「行って帰ってくる」物語・05

f0223055_1336953.gifヘンゼルとグレーテルは、行って帰ってくる・その2


母なるもの──グレートマザーという無意識の象徴は、死と隣り合わせであるといいます。
「紅水仙」では、京子が追い求めた母親像が死をもたらしました(→参照ページ)。

日本神話のイザナミノミコトは、国を産み、たくさんの神を産んだ女神で、
代表的なグレートマザーといえるでしょう。
その彼女は、火の神を産んで死んでからは、黄泉に住み、
死の国の女王、黄泉津大神(ヨモツオオカミ)となります。

ギリシア神話で大地を司る農耕の女神、デーメーテル。
その娘のペルセポネーは、一身両体として母親と併せて祀られることも多い女神ですから、
いわば母なる神デーメーテルの分身。
この母娘二人もグレートマザーといえます。

そのペルセポネーは、冥府の王プルートーン(ハーデース)にさらわれて、
その妃となり死の国の女王となります(1)(2)

母なるものと死の領域が近しく語られている。
というより、その世界は同じところにあるのかもしれません。

しかし、昔話や神話の中では、死は、しばしば再生を意味することでもあるんですね。
ペルセポネーは、母親デーメーテルのもとへ帰ることを許されますが、冥府で石榴を口にしたため、
1年の3分の1を死の国、冥府で過ごさなければなりませんでした。
それは、大地の穀物が死を迎える冬の季節。

やがて春となり、ペルセポネーは実家に戻ります。
穀物の女神である大地の母親のもとで暮らす、その春から秋にかけての季節。
穀物は生き返るように大地から芽吹き、夏には青々と成長し、秋に実を結ぶ。

そしてまた、ペルセポネーが冥府へとおもむく冬には、枯れて死に、
春になると再び復活をとげる……。

一年生の植物は、1年の中で生と死をくりかえします。
その死骸を大地の土は呑み込み、腐らせ、豊かな養分として死を受け止める。
一方、その種から生を産み出し、植物を再生させるかのように発芽させ、
育てるのもまた土であるわけです。
人間もまた土からつくられ、土に帰ると記していたのは、旧約聖書の「創世記」でしたっけ。
生と死を合わせもつそうした大地のはたらきは、グレートマザーの象徴と重なります。

“地母神”は、まさに大地のはたらきを担う女神です。
母なるものは、人を呑み込み死に至らせるものですが、
自らの死とともに再生するものでもあるようです。

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やまんばが死んだとき、その祟りをおそれた人々が
“産土神(うぶすながみ)”として祀るという昔話があります。
“産土神”は、生まれた土地の神さまで、土と結びついていたり、出産に立ち会ったりする神様。
そういうものに、やまんばは再生する。

インドネシアやポリネシア、メラネシアには、
殺された女神の死体から作物や「よいもの」が生まれ出てくるという神話があります。
いわゆる「ハイヌヴェレ型神話」。
「死体化成型神話」ともいわれるものです。

インドネシア・セラム島の女神であるハイヌヴェレは、人間に生き埋めにされて殺されますが、
そこからイモが生えてくる。
これが今のイモの起源とされています(3)

吉田敦彦さんはそこに、古事記の女神たちや縄文時代の母神信仰との類似点、
そしてやまんばの起源をみています(4)
やまんばにも、焼き殺された死体から小判や万病の薬をもたらしたり、
死んだときの血が、蕎麦や唐黍(とうきび)、にんじんといった根の赤い作物につながる
という類話があるんですね。

もっとも「死体化成型神話」では、女神や女性ばかりが主人公となるわけではありません。
南太平洋圏でも、地方によっては、
男性に化身するウナギや男神が死んで作物を生む話が分布しています。
またたとえば、北米インディアンのアルゴンキン族には、
男性が死んでその死骸からトウモロコシが生えてくる話があります。

ジョーゼフ・キャンベルは、人類が狩猟生活から農耕生活へと変化するとともに死生観も変わり、
そういう変化がこれらの神話を生んだと語っています(5)
そうした農耕文化の影響もあるのでしょう。

しかし、農耕を育むこうした大地の死と再生のはたらきは、
地母神である“母なるもの”にぴったりのように思われます。

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そして「悪い母」なるものは死ぬことで、「いい母」なるものに生まれ変わったりする。

東京・池袋にも祀られている鬼子母神は、
元はインドのハーリーティ[訶梨帝母]という残酷な夜叉でした。
1千人という子どもを自分で産みながら、他人の子どもをとって食らうのです。
(※一説には1万人の子を産んだといいます。
やまんばが7万8千人を産んだことを考えれば、それでも少ないくらいですが。)

それを見たブッダが、彼女の末っ子のひとりを隠して戒めたところ、
狂ったように探し求めた末に改悟し、育児や安産の神として祀られるようになったのだそうです。
彼女は死にはしませんでしたが、わが子を失うかもしれないという死ぬ思いをさせられて、
「いい母」に生まれ変わったのでしょう。

人喰い魔女は、グレーテルにパンやきがまの中で殺されました。
彼女は再生して生き返ることはありませんが、
“母なるもの”はマイナスのはたらきがプラスに変わり、
「いい母」となって生まれ変わったかのようです。

魔女の家は、 ヘンゼルとグレーテルに宝物をもたらす。
また、それまでは二人を迷わし、窮地へと導いていた鳥は、今度は白い鴨となって、
二人が川を渡るのを助けてくれる。
この鴨は、どうやら二人乗りができるほどの大きさはあるらしく、
先に背中に乗ったヘンゼルは、妹にも乗るようにすすめます。

もしも以前のグレーテルだったら、かつてお菓子の家に二人で飛びついたように、
白い鴨にすがり、ただしがみついていくだけだったでしょう。
けれど今のグレーテルは、鴨にただむやみに依存するということはありません。
二人では重くて鴨の負担になるからと、一人ずつかわりばんこに運んでくれるように頼み、
自分はいったん待つのです。

ここで、一人ずつ渡ることは、自分の独自性、個性に気づき、自分の力と意志で生きていくこと。
だから、いっしょくたに二人で渡ることはできないと、ベッテルハイムが指摘しています(6)

二人は(グレーテルは特に)、この冒険とはいえないかもしれない冒険を通して、
成長したのでしょう。
そしてここに“母親殺し”の意味もあると思われます。

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“母なるもの”は殺され、死ぬことによって、再生にもつながる。
“母なるもの”は新しく生まれ変わるわけですが、それは、子ども自身が成長し、
その変容をとげた目から見たとき、“母なるもの”が変わって見える。
世界が変容して目に映るということでもあるのでしょう。

そうしてヘンゼルとグレーテルは、「行って帰ってくる」。
以前と同じ家の中に「帰って」、そこでまた暮らしていくことは、成長した彼らが、
母なるものと新たな関係をつくるということでもあるんですね。

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《引用・参考文献》
(1)ブルフィンチ、野上弥生子訳「ギリシア・ローマ神話」岩波文庫
(2)呉茂一「ギリシア神話」新潮社
(3)後藤明「南島の神話」中公文庫
(4)吉田敦彦「昔話の考古学」中公新書
(5)ジョーゼフ・キャンベル、ビル・モイヤーズ、飛田茂雄訳「神話の力」早川書房
(6)ブルーノ・ベッテルハイム、波多野完治・乾侑美子訳「昔話の魔力」評論社
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by kamishibaiya | 2010-12-19 09:33 | 紙芝居/脚本を書く | Comments(0)