なぜ子どもたちに遊びや笑いが必要なのか?(2)

古代中国では、周の時代以来、「服喪三年」ということが儀礼として行われていたといいます。
人が近親者、特に父母を亡くしたときには、3年間、喪に服すというのです。
(もっとも3年といっても足かけ3年で、
実際には2年と1ヶ月、一説には2年と3ヶ月ほどだそうです。)

礼について細かに記した書「礼記(らいき)」には、次のように書かれています。
父母の死後1年間は粗末なめしと水のみを食する。
約1年後の小祥忌(しょうしょうき)が終わって、野菜や果物を食べることができる。
足かけ3年目の大祥忌(たいしょうき)を終えてはじめて、肉や酒が許され、通常の生活となる。
そのあいだ、礼式に参加することはもちろん、遊びに興じたり、笑うこともつつしみ、
つまり「謹慎」します。
そのつつしみを破ることが、「不謹慎」なんですね。

「しかし3年だなんて、まあ、足かけにしたって、これはちょっと長過ぎるんじゃないですかね?」
と言ったのは、孔子の弟子の宰予(さいよ)でした。

喪の期間には、家に引きこもり、礼式や音楽などに関わることもない。
文化の中心であり担い手である君子が、3年もの間、礼や音楽から離れれば、
礼はすたれるし、音楽文化だって盛り上がらなくなる。
去年の穀物がつきたとしても、年が改まればまた新しい穀物が実るもの。
1年もたてば気持ちも新しくなる。
喪に服するのは、1年くらいでいいんじゃないでしょうか。
──と、宰予は主張するわけです。

問われた孔子は、逆に聞き返します。
1年で通常の生活に戻ったとして、しかし、だからといって、うまいご馳走を食い、
きらびやかなファッションを着飾ったとしたら、おまえのこころは安らかでいられるかい?

「いられます」
と、宰予はケロリと答える。

すると孔子は言います。
──君子は、父母を喪ったらそのかなしみのあまり、うまいものを食べてもうまいと感じられない。
音楽を聴いても、楽しいと感じられない。
立ったり座ったり、日常のことをしていても、安らかではいられない。
だから、自然に服喪の生活にこもることになるのだ。
だが、もしもおまえのこころが安んじていられるのであるならば、そうするがよかろう。

孔子はそう答えたものの、しかし、宰予が辞去してその場を去った後、こう漏らします。
──宰予は不人情なやつだ(1)

宰予という人は、弟子の中でも弁舌の才人として知られたそうですが、
どうも孔子と相性がよくなかったのか、しばしば孔子の不興を買っています。

けれどこのくだりの場面では、宰予の意見も一理あるという気がします。
実際、服喪三年は長過ぎるとして、周から数百年も経った孔子の時代には、
すでにあまり守られていなかったようです。
墨家では、孔子ら儒家を批判して、「服喪三月」と言い、3ヶ月間の喪を主張している。

しかしこれは、守らなければならない“しきたり”というよりも、
孔子が言ったように、近親者を喪った遺族のためにあるシステムであるように思われます。
だから孔子も、「礼を守りなさい」と宰予に迫るのではなく、直接的には、
「あなたがそう思うようになさい」と告げたのではないでしょうか。

「喪に服す」という慣習は、かたちを変えながらも、世界の各地で行われている。
それは、共同体が遺族のために用意した知恵であるようにも思われるのです。

公(おおやけ)の集まりとか、世間のつき合いに出向いて、
宴会や音楽や笑いや楽しみの場に参加すること。
しかしこれは、「悲嘆の仕事」のプロセスを歩む、
まさにかなしみのまっただ中にある人にとっては、楽しめるものではないでしょう。
苦痛だったりします。

だから遺族は、そうした社会のつき合いから一線を引いて、
社会の日常からある一定の距離をおくことを許される。
「喪に服す」期間を設けるというのは、遺族が「悲嘆の仕事」を行い、
そのために社会から距離をおくことを、社会が認めることでもあるわけです。

