猫田にゃあごろう氏へのインタビュー

さて、今回始まりました「あの人にインタビュー」、
最初のお客様は、紙芝居職人、猫田にゃあごろう氏です。

インタビューを行ったのは、陽当たりのいい屋根の上。
氏は、よくここで昼寝をたしなまれるそうです。
ちょうど昼寝を終えて耳をかいているところをお邪魔しました。

「ん〜〜? インタビュー? めんどくせえなあ。
ゴチャゴチャしゃべるの、嫌(きれ)えなんだから、おいら……」

と、おしゃべりが嫌いな理由を、
ニャゴニャゴ、ニャゴニャゴ、しゃべり続けること40分あまり。
が、なんとかインタビューの承諾を取り付けて、スタート。

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「え? だいたいよお、
『子どもの目線に立って』とか、
『子どもの立場になって』紙芝居を作ろうなんて奴に
ろくなのはいねぇのよ」

──はあ……。と言いますと……?

「言いてぇことはわかるよ、そりゃ。子どもの見るもんだからな。
けどな、下手すると、
手抜きのお子様ランチを食わせるようなハメになるンだな、これが」

──お子様ランチ?

「子どもに食わせるもんはさ、
一流どこのネタ使って、一流どこのモノホンの奴にしたいわけよ。
カップラーメンの中の乾燥ネギもいいだろうけど、
子どもが初めて出会うネギがそれじゃ、かわいそーだろ?
そんなもんばっか食わされてみ。
ネギがどういうもんだか、わかんないまま、育っちまう。
ホンモノのネギかじってみて、
辛(かれ)えなとか、焼いたら甘くなるんだなとか、
そういうの、やらせなきゃ。子どもにはさ」

──はぁ。

「それが、おめぇ、
ネギは臭(くせ)えからとか、この味は子ども向きじゃねえからとか言って、
子どもが好きそうなお子様ランチにしちまうんだ。
ハンバーグやオムライスなんか、二流三流のハンパもんでも
テキトーに並べときゃ、子どもは喜ぶだろうなんてぇ料簡じゃ、
おめぇ、味もへったくれも、ありゃしねえ」

──でも、子どもたちが見てくれないと……。

「ああ、ああ、いつもそう言うんだよ、二流三流どころはさ。

んー、まあな、今の子どもたちは顎(あご)の力が弱っちまってるからな。
おいらたちガキん頃は、
かつ節だろうが、ネズミの骨だろうが、ガリゴリやったもんよ。
ところが最近の奴らときたら、
グニャグニャのキャットフードばかり食ってるもんだから、
意気地までなくしちまってるんだ。

な?
歯が立たねえような固いもんでもな、
毛嫌いされるニンジンやピーマンだって、
食えそうにない骨付き肉のでっかい塊(かたまり)だってな、
どおーんと出してやりゃいいんだよ、
子どもの目の前にさ。

わかる、わからないじゃなくってさ、
子ども向け、おとな向けじゃなくってさ、
おもしれぇもんだったら食うんだよ、あいつらは。
かぶりつくね。
でもよ、おもしろくなかったら、見向きもしねえ。
そのあたりの子どもの嗅覚の確かさってぇーの?
その辺は、おいらぁ、信じてるね」

──でも、子どもたちがおもしろがるものって、
何かわかりにくいですよね?

「何だっけかな、
誰だか新聞記者さんが言ってたよ。
『読者がおもしろそうなものを書くんじゃなくて、
自分がおもしろいものを書くんだ』ってな。

おいらはさ、物語づくりは井戸掘りだって、前から言ってんだ。
どこを掘るかって?
そこらの土じゃねえよ、ここ、ここ。
てめえの腹ン中を掘るのよ。
エイコラ、エイコラ、ひたすら掘ってくのよ。
んで、深(ふけ)えとこまで掘って湧いて出てきた水ってぇのはさ、
人間誰もが持ってる地下水脈ってぇ奴に通じてるんだな。
だから、てめえがおもしれぇと思ったもんは、
誰もがおもしれぇと思えるんだ。
子どももおとなも関係ねえやな。

それをさ、子どもだったらこういうのがおもしれぇだろとか、
こんなのがウケるだろうなんてナ、
てめえの腹掘らねえで、他人(ひと)の腹ばかりうかがってちゃあ、
半端な穴しか掘れねえ。
地下水脈の深(ふけ)えとこまで届きやしねえ。

