なぜ子どもたちに遊びや笑いが必要なのか?(1)

先日、こちらの記事「ホロコーストの子どもたち」(1)という本を紹介したところ、
kangamiruさんからコメントをいただきました。
子どもたちが遊ぶアート系のワークショップを避難所に届ける活動を始められたとのこと。
しかし、そうした活動は不謹慎だというような風潮に悩んでおられるとのことでした。

第二次大戦中、ナチス・ドイツに迫害を受けながらも、
ゲットーや収容所の出口の見えない過酷な生活の中で、
おとなたちは子どもたちを遊ばせようとしました。
しかし、全員が諸手を挙げて賛成したというわけではなかったようです。
そんな活動は不謹慎だとして反対する意見があり、住民を二分していたといいます。

おれは、子どもたちを遊ばせようとした人々の気持ちが、とてもわかる気がします。
けれど一方で、ゲットーの人々や、そして今の人々が、
遊びを不謹慎だ考える気持ちも理解出来るように思います。

リトアニアのヴィルナ(ヴィリニュス)・ゲットーでは、初期の頃に住民の半分が処刑されました。
その後も、繰り返し「特殊作戦」という名の処刑が行われる。

そんな中、それでも野外競技場でスポーツの試合が行われたそうです。
ツェーリッヒ・カルマノヴィッチという方が、そのときのことを日記に記しています。
試合の中で自然にわき起こる大喚声に、自由を感じ、人間らしくありたいと願う。
が、そのとき、傍らの友人が嘆いて言ったそうです。

「大ぜいが悲しみ、大ぜいが死んでいる。それなのにここでは歓びと祭り!」(1)

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今回、震災から1週間も経たない頃だったでしょうか、
プロ野球のセ・リーグが、予定通りペナント・レースを行い、
予定通り東京ドームで開幕戦を行うと決定を下しました。

関東の人々が節電を心がけ、計画停電の無理を甘んじて受けようとしたひとつには、
震災地を想ってのことがあったと思います。
その最中、いくら照明を減らすとはいえ、
東京ドームで華々しく開幕戦を行うということには強い違和感がありました。

あくまでも喩えですが、飢餓で死ぬ人も出る中、
みんなで我慢して食糧を分け合おうとしている隣りで、
飲めや食えやの宴会を開こうとするような不謹慎さを感じたものです。

「大ぜいが悲しみ、大ぜいが死んでいる。それなのにここでは歓びと祭り!」(1)

経営としての皮算用や権力の横暴がチラチラと垣間見えていたことも、違和感の理由でした。
強行しようとする経営側に対して、実際に野球を行う現場の選手たち選手会は反対しました。
その背中を世論が後押しして、
また政府の抵抗にもあい、結局延期になりました。

それに比べ、電力への配慮はもちろん、
まず第一に被災された人たちに配慮して執り行われた、甲子園での高校野球や、
サッカーのチャリティ試合はさわやかでした。
そして延期の結果、セ・パ、足並みを揃えてプロ野球も開幕。

それらの競技で選手たちが見せてくれた心意気は、スポーツが人々を元気づけるということを、
大義名分などではなく、信じさせてくれたように思います。

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家族やパートナーや近しい友人──愛する人が亡くなったとき、人は
「グリーフ・ワーク[grief work]」というプロセスを歩むといいます。

「グリーフ・ワーク」は、「悲嘆の仕事」「悲哀の作業」などと訳され、
「喪の作業[mourning work]」とか「悲嘆(悲哀)のプロセス[grief process]」
というような言い方もされます。

J・ボウルビィは、そのプロセスは個々の状況や個人個人によって違いがあるものの、
共通のパターンのような一連の段階をたどるとして、4つの段階をみています(2)
アルフォンス・デーケンは、その段階をさらに12の要素に分け、次のようにみています(3)

〈1〉精神的打撃と麻痺状態:ショックを受けて、一時的に現実の感覚が麻痺する。

〈2〉否認:起こった現実が信じられない。否定しようとする。

現実を受け入れられずに茫然とする〈1〉〈2〉の段階を、ボウルビィは「無感覚の段階」とし、
数時間から1週間ほど連続するとしています(2)
(それ以上続いて長期化する場合には、不安定な理由が考えられる。)
この時期は一見冷静にも見えますが、緊張に満ちている。
そして次の〈3〉以降の段階で打って変わって強い感情に襲われることになります。