日本でもやはり、死を「けがれ」として忌み、
故人の遺族は、外部との接触を避けるという習慣があります。
そして一定期間、生産的な日常の社会から隔離されてこもります。
つまり、喪失を経験してこころの危機にある人が、「悲嘆のプロセス」に専念して
取り組みやすいよう、環境を整える。

しかし距離をおくことを認めるといっても、突き放すわけではありません。
その時期その時期が来たら、小祥忌や大祥忌など、故人をしのぶ会をとり行います。
(仏教では四十九日や一周忌などの法要。神道では五十日祭や式年祭など。
キリスト教では追悼ミサや記念式などが、これに当たります。)

そのとき、遺族を囲んで、社会のみんなが集まるということにも意義があるのでしょう。
そうして、段階的に、遺族が日常の社会へ復帰することを促します。

日本では、忌みこもる人のために、周囲が食事を用意し、世話をするという習慣もあったそうです。

しかしながら、今回の震災では、そうも言っていられませんでした。
古代中国では、故人の死後は粗末なめしと水のみの食事でしたが、
今回は当初、めしどころか水さえ飲めなかった地域があります。
いまだに、野菜も果物も満足に食べられない地域があります。

「悲嘆の仕事」以前に、まず、水を飲む、食べる、寝るという、
最低限の生活のための仕事にかからなければならなかった。
そして今も、ふつうの日常をふつうに営むための仕事が山積みしている。
こころが「悲嘆の仕事」に専心することは難しく、余裕もなく、
それゆえ、こころのケアということが、より求められるのだと思います。

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第二次大戦の頃、ワルシャワ・ゲットーのユダヤ評議会の指導者であるアダム・チェルニコアウは、
ナチスからの厳しい警告を受けながらも、子どもたちを遊ばせようとしました。
“遊び”推進派。

しかしそれは「不謹慎」であるという反対派から、
伝統的な喪の週間には「パーティ、また音楽や歌曲の発表」を一切禁じるべきだ
という請願書を受け取ります。
ちょうど中国で、服喪のあいだ、「礼」「楽」が禁じられていたように。

その反対派を説得しようと、チェルニコアウは彼が気に入って
いつも繰り返していた作家ディケンズの言葉を投げかけます。

「涙で時計のネジは巻けない」

すると反対派のひとりはこう答えたといいます。

「ユダヤ人の時計は、まさに涙で巻かれるのだ」(2)

ユダヤ人の歴史と当時の状況を考えれば、確かにネジは涙で巻かれていたのでしょう。
けれどもユダヤ人に限らない。
涙でネジを巻かなければならない「仕事」をするときが、誰にもあるのだと思います。

大切な人、大切なものを喪失したときは、くよくよしていい。
めそめそ泣いていい。
いや、めそめそしなければならない。

「悲嘆」を無理矢理忘れようとするのでなく、「悲嘆の仕事」から目をそむけず、
やり遂げること。
そのネジは、まさに涙で巻くものであるでしょう。

しかしながら、その一方で、その最中にも、遊びや笑いが必要なのだとおれは思います。

なぜなら、大きく左へ揺れた振り子のおもりはやがて折り返し、そして力強く右へと振れるように、
たとえ過酷な寒さと大雪に見舞われても、
一陽来復、冬至になればその大雪の下の土の中では、春へ芽吹く準備が始まるように、
そうした生命のしくみが、どんな人間にもあると思うからです。

とくに、生命自然のかたまりであるような子どもたちには必要なのではないでしょうか。

じゅうぶんに涙でネジを巻く必要がある。
一方で、少しずつ、微笑みで巻くネジもある。

それは時に、軽佻浮薄な、お馬鹿な、不謹慎な笑いであるかもしれません。
けれど、そうした笑いや微笑み、それらをもたらす遊びや音楽や物語もまた、
ネジを巻く力のひとつとなるのではないかと思うのです。

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A・デーケンさんは、「にもかかわらず」笑うということの大切さを説かれていました。

