「行って帰ってくる」物語・02

f0223055_11473522.gifやまんばは、どこからやって来たか


「やまんば」といえば、
2000年代、ファッション・リーダーとして注目されたこともありましたね。
少女たちは競って彼女の真似をして街を歩き、「ヤマンバ・ギャル」といわれました。
日焼けして真っ黒な顔に、メッシュの入ったボサボサの髪。
目の周りの白を強調したメイク。
ホンモノのやまんばが、そうしたファッションをしていたかどうかは不明ですが、
昔話のイメージは、現代人のこころの奥底にひそかに生き続けていたりするのかもしれません。

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彼女は数々の悪名高い物語を残しています。
その食欲の旺盛なことときたら!
牛をまるごと一頭みちみちと食いつくした後もなお、牛方を食おうと追いかけたり(「牛方と山姥」)、
頭の後ろの口に五升の飯を放り込んだ上になお、男を食おうとしたり(「食わず女房」)、
小僧さんをがしがし食おうと追いかけたり(「三枚のお札」)、
などなど、数々の事件の主犯と目されているのが彼女です。

鬼になったり、おおかみになったり、蜘蛛になったり、退治されてからは蝿になったり、
古むじなの正体をあらわしたりと、彼女はモンスター的でもあります。

その一方で、くりくりと働いて炊事洗濯をする。
背負子(しょいこ)で子どもをおぶるように、男を桶へ放り込んで山へ担いでいく。
ご馳走をせっせと作って食べさせる。
添い寝をしようとする……
と、そのやり口は、母親的でもあります。

長い乳房に巻き込んで人をさらうという長崎の昔話でのやり口は、
モンスター的でもあり、かつ母親的でもあります。
(その後、彼女は焼けた石を乳房に放り投げられてさんざんな目に合うのですが。)

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やまんばには「山母」という字が当てられることもあるように、お母さんとしての側面があります。
浄瑠璃の近松門左衛門作「嫗山姥(こもちやまうば)」などによると、やまんばは、
まさかりをかついで熊と遊んでいたあの金太郎(坂田公時)のお母さんです。
もっとも、近松門左衛門が作る前から「山姥金時」などといわれる原型の伝説があったんだそうで、
昔から彼女は金太郎のお母さんとしても知られていたようです。

ちなみに、肥後天草(現・熊本県天草地方)には、やまんばが子どもを産んだとき、
自分の赤ん坊と人間の赤ん坊を取り替えたという昔話があります。
そして自分が育てた人間の子が金太郎(金時・公時)となり、
人間が育てたやまんばの子が酒呑童子になったのだそうです(1)

彼女は、善玉の金太郎であれ、悪玉の酒呑童子であれ、
非凡な人物のお母さんだったりするんですね。

また、彼女は神さまのお母さんだったりもします。
三人の子どもをその地で育てた“子生嵶(こうみたわ)”という岩が
遠江(とおとうみ)(現・静岡県浜松市天竜区佐久間町)にあるそうです(2)
その岩にはお産の苦しみのときに彼女がつけた爪の跡も残っているのだとか。
この“子生嵶”で育てられた3人の子どもは、実は、近隣の山々の三柱の神さまなのだそうです。

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こうしたお母さんとしてのやまんばの姿は各地で目撃されています。
子どもを連れて焚き火にあたらせていたという「山姥石」が
阿波(現・徳島県美馬郡つるぎ町半田〈旧・半田町〉)にあったり(2)
岩手では、12人の赤ん坊を産むところを猟師に助けてもらったりもしています(3)

一度に12人とは大変だと思いますが、彼女はたいていは3~4人の子を産むそうです。
が、いちどきに7万8千人の子どもを産むこともあります(4)
暖冬といわれるような雪の少ないあったかな冬が来ると、山村の人々は
「ああ、今年はやまんばが産をするそうな」
と噂をしたといいます(2)
やまんばのお産を、みんなが気にかけていたんですね。

能の世阿弥作「山姥」に登場する彼女は、
山にひそむ自然の精霊というイメージの存在です。
時に残酷で、生命力に満ちた彼女は、自然そのものを体現した姿だったりするのかもしれません。

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そんな彼女は、継母に虐められている娘を助けたり(「糠福と米福」「継子の栗拾い」)、
村人に恵みを施し、息災を守ったり(「ちょうふく山の山んば」)、
食べものや作物を増やして村人を助けたりもしています(5)

また、「山梨とりの兄弟」の話には、
三人兄弟にアドバイスをして助ける岩の上の婆さまをやまんばとする類話もあります。
主人公に対する援助者としての役割を受け持つことも少なくありません。

よいこともする。
母うさぎに劣らぬやさしい面をもっているわけです。

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柳田國男が、山奥で生活する人々との脈絡を示唆する一方で、
母性としての女神である姥神、その姥神のいる山や、
山の神との関わりからやまんばが生まれたとしているのも、ごく納得ができます。
姥神、つまり母なる女神が零落して妖怪化したのが、やまんばだというのです。

「天道さん金の鎖」といった昔話では、
やまんばは、ちょうどグリム童話「おおかみと七ひきの子やぎ」のおおかみさながらに、
ニセの母親に化けて、留守番の兄弟をだまします。
声色を変えたり、荒い毛を剃り、そば粉を塗って白くした手を戸口の隙間から見せて、
「ほら、お母さんだよ」などと詐欺をはたらく。
(類話では、毛だらけの手につわぶきを巻いて、子どもに触らせたりもします。)
そうして家の中へまんまと入り込み、生まれて間もない末っ子を食べてしまい、
指をコリコリかじるなんていうことをする。