〈3〉パニック

〈4〉怒りと不当感:何も悪いことをしていないのに、
どうして「不当な」苦しみを負わなければならないのかという怒り。
人的災害や犯罪による死であれば、怒りの対象はその原因となった人物へ向けられるが、
天災の場合、運命や神に向けられたりする。
また、怒りの表出が妨げられると、内攻して怒りを自分自身へ向けることもあるという。

韓国では、胸をたたいて泣き叫んだり、しゃにむに怒りをぶつけて怒鳴ったり、時には卒倒するなど、
激しい感情表現が見られることがありますね。
それに比べると日本は抑制的と言えるかもしれません。
が、表に出さないだけで、感情の強さの度合いが小さいということではないと思います。

〈5〉敵意とルサンチマン(うらみ):やり場のない感情を、周囲の人々に敵意というかたちでぶつける。
たとえば、最期を看取った医療関係者や救助者がどんなに最良のケアをしたとしても不満に感じて、
まるで死の責任が彼らにあるように思ってしまうなど。

〈6〉罪意識:故人に対して、こうしてあげればよかった、あんなことをしなければよかったなど、
現実のことや、あるいは想像上のことなども含めて、悔恨の情に苛まれる。
故人の死の責任が、自分にあるのではないかという罪悪感も。
それはしばしば非論理的で、子どもの場合には特に飛躍しやすい。
たとえば、「自分がいい子ではなかったからこんなことになったんだ」
というような思い込みをすることにもなる。

広島の原爆被災地で生きる女性を描いた「父と暮らせば」(4)という戯曲があります。
作者井上ひさしさんは、執筆にあたって、被爆された方々の膨大な手記を渉猟されたそうです。
その多くに見られたのが、「なぜみんなが死んで、自分だけが生き残ったのか」という罪悪感。

欧米では〈4〉怒りの感情が大きいといいますが、
日本では〈6〉罪意識となることが多いような気がします。
今回の地震でも、同様の話をされている被災者の方をニュースでお見かけしました。

「父と暮らせば」のヒロインもまた、そうした負い目に悩み、一歩を踏み出せないでいる。
その苦悩は、劇中、被災して幽霊となったヒロインの父親から
「“後ろめとうて申し訳ない”病」という病気だと名付けられます。
自分だけ生き残ったことが後ろめたく、死んだ方々に対して申し訳ないという。

そんな彼女に、幽霊の父親はメッセージを送ります。
「生きよ」と。
自分の分まで、生きよと。

映画化された「父と暮らせば」(監督・黒木和雄)では、幽霊の父親を原田芳雄さんが演じていました。
彼は広島弁で、宮沢りえさん演じる娘に語りかけます。

「わしの分まで生きてちょんだいよぉー」

ちょっぴりコミカルな、けれど切実なその台詞は、胸にしみとおるものでした。

〈7〉空想形成、幻想:故人がまだ生きているように錯覚したり、空想する。
たとえば、故人の分の夕食を作って用意して、彼の帰りを待ってしまう、など。

〈8〉孤独感と抑鬱

〈9〉精神的混乱とアパシー(無関心):空虚さがこころを占めるようになり、どうしていいかわからず、
人生のあらゆる面に無関心になる。

ボウルビィによれば、以上のような混乱や絶望や追慕の段階を経て、
次の〈10〉〈11〉〈12〉のような、
つまり「さまざまな程度の再建の段階」に至るとされます(2)

〈10〉あきらめ──受容:日本語の「あきらめる」という言葉には、
本来、「明らかにする」という意味があるように、
自分の状況を明らかにし、つらい現実を直視しようとする。
「受容」とは、運命に身をまかせるという消極的な意味ではなく、
現実を積極的に受け入れていこうとする行為だという。

〈11〉新しい希望──ユーモアと笑いの再発見:ユーモアと笑いは、健康的な生活に欠かせないものであり、
それを復活させることは、悲嘆のプロセスを乗り切ることでもあるという。