しかし、かなしみに打ちひしがれている人のまさにその目の前で、
歯をむきだしにして馬鹿笑いをするような、高笑いをするような、
そんな笑いは憚(はばか)れるでしょう。
軽佻浮薄に浮かれて、歓ぶように楽しむように、遊びに興じることもやはり憚れる。
「不謹慎」だと思います。

今回の震災は、国を揺るがす大きなことでした。
非常にたくさんの方が、今、悲嘆のプロセスを歩んでおられます。
同じ地を共有するものとして、同じ国を共有するものとして、あるいは同じ人間として、
同情するのでなく、同調するのでもなく、
そうした方たちのかなしみにいくらかでも想いを馳せることは、これは自然なことだと思います。
そこから、「不謹慎」だと思う感情も生じてくる。

もしかしたら宰予のこじつけかもしれませんが、
彼は、社会を担う人々が長期にわたって「喪に服す」ことで一線から退き、
そのあいだ、社会や文化を衰退させることを心配していました。

しかしながら、社会は、「喪に服す」というシステムを設けることで──
“かなしみ”と“日常”を切り離し、セパレート化することで、
衰退を食い止めてきたのだと思います。

つまり、社会まるごと全部で、喪に服するわけではない。
かなしみの仕事に従事する人々のエネルギーを欠く分、
そのあいだ、残りの他の人々がサポートして社会を回す。
そうして遺族がその仕事を終えたとき、社会の日常へ復帰が出来るように、
社会を盛り立てておく。

今回のように大規模な不幸に見舞われた場合、
国全体でかなしみを分かち合おうという気持ちも生じてきます。
けれど被災された方々は、被災しなかった人々に対して、サポートしてくれること、
気持ちを知って認めてくれること、忘れないでいてくれることを望みこそすれ、
必要以上に、社会の全員で暗く淀むことを望んではいないのではないでしょうか。
必要以上に、気分だけで同調して自粛することは望んでいないのではないかと思います。

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今回の震災のように、突然の、衝撃的な恐怖の出来事によって喪失がひき起こされた場合、
グリーフ(悲嘆)体験は、複雑化し、しばしばトラウマ体験になるといいます(3)

悲嘆は、その体験を言葉にすること、誰かに話すことでこころの整理をし、
それが救いになったりもする。
しかしトラウマは、言葉にすることが難しく、なかなか表現がしにくい。

子どもたちの場合、何が起こったか、実態がよく理解できないため、
それが余計に不安を高めることもあるそうです(4)
不安を感じたとしても、おとなや周囲がまだ緊張しているような状況のときには、
それを表そうとしない。
そして安全な状況となり、安心感が確かめられるようになってはじめて、ぐずったり、
赤ちゃんがえりをするなど、不安を表現するということもあるそうです。

また、起こった現実を、イメージとして、感情として、消化することができない。
あまりにも圧倒的な出来事であるため、自分の中に取り込むことができない。

ナチス・ドイツの収容所やゲットーでは、
しばしば子どもたちが憲兵隊ごっこをして遊ぶ光景が見られたといいます。

今回の震災でも、地震ごっこや、津波ごっこをする子どもたちの姿が見かけられるそうですね。
こうして遊びの中で悲劇を繰り返すことは、ショッキングで異質な出来事を、
自分の中で消化しようとする反応なのだそうです。

そして、あまりにも圧倒的な出来事であるため、自分に対して自信がなくなる。
とくに子どもたちは、無力感にとらわれやすい。
自分が信じられなくなる。
そして、この世界自体が信じられなくなる。

対人関係療法の視点からすると、
トラウマというのは、自分への信頼感、身近な人への信頼感、
そして世界への信頼感が揺らいでしまい、この世界に生きていくことが怖くなる。
──恐怖感や絶望に圧倒されそうな状態になることだといいます(5)

そのとき、トラウマ克服のカギとなるのは、身近な人の支えがあるかどうかということ。
ヨブがすべてを失い、孤立無援となったとき、三人の友人が駆けつけてきてくれました。
結果的にはヨブを追いつめることになりましたが、
しかし、話しをするとか、寄り添うとか、そうした支えが大切なのでしょう。

