仲哀天皇とミミズとおれ

たいていは夜中に雨が降ったその朝。
植え込みの土から這い出てくるのでしょう、
ミミズが道路のアスファルトをウロウロしているときがあります。
そのままでは、太陽が昇っても土に帰ることが出来ず、
干からびてミイラになってしまう。

そこで、時間に余裕のある朝は、
ただちにNPOミミズ救助隊を組織して(と言っても隊員はひとりなのですが)、
シャベルでミミズをすくっては、土のあるところへ戻す。
なんていうことが、時々ありました。

ところが、その夜はいい月夜で、雨は一滴も降りませんでした。
にも関わらず、駐車場の隅に、ミミズ発見。
その朝に限って、一匹だけ。
どこをどうして歩いて来たのか、土のあるところからはだいぶ離れています。

いや、つくづく思ってしまいました。
なんて馬鹿なんだろう。
というのも、彼は、土のある方向には向かわず、
反対方向の広い駐車場を目指してせっせか、せっせか、歩いている──、
いえ、這っているのでした。

彼にとっては大陸ほどもありそうな広さの駐車場です。
本格的に日が昇るまでの数時間のうちに横断出来るとはとても思えません。
日干しのミイラになるか。
はたまたスズメのエサとなるか。
もしくは駐車場にやってくる車にひかれてセンベイになるか、です。

しかも駐車場の向こうの植え込みは、ブロックの壁に囲まれていて、
たとえ横断出来たとしても、そこには垂直の壁が待っている。
どうがんばっても、絶望的です。

あ。
馬鹿ではないのか。ミミズには目がないんだっけ。
と気づきましたが、いや、しかし、
目がなくても、目のはたらきをする細胞はついているそうです。
光は感じられるはず。

いやいやしかし、考えてみれば、たとえ目が見えたとしても、
彼は、地上から推定4~5ミリの高さでまわりを見渡しているわけです。

「虫瞰」「鳥瞰」という言葉があります。
「虫瞰」──地面を這いずり回る虫の視点で見ること。
細部をしっかり丁寧に見る。
対して「鳥瞰」は、空飛ぶ鳥の視点で見ること。
空高くから、地図や見取り図をながめるようにして、大局を見る。

ホモ・サピエンス一族の中では背の低い部類に入るおれでも、
ミミズに比べればはるかに背が高いわけで、
「鳥瞰」でながめることが出来ます。
その目から見れば、駐車場を横断しようと死の方向へ向かっている彼の行動は、
とんでもなく馬鹿げた暴挙です。

けれど、「虫瞰」のミミズの目からはわからない。
アスファルトの荒野の先に、
ミイラになるか、エサになるか、センベイになる運命が待っているのか、
それとも奇跡的に安息の土の場所にたどり着くことが出来るのか、
神のみぞ知るというところなのでしょう。

f0223055_216415.gif


「古事記」に、仲哀天皇のこんなくだりがありました(1)

別名、帯中津日子(足仲彦・タラシナカツヒコ)。
お父さんがヤマトタケル。
奥さまが神功皇后。
息子さんが応神天皇です。
有名人ファミリーに囲まれているわりには存在感の薄い方のような気もします。
というのも、道半ばで急死されたからでしょう。

仲哀天皇が熊襲(クマソ)討伐のため、九州の筑紫に滞在中のときのこと。
シャーマンである奥さまの神功皇后は、
神懸かりして住吉大神(=墨江(すみのえ)大神)の神託を告げます。

そして宣(のたま)うには、西の方角、海の彼方の先に、金や銀や宝物に満ちた国がある。
その国を属国として、天皇に授けてあげようというのです。

ところが仲哀天皇は、
「いやいや、高いところに登って西を見ても、ただ大海があるばかりで、
国土なんか見えません」
うそつきの神さまだなあと言って、琴を弾くのをやめてしまいます。

