小林玲子さんの「涅槃図」の絵解き・4

駆けつけて来た人々


ブッダ最期の地となったクシナガラ(クシナーラー)は、
弟子のアーナンダ(アナン、阿難)に言わせれば、
「小さな町、竹薮の町、場末の町」(1)
でした。

こんな辺鄙な場所ではなく、他に大都市ならいくらでもある。
そういう場所でなら、富裕な王族や、富裕なバラモンや資産家に囲まれて、
華々しい最期を迎えられるのに、
どうしてこの場所を死地に選んだのですか?
──と、アーナンダは言います。

しかし、修行の道を怠ることなくつとめ、
最後の最後まで道を歩み続けたブッダにとって、旅の途上にあったこの地は
どこよりもふさわしかったに違いありません。

そのようなことを言ってはいけないと、
ブッダはアーナンダをいさめて言います。
──この地は、かつてはクサーヴァティーといい、
“大善見王”という正義の王が治めた都で、
人々が平和で幸せに暮らした場所であったと。

他の経典によれば、その王こそがブッダの前世の姿で、
ブッダはこの地で7回生まれ変わったのだといいます。
そして都の繁栄や世の繁栄も永遠のものではなく、
体もやがては滅ぶものであり、
ただ道のみが真(まこと)であることを知ったのだと(2)
クシナガラは、そうした宿縁(ゆかり)のある地だったというわけなんですね。

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悲報を聞いたクシナガラに住むマッラ族の人々が
この沙羅双樹の林へやって来ます。
誰もが砕かれた岩のように打ち悲しみ、
身分に関係なく、子や妻や仲間とともにやって来て
ブッダを取り囲み、敬礼の礼をします。

そこには、ブッダに最後の食事を供した、あのチュンダ(純陀)の姿もありました。
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その食事に当たったことが、ブッダの死の引き金となったわけですが、
料理に毒を盛ったとか、故意に腐ったものを出したというわけではありません。
むしろ精一杯に、厚くもてなそうとした食事であったでしょう。
その供養は、修行完成者(如来=ブッダ)を涅槃(ニルヴァーナ)に導いたのだから、
その功徳は大きいのだと、ブッダも力説しています(1)

しかし、チュンダ本人は悔いても悔やみきれなかったのでしょう。
山盛りに盛ったご飯を捧げ持ち、改めて新たに供養を差し上げようとしています。

一方、「今昔物語」でも、ブッダに最後の供養を捧げた人として
チュンダ(純陀)が登場しています。
が、こちらでは、クシナガラに住む工芸の職人で、
非常に貧しく、食べるものにも困っている。
しかしブッダが亡くなりそうだと聞き、何とか供養を捧げたいと
15人の仲間たちと駆けつけて来たというのです(3)

この絵が、こちらの物語を描いたものだとしたら、
この山盛りのご飯は、貧しい中、
仲間たちとそうとう必死でかき集めたということになりますね。

今は、定食屋さんでも、サービスでご飯を大盛りにしてくれるところがありますが、
当時の時代、これだけの山盛りは、それだけでたいへんなご馳走であったでしょう。

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中には、高貴な人の姿もあります。
こちらの絵では、どの方かわかりませんが、おそらく
マガダ国の阿闍世王もいると思われます。
王はこの夜、巨大な火の玉が墜ちるという夢をみてブッダの入滅を知り、
急いでここへやって来たといわれているそうです。
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一方、貧しい身なりの人々もいます。
ブッダの足をさすっているのは、貧しい老婆です。
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齢(よわい)は百歳(ももとせ)に迫っていたとも、
120歳だったとも伝えられているこの老婆は、
あのヴェーサリー(毘舎離城、ヴァイシャーリー)から駆けつけたといいます。

貧しいために、これまでブッダに何もお布施も供養もできなかったことを悲しんでいた。
そうして、45年間、布教のために各地をずっと歩き続けて来たブッダの足を、
せめていたわり、慰めようと、さすっているのだそうです。

「どうぞ、未来(つぎの世)には何処(どこ)にあっても、
常に御仏を拝むことの出来るようにして下さい」
(4)
と、はからずもあふれ落ちた涙が、はらりとブッダの足を濡らす。


ところで「今昔物語」には、こんなエピソードがあります(5)

仏弟子のひとり、マハーカッサパ(大迦葉:だいかしょう)は、
ブッダ入滅のとき、遠くマガダ国のクククバダ山(狼跡山、鶏足山)にいました。
知らせを聞いて急いで駆けつけて来たものの、すでに師は棺の中。

体は帷子(かたびら)に包まれて見ることがかなわなかったのですが、
せめておみ足を、と見たところ、
金色に輝いているはずのブッダの足に変色しているところがある。
これはどうしたことかと、側近の弟子のアーナンダ(阿難)にたずねると、
涅槃の際に、一人の老婆がいて、涙を落とした。
その跡のところだけ、色が違っているのだといい、
それを聞いたマハーカッサパは、泣きながら礼拝したそうです。

「絵解き」では語られます。
この老婆の流した涙は、ブッダの汗のようになって、
荼毘に付すまで消えずに、ずっと、ずっと残っていたと。

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ブッダは、富裕な王族や、富裕なバラモンや資産家に囲まれはしませんでした。

けれど、富裕な人も、そうでない貧しい人も、
若い人も、そうでない老いた人も、
身分のえらい人も、そうでない身分の低い人も、
みんな駆けつけてやって来て、
そして、そうした人々の温かな涙に囲まれて、最期のときを迎えたんですね。

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《引用・参考文献》
(1)中村元訳「ブッダ最後の旅 〜大パリニッバーナ経〜」岩波文庫
(2)木津無庵編「新訳仏教聖典」大法輪閣
(3)「今昔物語集」巻三第29話「仏入涅槃給時受純陀供養給語」〜山田孝雄・山田忠雄・山田秀雄・山田俊雄校注「今昔物語集・一」(日本古典文学大系22)岩波書店
(4)木津無庵編「新訳仏教聖典」大法輪閣
(5)「今昔物語集」巻三第32話「仏涅槃後、迦葉来語」〜同上「今昔物語集・一」
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by kamishibaiya | 2012-02-04 00:00 | 絵を見せて語るメディア | Comments(0)