さあ、笑いなさい。

第二次大戦の頃、ナチス・ドイツはユダヤ人を強制的に狭い地域へ追いやり、住まわせ、
その居住区は「ゲットー」と呼ばれました。

ゲットーでは、食糧は極度に制限され、人口があまりに過密なために衛生状態が悪化。
住民は数年後には収容所へ送られ、大量虐殺にもつながるわけですが、
それ以前にゲットーでの生活の中、飢餓と伝染病によって多くの命が奪われました。

そんな中、おとなたちは子どものためにどうしたか。
出来得る限りに食料をかき集め子どもたちの給食所に送った。
その他、いかに最低限の生活を確保するか、いかに生き残るかの戦いに迫られました。

が、一方で、子どもたちを遊ばせるための努力を惜しまなかったといいます。

明日食べるパンさえままならぬ生きるか死ぬかの過酷な時代に、遊ばせる余裕など……、
と思ってしまいます。
が、危険にさらされたそんな時代だからこそ、おとなたちは子どもがいきいきと遊ぶことを願った。

ポーランド・ワルシャワのゲットーの住民たちの自助組織「子どもと孤児救援センター(CENTOS)」は
教育プログラムを掲げる際、

「あらゆる種類のゲームを子どもたちに教えてやらねばならない。」
「あらゆる機会をとらえ、エンタテイメントや子どもの祭典を計画すること。」


といった項目を記しています(1)

そうして、遊び場の失われた瓦礫の山の中、
ほこりだらけの中庭の小さなスペースにわずかな草花を植えて「子どもコーナー」を作る。
いろいろな施設で、遊びとして、芸術や音楽、ダンスを教える。
子どもたちに楽しんでもらうために、マリオネットの常設劇場まで作る。

また、ゲットー内のユダヤ共同体の指導者たちは、苦労の末に、
子どもたちを遊ばせるための運動場(公園)を開設します。
ワルシャワ・ゲットーでは、1942年に開設。

当時ゲットーで、孤児院のために奮闘していたヤヌシュ・コルチャックとその子どもたちも、
たびたび訪れたそうです。
その数ヶ月後、同年の8月、コルチャックと子どもたち200人は強制収容所に移送され、
虐殺されることになるのですが、
それまでのわずかなあいだ、一時(いっとき)でも夢中で遊べる場があったことは、
大きな救いだったと思います。

子どもたちを迎え入れるとき、運動場のある女性スタッフは、助手にこう言ったそうです。

「さあ、笑いなさい! 笑いなさい!
子どもたちを大笑いのお風呂に入れてやらなくちゃ。」
(1)

スタッフたちは、目一杯な満面の笑顔だったのでしょう。
笑顔を忘れてしまいそうな現実の中で、おとなたちの笑顔に見守られながら、
子どもたちは「大笑いのお風呂」に浸って遊んだのでしょう。


当時16歳だったマリー・ベルクという少女は、日記にこう記しています。

「ゲットーの小さな囚人たちのために、この小さな避難所(運動場)を作った人たちにとって、
笑う子どものバラ色の頬は、多分何よりの報酬だったに違いありません。」
(1)

不安を忘れて心から遊ぶことの出来るその場所は、確かに過酷な現実からの「避難所」だった。
そして子どもたちの笑顔は、周りのおとなにとっての「報酬」であるとともに、
救いであり、希望でもあったのではないでしょうか。

上のエピソードをはじめ、収容所や隠れ家で遊んだ子どもたちの姿を追った
「ホロコーストの子どもたち」(1)の著者ジョージ・アイゼンは、
子どもたちの遊びは、生き残りのための戦いでもあったと述べています。


日本ユニセフ協会が、遊具や知育玩具やスポーツ用品なんかが詰まった
「箱の中の幼稚園(幼児向け)」や「レクリエーションキット(児童向け)」を
被災地に届けているそうですね(→記事)。

また、医療NGO「AMDA(アムダ)」の方の発案で、
避難所の脇に「プレイルーム」が設けられたり(岩手県大槌町・県立大槌高校)、
NGOの方が避難所にやはり「プレイルーム」を開設したり(宮城県石巻市・渡波小学校)(→記事
というようなニュースが伝わってきています。
プレイルームでは、高校生や中学生も集まって来て、
年少の子どもたちの遊び相手になってあげていたりするのだとか。

ほんと、心強いです。





《引用・参考文献》
(1)ジョージ・アイゼン、下野博訳「ホロコーストの子どもたち」立風書房
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Commented by kangamiru at 2011-04-08 10:08
はじめまして、こんにちは。
素敵な考え方に共感いたしました。

この度、日本を襲った大震災・・・・・
非常時に無力な仕事をしている私にも出来る事はないのだろうか?
いろいろ想像すると涙が溢れてくるのですが、
被災していない私が泣いてどうする。
と必死に考え、
1つの提案をまとめてみました。

「避難所にワークショップを届けたい。」
 http://kangamiru.exblog.jp/
そう思い立ち活動を始めたものの、
どちらかというと、不謹慎扱いをされてしまい
どうしたものか・・・と悩んでいます。

この記事に出会い、
それでも必ず必要とされる時がくる。
と信じることが出来ました。
ありがとうございました。
Commented by kamishibaiya at 2011-04-08 19:32
コメント、ありがとうございますっ!

実は、紹介したエピソードには別の面がありまして、
この記事の続きを書こうと思っていたところでした。
というのは、ゲットーの市民のあいだでも、子どもたちのレクリエーションは不謹慎ということで、意見が二分されていたようなのです。

しかし、アートのような表現活動が子どもたちに有効であることは確かなように思われます。

現実を実感として受け入れられない年齢の子どもや、
家族やコミュニティの中で、負の感情を抑圧せざるを得なかったとき、
今はふつうに笑顔を見せていても、
これから後、不安や不眠など長期にわたって悩まされることがあることが、
阪神大震災のときにも指摘されていました。
いわゆるPTSD、あるいはPTSR(病気とはいえないけれど、それに似たストレス反応があること)というやつ。
そんなとき、絵として胸の中のもやもやを吐き出すといいと聞いたことがあります。
絵として表現することで、元気になる。

今でも避難所で子どもたちが、ぬりえや折り紙や紙飛行機など、簡単に工夫出来る遊びをしているようですね。
Commented by kamishibaiya at 2011-04-08 19:33
〈続き〉ご存知かもしれませんが、阪神大震災でも活動されていたボランティアのグループが今回も活動を始められているようです。
もしかしたらkangamiruさんが考えておられるワークショップと、アートセラピーは違うかもしれませんが、
参考になることがあるかもしれません。
http://www.heart-color.com/archives/2011/10/post_104.html

いずれにしろ、中・長期的な手助けもこれから必要になってくると思います。
おれも今、自分に出来ることを準備しているところです。

いろんな壁があるようですが、みんなで乗り越えて行けるといいですね。
Commented by kangamiru at 2011-04-09 20:59
こんにちは。
やはり、不謹慎・・という意見はあったのですね。
世の中そういうものですよね。

子供は大人が思っている以上に大人な部分も持っているので、
大人の不安を感じ取っているはず・・
自分が笑わないとお母さんが心配する。
とか思っているはず・・
そういうストレスを少しでも
和らげる何かが出来たら・・と思っています。
本当にいろいろ壁はありますが、
乗り越えなくてはですね。

一日も早く子供達に本当の笑顔が戻りますように・・・
by kamishibaiya | 2011-04-07 18:33 | 日々のことなど | Comments(4)

「ポレポレ」は、スワヒリ語で「のんびり、ゆっくり」という意味です。紙芝居屋のそんな日々。


by kamishibaiya