皇后が神託をするとき天皇は、神聖な楽器である琴を弾いて、
妻の神懸かり状態を盛り上げるのが、儀式のルールだったそうです。
その琴をやめて、黙ってしまう。

そこであわてたのが、大臣の建内宿禰(タケシウチノスクネ)。
「弾き続けて下さい、弾き続けて下さい」と強く促したので、
渋々天皇はまた弾き始めます。

と思ったら、ふつと音が途切れて、声もしなくなる。
そこで灯火を差し上げて様子をうかがうと、
すでに仲哀天皇の息は事切れていたというのです。

お告げの言葉を信じようとしない天皇に、
神さまが怒って命を絶たれたのだと伝えられています。

f0223055_216415.gif


西の海の彼方の国というのは、当時、朝鮮半島にあった新羅(しらぎ))です。
対馬に渡れば、天気のいい日には肉眼で見えるそうですね。
が、筑紫からではさすがに「高いところに登っても」見えないでしょう。

しかし、神さまがどう言おうと、
九州・熊襲(クマソ)の併合さえままならない不安定な時期に、
わざわざ他国へ侵略に出かけるべきではないというのは、
賢明な選択だったのではないでしょうか。

国を理想的に統べるためには、国土があまり大き過ぎてもいけない。
国家というのは、高いところにのぼってひと目で見渡せるくらいの広さがちょうどいい。
──と言っていたのはアリストテレスでした(2)
見渡せない他国を侵略するよりも、見渡せる国土の充実をはかろうとしたことは、
むしろ評価されていいように思われます。

経済の利があるからといって、他国の島を我が国の領土だと強引に主張するのは、
昔も今も得策であるとは思えません。

f0223055_216415.gif


しかし、まあ、歴史的にいえば、当時の天皇が、新羅の存在を知らなかった
ということはあり得ないでしょう。

が、もしも、神話の通り、新羅という国の存在さえ知らず、
海の向こうにどんな国があるかもわからなかったとしたら……。
そんな大海原に乗り出すのは、
これはそうとうな勇気がいるんだろうなと思います。

ひょっとしたら、どこまで行っても島なんかないかもわからない。
ひょっとしたら、嵐にあったり、
当時のことだから、龍だとか、海坊主だとか、
未知の生物に出くわすと考えたかもわかりません。

無茶苦茶な航海をすることで有名なマンガ「ワンピース」の主人公一味でさえ、
「ログポーズ」などというような磁石が必需品です。
そんな磁石も持たずに、
ばかりか、海図や地図さえ持たずに、
ましてや、島があるんだかないんだか、情報も不確かなところを航海するというのは、
これは死を覚悟することだったに違いありません。

もしも神さまのお告げも何もなかったとしたら、
未知の海へ船を漕ぎ出そうだなんて、これは暴挙以外の何ものでもない。

f0223055_216415.gif


それを考えると、大航海時代の人々はすごいですね。

いくら羅針盤や航海技術があったとしても、
地球はきっと丸いんだろうという推測があったとしても、
黄金や香辛料や功名心に駆り立てられ、欲望に目が眩んでいたとしても、
新しい航路開拓が、当時、国家的な事業であったとしても、
生きて還れる確率は何パーセントだったでしょう?
なのに彼らは、出かけていった。

何があるかわからない未知の海へです。

その航海の果てに何かしらの島にたどり着けた者は、ほんの一握りでしょう。
ヴァスコ・ダ・ガマのように成功したらヒーローですが、
それ以外の大半の人々は、途中で引き返してくるのが関の山。
海の上で餓死や病死をした人も多かったとききます。
嵐にでも出くわせば海の泡と消え果てる。
犬死にです。
これはリスクの大き過ぎる危険な賭けと言わざるを得ません。
馬鹿と呼ばれてもしかたがありません。

f0223055_216415.gif


ミミズも、ずっと土の中にいれば平穏無事な人生であったろうに。
わざわざ地面の上へ顔を出すことはなかったのにと思います。

まさしく盲滅法、目隠しをしたスイカ割り状態。
ただ、やみくもに歩く(這う)。
死が待っているばかりだとも知らずに、そんな方向へ懸命に向かってしまう。

しかし、彼らの馬鹿な暴挙がなければ、ミミズ社会に明日はないという話もあります。

ミミズの仲間の大半は、オスでもメスでもない雌雄同体ながら、
誰かしらとくっついて交配をして増えます。
でも、狭い場所のご近所同士ばかりで、代々近親交配を繰り返していたら、
遺伝子の多様性がなくなり、劣った遺伝子をもって生まれる確率が高くなる。
ミミズ社会が活性化するためには、新陳代謝が必要です。
遠く離れた地に住むものたちの、新しい血を導入していかなければならない。

