虎御前のミステリーを訪ねる・01

石をめぐる5つの伝説


「小栗判官照手姫」の絵解きを聞いて、瞽女が淵を訪ねてみると、
もうひとりのヒロインが気になってきました。
虎御前。
「曽我物語」の主人公、曽我ブラザーズの兄、十郎の恋人です。

「小栗判官」のヒロインの照手姫が、照手といわれた語り手であったように、
「曽我物語」のヒロインの虎御前もまた、物語の語り手であったといいます。

照手姫は、貴族の出とも、横山大膳の娘とも、遊女ともいわれましたが、
虎御前もまた、貴族の落とし胤とも、長者の娘とも、遊女ともいわれます。

そして2人とも、出身は関東、相模の国の東海道沿い。
照手の生まれた藤沢から、虎御前の生まれた大磯までは、
江戸の東海道でいうと、宿場2つめの距離。
今のJR東海道線でいうと、駅4つめの距離です。

「曽我物語」は、曽我ブラザーズが、殺されたお父さんの仇を討つ物語です。
お父さんの名は、河津三郎祐泰(祐重と語る話もあるようです)。
河津三郎は、殺される前、狩り場の余興で、相撲をとりました。
そのとき、元祖「河津掛け」の決め技で勝った相手が、俣野五郎景久。
「平家物語」にも登場する武者です。

花應院や遊行寺周辺の住所である「俣野」は、その俣野五郎が住んだ場所でした。
その子孫には、俣野五郎景平がいて、彼は遊行上人4代目の呑海上人のお兄さん。
呑海上人が俣野に遊行寺を開いたときに助力したといわれています。

つまり、「小栗判官」と「曽我物語」という2つの物語の舞台となった土地は、
ご近所同士で、何かとつながりがあるわけです。

2つの物語は時代も異なり、直接的な関連はないかもしれませんが、
中世の時代が生んだ伝説的なヒロインとして、照手と虎御前の境遇や面影には、
どこか似通っているようなところが見えます。

そこで他日、足を伸ばして、大磯を訪ねてみることにしたのでした。

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江戸の頃、弥次郎兵&北八が、わいわいおしゃべりしながらの「東海道膝栗毛」珍道中、
大磯を通りかかって、北(きた)さんが狂歌を一首。

「此(この)さとの虎は薮にも剛(こう)のもの おもしの石となりし貞節」(1)

当時は、
「野夫(やふ/やぶ)にも功の者」(=田舎者にも手柄を立てるやつがいるもんだ)
という、ことわざみたいな語句があったんだそうです。
それを薮にひそむ虎にひっかけ、
さらに「香の物(漬け物)」と「おもしの石(漬け物石)」にひっかけてる。

この里の虎というのは、田舎者出身にしては、なかなかの女だ。
貞節を誓って、石になってしまったというんだから。──というんですね。
大磯の虎が、恋人・曽我十郎の死を悲しんで石になったという伝説は、
江戸の当時には、観光的な風物にもなっていたようです。

すると弥次さん、返して詠むには、

「去(さり)ながら石になるとは無分別 ひとつの蓮(はちす)のうへにや乗られぬ」(1)

落語家・古今亭志ん生師の「品川心中」で、心中をしようと誓った二人が、

「そうだ、あの世で一緒ンなろう、蓮の葉の上で所帯をもとう」
と、アマガエルみたいな料簡ンなって……。


という場面があります(2)
極楽へいった恋人たちは、睡蓮の葉っぱの上で寄り添うものと相場が決まっていたのでしょう。
せっかくあの世でいっしょになっても、石になったんじゃ蓮の葉に乗れないよというわけです。

そんな弥次さん北さんに詠まれた石がこちら。
小石くらいの石ころなら蓮の葉っぱにも乗っかるでしょうが、
確かにこれほどの大石となると、無分別といわれてもしかたがありません。
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JR大磯駅から徒歩5分くらいにある延台寺に伝わる「虎御石」です。
本来は拝観のみで、撮影は不可なのだそうですが、
お寺の方にご許可をいただきました。

どうやら、この石には、さまざまないわれがあるようです。


その1「石はイケメンが好き」伝説

力石(ちからいし)というのは、力試しをするための大石です。

下の写真は、延台寺からそう遠くない大磯の高来神社の境内にある力石。
大磯海岸の漁師たちが力持ちの名誉をかけて持ち上げようと競ったんだそうです。
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筆者も踏ん張ってみたんですが、数センチずらすのがやっとでした。
こうした力試しは一種のスポーツみたいな楽しみでもあったようで、
全国各地に伝わっています。

