右か左か、明日はどっちだ?・05

f0223055_1117501.gif日本はなぜか地獄の側(左)へ行きたがる?(2)


右に並ぶか、左に並ぶか。
右手を使うか、左手を使うか。
……などなど、中国では昔から、体系的な礼式によって、いろいろな場面での右か左かが
厳しく決められていたようです。
インドでは、男女によって、右か左かが逆になるということがありましたが、
中国ではそうした性別の他、社会的な身分や立場、序列、陰陽の思想、方位などによって変わってくる。
その上、場の状況や文脈によっても異なってくるという複雑さ。

そして、それをさらに複雑にしているのが、
右を尊ぶか左を尊ぶかは、その時代を支配する王朝によって推移、交代してきたという歴史です。

古代中国の陰陽の思想の原理では、
左→陽
右→陰
とされ、陽と結びついた左が尊重されていたといいます。

が、それが、王朝によって変化する。
その推移をごくおおまかに書き並べてみると次のようになります。

■周 (紀元前10~2世紀頃)→左を尊ぶ
■春秋(紀元前8~5世紀頃) →左を尊ぶ
■戦国(紀元前4~2世紀頃 )→右を尊ぶ
■秦 (紀元前2世紀頃)   →右を尊ぶ
■漢 (紀元前3~3世紀頃) →右を尊ぶ
■六朝(3~6世紀頃)    →左を尊ぶ
■隋 (6~7世紀頃)    →左を尊ぶ
■唐 (7~9世紀頃)    →左を尊ぶ
■宋 (10~13世紀頃 )   →左を尊ぶ
■元 (13~14世紀頃 )   →右を尊ぶ
■明 (14~17世紀頃 )   →左を尊ぶ
■清 (17~20世紀頃 )   →左を尊ぶ

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老子という人は、生まれた時代も生まれた場所も明確ではないのですが、
一説には、紀元前6世紀頃を生きた人ではないかと言われています。
紀元前6世紀──つまり、左を尊んでいた春秋時代。

その老子はやはり、君子は左を尊ぶと記しています。
が、しかし、武器を使うときには、右を尊ぶのだといいます。

祝いの席(吉事)では、左が上位。
葬儀の席(凶事)では、右が上位となる。

人を殺害するのが目的の「兵(軍隊や武器)」というのは、「不祥の器(道具)」である。
軍隊は、戦いに勝ったとしても、人を多く殺すがゆえに、
悲しみの涙を流し、喪に服すのが、本来の姿なのだ。
だから軍隊は、葬礼の作法にならって、右を上位とする。

それで、軍隊の副将軍は、左に座り、
彼よりも上の位の大将軍は、右に座るのだというのです(「老子」第三十一章(1))。

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しかしながら、時代が変わり、王朝が変われば、右・左は逆転します。

中国には、「丞相」という官職がありました。
君主を補佐するいちばん高い位の、いわば大臣。
その丞相には2名が任じられ、それぞれ「右丞相」「左丞相」となることがありました。
「右」と「左」、どちらが位が高いとするかは、その王朝によって異なります。

右を尊んでいた元の時代には、「右丞相」が、「左丞相」よりも位が上。
左を尊んでいた唐の時代には、「左丞相」が、「右丞相」よりも位が上。

その唐にならって「左大臣」「右大臣」を設置した日本の朝廷では、
だから「左大臣」が、「右大臣」よりも上位とされました。
以来、日本では、左大臣>右大臣という位置付けは変わらず、
3月3日のお雛様も、左を上位として飾り付けます。

今も使われる「左遷」という言葉。
低い役職におとされることをいいますが、
これは、漢の時代に生まれた言葉だからです。
右を尊ぶ漢の時代では、左に移り変わることは、つまり降格を意味しました。

優秀で頼りになる部下のことを「右腕」といいますが、
これも、右を尊ぶ漢の時代に生まれた言葉です。

また、不謹慎だったり、不都合なことを「左道」といいますが、
これは、もともとは「不正な道」という意味です。
こちらは、戦国時代に生まれた言葉。
右を尊ぶ戦国時代には、左へ行く道は、つまり「邪道」だったわけです。

