「紙芝居なんて初めて」という方へ 01

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紙芝居って、なに?(1)



たとえば「紙芝居って知ってる?」ときかれて、
「カミシバイ? 何それ?」
と応じる日本人は少ないかもしれません。
紙を何枚も重ねたのをぬいていき、描かれた絵を一枚ずつ見せながら物語を語るアレです。
「紙」の絵を見せて、「芝居」を演じるから「紙芝居」。
たいていの人はどこかで見たような覚えがある。
たとえば、保育園や幼稚園、小学校などで出逢っているのではないでしょうか。

「ああ、アレね。懐かしいなあ」
と、自転車で町の路地へやってきたおじさんのしわがれ声や、
見ながら食べた駄菓子の水飴やソースせんべいの匂いを想い出したりする方もいるでしょう。

そうした街頭紙芝居は、昭和初頭に生まれました。
それが爆発的にヒット。
子どもたちの娯楽として熱狂的に迎えられ、第二次大戦の前と後に一時代を画した後、
やがて昭和30年代頃、姿を消していきました。

昭和の前半のその時期に子ども時代を過ごした方にとっては、
ノスタルジックに感じられるかもしれません。
紙芝居といえば、
「あの懐かしい」とか「昭和の昔の」という言葉が枕詞のようにセットで語られるのも、
一世を風靡したメディアとして、町の風俗として、昭和の時代を象徴していたからでしょう。

残念ながら筆者は遅れてきた世代で、
公園に何やら集まって紙芝居を見ている子どもたちの背中を見た幼い日の記憶はかすかにあるのですが、
街頭紙芝居をはっきり見たといえる経験はありません。
けれど、小学校で先生が演じていた、交通安全などのいわゆる教育紙芝居は見た記憶があります。
意識して見るようになったのは、おとなになってから。
だから筆者にとっては、紙芝居といってもノスタルジーやレトロの感覚はありません。

今の子どもたちにとってもそうだと思います。
「街頭」紙芝居について前の世代から伝え聞いたことはあったとしても、
見た経験も記憶もないわけですから、「懐かし」くて見るということはない。

おもしろければ見る。
おもしろくなければ見ない。
おもしろくなくて見ないのであれば、
すたれて滅び行くのは当然。淘汰される運命であるのでしょう。

が、しかし。
これがなかなかおもしろいんです。
おもしろがっているのは筆者ひとりかと思っていたら、どうやらそうでもない。
おもしろがっている子どもがいます。
おもしろがっているおとなもいます。
もちろん、作品や演じ手にもよるのでしょう。

けれど、必ずしもキレイとは思えない、落書きのような絵の手作り紙芝居であったり、
おおよそ上手とは思えない、つっかえ、つっかえの演じ手であっても、
子どもたちは実におもしろそうに見ていたりする。
その目の色の輝きときたら、何でこんな顔が出来るのだろうかと不思議に思ってしまうくらい。
なぜでしょう?


f0223055_882010.gif身近な、「映像を見せながら話すこと」

──理由のひとつには、わかりやすさ、興味のひきやすさということがあると思います。
絵にすると、話がわかりやすい。

TVのニュース・情報・バラエティ番組などでは、出演者がただ話しをするだけでなく、
ボードやフリップボード、スクリーンなどで、絵や図、写真などの映像が多用されます。
何枚も重ねたパターン(フリップ)を次々にぬいたり倒したりして、
連続した一枚一枚の絵を見せながら話すという、
それこそ紙芝居のスタイルで語られる光景も見かけます。
物事や事件のあらましなど、何かを説明する場合、映像があるとわかりやすいんですね。

また、興味をひきやすい。
だからこうした映像を使うやり方は、
企業のプレゼンテーションや学校の授業などでもよく利用されます。
スライドやOHP、パソコンのモニターやプロジェクタ、CG、テロップなどなど、
見せ方の技術はいろいろ進歩していますが、
「絵を見せながら話す」という素朴な原型は変わりません。