それは身近な人ばかりに限らないのかもしれません。

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過酷な試練を課す神さま(あるいは、もしかしたら自然)に対して、ヨブは怒り、
自分の正当性を主張し、論戦を挑みます。
ヨブは強い人だと思います。
けれど、もしも彼が日本人だったらそういうことはしないだろうなという気がします。
ユダヤ教やキリスト教が生まれた地は、緑も水もわずかな、
砂漠という厳しい自然の中にありました。
それに比べると、日本は温暖な気候と、水や草木や豊かな自然に恵まれています。

しかしながら台風の通り道であり、地震大国であり、しばしば天変地異に襲われる。
神さま、あるいは自然は、和魂(にぎみたま)という恵み深い優しい顔をもつ一方で、
荒魂(あらみたま)という残酷で荒々しく祟りをなす顔をもっているのです。

けれど、荒魂である神さまが暴虐のかぎりをつくし、人間をさんざんに苦しめたとしても、
わたしたち日本人には、神さまに抗議するという発想があまりないような気がします。
神さまが、時にそうすることもやむを得ないという、締念のようなものがどこかある気がする。

だから、禍(わざわい)が起こったとき、それに対して戦いを挑むとか、征伐するというよりも、
追い払ったり、流したりしてやり過ごす。
つまり神道で言うところの「祓(はら)う」、
水に流して「禊(みそ)ぎをする」ことで、「けがれ」を払い、流す。

それは、身を清浄にすることであると同時に、
荒ぶる神さまをなだめ、荒魂を和魂に変えることであるわけです。
つまり自然の荒々しく残虐な側面に圧倒され、とらわれるばかりでなく、
優しく豊かな側面も認めて受け入れようとする。

ところで、江戸時代後期の辞書である「倭訓栞(わくんのしおり)」では、
「けがれ」は「気枯れの義」であると述べられています。
「けがれ」は「穢れ」と漢字で書くように、忌むべき汚れものというイメージもあるのですが、
これは「ケ」が枯れるという意味合いもあるというのです(6)

「ケ」は、「気」であり、「褻」でもある。
「褻」という漢字は、もともとは「肌着」や「普段着」のことを意味します。
そして、下着や普段着を洗濯もせずに毎日ずっと繰り返し着ていると汚れてくることから、
「汚らしい」「けがらわしい」という意味になりました。
「猥褻(わいせつ)」という言葉にもこの漢字が使われていますね。

しかし本来は、ふだん着るもののこと。
そこからふだんの慣れた日常のことを表すようになり、「な(れる)」と訓読みしたりします。
つまり「ケ(褻)」とは、ふだんの日常の状態のこと。

民俗学者・桜井徳太郎によれば、日本語の「ケ」とは、
語源的には、稲を成長させる霊力のことであったといいます。
ふだんの日常の営みを成り立たせる活力、霊気のような、
「気」のようなエネルギーのことを「ケ」であるというわけです。

その「ケ」が枯れて弱まった状態が、「けがれ(気枯れ・褻枯れ)」。
「気枯れ」は「気離れ(けがれ)」に通じ、
つまり、霊力が離れていってしまうことでもあるといいます(7)

日常の営みを毎日毎日繰り返していると、まるで肌着がうす汚れて「けがれ」てくるかのように、
だんだんエネルギーが離れてしまい、枯渇してくる。
行き詰まって、息が詰まりそうになってくることもあるのでしょう。
そこで人々は「けがれ(穢れ)」を払い、洗い流すことで、
清浄な「ハレ」の状態を呼び込もうとします。

「ハレ」というのは、雲が払われて、青い空に太陽が満ちている「晴れ」の状態のこと。
清浄な、聖なる状態であり、これは非日常的な状態でもあります。
ふだん日常で身につけている肌着や普段着ではなく、
「ハレ」のときに着るのが「晴れ着」であるわけです。

日常の次元からいったん非日常の次元へ飛び出て、「褻」(=肌着、普段着)の洗濯をする。
命の洗濯をする。
そうして、霊力というか、元気というか、エネルギーを取り戻して、
また日常の営みである「ケ」へと帰っていくんですね。

