Kamishibai・イズ・コミュニケーション・15

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 コミュニケーションをひきおこす3つのこと



さて、これまで、まついのりこさんが言われる
コミュニケーションをひきおこす紙芝居の3つの要素(「紙芝居~共感のよろこび」(1))について
考えてきました。

1、演じ手の表情
2、演じ手の文章を読む間
3、演じ手の画面をぬく間

の3つです。

以下にちょっと整理してみます。


1、演じ手の表情

紙芝居は、ただ一方的に演じられるものではない。
紙芝居の演じ手と観客は、ボールの見えないキャッチボールをしている。
演じ手は声や言葉や、そして表情を投げかけ、観客は拍手やブーイングなどの仕草だけでなく、
態度や表情を投げ返す。

観客は基本的には画面の絵をながめ、演じ手も観客が絵に集中するように促す。
が、観客は視界の端で演じ手の表情や視線を感じており、確認している。

そうして時々、合間合間で、演じ手と観客のあいだにアイ・コンタクトが結ばれる。
こうした生ライブのキャッチボールを通して、物語がいきいきと伝えられる。

2、演じ手の文章を読む(語る)間

聞き手が発するあいづちは、語り手にとっては、
言葉が届いているか、物語が伝わっているか、その反応具合を確認するフィード・バックでもある。
句読点などの区切りに入れる短い「間」は、あいづちを促すことになる。
紙芝居ではあいづちを打つ習慣はないが、
観客が発するそうした呼吸を感じとりながら、演じ手は物語を進める。

逆に、あいづちを促すような「間」をとらずに、ただ言葉をたれ流すだけだとしたら、
観客は受け取った言葉を咀嚼し、味わい、考え楽しむことが出来にくくなる。

「間」は、観客が物語のイマジネーションをふくらませ、味わい、
主体的に考え楽しむ時間を用意する。
「間」によって観客は想像し、そうすることによって、ただ物語を受け取るのではなく、
物語へ参加するように促される。

「間」が緊張を生み、さらに盛り上げたり、逆に緩和を受け入れさせたりもする。
それが演じ手と観客のあいだに呼吸のやりとりを生じさせる。
それによって、「間」が笑いを生んだり、スリルやサスペンスの効果を生むことになる。

こうした「間」などによる緊張と緩和のコントロールは、観客同士の呼吸をそろえさせ、
それがまた、その場の一体感の楽しみとなる。

3、演じ手の画面をぬく間

紙芝居の場面には、次の展開を予期させ、興味を引っ張る「引き」と、
その「引き」に対応して展開の結果をしめす「受け」がある。
「引き」から「受け」への場面転換は、
「文章を読む(語る)間」と連動する「間」をつくることで、
ワクワクと想像を高め、劇的な効果と楽しさを生じさせる。

それは、遊ぶ者同士が「おしたり、ひいたり、はぐらかしたり」するような
「いないいないばあ」に代表される遊びの原型に根ざしたものであり、
紙芝居は、そうしたやりとりの「間」を遊び、「間」を楽しむものである。

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これらは、別々にはたらくわけではありません。
互いに重なり合い、入り混じりながらはたらいたりもします。

そして、これらがひきおこすコミュニケーションは、
上っ面をなでるだけのものではないと思うのです。
なぜなら、このコミュニケーションの本質は、物語を手渡すことだからです。

演じ手と観客がひとつの物語を共有して、いっしょに物語の世界をつくり出して、遊び合い、
その楽しさを分かち合う
──そこに、紙芝居というコミュニケーションの本質があるのだと思います。

それは、いわゆる「参加型紙芝居」でも同じですね。
ここで言う「物語」というのは、ストーリーという意味だけでなく、
広い意味での「物語」ということ。
「参加型紙芝居」でも、たとえばそれは、きげんの悪いコックさんと仲良しになったりという、
ひとつの物語をつくることであるわけです。

子どもは 、その物語に参加し、共感し、遊び戯れ合いながら、
そうして演じ手とみんなで協力し合いながら、物語をつくっていく。

そうした「参加型紙芝居」でも、演じ手の「表情」「読む間」「ぬく間」というのは、
大事な役割を果たすのだと思います。

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保育者である清水エミ子さんが、「心で握手」という言葉を使われています(2)
保育の現場で子どもたちに言葉かけをするとき、それは心で握手をするようだというのです。
いい言葉だなあと思います。
つくづく。

誰かから誰かへ言葉を伝えることは、その声で心に触れるということなのかもしれません。
生の声でことばを手渡し、物語を手渡す紙芝居もまた、その心に触れることなのでしょう。
それは単純に、「遊ぶ」ことでもあります。
また、心の深いところへ届くことも、たぶんある。

それは、知識や情報として頭にインプットさせることではありません。
理解・学習させることでもありません。
感覚的に刺激するだけでもない。
感情的に反応させるだけでもない。
子どもたちは、まるごと物語の中に入り込んで遊ぶ。
体験する。
というより、物語を生きる。

そして演じ手もまた、演じるとき、物語を生きるんでしょうね。
演じ手と観客がお互いに協力し合いながらひとつの物語をつくっていく。
そのとき、遊びに参加する同士として、心の中で握手したり、時には突っつき合ったり、
時には肩をたたきあったりする。

たとえそれが、どんなにくだらない、たわいのない馬鹿ばなしであったとしても、
たとえ演じ手が、途中途中でつっかえては言葉につまり、
どんなに下手くそな演じ方であったとしても、
物語を遊ぶことで、子どもたちと「心で握手」……。
紙芝居というのは、そんなふうなコミュニケーションのひとつのかたちではないかと、
筆者には思えてなりません。







《引用・参考文献》
(1)まついのりこ「紙芝居~共感のよろこび」童心社
(2)清水エミ子「園児と心で握手」学陽書房

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by kamishibaiya | 2010-12-11 09:59 | 紙芝居/演じるとき | Comments(0)

「ポレポレ」は、スワヒリ語で「のんびり、ゆっくり」という意味です。紙芝居屋のそんな日々。


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