まあ、でも、中途半端な浅いとこを掘り返してても、
水道管のパイプの壊れた穴からしみだした水くらいにはぶつかるかもしれねえな。
世間に流通している殺菌済みの水だ。
こぎれいな水だから、毒もいっさい混ざり込んでねえ。
世間に出回っているそれなりの水だからな、当座の飲用には役に立つだろうよ。
ところがギッチョンチョン、毒にもならなけりゃあ、薬にもならねえ。
まあー、そんなのは、今日飲んだら明日には忘れちまうって奴だな。

10年も20年も読みつがれるもんはさ、
地下水脈までつながってるもんだからさ、
いつ読んでも新鮮なんだな、これが。
くんでも、くんでも、尽きるこたアねえってのはこのことよ。
多少、泥臭くたってな、
子どもらもさ、てめえの腹の底の泉の水と同じもんだってわかるから、
身にしみておもしれぇんだよ。
ま、読みもんでも、紙芝居でもおんなシことだわな」

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「ケストニャーって知ってるかい? ケストニャー。
そのおっさんが、トラばあさんと、リンちゃんと
ワルツを踊って、飯を食ったってんだ」

(※筆者注:おそらく、氏の言っているのは
E・ケストナー〈『ふたりのロッテ』の作者〉、
P・L・トラバース〈『メリー・ポピンズ』の作者〉、
A・リンドグレーン〈『長靴下のピッピ』の作者〉
のことだと思われます。
1953年、3人は、スイスの料理店で会食したことがありました(1)。)

「でな、3人とも人間の種族であることには違(ちげ)えねえが、
ドイツとか、イギリスとか、スウェーデンとか、国が違うんだとさ。
言葉は通じなかったりしたんだが、通じ合うもんがあったんだろな、
話はワイワイ盛り上がったっていうのよ。

でな、3人はそれぞれ、
じいさんやったり、おっ母さんやったり、先生やったりして、
日頃から子どもとつき合っていたことは、いたんだ。
子どもと接する、そういう“経験”ってぇ奴は、たしかに役に立つ。
が、子どもの本を作るってぇときには、それがいちばんじゃねえってんだな。

じゃあ、何が大事(でえじ)かってぇと、
てめえがガキん頃にさかのぼって、それを忘れねえこと。
ガキん頃のてめえ自身と接することがいちばん大事だってんだよ。
3人が3人、そうゆう結論に落ち着いたっていうんだな。

リンちゃんなんかはさ、自分の作品は、
子どもン頃の自分をおもしろがせたい、楽しませたい、
そのために送る手紙だって言ってるぜ(2)
その手紙が、自分だけじゃねえ、多くの子どもを楽しませてるってぇわけだ。

な。そうゆうこった。
てめえの腹ん中に掘り当てた泉の水だから、
その井戸は、みんなを楽しませることができる。

そらな、えばってる社長さんも、しかめっつらの先生も、
みんな昔は子どもだったっつうことよ。
そりゃ、時代が変わっても、根っこは変わんねえ。
みんな、腹の奥の奥ンところに、おんなシ地下水脈が流れてる。
100年前、200年前の物語がガツンと来るってぇのは、そおゆうとこよ。
そおゆうとこ。
人間も猫も、そこらへんは変わんねえと思うんだがなあ、おいらは」

──(ここでにゃあごろう氏は、大きなあくびをすると、
鼻をピクピクさせました。)

「ま、おめえみてえな、三流どころ……っつうかぁ、
四流か五流の人間には、わかんねえかもしれねえなあ」

──は、はぁ……。

「さて……っと。
そろそろ、おれも、夕飯(めし)を探しに行かねえとな。
ま、おめえも、せいぜいがんばんなよ。五流なりによ。
ほんじゃ、な」

そう言うと、氏は、屋根からストンと降り立って、
ふらりと路地のあいだに消えていきました。







《引用・参考文献》
(1)E・ケストナー、高橋健二編訳「子どもと子どもの本のために」同時代ライブラリー・岩波書店
(2)シャスティーン・ユンググレーン、うらたあつこ訳「遊んで、遊んで、遊びました〜リンドグレーンからの贈りもの〜」ラトルズ
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by kamishibaiya | 2012-04-23 17:57 | 紙芝居のいろいろなこと | Comments(0)