そしてまた、ただ話すだけの場合とまた違ったおもしろさ、楽しさがある。
そのやり方が、お笑いで使われたこともありますね。
いわゆるフリップ芸とか、めくり芸とかいわれるもの。

スケッチブックやフリップボードに描かれた絵を次々にめくったり、
そこに“しゃべくり”を入れて、笑いをとる。
「いつもここから」「鉄拳」「バカリズム」といった方々がやっていました。

「桜塚やっくん」などは紙芝居そのままに物語を語り、その合間合間に、観客をイジる。
台詞を観客に言わせたり、次の展開を観客に想像、予想させ、
それを裏切る展開をして落としたりしていました。
観客とのそんなやりとりはTV向けにショー化されてはいましたが、たとえば昔、
街頭紙芝居で見られたような演者と観客との交流にも通じるものがあるのではないかと思います。


f0223055_884894.gif「映像を見せながら話」してきた歴史

この「映像を見せながら話す」というのは、古来から行われていた手法でもありました。
絵を見せながら、主に仏教の説話などを説いて聞かせる
「絵解き(えとき)」というものがあります。

仏教が始まった頃のインドで。
お釈迦さまの一生を描いた壁画や掛け物の絵が作られ、
その絵を見せながら説いて語るという布教が行われていました。
お釈迦さまがまだ生きていた頃から始まったという説があるくらいですから、
二千年以上の昔から「絵を見せながら話す」が行われていたことになります。

それが仏教とともにチベットなどアジアへ広まり、
中国では「変」と呼ばれるような語りものとなる。
日本でも12世紀頃から「絵解き」が行われ、やがて仏教寺院のわくから民衆の中へ飛び出し、
大衆芸能へと発展します(1)

一方そんな12世紀、日本では、
「他人に絵を見せながら物語を読み聞かせる」
あるいは、「自分で絵を見ながら物語を読み進める」
というかたちの、映像を使って物語を伝える「絵巻」などのメディアが、主に宮廷で発達します。

「源氏物語絵巻」には、脚本と画集が2冊でセットになった冊子が描かれています(参照)。
侍女が脚本を読み語り、それを聴きながらお姫さまが画集をめくって物語を楽しんでいるのです。
ちょうど絵本の「読み聞かせ」のようなかたちですね。

絵巻」なども、こうしたかたちで傍らで誰かが読み聞かせたり、
あるいは自分で文章を読みながら物語を楽しんだのでしょう。

中世になるとそれらが民衆へと広まり、
絵巻物や掛け物の絵を見せて語る「絵解き」を行う人々が諸国を廻り歩きました。
さらに版画印刷が発達した江戸時代には、絵が比較的身近なものとなり、
人々は、文章と挿し絵で物語を楽しむ「絵本」の原型のような「絵草紙」を手にします。

そして江戸時代後期、技術の発達とともに、寄席や縁日ではエンターテイメント性が高められ、
入れ替わる絵を、のぞき穴から立体的に見せる「のぞきからくり」、
幻燈機とガラス板を使って影絵を動かして見せる「写し絵」など、
当時では新奇な映像に附して物語の口上を語って聞かせるメディアが人気を呼びました。

その中で「写し絵」は、人手がかかって利益が薄く、明治時代の中頃に消えていきます。
仕事を失った「写し絵」の画家たちは、それまでガラス板のスライドに描いていた人物像を、
紙に描いてそのまま見せることを工夫する。
その紙の人物に、手でにぎりやすいような竹の棒をつけ、紙人形を作る。
いわば、今のペープサートの元祖です。

それを動かして物語を語るかたちで興行を始めます。
最初は、かたちは変わっても「写し絵」と名乗って演じていた。
それが、紙人形を動かす芝居だというので、やがて「紙芝居」と呼ばれます。
それがさらにかたちを変え、紙に描いた絵をぬいて見せながら語る現在の「紙芝居」となりました。