だから一部のミミズ連中が故郷のご近所から旅立って新天地へ向かおうとするのは、
これは本能なのでしょう。
人間が地面をアスファルトやコンクリでおおいさえしていなければ、
有効な自然のシステムです。
たとえ9匹無駄死にしようとも、1匹どこかの異国にたどり着ければ、
もしかしたらじゅうぶんなのかもしれません。

大航海の時代だって、馬鹿と呼ばれるその他おおぜいの彼らが海へ出かけなかったら、
ヨーロッパとアフリカやアジアを結ぶ交易は起こりませんでした。
アメリカ大陸の発見もありませんでした。
それが後世には、先進国が後進国を侵略するという帝国主義につながったわけですが、
そうしたマイナス面も含めて、歴史の進展はなかったでしょう。

f0223055_216415.gif


けれど、ひとりひとりのミミズの身になってみれば、これはたまったものじゃない。
無駄死にするために、この世へ生まれて来たわけではないはずです。
いや、それとも、たとえ無駄死にであっても、
結果的にミミズ社会に貢献できればいいと考えているのでしょうか。

ミイラか、エサか、センベイになる運命とも知らず、
懸命に全身をうねうねさせて、せっせか、せっせかと進むその姿は、
滑稽でもあり、そして哀しくもあります。

鳥瞰の眼からは「そっちの方向じゃないよ」と思わず声をかけてやりたくなるってもんです。
たとえ目隠しをして目が見えず、鳥瞰の目を持っていなくても、
周りから「スイカはそっちじゃないよ」と言われれば、方向転換することが出来る。

仲哀天皇に声をかけた住吉大神の心境も、こんな感じだったのかもしれませんね。

神さまにはスイカが見えていて、つまり海の向こうの国が見えていて、未来が見えていた。
山の上から見渡すよりも遥かに上空からの「鳥瞰」の目を持っていた。
天の視点にいる神さまからすれば、自分の言う通りの方向へ行こうとしない態度は、
きっともどかしくてしょうがなかったのでしょう。

f0223055_216415.gif


夫の死後、神功皇后は妊娠中にも関わらず、神さまの言う通り、
女性ながらに、海の彼方へ戦争に出かけていきます。
すると神さまが請け合った通り、新羅は降参して属国となる。
その最中、子どもが生まれそうになったため、お腹に石を当てて出産を鎮めて遅らせ、
筑紫へ帰り着いたところで応神天皇を産みます。
まさしく「母は強し」。

……ということに、神話ではなっています。
しかしながら、実際の歴史では、新羅(しらぎ)征伐はなかったともいわれています。
そもそも、仲哀天皇や神功皇后が実在したかどうかさえあやしいという説もあるのだとか。

しかし「侵略=正義」だった帝国主義の時代、
神功皇后は「戦うお母さん」のイメージとともにスター的なヒロインとなり、
明治の頃には、紙幣や切手のデザインになってもてはやされました。

神話の中では、神さまのご託宣があってそれに従いさえすれば、100%の成功が約束され、
確実に英雄(ヒーロー、ヒロイン)となることが出来るようです。

が、現実はたぶんそうはいかない。

f0223055_216415.gif


誰でも、Aの道を行くべきか、Bの道を行くべきか、
選ばなければならないY字路に立たされることがあります。

卵は、目玉焼きにするか、生でごはんにかけるか。

なんていう選択はどうでもいい問題かもしれませんが、
たとえば、仕事を優先するか、家庭を優先するか、とか。
職場を辞めるか、続けるか、とか。

どちらが正しいか、どちらがプラスとなるのか、
わかっていれば苦労はありません。

そんなとき、住吉大神のような神さまがいて、
「こっちの方向へ行きなさい」と指示してくれるといいんです。
殺されてはたまりませんが、決断する責任を誰かが請け負ってくれると、気が楽です。

