Kamishibai・イズ・コミュニケーション・14

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おしたり、ひいたり、はぐらかしたり




「いないいないばあ」遊びを、「おしたり、ひいたり、はぐらかしたり」する関係という視点で
もう一度見直してみましょう。

まず、おとなが「○○ちゃん」と声をかけたり、アイコンタクトをとる。
「遊びをしようよ」と提案し、「始めるよ」と相手にはたらきかける。
このときが、相手に対して押し出す──「おしたり」のところですね。

そしていったん押し出した後、「いないいない……」と言いつつ、顔やからだを隠す。
このときが、「ひいたり」のところです。
つまり、引く。

こちらが引くと、今度は相手の方が押し出してきます。
関心を寄せてくる。
前回の動画では、ぬいぐるみが隠れたとき、赤ちゃんは
「どうしたの?」とでもいうように、まさしく身を乗り出して近寄ろうとしていました。

ここで「間」をとる。

今まで滔々(とうとう)と語り次ぎ、声を連ねて押し出していた後で、
「間」をとり沈黙をつくることは、「引く」ことでもあります。

落語家・古今亭志ん生師は、「間」をとると、観客の気持ちが自分の方へ寄って来るのがわかる、
と語っていたそうですが、
演じ手が引くことによって、観客が寄ってくる。押し出して来る。
赤ちゃんは、まさに体まるごとで押し出して来ていましたね。

これはまた、絵本や紙芝居でいえば、まさしく「引き」の場面です。
関心を「引き」つける。
興味を「引き」つける。
これからどうなるだろうかと想像させ、予期させる。予想をさせる。

▼図8:いないいないばあの「引き」
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そうして赤ちゃんの気持ちがこちらへ寄って来たところへ、
今度はこちらから「ばあ!」と押し出す。
寄せては返す波のように、押して引いて、再び押すわけです。

両手をどけて、「ばあ!」と顔が飛び出す。
絵本のページをめくって、さっと絵が飛び出す。
紙芝居の画面をぬいて、ぱっと絵が飛び出す。
「引き」の場面を受けての「受け」です。

▼図9:いないいないばあの「受け」
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「いないいないばあ」をモチーフにした絵本には、

「いないいないばあ」(松谷みよ子文、瀬川康男絵)童心社
「いない いない ばあ」(あかちゃんのためのえほん)(いもとようこ作)講談社
「いないいないばああそび」(あかちゃんのあそびえほん)(木村祐一作)偕成社
「いないいないばあ! ~めくってあそべて鏡つき」(フランチェスカ・フェリッツ絵)世界文化社

などがあります。
紙芝居でも、

「みんなでいないいないばあ」(なかむらとおる作、中村陽子絵)教育画劇

などがあります。

これらはすべて、「いないいない……」と隠れる「引き」、
そして「ばあ!」と飛び出す「受け」の場面のくりかえし、
もしくはヴァリエーションで構成されています。

両手をどけたり、物陰から「ばあ!」と飛び出す一連の動作が、
ページをめくったり、画面をぬくという場面転換の動作に置き換えられているんですね。

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この「引き」から「受け」へと場面転換する間合い、タイミング。
絵本の場合、このタイミングは、読者自身や読み聞かせるおとなに任せられていますが、
あまり重要視されることはないように思います。
しかし、紙芝居の場合、この間合い──つまり「演じ手の画面をぬく間」は、
演じるときの大切な要素のひとつです。

その「間」。その呼吸。
これはそのまま 、「いないいないばあ」を遊ぶ呼吸でもあるわけですね。
場面をぬくという、ただそれだけの動作は、「間」がつくられることによって、
いろいろなニュアンスを持つようになります。

たとえば、「間」をゆっくりとためて、次の場面に興味をもたせながら、
そろりそろりとぬいていく。
あるいは、あえて「間」をつくらずに、とんとんとたたみかけるようにぬく。
不意をついて突然、「間」をおかずにさっとぬいて、意外な展開にびっくりさせる。
または、ふんわりとぬいてほっと安堵させたりする。
またあるいは、これからの展開はどうなるかと、じらして気をもたせて、
じゅうぶんに「間」をとった直後に、さっとぬく。
あるいは、はぐらかして、またじらす。