そうして今の紙芝居が発明されたのは1930年代と言われていますが、
そのかたちが生まれ、受け入れられた背景には、
こうした伝統的な「絵を見せながら話す」土壌が日本にあったとも考えられます。


f0223055_892249.gif時代とともに生きた街頭紙芝居

かくて紙芝居は、昭和の当時、日本の主に都市部で、あの町この町の路地路地を席巻し、
一時代を画します。

それには、「映像を見せながら話す」ことのわかりやすさ、興味のひきやすさ、おもしろさに加え、
紙芝居のお手軽さ、お気軽さという点もポイントが高かったでしょう。
演じ手ひとり、紙の絵が数十枚あれば事足りる。
そんな単純素朴なシステムは機動性があり、室内はもちろん、自転車で持ち運びが出来、
むしろ野外のちょっとした路地や空き地で演じられました。

もちろん演じ手のワザも求められたでしょうが、
それほどに熟練した腕と経験がない素人が演じても、ある程度のおもしろさは成立する。

その手軽さに反して多くの効果が期待出来る紙芝居は、いろいろな分野に利用されました。
街頭での爆発的ヒットに早くから目をつけたのは、宗教界です。
子どもたちへの布教活動に取り入れられ、仏教紙芝居、キリスト教紙芝居が作られる。
さらには、教育界が注目して教育用のものが作られ、今日に至ります。
また、広告業界も注目していました。
企画だけで結局実現はされませんでしたが、街頭紙芝居が扱う駄菓子類とはまったく別に、
菓子会社のコマーシャルに利用されるという話もあったそうです。

そして戦争が始まると、戦意高揚のためのプロパガンダに使われました。
戦後、米軍のGHQが紙芝居の調査に乗り出し、一時期は統制をしいて検閲を重ねたのも、
紙芝居の影響力のあなどれないことを米軍がおそれたためでした(2)

子どもたちのごく身近にあった紙芝居ですが、時代に利用され、
時代とともに歩んだ存在でもあったんですね。

それだけ力を持っていたメディアが、しかし、なぜ衰退していったのでしょう?
これには、時代の流れという一言だけではかたづけられない理由があったと思います。


f0223055_810052.gifなぜ街頭紙芝居は絶滅への道をたどったのか?

第一に、テレビやマンガなどのメディアの台頭があり、子どもたちがそちらへ流れていったこと。
映像によってわかりやすく、おもしろく物語る文化は、
テレビやマンガ、アニメーションへと受け継がれました。

たった一人による手工業的な紙芝居が、目の前の数十人を相手とするのに比べると、
一度に数千、数万人、あるいは数百万、数千万人を相手にする
雑誌やテレビなどの「マス」メディアは、システマチックな大型工場のようです。
テクノロジーは映像をさらに進化させてCGや3Dを生み、
映像を伴う物語は今、ゲームや電子メディアによっても多様に伝えられています。

当時の街頭紙芝居は、昭和初期のいわゆる「エロ・グロ・ナンセンス」の風潮を受け、
庶民のドロドロ、ギラギラした情念のようなものを反映した自由奔放さが
魅力のひとつでもありました。
現場では「エロ・グロ」を加味した方が人気を得て商売になるため、
しばしば過剰となる傾向もあったのだとか。

といっても、当時の「エロ・グロ」の水準は、
現代に比べればまだまだ可愛いものだったような気がしなくもありません。
またそれは、下層庶民の情念を映した「説経」などの物語の歴史にも通ずるように思います。

しかしそれが、紙芝居の広まりとともに批判を受けるようになり、
子どもへの教育的な影響に配慮した自主規制を行うようになります。
規制はいきいきしたエネルギーを削ぐこととなり、
それがおもしろさを奪ったという指摘があります。

少々の下品さや残酷さも厭わないエネルギーは、
当時は未成熟だった若いマンガ文化(劇画とも呼ばれた)へと流れていったのかもしれません。

そして、これらの理由とともに、大きな一因として、
子どもたちの生活が変わったということがあるのではないかと思われます。


f0223055_8104085.gifサンマが危ない

「遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」
と、かつて「梁塵秘抄」(3)で歌われたものでした。

