば、TVや新聞や雑誌をにぎわすニュースでも、三面記事でも、
「起承転結」の「起承転……」までしか報道されていない宙ぶらりんの状態だと
気になってしかたがありません。
真犯人が見つかった。関係者が謝罪した。問題が解決した。
など、どんなかたちであっても、ひとまずの決着を知ることで、
そこにひとつの物語の完結を見てホッとしたりする。
何らかの結果がわかるまで、その先を知りたがる興味が続くことになります。

「間」をあけることは、それがたとえわずかな時間であっても、
そうした興味の緊張を引っ張るということでもあります。

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さて、はぶらしちゃんは、次は誰に出会うのか? 
そうした興味を引っ張る「間」の後で、
「ワニさんの せなかに ゴツン!」
と告げられます。

実は、先に説明しなかったのですが、このくだりは、場面が変わるところでもありました。
つまり、
「ワニさんの せなかに ゴツン!」
のところで、
パッと場面がぬかれて次の場面、ワニが観客の目に飛び込んでくる。


▼図1 「はぶらしちゃんと」(6場面)より、模写。(1)
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「文章を読む(語る)間」と、「画面をぬく間」が連動して、
「間」のはたらきをより劇的にするんですね。
紙芝居では、画面をぬくというこの場面転換のシステムが、独特のはたらきをします。

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これからどうなるかと想像させ、興味を引っ張る画面。
それを受けて、結果を示す画面。
この2つを、絵本ではそれぞれ、「引き」「受け」と呼んでいます。

たとえば、笹本純さんが「絵本の方法~絵本表現の仕組み」(2)で、紹介している例。
笹本純さんは同書で、「引き」を、

「読者にページをめくって次の画面を見たいという欲求を抱かせるような画面の作用」

と、説明しています。
下の絵は、その「引き」の場面です。


▼図2:引き 「ノンタンのたんじょうび」(16~17頁・見開き)より、模写。(3)
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白い猫の主人公・ノンタンの誕生日のために仲間たちはサプライズを計画し、
ノンタン本人には秘密にして部屋の準備を進めます。
家から締め出されたノンタンは、中を裏窓からのぞこうと、

「そーっと そーっと、
ぬきあし さしあし、
こっちから……。」
(3)

という場面。
遠景に描かれることで静けさが表現され、緊張感が高められます。

そして文章は、
「こっちから……。」
という途中のところでぷつんと途切れて省略される。
これからどうなるのだろうという展開への期待がいやがおうにも高められます。
そして、ページをめくると……。


▼図3:受け 「ノンタンのたんじょうび」(16~17頁・見開き)より、模写。(3)
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「ばあ!」
「べえー!」

とみんなに驚かされる。
ノンタンといっしょに、読者も驚かされることになります。

これは、先の「引き」に対応する「受け」。
笹本純さんの説明によれば、「受け」は、「文字通り『引き』を受け止める作用」であり、

「『引き』によって呼び覚まされた期待に応える働き」(2)

というわけです。

こうした「引き」と「受け」の組み合わせによる展開は、絵本だけでなく、
もちろん紙芝居においても頻繁に使われます。

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たとえば、まどみちおさんの詩を紙芝居化した作品、片山健絵「て て て」(4)
※「て て て」は、当初、童謡の歌詞として発表された作品でした
(初出:渡辺茂作曲集「こどものうた たきび」音楽之友社)。


▼図4:引き 「て て て」(1場面)より、模写。(4)
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これは表紙の1場面め。

「て て て にぎった て
にぎった ては」

と、読む文章はここで区切られます。

「にぎった手をどうするの?」
「げんこつ山のたぬきさん?」
などと、あれこれ観客に想像させる。
問いかけ、ある種の謎を観客へ投げかけることになります。

そしてこの「引き」の場面を受けて、次の2場面。


▼図5:受け 「て て て」(2場面)より、模写。(4)
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「かあさんの かたを
とん とん とん」


これが「受け」ですね。
握った手は、実は肩たたきをする手だったという、謎に対して答えるかたちの展開です。
まどみちおさんの詩はもともと、紙芝居として作られたものではなく、その一節は、

