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小栗判官照手姫の絵解きをみる・02

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いにしえより語られし物語




神奈川は藤沢の、花應院に伝わりますこの「小栗判官照手姫絵巻」、
ご住職が語って下されし文言(もんごん)を、
一言一句、ここへ記したいのはやまやまなれど、
なにせ筆者のポンコツな記憶力。
そこで手元にあります東洋文庫「説経節」(御物絵巻「をくり」を底本とする)(1)
横目で確かめつつ、
ここへしばし、つづってみたいと思います。
固有名詞などのもろもろも、違っていたならご容赦を。

※参照:「小栗照手に関する全国伝承マップ」(googleマップ)

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そもそもこの物語の発端は、京の都におわします二条大納言兼家さま。
子どもの出来ないことを嘆いて、鞍馬山にお参りして授かったのが、幼名・有若、
頭脳明晰、成績優秀、すくすくと成人し、常陸小栗どのとお成りある。

ところがこの小栗、気に入る女がおらぬと嫁を嫌って独身を通しております。
あるとき、鞍馬に詣でる途中、
一興にと横笛を吹いていたところ、近くの深泥(みぞろ)ヶ池にすむ大蛇、
その音(ね)に聞き惚れ、美女に変身。
小栗とちぎりを結びます。
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それが都じゅうのうわさとなって、父の兼家さまは大激怒。
小栗は今の茨城、常陸の国へと飛ばされます。
そこで官職を与えられ、判官(はんがん)とお成りある。

さてそこへ、化粧品や薬をセールスして歩く小間物商人、
後藤左衛門が訪ねてまいります。
彼が、評判の美人の話をすると、小栗は、その姿を目にしていないのに一目惚れ。
その美人こそ、武蔵・相模(現・神奈川県)の国の郡代、横山大膳の娘、照手姫、
後藤左衛門は橋渡しとなって、小栗のラブレターを姫に届けます。

下の絵は、その文を姫が読んでいるところ。
撮影の腕が下手くそで、照明が映り込んでしまってスイマセン。
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照手姫も、その文をすっかり気に入り、二人は相思相愛。
ところが、姫の父親の横山大膳は、この結婚に猛反対。
しかし、そのことは表に出さず、三男の三郎がはかりごとを巡らし、
ひそかに小栗を殺そうと企てます。

そんなことともつゆ知らず、十人の家臣と横山家を訪れた小栗。
そこで横山大膳は、馬の鬼鹿毛(おにかげ)に乗ってみよと誘います。
この鬼鹿毛は、小山ほどもあるという暴れ馬。
人間を秣(まぐさ)代わりに食べている人喰い馬で、
これに殺させようというわけです。
ところがこの暴れ馬、今にも小栗を踏みつぶすかと思いきや、
小栗に言葉をかけられた途端、すっかりおとなしく従順となる。
小栗を背中に乗せて、碁盤の上に乗るという曲芸までやってのける。
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腕ではかなわないと踏んだ横山大膳は、三男の三郎に言われるまま、
宴会の酒に毒を盛り、小栗と家臣十人を毒殺します。

これでは都の聞こえが悪いと考えた横山大膳、わが娘照手姫まで殺そうとする。
そこで家来の鬼王・鬼次兄弟に、姫を川に沈めよと言いつけます。
牢輿(ろうごし)という罪人を入れる乗り物に姫を閉じ込め、舟に乗せ、
相模川のおりからが淵へ。

ところが兄弟には、どうしても姫を殺すことができません。
沈めるための重しである大石をつないだ綱を断ち切ります。
かくて姫を乗せた牢輿は、沈むことなく、流れ流れて川下へ。
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そうして流れ着いたところが、海の浜。
その浜「ゆきとせが浦」は、現在の横浜市金沢区野島あたりかといいます。