その「ケがれ」から「ハレ」へと移行するきっかけとなるのが、神事であったり、
儀礼であったり、つまり祭りの起源であったといいます。

世の中のそこかしこで不安感がふくらみ、不安が不安を招き、暗く淀んで「ケ」枯れた状態のとき。
そういうときこそ、祭りが必要なのではないでしょうか。
たとえば、音楽。
たとえば、遠足だとかレジャーだとか。
たとえば、スポーツ。

ナチスの圧力の中、ヴィルナ・ゲットーで行われたスポーツの試合は、
「不謹慎」だとして、一部の人々の顔を曇らせました。
その気持ちはわかるのですが、しかし同時にその「歓びと祭り」が、
人々に過酷な現実に抗していく気力とエネルギーを与えたのではないかと思うのです。

たとえそれが一時(いっとき)に過ぎなかったにせよ、
「ハレ」の時間がきっと元気と勇気をもたらした。

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今、被災された人たちと、被災しなかった人たちが手を組んで
何かに取り組む試みが始まっているようです。

東京の銭湯のような居酒屋のようなお店が、
被災された水産加工会社や酒造と組んで、イベントを行ったり
「さばの湯」http://sabanoyu.oyucafe.net/)。

被災した商店に、1口数万円で個人が投資するシステムが出来たり
「セキュリテ被災地応援ファンド」http://oen.securite.jp/)。

東北の手仕事──民芸品や工芸品、特産品を紹介するフェスティバルが横浜で開かれたり
「手仕事フェスタ4+東北の手仕事」http://kizashinoj.exblog.jp/)。

こうしたムーブメントには、かつて人々が集い、ともに笑い、ともに祈り、
ともに遊び興じた「祭り」の原型のような面影がどこかあるような気がします。
やがてこれらの取り組みが根付いていったとき、
豊かな実りある「ケ」(日常の仕事)へと変わっていくのでしょう。

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今回の震災では、被災しなかったおれたちもまた、
日常の営みの大切さに改めて気づかされたように思います。

朝起きて、新聞を読んで。
ごはんを作って食べて、仕事に出かけて。
あいさつをして、どうでもいい天気の話や馬鹿話をして……。
こうした日常(ケ)を何気なく送れることって、実はとても幸せなことだったんですね。

けれど、「ケ」の時もあれば、「ケがれ」の時もある。
「ケ」が枯れて、まったく消滅してしまったかのように見えたとしても、
新たなかたちで「ケ」は再び必ず生まれてくる。
その力となるのが、「ハレ」の時間であり、人とのつながりであり、
時には遊びであり、笑いであるのだと思います。
特に子どもたちにとっては。

涙でネジを巻く仕事はとても大切です。
けれど、こうした遊びや笑いの力もまた、大切な一方のネジを巻くのではないでしょうか。
紙芝居というのもまた、きっと。
ほんのわずかな、アリの小指ほどの力かもしれませんが、
きっと何かネジを巻く手助けのひとつになるんじゃないかなあと……。
おれは思いたいです。








《引用・参考文献》
(1)吉川幸次郎「論語」朝日選書・朝日新聞社
(2)ジョージ・アイゼン、下野博訳「ホロコーストの子どもたち」立風書房
(3)ピーター・リヴァイン、マギー・クライン、浅井咲子訳「子どものトラウマ・セラピー~自信・喜び・回復力を育むためのガイドブック」雲母書房
(4)八木修司「阪神淡路大震災と心のケア」〜杉村省吾、本多修、冨永良喜、高橋哲編「トラウマとPTSDの心理援助」金剛出版・所収
(5)水島広子「対人関係療法でなおすトラウマ・PTSD」創元社
(6)谷川士淸「倭訓栞」名著刊行会
(7)宮田登「ケガレの民族誌」ちくま学芸文庫
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by kamishibaiya | 2011-05-18 07:46 | 日々のことなど | Comments(0)