これは、今か今かと待たせたところで予測通りに「ばあ!」と顔を出したり、
あるいははぐらかしたりする「いないいないばあ」といっしょです。
──そう、赤ちゃんと「peekaboo」で遊んでいた男性が行っていたヴァリエーションのように。

またたとえば、観客が「気を詰めて(息をこらして)」、
「ああ、もうすぐ画面をぬくぞ、もうすぐ絵が変わるぞ」と
緊張して固唾を呑んでいるようなときには、そっとぬく。
逆に、観客がのんびりと構えているようなときには、気合いをしっかり入れて、きっと力強くぬく。
──などと世阿弥が説いていたような、観客の裏をかくやり方も、「面白し」と言えるかもしれませんね。

に紹介した
図4~5(まどみちお脚本、片山健絵「て て て」童心社)や、
図6~7(岡田ゆたか脚本/絵「さとり」~シリーズ「日本の妖怪ぞろ~り」童心社)などでも、
「引き」から「受け」へ、どんなふうに「間」をとってぬくかによって、
物語の印象や楽しさが変わってくるでしょう。

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よく知られているポピュラーな昔話「浦島太郎」の、たとえばこんな場面。
竜宮城から故郷の浜へ帰ってきた太郎は、
変わり果てた村の景色と、家族も知り合いも誰もいないことに愕然とします。
すでに両親は墓の中。
近所の人に話を聞けば、自分は300年前に行方不明ということにになっている。
竜宮城にいた3年の間に、こちらの世界では300年が経ってしまったらしい。
呆然とする太郎のかたわらに、
乙姫さまから「けっして開けてはならない」と言って渡された玉手箱があります。

▼図8:引き 「うらしまたろう」(15場面)より、模写。(1)
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「さびしさのあまり、たろうは
おとひめさまとの やくそくを つい
わすれて、たまてばこの ふたに てを かけた。
 ──さっとぬきながら──
それを あけた とたん」
(1)

この次の瞬間どうなるか?
──は、年齢の小さい子を除いては、おそらくみんな承知のことかもしれません。

(もっとも最近では、「浦島太郎は誰の背中に乗って行ったのかな?」という質問に、
「アンパンマンに乗って行った」と答える子も増えているそうなので、
必ずしも知っているとは言えないかもしれませんね。)

次の瞬間、煙が出てきて太郎が白髪のおじいさんになるということを、
観客のみんなが知っていたとしても、けれどおもしろさには変わりありません。
何世代にも渡って語り伝えられて来た昔話には、ストーリーがわかっていたとしても、
だからこそ引きつけられる魅力があります。

脚本のト書きでは、「──さっとぬきながら──」と書かれていますが、
これは演じ手によって、いろいろな工夫が出来る箇所です。

たとえば、「……ふたに てを かけた。」の後でゆっくり「間」をとった後で、
「それを あけた とたん」と言いながら場面をぬいていく。
このとき、「それを あけた とたん~~」などと語尾をのばすような言い方もあるでしょう。
あるいは、「それを あけた とたん!」と強く言い放ってから、そこで「間」をとってじらす。

また場面のぬき方にしても、あえてト書きに逆らっていいと思います。
さっとはぬかずに、緊張感をたたえながら、ツツツーーッと静かにぬいていく。
あるいは、じらすように、ゆっくり、ゆっくり、ぬいていく。
あるいは、煙がわきあがる様(さま)を擬して、
モックラ、モックラというように動きに変化をつけながらぬいていく。

▼図9:受け 「うらしまたろう」(16場面)より、模写。(1)
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こうしたぬき方や、ぬく「間」のヴァリエーションは様々で、
どれが正解とは言えないと思います。
「いないいないばあ」でおとなと赤ちゃんがいろいろな「間」を遊ぶように、
演じ手と観客の子どもたちが自由に「間」を遊ぶことは
紙芝居の醍醐味のひとつではないでしょうか。

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もうひとつ、例を見てみます。
渡辺享子脚本/絵「トラのおんがえし」(2)です。