ニセの母親。
──これほど、やまんばにぴったりのキャスティングはないでしょう。
そしてひょっとしたら、彼女はニセものではなく、本物の母親だったりもするのです。

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ちなみに、こうしたやまんばの親戚はロシアにもいて、
彼女はババ・ヤガーと呼ばれ、ロシアの昔話に登場します。
ドイツにいるホッレおばさんやトルーデおばさんなどもやはり親戚筋にあたる人でしょう。
彼女たちもやはり、人を助ける一方で、人に悪さをします。

彼女たちがよく糸車を回したり、機を織る名人だったりするところは、
日本のやまんばとも共通するところです。
ホッレおばさんには、古代ゲルマン信仰の女神「ホルダ」が零落して
「ホレ」というおばさんになったという説もあります。
そのあたりも、姥神が零落したといわれる日本のやまんばに似ていますね。

ホッレおばさんはグリム兄弟の『童話集』にも顔を見せていますが、
兄弟がその翌年に出版した『伝説集』の方でもずいぶん活躍しています(6)
彼女もやはり、いい話と悪い話の両方を残している。
もっとも、怠け者の糸紡ぎ女のより糸をもつれさせたり、
朝寝坊の女のふとんをはがして石畳の上に寝かせたり、
などという悪さはあまり罪がないように思えますが。

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河合隼雄さんは、こうしたやまんばや、やまんばの親戚筋にあたるおばさんたちの二面性について、
「山姥の仲人」の類話を引いて説明しています(7)
そのはなしでは、おばあさんが孫をかわいがる。
もう、かわいくてかわいくて、ぺろぺろとなめてしまうほどのかわいがりよう。
すると、なめているうちに、孫を食べてしまったというのです。
それ以来、おばあさんは鬼婆になってしまったのだとか。

母親は、子どもを慈しみ、包み、ひたむきに愛する。
しかし、そのひたむきさがマイナスの面をあらわすことにもなるんですね。
ひたむきにかわいがることが、成長と自立を阻むことになる。
いつまでも自分から離れないでほしい、小さいままでいてほしい。
自分との一体感を継続させたいということが、相手を取り込んで自分の一部にしようとする
──つまり、「食う」「飲み込む」「包み込む」「おしつぶす」という
やまんばの典型的な行動パターンにつながっていくというわけです。

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ここに、“母なるもの”の二面性があります。
母うさぎが、やさしい母親となるか、やまんばとなるか。
それは、子どもたちの成長の段階によって、その心の揺れ動きによって変わってくる。

子どもたちは最初、母親のまなざしのもとで、
小さな冒険へ「行って帰ってくる」をくりかえします。
冒険に飛び出して母親のもとから離れても、
すぐに不安になって戻ってきて、母親につかまえてもらいたいと願う。
しかしやがて、そこから成長した子どもたちは、さらに大きな冒険へと踏み出していきます。
母親から自立して離れていこうとする。

発達的には、探索活動が、冒険ごっこや探検遊びに発展していく。
そして、おとなに対して秘密をもち、仲間同士で秘密を共有するようになり、
秘密基地やそうした隠れ家で遊ぶようにもなっていきます。
そうした旅立ちのときになっても、つかまえにやってくる母親は、やまんばなわけです。

桃太郎がいざ鬼退治に出かけようとするとき、
おばあさんがきびだんごなど持たせようとはせずに、
「そんな危ないところに行ってはいけません! 鬼退治なんてとんでもない。何が不満なの? 
なんであなたがわざわざ行く必要があるの? 
桃太郎や。あなたはまだまだ子どもなんだから、
家の中にいて私たちと安らかに暮らしていればいいの。
私はあなたのためを思って言ってるのよ。どうして私の気持ちがわからないのかしら。
猿やキジだなんて、あんな悪いお友だちといっしょに遊んではいけません。
隠れて出かけようとしても、私はつかまえに行きますからね」
などというようなものです。

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子うさぎも、母うさぎに追いかけられて息がつまりそうなどと言っているうちはいいのですが、
食われてしまうこともありうるわけですね。
「食われてしまう」──つまり、母親との一体感の中にとりこまれて、成長を止められてしまう。

精神分析のユング派は、これを“グレートマザー(太母)”という概念で説明しています。
これは、“母”そのものではなく、“母なるもの”ともいうべき無意識の概念だそうで、
誰でもが根源的にもっているもの。
つまり、母親に限らない。
父親や保育者という立場であっても、
わたしたちおとなは、 こうした面を子どもたちに対して持っているのかもしれません。

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《引用・参考文献》
(1)谷川健一「鍛冶屋の母」河出書房新社
(2)柳田國男「山の人生」「柳田國男全集4」ちくま文庫・所収
(3)松谷みよ子「民話の世界」講談社現代新書
(4)松山義雄「山国の神と人」未来社
(5)吉田淳彦「昔話の考古学」中公新書
(6)グリム、桜沢正勝・鍛冶哲郎訳「ドイツ伝説集」人文書院
(7)河合隼雄「昔話と日本人の心」岩波書店
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by kamishibaiya | 2010-12-18 11:48 | 紙芝居/脚本を書く | Comments(0)