発見した漁師たちは不審に思い、不漁続きはこいつのせいだと打ち叩こうとする。
そこへ割って入ったのが漁民のリーダーである村君の太夫(たゆう)。
太夫は姫を助けて家へ連れ帰ります。
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しかし、それが気にくわないのが太夫の奥さん。
照手姫の白い美肌も気にくわない。
そこで太夫が仕事で留守のあいだ、姫の雪の肌を黒くすすけさせてやろうと、
松葉をくべて煙責め。
けれども、姫は無事に過ごします。
というのも、姫のかげに寄り添っている観音さまのおかげなのでした。
(照手は日光山の申し子ゆえ、本尊の千手観音が護ってくださったといいます。)
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そこでいよいいよ腹を立てた太夫の奥さん、太夫に内緒で、
姫を六浦が浦(現・横浜市金沢区六浦あたり)の人買い商人に売ってしまいます。

姫はその身を売られては買われ、流れ流れてたどり着いたのは、
美濃の国は青墓の宿(現・岐阜県大垣市青墓)の宿屋でした。

その美貌から遊女にさせられそうになるところを病気と偽って、下働き。
今は亡き夫の故国(常陸の国)にちなんで、「常陸小萩」と名を変える。
井戸の水を汲み上げて運んでは、お客の世話やら馬の世話やら、
下女16人分という超ハードな仕事に明け暮れます。
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さてところで、もう一方の主人公、夫の小栗がどうしたかといえば……。
この場面は、こちらの絵巻には描かれていませんが、
毒殺された彼は十人の家臣とともに地獄へ下ります。

閻魔大王が裁いて言うには、
「小栗を悪修羅道へ落とすべし、
家臣には罪がないゆえに、娑婆へ生き返らせるべし」。
すると家臣たち、「われらはどうなっても、主の小栗を助けてほしい」と懇願します。
そのこころに感じ入った大王は、十一人を生き返らせようとする。

ところが、小栗は土葬で、家臣は火葬。
家臣は生き返ろうにも体がない。
そこで十人は、そのまま地獄に残り、閻魔大王を補佐する十王となって
末世の衆生のために今もはたらいている──と、説経では伝えています。
地獄の十王は、実は小栗判官の家臣だったんですね。

閻魔大王は、「藤沢の御上人」へと手紙を書き、小栗に付してよみがえらせる。
すると、上野(うわの)が原の小栗塚、かっぱと卒塔婆が倒れたかと思うと、
塚が四方に割れて開き、カラスが群れて騒ぎ立てる。

ちょうど近くを通りかかった藤沢の御上人、何事かとみれば、
そこに変わり果てた小栗の姿を見つけます。
(このくだり、ご住職が語ってくれた話では、「小栗略縁起」と同様に、
上人の夢枕に閻魔大王が立ってメッセージを伝えたということになっています。)

「藤沢の御上人」とは、
藤沢市にある時宗の総本山・遊行寺(清浄光寺)で、代々「遊行上人」と称される法主(ほっす)。
大空上人とも、呑海上人ともいわれます。
また、相模原市にある同じく時宗の当麻道場(無量光寺)の上人(明堂智光)とも混同され、
説経では、「明堂聖(ひじり)」とも言っています。

さて、小栗はといえば、髪はぼうぼう、手足は糸より細く、
腹には毬(まり)をくくりつけたよう。
目も見えず、耳も聞こえず、立つこともできず、あちらこちらを這い回る。
姿が、餓鬼に似ていることから「餓鬼阿弥陀仏(餓鬼阿弥)」と名付けられます。

下は、「餓鬼草紙」の中に描かれた栄養失調の“餓鬼”の姿。
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閻魔大王が御上人宛に書いてよこした文を読めば、
小栗は、熊野の湯の峯の温泉につからせれば、蘇生できるとある。
そこで、御上人、餓鬼阿弥(小栗)を土車に乗せ、土車には綱を付け、
「この者を、一引き引いたは、千僧供養、
二引き引いたは、万僧供養」
と書いた看板を首にぶら下げます。

この人の車を1回引いたら、千僧供養と同じこと。
「千僧供養」は、千人のお坊さんを招いて法要をいとなむこと。
昔からこれは大きな功徳とされてきました。
そして2回引いたら万僧供養──お坊さん1万人を集めるのと同じことである。
つまり「とっても供養になるので、どなたか引っぱって車を動かして下さい」
ということですね。