ところが、延台寺の虎御石の方は、ひと味違います。
「よき男のあぐれはあがり、あしき男のもつにはあがらずという、
色好みの石也…」
(柳亭種秀「於路加於比(おろかおい)」)
と言われていたのだとか(3)

どんなに怪力であろうと、いい男でなければビクともしない。
たとえ「金と力はなかりけり」でも、色男なら、ひょいひょい持ち上がるというんですね。
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旅人が試しているこの絵では、道端に置いてあることになっています。
形状も違いますね。
画家が、うわさをたよりに想像して描いたか、
あるいは、茶店が客寄せのために置いたにせものがあったのではないかといいます。
お寺の方の話だと、実際の虎御石は移動させるのにもおとな5〜6人がかりだそうです。

石が「色好み」というのは、虎御前が遊女であったことから派生したうわさとも思われます。
が、その起源は、力石に霊力が宿ると考えた古代の人たちの
石占(いしうら)という占いにあるのではないかという説もあります。

柳田國男によると、奈良の大峰山龍泉寺に、「オイトシボ石」というのがあって、
踏みつけてから持つと重くなり、撫でてから持つと軽くなるというそうです(4)
こちらの石は、「いい男」よりもやさしい人が好みのようですね。
現在は「なで石」と呼ばれています。

「オイトシボ」という言葉が何を意味するのか、
大阪・住吉大社の「おいとしぼし社」とも関連がありそうです。
こちらで祀られている石は「重軽(おもかる)石」といい、
昔飛んで来た隕石だという俗説もある。
2回手に持ち、2回目が1回目より軽く感じたら願いがかなうという占いをするそうです。
恋占いとして今も人気なのだとか。

ただ、大磯の虎御石は、いい男の前だと軽くなっちゃうだなんて、
石なのにちょっとかわいく思えてきます。
筆者も撮影のとき、お寺の方の目さえなければ、片手でちょいと持ち上げてみせたんですが。


その2「石は成長して大きくなった」伝説

延台寺に伝わる「虎御石畧縁記」によると(3)
相模の国は淘綾(ゆるぎ)の郷に、名を藤原実基という人が住んでいて、
山下長者と呼ばれていました。
その長者屋敷の跡と伝えられているのが、ここです。
現在は、神奈川県平塚市山下。
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その山下長者、子どもがいなかったため、近くの虎が池弁財天にお参りしたところ、
一個の美しい石を授かり、ほどなくして女の子が生まれます。
「虎」と名付けられたその子が、後の虎御前。

弁財天は、明治の頃まで、現・大磯町東町の池の中島にあったといいます。
今は池も埋め立てられ弁財天もありませんが、その碑が、延台寺の境内に移されています。
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弁財天に授かった石は最初は小さかったそうで、あるいは蓮の葉にも乗ったかもしれません。
ところが不思議なことに、お虎ちゃんの成長とともに
ずんずん大きくなって、今のような大きさになったというのです。

こうした生き石伝説は各地にあるそうで、
たとえば、「君が代」で歌われる「さざれ石」もそのひとつ。
小石=「細(さざれ)石」が、だんだん大きく成長して、
巨大な岩=「巌(いわお)」になると考えられています。
やはり石には霊力があって生きているということなのでしょう。


その3「石が身代わりとなって命を救った」伝説

美しく成長したお虎さんは、歌舞に優れていたため、高貴な人々の宴席に招かれることも多く、
そこで曽我十郎祐成と知り合います。

以上までの経緯を真名本の「曽我物語」では、
◎藤原基成の乳母の子である宮内判官家長と、
平塚宿の遊女・夜叉王との間に生まれた子が虎である。
◎大磯宿の遊郭の主人(=長者)である菊鶴にもらわれ養育された。
──と説明します。
(「長者」は、一般に「富裕者」のことをいいますが、
「撰集抄」などでは遊女の長である女性のことをいっています。
が、遊女の長(おさ)であるということで、遊郭を運営する主人も
長者と呼ばれたようです。)

仮名本(流布本)の「曽我物語」では、単に山下長者の娘であり、遊女であるとし、
藤原実基の「一夜の忘れ形見」としています(5)
いずれにしろ、虎は十郎と恋に落ち、彼の仇討ちの宿望を知ることとなります。

やがて、仇である工藤祐経は、兄弟の不穏な気配を察知して、
十郎が足しげく訪れる山下長者の屋敷へ刺客を放ちます。

闇に乗じて刺客が十郎を弓で射かけ、もうひとりがとどめとばかりに太刀を浴びせかける。
ところが、矢は弾かれ、刀は歯がたたず、驚きあわてた刺客たちは逃げ帰ります。
そして翌朝見ると、十郎の身代わりとなった石には、
矢傷と刃傷の跡が穿たれていた──。
と、「虎御石畧縁記」には記されています(3)