「て て て にぎった て
にぎった ては
かあさんの かたを
とん とん とん」


というひとまとまりです。
これを主部と述部に分け、二つの場面に振り分けることで、
一種のなぞなぞ遊びのようなやりとりを楽しむかたち。
詩の言葉のもつ想像力をいっそうに引き出していると言えるでしょう。

作品ではこの後、

「て て て ひらいた て
ひらいた ては」
(3場面)

「ねんどの おだんごを
ころ ころ ころ」
(4場面)

とヴァリエーションがくりかえされていきます。
作品全体が、「引き」と「受け」のくりかえしで構成されているんですね。

古内ヨシ脚本/絵「あったかくてだいすき」(5)
のように観客へ問いかけるかたちや、
古川タク脚本/絵「なんだ・なんだ?」(6)
のようにクイズ形式そのもののかたちなど、
全体が、問いの「引き」と答えの「受け」で構成されている紙芝居も少なくありません。

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こうした「引き」と「受け」は、もちろん物語紙芝居でも効果的に使われます。
たとえば、岡田ゆたか脚本/絵「さとり」(7)の中のこのシーン。


▼図6:引き 「さとり」(2場面)より、模写。(7)
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きこりが、人っ子一人いないはずの山奥で、ボソボソ何やら声を耳にします。
気味が悪くなって「化け物でもいるのか……?」と心の中でつぶやくシーンです。

森閑とした山の中にひとりきり。
いかにも何か恐ろしい存在が登場するにふさわしいお膳立ては調っています。
そこで主人公が化け物を予感したように、観客もその存在を予感する。
そうして緊張が高められ、この先何が出てくることかと興味を引かれる「引き」の画面です。

そこへ。
誰にも聞こえないはずのきこりの胸の内の言葉に呼応するように、
「化け物だと?」
という声がしたかと思うと……。

▼図7:受け 「さとり」(3場面)より、模写。(7)
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姿を現したのは、毛むくじゃらの化け物、さとり。
「引き」に対する「受け」の場面。
予感は的中します。
観客にしてみれば予想通りですが、予想通りに驚かされることになります。

この場合は、緊張にさらに緊張を重ねるサスペンスやホラーのパターンですね。
「引き」から「受け」への場面転換が、劇的な効果をもたらします。

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「はぶらしちゃんと」の先の例(図1)では、「引き」が絵の場面としては描かれず、
文章が「引き」のはたらきを担っていました。
「はぶらしちゃんは、ビューンと とんで とんで とんで」
というこのくだりは、場面の絵としては描かれていません。
けれど、この文章が語られることによって、観客に
「次の画面を見たいという欲求を抱かせるような」作用をもたらすのです。

構成上の理由でこのように「引き」の画面が省略される例も多いのですが、
「引き」と「受け」のはたらきは変わりません。

さて、紙芝居では、この「引き」と「受け」の場面転換のあいだに「間」があります。
「間」をつくることで、
「引き」と「受け」のはたらきをより効果的に演出することが出来るのです。

つまり、「演じ手の画面をぬく間」というやつです。

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《引用・参考文献》
(1)長野ヒデ子脚本/絵、細谷亮太監修「はぶらしちゃんと」(シリーズ「からだってすごい」)童心社
(2)笹本純「絵本の方法~絵本表現の仕組み」~中川素子・今井良朗・笹本純「絵本の視覚表現~そのひろがりとはたらき」日本エディタースクール出版部・所収
(3)キヨノサチコ文/絵「ノンタンのたんじょうび」偕成社
(4)まどみちお脚本、片山健絵「て て て」童心社
(5)古内ヨシ脚本/絵「あったかくてだいすき」童心社
(6)古川タク脚本/絵「なんだ・なんだ?」童心社
(7)岡田ゆたか脚本/絵「さとり」(シリーズ「日本の妖怪ぞろ~り」)童心社
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by kamishibaiya | 2010-12-10 22:18 | 紙芝居/演じるとき | Comments(0)