近所で何やらガヤガヤ、ワイワイ遊ぶ子どもたちの声がすると、おとなでも心浮き立ってくる。
が、今、「遊ぶ子供の声」を町中で聞くことがめったにありません。
外遊びをする子どもたちの姿が激減したためです。

その理由としてよく指摘されるのが、「サンマがない」ということです。
秋刀魚(サンマ)が不漁ということでもなく、
明石家さんまさんが引退したというわけでもありません。
「時間」「空間」「仲間」という三つの「間」──サンマが
子どもの生活から失われてきたというのです。

塾や稽古ごとや○○教室などに追われ、遊ぶ「時間」がなくなってきた。
交通安全の面からも、防犯の面からも、危険のない路地や遊べる空き地がない。
遊ぶ「空間」がなくなってきた。
隣り近所や地域で集まったり、群れたりする「仲間」がなくなってきた。

マンガ「ドラえもん」(4)には、土管の置かれた空き地がよく描かれていました。

そこでは主人公ののび太やジャイアンや子どもたちがたむろし、おしゃべりし、
野球で遊んだり、ケンカをしたり、ときどき昼寝をしたりしていたものです。
連載されていた昭和の当時ではありふれていたそんな風景も、
今は探し出すのが難しいのではないでしょうか。
それは子どもたちの“居場所”といえる空間だったに違いありません。

むろん、子どもたちが遊ばなくなったわけではありません。
スケジュールを調整し、電話でアポをとりながら、友だちとの遊びの時間を作ったりしています。
おとなの管理のもと、公園や運動場が用意されています。
サッカーや野球などスポーツのクラブでは、おとなが管理・指導してくれます。
玩具、そしてテレビを始め、ゲーム、DVD、パソコンなど、
技術を進化させた遊びのためのツールは、子どもの周りに大量にあふれています。
子どもたちだけで自由に群れて遊ぶ「集団遊び」や「外遊び」が少なくなってきただけで、
遊びそのものはやはり子どもたちの関心を集め続けているわけです。

しかし、遊びの質は変わりました。

こうした三間(サンマ)の減少は、イコール、街頭紙芝居の場が失われることを意味しました。
観客である子どもたちが集まる時間がない。
場所がない。
いっしょに見る仲間がいない。
街から、遊ぶ子どもたちの声が消えるとともに、
街頭紙芝居もまた消えざるを得なかったのでしょう。


f0223055_8112557.gif子どもたちのコミュニケーションが変わっている

この三間(サンマ)がなくなることで、
筆者は、四つ目の「間」も失われているような気がしてなりません。
人と人のあいだにある「間」──コミュニケーションというやつです。

自由な群れ遊びの中で子どもたちは、仲間同士、異年齢同士、
どうしたらおもしろく遊べるか、遊びのルールを変えたり、試行錯誤したりと工夫します。

楽しいことばかりではありません。
ケンカもするし、イヤな思いもいっぱいします。
その中で、どうしたらうまくやっていけるか、知恵をしぼる。
ともに遊び合うことで、触れ合い、ぶつかり合い、お互いに考え合うことを学び、
コミュニケーションの力を身につけるわけです。

テレビは当初、「お茶の間=家族団らんの場」の提供を意図していたようですが、
結局、個々人でバラバラに楽しむ方向へ流れています。

発信者と受信者がいかに双方向的に関わるか──現在、電子メディアをはじめ、
ゲームやテレビなどでも盛んに試み、工夫しています。
が、基本的には、一方通行です。

オギャアと生まれ落ちた人は、ヒトとヒトの「間」に育って、人「間」となる。
人間はヒトに囲まれて成長し、言語やコミュニケーションやいろいろなことを身につけ、学びます。

たとえば一方通行のテレビやビデオ、DVDといったメディアは、
どんなにおもしろく感動的に人間を描いた内容だとしても、モノであることには変わりありません。
幼児期から、モノばかりに囲まれた環境で育つとどうなるか?