見ると、確かに傷の跡がくっきり。
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ところが、この形、改めて見直してみると、
実は、エロティックなものであることに気がつかされます。


その4「石は陰陽石である」伝説

この石は、陰陽石であるといいます。
すなわち、男根形の石に7つの女性性器がついている。
陽石と陰石が一体となったかたち。
全体は平べったいものなので気づきませんでしたが、
真横から見ると、なるほどです。
ただ、7つというのは無理があるように思え、
筆者には、男女一対のもののように見えました。
陽石のかたちは、天然の自然による造詣のように、
陰石のくぼみは、人工的に彫られたもののように、
素人目には思われました。

▼「虎御石畧縁記」の図を模写
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陰陽石の多くは、道祖神信仰として祀られているものです。
賽の神、塞の神、どうろくじんなどなど、様々な呼び方をされる、
いわゆるサエの神。

ところで、大磯海岸には、セエノ神サンの火祭り、「左義長」が伝わっています。
地方によっては「どんど焼き」とか「三九郎」などとも呼ばれ、
福島や富山では、「サイノカミ」というところもあるように、道祖神のお祭りとされます。
(神奈川県で行われているのは、ここ大磯1カ所だそうです。)

1月14日、浜辺に、天高く立てた竹を中心にしてお正月飾りの門松やワラを積み上げる。
各町内が作る、この塔のような飾り物を「サイト」というそうです。
「サイト」とは、穢れをきよめ、魔をはらう火、「斎灯(さいとう)」のことで、
それが修験道に入って「柴灯」などと書かれるようになったのではないかと
五来重さんはいいます(6)
魔をはらう火。
夜になるとこのサイトに火が放たれ、燃え上がる。
この火で焼いただんごを食べると風邪をひかないのだそうです。

今でも毎年行われている名物行事ですが、簡略化されているとのこと。
戦前はもっと盛んで、祭りは前の年の12月8日から始まったそうです。
子どもたちが「ゴロ石」と呼ばれる石を縄で結んで持ち歩いて町内を回る。
未婚の男女がいる家にくると、
年長の子がそのゴロ石を地面にたたきつけ、
「○○さんにいいお嫁さん(お婿さん)が来るようにっ! 一番息子!」
と叫ぶ。
そして「二番息子」「三番息子」と他の子どもたちが言いはやしたそうです。
そのゴロ石が、陰陽をかたどったものだというのです(7)(8)

もちろん、「虎御石」と「ゴロ石」を単純に結びつけることはできません。
が、「虎御石」は、さまざまに形を変えてきた道祖神信仰のその原始的な部分と
何かしらつながりがあるのではないかとも思われてきます。

※「ゴロ石」は、五輪塔の「五輪石」が起源だという説があります。
形状を見ても、真ん中が少しくびれた短い棒という素朴なもので、
必ずしも陰陽を想起させるものではないように思います。
が、山崎省三さんが書かれていたように、「陰陽をかたどる」という
宗教的な意味合いにつながる要素があるかもしれません。


その5「虎御前が石に変身した」伝説

さてそして、虎御前がこの石になったのだという伝説。
実は、この伝説が伝わるのは、大磯だけではありませんでした。
虎御前は、全国各地に足跡を残し、九州にまで足を運んでいるというのです。
そして、虎が化した石というのが、各地に残されていたりする。

柴又帝釈天の寅は日本中を旅して歩いたものですが、
虎が池弁天の虎もまた、旅して歩いたらしいのです。

はたして、虎御前とは何者だったのか?
謎は、いよいよ深まるのでした。

▼延台寺に伝わる虎の木像
(お寺の方に許可をいただき、撮影させてもらいました)
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《引用・参考文献》
(1)十返舎一九「東海道中膝栗毛」〜中村幸彦校注「日本古典文学全集49」小学館・所収
(2)古今亭志ん生「品川心中」〜飯島友治編「古典落語 志ん生集」ちくま文庫・所収
(3)延台寺護持会編「宮経山延台寺縁起」
(4)柳田國男「巫女考」〜「柳田國男全集11」ちくま文庫・所収
(5)佐々木信綱・久松潜一・竹田復監修「曾我物語 上」いてふ本刊行会
(6)五来重「石の宗教」講談社学術文庫
(7)大磯町編「おおいその歴史」
(8)山崎省三「道祖神は招く」新潮社

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by kamishibaiya | 2012-03-10 07:18 | 絵を見せて語るメディア | Comments(0)

「ポレポレ」は、スワヒリ語で「のんびり、ゆっくり」という意味です。紙芝居屋のそんな日々。


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