筆者は以前、上智大学の市民向けのセミナーに参加し、
アルフォンス・デーケンさんの講演を聴く機会がありました。
そのときにも、ユーモアと笑いということを強調されていて、
死を考える上でもそれが役立つと話されていたのが印象的でした。

彼の故国ドイツには、
「ユーモアとは、にもかかわらず笑うことである」
という言葉があるそうです(5)

〈12〉立ち直りの段階──新しいアイデンティティの誕生:悲嘆のプロセスを乗り越えることで、気持ちを整理し、
新たなアイデンティティや人間関係を再構築して、より成熟した人格を獲得することが出来る。


以上、12の段階は、すべての人がたどるというものではなく、
人によっては途中の段階をとばしたり、順番が前後したり、
また、複数の段階が同時に重なって現れたりすることもあるそうです。
行きつ戻りつということもあるかもしれません。

これは身近な人を喪った場合ですが、他のものを失ったときのかなしみということもあります。
喪失してしまったものが、愛着のある有形・無形の何か所有物だったり、
自分のからだの一部だったり、健康だったり。
自分が安息できる家だったり、故郷だったり、
あるいは仕事を失うことは自分の役割を失うことでもあるでしょう。
それはアイデンティティの喪失にもつながります。
こうした対象喪失のかなしみもやはり、12の段階と似たようなプロセスを経ると思われます。

今回の大地震では、被災されたみなさん一人一人が、何かしらを失われました。
しかもその喪失は、突然に不意をつかれてひき起こされた。
身近な人を喪うとき、それが予期しない突然の死別だった場合、
9~36%の人がPTSD(心的外傷後ストレス障害)になるというデータもあるそうです(6)

身近な人を喪うと同時に、家や田畑や仕事や故郷も失うというケースも多い。
そうした場合、先が見えない中、「悲嘆の仕事」が複雑化、長期化しやすくなるのは当然でしょう。
その上、身近な人がいまだ行方不明で、その死が予想されてはいても、
きちんと知らされることなく、はっきりと確認出来ないケースさえある。
心理的には、「悲嘆の仕事」のプロセスにとりかかることさえ出来ません。

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人はうれしいときに笑う。怒ったときに怒鳴る。かなしいときに泣きます。
それが自然で、「悲嘆の仕事」のプロセスもそうした反応のひとつだとされます。
“心理的”な反応というよりも、“生理的”な反応に近い。

しかしフロイトによれば、そうした反応を表に出さないよう、意識しないよう、
抑圧して無理矢理に押さえ込んだ場合、
──つまり「悲嘆の仕事」をちゃんと消化して通過しないと、
後々、その無理が何かしらのかたちで人生の障害となったり、
あるいは病的な症状となって表れてくるといいます。

たとえば目の前の忙しさに追われて、「悲嘆」と向き合わないことがある。
忙しさに追われることで、気を紛らわせたいということもあるでしょう。
また、周囲から
「いつまでもくよくよしないで、前向きになりなさい」
「あなたはそんな弱い人間ではないはずだ。元気を出してがんばりなさい」
「他の人に比べたら、あなたの受けた状況はまだましなのだから、我慢しなさい」
「そんなに気にすることはないじゃないか」
というような言葉かけや、また、言葉ではなくてもそうしたプレッシャーを受けることもあります。

そうして自分でも、
「こんなことに負けていては恥ずかしい」
「がんばることの出来ない自分は、だめな人間なのではないか」
などと考えるようになり、「悲嘆」と向き合わずに回避することがある。

「悲嘆」がそれほど重くない場合や、すでに〈10〉〈11〉〈12〉の回復へ向かう段階に至っているときには、
周囲からのそうしたメッセージが励ましとなることもあるでしょう。
しかし、「悲嘆の仕事」のまさに渦中にある人にとっては、
針のむしろとなって追いつめることになったりもする。
「悲嘆の仕事」を歩むその過程を妨げることにもなるかもしれません。

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旧約聖書の「ヨブ記」(7)の中で
ヨブは、正しく、信仰のあつい人であると語られます。