幼児期という大切な成長期に、四六時中、そうしたモノだけと関わることの弊害が、
医学の立場からも指摘されています
(日本小児学会・提言「乳幼児のテレビ・ビデオ長時間視聴は危険です」2004年(5))。

映画「となりのトトロ」などで知られるアニメーション作家・宮﨑駿監督は、
「うちの子はトトロが好きで、ビデオで100回くらい見ています」
というような手紙をファンからもらうと、これはヤバイと心底思うのだそうです。

「トトロ」を1回だけ見たなら、ドングリを拾いに野山へ遊びに行こうと思うけれど、
100回見続けたら、行かなくなる(6)
また、監督は、子どもには3歳までテレビを見せない方がいいと再三、発言しています。

それよりも自然──風光明媚な立派な自然などではなく、
身の回りのたとえば「畳のけば」みたいなものでも、
自然の現実に触れる方がいい。
そうした体験が「子どもたちを生き物として元気にするために必要なこと」ではないかといいます(7)

ドングリを拾いに野山へ行けば、汗をかく。泥だらけになる。
足が棒になるかもしれない。
草で手を切るかもしれない。
ひょっとしたらハチやなんかと遭遇するかもしれない。

それに比べれば、冷暖房のきいた安全な室内で、
子守り代わりのビデオやテレビ、たとえばトトロを100回見たとしても、
これは危険でもありませんし、面倒でもありません。

けれど、面倒な、危険かもしれない現実と格闘しつつ遊ぶ経験は、
トトロを100回見続ける以上に、「子どもたちを生き物として元気に」させるに違いありません。

はち切れんばかりの好奇心を抱えてワクワクし、時にはむちゃくちゃな挑戦にドキドキし、
失敗しては泣き、叱られては消沈し、思い知らされ、
それでもおもしろいことを探して冒険に胸をときめかせ、
現実に飛び込んでいく子どもたちの本来的な特性が、
もしかしたら今、失われているのではないか?
──宮﨑監督のそんな危惧の声が聞こえてくるような気がします。

そして現実に遊ぶ、現実に触れるということは、誰か他のヒトと関わるということを伴ってきます。
友だち。仲間。
兄弟姉妹、母親、父親たち、家族。
先生や隣り近所の人たち。
隣り近所の生き物たち。
いっしょに遊んだり、面倒をみたり、みられたり。
助けたり、助けられたり。
見守られたり、叱られたり、時にはトラブルを起こしたり。

こうした様々なコミュニケーションのかたちは、
まさに「となりのトトロ」の中にいきいきと描かれていたものでした。
主人公姉妹のサツキとメイを取り囲む、
不思議な生き物たちをさえも含む魅力的なそのコミュニティは、
物語の舞台となった昭和30年代の初め頃ではよく見かけられたのかもしれません。
が、今では遠いものとなっているような気がします。

面倒をみたり叱ってくれるおばあさんが近所に住んでいたり、
トトロが神社の森に棲んでいたり、
そして、路地から紙芝居屋の声が聞こえていた昭和時代。

子どもを取り巻く状況とコミュニケーションの「間」は、
そんな当時とは、ずいぶん変わってしまっているようです。
それは子どもたちの「今」にどんな影響を及ぼしているのでしょうか?

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《引用・参考文献》
(1)林雅彦「絵解きの東漸」笠間書院
(2)山本武利「紙芝居~街角のメディア」吉川弘文館
(3)佐々木信綱校訂「梁塵秘抄」岩波文庫
(4)藤子・F・不二雄「ドラえもん」小学館
(5)日本小児学会ホームページ(http://www.jpeds.or.jp/saisin.html#67
(6)養老孟司・宮﨑駿「虫眼とアニ眼」新潮文庫
(7)宮崎駿・インタビュー「子どもにいちばん大事なもの」民主教育研究所編「季刊・人間と教育」10号・旬報社・初出~宮崎駿「折り返し点」岩波書店・所収
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