中国の昔話。
イエン先生というお医者さんが、ある日、山奥の村へ診療に行った帰り、道に迷います。
そこへ現れた二人の若者兄弟。
母親が病気で苦しんでいるので助けて欲しいと言う。
そこで先生は兄弟の家へ行き、母親に手術を施し、その日は家に泊めてもらいます。

翌朝目を覚ますと、家の中には1匹の老いた雌のトラと2匹の若いトラが寝ている。
雌のトラには、昨日行った手術の跡。
「ああ、病気の母親のためにトラの兄弟が人間に化けてきたんだな」と先生は悟り、
薬をそっと置いて家路に着きます。

それから数年後。
山を通りかかった先生が、オオカミに襲われてしまう。
たちまち押し倒され、ガブリと食われようとしたまさにそのとき。

▼図10:「トラのおんがえし」(8場面)より、模写。(2)
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「ガオーッ」
と、とどろき吠える声があたりの山を揺るがしたかと思うと、
ドッドッドッドッと二匹のトラが地響きをたてて駆け下りてくる。

模写では伝わりませんが、実際の絵では、
勢いのある筆致で迫力満点のトラが描かれ、迫って来ます。

▼図11:「トラのおんがえし」(9場面)より、模写。(2)
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さしものオオカミも、トラに蹴散らされ、たちまち逃げ去る。
が、しかし、「前門の狼、後門の虎」のたとえそのままに、
危難去ってさらにまた大きな危難、
今度はトラに食われてしまうのかと、覚悟を決め、目をつぶるイエン先生。

▼図12:「トラのおんがえし」(10場面)より、模写。(2)
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ところが、トラはなかなか襲ってきません。
そこで、おそるおそる、目をそっと開けると……。

▼図13:「トラのおんがえし」(11場面)より、模写。(2)
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トラたちがニッコリと微笑みかけ、イエン先生をのぞきこんでお辞儀をしている。
そこで先生は、二匹のトラがあの時の兄弟であり、
母親を助けた恩返しにオオカミから救ってくれたことを理解します。

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ここで、絶体絶命のピンチ、オオカミに襲われてどうなってしまうのかという8場面(図10)は、
「引き」です。
「オオカミに食べられてしまうぞ」ということを予期させ、興味を引きつける。

そこへトラが登場する9場面(図11)は、オオカミが四散する10場面(図12)と連動して、
8場面の「引き」に対する結果の「受け」をあらわします。
とりあえずは、トラがオオカミを追っ払ってくれた。
しかしさらに、この2つの場面は、
今度はトラに襲われてしまうかもしれないという「引き」でもあります。
「受け」と「引き」の両方のはたらきを担うわけです。

この「引き」に対して、トラが微笑む11場面(図13)は、
トラは実は助けに来てくれたのだったということが判明する結果の「受け」です。
危機また危機の緊張の連続が、ここでホッと緩和する。


しかしながら、物語の前半で、人間の姿をしていた兄弟が実はトラであったことは
すでにわかりやすく絵としても明かされています。
だから、トラがドッドッと登場する9場面(図11)の時点で
「あ、あのときのトラが助けに来たんだ」
と気づく子どもたちも多いと思います。
このときのトラは、恐怖の対象というより、
勇猛な、頼れる味方として、子どもたちの目に映るのではないでしょうか。

そしてやはり、物語でいちばんの山場は、この9場面でしょう。
なので、絶体絶命のピンチ(8場面)から、颯爽と登場するトラ(9場面)への転換は
たっぷり「間」をとって劇的な効果を演出し、
後の場面転換はもったいつけずにさほど「間」をとらず、さらりと流していいかもしれません。

一方、もうひとつのやり方として、
トラは味方だと観客が知っていたとしても、
トラに食べられるかもしれないと怖れた主人公の心理に沿って、
後の場面転換も、あえて丁寧に「間」をとるのもアリだと思います。
年齢の小さい子が観客であれば、こちらのやり方の方がわかりやすい。