占いは迷信といいながらも、現代人が占いに頼って、
背中を押してもらおうとする理由も、そこにあるのかもしれませんね。
おれも、一時は占いに凝ったりしたのでした。

「鳥瞰」は、“空間”を全体的に見渡すことですが、
神さまには、どうやら歴史という“時間”を「鳥瞰」してその先の結果が見えるらしい。
「そっちの方向じゃないよ」とか「そっちの方向へ行け」とか言えるわけです。

アメリカ・インディアンのチーフ(酋長)のひとりポカゴンという人は、彼の一族の行く末を案じ、自問自答するようにこう語っています。

「まだ生まれていない時のベールをあげ
未来をのぞき見る力は、われら人の身にはありません。
さような力をおもちなのは、神だけです。
しかも、その神でさえ、過去と現在とを念入りに調べてのち
はじめて未来を見分けることができるのです」

(サイモン・ポカゴン、ポタワトミー族)(2)

そしておそらく神さまだって、
選んだその道がほんとうに正しかったのか、正しくなかったのかを見分けることは、
そうとうに難しいのではないでしょうか。
見当違いの方向へ進んだとして、
そのために被害をこうむり、よしんば死に至ったとしても、
それが正解ではないと言い切れるのか、どうか。

むしろ回り道をしたり、無駄な道草をすることが、いいことである場合だって
きっとあると思います。
正解が一つとは限らない。
そう考えると、たとえよくない結果が待っているとわかっていたとしても、
馬鹿だ、無茶だ、やめろと言えるのか、どうか。

ミミズにとって自滅だと思われる暴挙も、
もしかしたら彼自身にとっては意味のあることなのかもしれない。

f0223055_216415.gif


神話ではない現実では、われわれ人間は誰でも、時間的には、虫瞰の眼しか持てません。
あるのは、目の前にある「今」だけです。

毎日、同じ時間に起きて、飯を食べて、出勤するというプログラミング通りの生活だとしても、
その先に想定外のことが起こるかもしれない。

一寸先は闇、一秒先は闇。
一秒後に、地震が起こるかもしれないし、
一秒後に、何かしらトラブルが生じたり、
一秒後に、たとえば相手の気持ちが急に変わったりするかもしれない。

わたしたちは誰でも、どんな瞬間も、
先の見えない闇へ手探りで舟を漕ぎ出そうとしている存在なのでしょう。
その未来の彼方には、何が待っているかわからない。

なので、AかBかの大きな岐路に立ったとき、悶々と悩む。
大きな仕事をしたり、大きな決断をしなければいけない人ほど、
大きな悩みや苦しみを抱えていたりするのかもしれません。

おれたち凡人は、ほんのちっぽけなことでも、悩む。

f0223055_216415.gif



ミミズは、たぶん自分の決断で、のそのそ地上へ這い出て来たのでしょう。

あるいは彼には神さまのお告げが聞こえたりしたのでしょうか。
このアスファルトの向こうには、金や銀や宝物があるとか、ないとか。

いえ、もしかしたら、神さまの命じる通り──
つまり自然が与えてくれた本能の命じる通りに、ただ、出て来ただけなのかもしれません。

ミイラか、エサか、センベイかという自分の未来を、彼は不安に思っているのか。
あるいは、まったく何も考えていないのか。

いずれにしろ、やっぱり、馬鹿です。
ただ、ただ、ひたすらに懸命にせっせと体をうねらせてアスファルトの荒野を行く。
結果が無駄死にだろうが、何だろうが、自分の行きたい方へ、ひたすらに歩く。
──ひたすらに這う。



おれはリスペクトをもって彼をシャベルにすくい、
花壇の土の上へと丁重に投げ入れたのでした。











《引用・参考文献》
(1)福永武彦訳「古事記」~「日本国民文学全集1」河出書房
(2)エドワード・S・カーティス写真、井上篤夫訳「ネイティヴ・アメリカンの教え」ランダムハウス講談社
[PR]
by kamishibaiya | 2012-04-14 06:48 | 日々のことなど | Comments(0)

「ポレポレ」は、スワヒリ語で「のんびり、ゆっくり」という意味です。紙芝居屋のそんな日々。


by kamishibaiya