土車とは、土を入れて運ぶ車のようですが、
多くの部分を土でこしらえた車ではないかと折口信夫は言っています(2)
当時は、病気や障害で歩けない人が乞食となり、
こうした車に乗るということがあったようです。
また、癩病の人が乗ることが多かった。
だから後に、「餓鬼阿弥(あみ)」が「餓鬼やみ」と言われ、
「餓鬼病み=癩病」というイメージが出来てしまったということです。

供養を想う善意の人々の手に引かれ引かれつつ、少しずつ、少しずつ、
東海道を西へ上り、熊野を目指す道行きが語られます。

そして青墓の宿へと着いたとき、今は常陸小萩となった照手姫が目をとめる。
餓鬼阿弥が、まさか自分の夫の変わり果てた姿とは気づかぬまま、
しかし気になってしかたがない。
亡き夫の供養のため、家臣10人の供養のためと、
渋る宿の主人に何とか5日間の休暇をもらい、車を引く手伝いをいたします。

女性が付き添うとなれば余計な詮索も受けたくないと、
わざわざ古い烏帽子をかぶって巫女に扮し、もの狂いのフリをして、
引っぱる子どもたちを囃し立てているのが下の絵です。
こちらの絵の餓鬼阿弥は、肉付きがいいですね。病人のイメージでしょうか。
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御物絵巻「をくり」の方では、いかにも「餓鬼阿弥」というネーミングにふさわしい姿で描かれています。
下の絵は、近江の国は逢坂関の東にある関寺まで送り届けた常陸小萩が、またの再会を約束して、
餓鬼阿弥への一文をしたためているところ。
5日の休暇はあっという間で、この後、常陸小萩は、青墓の宿へと急いで引き返します。
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一方、餓鬼阿弥の土車は、人々の善意に引かれるまま、関寺からさらに西へと進み、京都、大阪へ。
そして大阪から熊野へ。
彼が通ったその道は、物語にちなんで「小栗街道」と呼ばれます。
ところがいよいよ熊野へとやって来たものの、峻厳な山道を土車でゆくことは出来ません。
そこで屈強の山伏たちにかついでもらい、とうとう湯の峰の温泉へとたどり着いたのでした。
そうして温泉に浸かること49日。
7日目には両の目が開き、14日目には耳聞こえ、21日目にはものが言えるようになる。
薬湯の効能はもとより、熊野権現のご加護もあったのでしょう、49日目になると、
6尺の偉丈夫、元の小栗へと復活を果たします。

蘇生した彼が最初に向かったのは、実家の京都、二条大納言兼家の屋敷。
しかし、小栗と名乗られても、ゾンビではあるまいし、
まさか死んだはずの息子が訪ねてきたとは信じられず、
「失礼だが、試させてもらうぞ」と兼家は、
障子越しに小栗をめがけて弓をひき、ひょうとぞ放つ。

すると、二条家に代々伝わる「矢取りの術」の秘伝、
幼い頃より教えられ修練してきたその技で、
小栗、一の矢を右手ではったとつかむ。
続いて放たれた二の矢を左手ではったとつかむ。
さらに飛んでくる三の矢を、歯でがちとかみしめ受けとめる。
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この「判官矢取りの段」は、物語のひとつの見せ場ですね。

この技が出来るのは小栗しかおらぬと、兼家は大喜びして勘当を解き、
御門(みかど)からも領地を賜ります。
そして、青墓の宿で働く常陸小萩──照手姫と再会。
横山大膳を討とうと取り囲みますが、姫の言葉で思いとどまり許します。
が、計画の首謀者である三男の三郎は罰して死罪に。

こちらの絵では、三郎に切腹を命じているところでしょうか。
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かくして、京都、常陸、藤沢、青墓、熊野と、各地を結ぶ物語は
大団円を迎えます。
そして物語は、各地に伝説を残しました。

次回、藤沢市周辺の伝説を歩いてみます。
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《参考・引用文献》
(1)荒木繁・山本吉左右編注「小栗判官」「説経節」東洋文庫/平凡社・所収
(2)折口信夫「小栗外伝」「古代研究Ⅰー祭りの発生」中公クラシックス・所収





















by kamishibaiya | 2012-03-01 23:59 | 絵を見せて語るメディア

「ポレポレ」は、スワヒリ語で「のんびり、ゆっくり」という意味です。紙芝居屋のそんな日々。


by kamishibaiya