この場合、年齢の高い観客には、最後の「受け」の11場面(図13)での意外性はありませんが、
「やっぱりね」と予想の通りに展開する楽しさの効果があることになります。

言葉だけで「引き」をあらわしたり、
1枚の画面で「引き」と「受け」の両方をあらわしたりと、
「引き」と「受け」のかたちは様々です。

そこに「間」を入れるか入れないか、入れるとしたらどれくらいの長さの「間」にするか。
それは、演じ手の物語に対する解釈や演出のし方によります。
そしてそれはまた、演じ手と観客との「おしたりひいたり、はぐらかしたり」という
「いないいないばあ」に通じる遊びのやりとりにもよります。

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けれども、ひとつの紙芝居の場面場面すべてに「引き」と「受け」があるわけではありません。
物語の進行に合わせて機械的にぬくばかりという場面もあるでしょう。
この稿ではくわしく触れませんが、余韻を味わったりするような「画面をぬく間」もあります。
また、話の流れを変えたり、情景場面が変わったりするような場面転換のときにも、
長い「間」を入れたりします。

しかし、小さな「間」から、「ここぞ」というクライマックスでの大きな「間」まで
(小さい大きいは、時間の長さではありません)、
「ぬく間」は、どんな紙芝居にもあります。
もしかしたら隠れていたりする。

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たとえば、紙芝居を始める導入時。

どんな作品を演じるのか、子どもたちにまだ知らせていないような場合。
「今日は、とっても怖~い紙芝居を持って来ました。さて、どんなはなしかな?」
などと前置きを言う。
これが「引き」になります。

そうしてたっぷりと「間」をとってじらしてから、子どもたちのおしゃべりや反応を引き出し、
想像させ、期待を高めてから、おもむろに舞台の窓を開け、表紙を見せる。
表紙を見せるところが「受け」です。

あるいはまた、
「これからやるのは『やさいむらのあかたろう』(3)です。
この紙芝居には、赤い色の野菜が出てくるよ。さて、どんな野菜が登場するでしょう?」
などと言って「間」をとり、子どもたちのおしゃべりを聞いてから、
「うーん、それじゃ、そのトウガラシとかが出て来るかしら?」
などと言いつつ、おもむろに表紙を見せる。

あるいはまた別の紙芝居。
表紙を見せたところで、
「この紙芝居の題は、『ぴょんぴょんにょきにょき』(4)って言います。
ヘンテコな題でしょう?
『ぴょんぴょんにょきにょき』って、いったい何のことだろうねえ?」
などと言って「間」をじゅうぶんとって、子どもたちにあれこれ想像させたり、
おしゃべりさせてから、やおら脚本を読み始める。

などなど、これからどんな物語が始まるのか、導入部でも「間」をとることによって、
いろいろ想像と期待をかきたて、ワクワク感を盛り上げたりすることも出来ます。

「間」を意識することによって、
「舞台の窓を開く」
「画面をぬく」
などの単なる作業が、観客の子どもたちとの遊びのかけひきとなるのです。
それが、物語をよりおもしろくする。

あ、いえ。
そんなことを意識しなくても、紙芝居を楽しんでいるというときには、
無意識的にこの「間」をつくったやりとりをしているのではないでしょうか。
ちょうど赤ちゃんとおとなが、「いないいないばあ」を遊ぶように。

この「間」の遊びは、人間が赤ん坊の頃からつちかってきた
原初的なコミュニケーションのひとつのかたちでもあるんですね。

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《引用・参考文献》
(1)若林一郎脚本、西山三郎絵「うらしまたろう」~シリーズ「日本名作おとぎばなし・むかしむかしあったとさ」童心社
(2)渡辺享子脚本/絵「トラのおんがえし」童心社
(3)中村ルミ子脚本、久住卓也絵「やさいむらのあかたろう」童心社
(4)荒木文子脚本、山口マオ絵「ぴょんぴょんにょきにょき」童心社

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by kamishibaiya | 2010-12-11 09:07 | 紙芝居/演じるとき | Comments(0)

「ポレポレ」は、スワヒリ語で「のんびり、ゆっくり」という意味です。紙芝居屋のそんな日々。


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