しかし彼は、突然続けざまに起こった盗賊や火災や嵐の来襲によって、
牛や羊など財産である家畜や、雇い人や、息子や娘たち家族の生命を奪われます。
さらに病気に襲われ、足の裏から頭の先まで腫れものにおおわれ、
かきむしらずにはおれない痒みと苦痛に苛まれます。
こんな仕打ちを受けるなら神を呪って死ぬべきだと、妻は出ていく。

この相次ぐ不幸は、神とサタンの賭けから生じたと聖書の物語では語られるのですが、
おれはずっとそのことが理解出来ませんでした。
けれど、詩人・評論家の吉本隆明さんが、この「ヨブ記」の中の「神」は
「自然」として考えることも出来ると言うのを聞いて、腑に落ちた気がしました。

なるほど、自然は残酷な試練を「これでもか、これでもか」とでもいうように
人間へ課すことがある。
今回の震災では、非常に多くの方がそうした体験をされたように思います。

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そんなヨブのもとへ、三人の友人が彼を慰め励まそうと訪れます。

ヨブが体験したのは、近親者の死だけではありませんでした。
しかし、もしも「悲嘆のプロセス」に当てはめるとしたら、
〈4〉怒りと不当感の段階にあったと言えるでしょう。
彼はこの世界に生まれてきたことを呪い、突然に自分にもたらされた不当な運命に抗議します。

すると、三人の友人はそれを咎めます。
絶対である神が正しくないわけがない。神に抗議するのは不遜だ。

三人の言うことは、ある意味、正論のようにも思われます。
しかし、ヨブの“今”や、ヨブの現実から離れた位置に身を置く
傍観者としての論であるように思います。

それがたとえ正しく、ヨブを励まそうとする発言であったとしても、
ヨブを傷つける針となって、彼を追いつめることになる。


けれど、しかしながら、ヨブの災いを伝え聞き、慰めいたわろうと、
それぞれの地からやって来た三人の友情は、ヨブにとって支えにならなかったでしょうか?
彼らは見捨てなかった。

三人は最初、遠くの方からヨブを目にします。
病気で変わり果て、今はヨブかどうかもわからなくなってしまったその姿を見たとき、
彼らは声を失います。
あまりの悲惨さに、かける言葉がみつからない。
そうして一言も話しかけぬまま、七日七夜、その場所で座り続けたと物語では語られます。

その沈黙は、三人の無力さの結果だったかもしれません。
が、しかし、そこに居続けたこと。
逃げ出すことなく、見捨てることなく、
そして儀礼的な励ましや、生半可な慰めの言葉を発してとりつくろうことなく、
ヨブを見守り、そこに、ただ、居続けたこと。
それは、財産を失い、家族を失い、健康を失い、こころの平安を失い、
信仰まで失おうとしていたヨブにとって、大きな救いとなったに違いありません。

そのおかげで、わずかでも安心さを得たからこそ、
ヨブも自分のこころを包み隠さず吐露する気持ちになったのではないでしょうか。

「悲嘆の仕事」においては愛する人を喪うわけですが、けれど、けっして孤独になるわけではない。
誰かがいてくれる、誰かが想ってくれているという人とのつながり。
そのつながりが、そのプロセスを歩む上で重要だといいます。

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《引用・参考文献》
(1)ジョージ・アイゼン、下野博訳「ホロコーストの子どもたち」立風書房
(2)ジョン・ボウルビィ、黒田実郎・岡田洋子・吉田恒子訳「母子関係の理論」岩崎学術出版社
(3)アルフォンス・デーケン「悲嘆のプロセス──残された家族へのケア」~アルフォンス・デーケン、メヂカルフレンド社編集部・編「〈叢書〉死への準備教育ー第二巻『死を看取る』」メヂカルフレンド社・所収
(4)井上ひさし「父と暮らせば」新潮文庫
(5)アルフォンス・デーケン「ユーモアは老いと死の妙薬~死生学のすすめ」講談社
(6)水島広子「対人関係療法でなおすトラウマ・PTSD」創元社
(7)「口語・旧約聖書」日本聖書協会

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by kamishibaiya | 2011-05-04 18:05 | 日々のことなど | Comments(0)