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「古事記」は日本の純粋なオリジナル。
と、後年、本居宣長らの国学者たちは主張していましたが、
中国文化の影響は、まぬがれなかったと思われます。
当時、日本にとって中国文化は、最新のトレンドで、水準も高く、権威も高かった。
遣隋使や遣唐使を送るなど、いかに中国文化を取り入れるかに心を砕いていました。

「古事記」が文章化され、献上されたのが、712年。8世紀です。
それは左を尊いとする「唐」の時代のこと。
その編纂されるずっと前から、物語は暗誦によって伝えられてきたといわれますが、
だとしても、「六朝」「随」と、3世紀から500年、左を尊いとする時代が続いていました。
語り伝えられるうちに、その影響が及んだ、
あるいは、物語を整理し編纂するときに取り入れられた可能性はじゅうぶんにあると思います。

つまり、文化を輸入した当時の中国が、たまたま、左を尊び、左を上位におく時代だった。
そのおかげで、日本に、左を尊いとする文化が、複雑な体系としてではなく、
端的にそのまま取り入れられるようになったと考えられるのです。

だから、「上代尚左(または神代尚左)」という言い方をされたりもします。
「古事記」が献上された頃の「上代(神代)」という昔の時代には、
左を尚(たっと)んでいた(=尊んでいた)というのです。

これはつまり、「上代」以外の時代では、必ずしも左を尊んでいるというわけではなかった。
むしろ、左よりも右を上位とする傾向もあったことになります。

とくに政治や制度などと直接的には関係のないような、
庶民の日常生活や、各地の習俗には、
左よりも右を優位とするような傾向がみられるようです。

つまり、ロベール・エルツ「右手の優越」(2)に説かれていたような
右を優位とする世界的な傾向は、
基本的なところでは、日本でも変わらないと思われるのです。

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日本の食事の配膳は、左にご飯茶碗。右にみそ汁などの汁碗を置くのがマナーとされます。
これには、日本では左が優位なので、主食のお米を左に置くのだという説もあります。
が、懐石などでは、まず最初にご飯をひとくち食べる。
とすれば、最初に左手が手にするのはご飯茶碗なわけで(右利きの場合)、
機能的な理由からこうしたかたちになったとも考えられます。

このとき、左に汁碗、右に飯椀を置くなど、フォーメーションを逆にすることは
「左膳(ひだりぜん)」といって、忌み嫌われることでした。

昔は、大きなテーブルというものはなく、
一人前の食事を並べる「膳」という台が使われたわけですが、
この膳を横にして側面を人前に向けることもまた「左膳」といって、嫌われました。

左膳は「えびす膳」とも呼ばれます。

イザナギとイザナミの子ども、ヒルコ(蛭子)は、「日本書紀」では、
3歳になるまで足腰が立たず、水に流されます。
時代が下って鎌倉時代の頃になると、このヒルコが海を漂流した後、浜辺へ流れ着いたことになります。
海から漂着したものを「えびす」として祀る信仰がこれに結びつき、
「ヒルコ」=「えびす」として同一視されるようになる。
だから、「えびす」の漢字は、「恵比寿」、「夷」と書く一方で、
「蛭子」と書くこともあるんですね。

「えびす」は、そのため、歪んだかたちや正常ではないことの意味にも使われました。
「えびす膳」=「左膳」は、正常ではない配置のし方ということです。

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また、「左膳」は、死者に供する食事のことをいいます。

葬礼のときには、「逆さごと」ということがよく行われます。
日常でいつも行っているふつうのやり方とは反対のことをすることで、
“死”という非日常的な世界を区別するのです。

老子がいた当時の中国の礼式では、先述のように、
ふだんは左が上位で、葬儀のときには右が上位とされていました。

が、日本では、ふだんの日常の正常な状態が“右”であることが多く、
そのため、「逆さごと」は“左”とされる場合が多いようです。
「左膳」も、そのひとつ。

松永和人さんは、こうした「逆さごと」の例をあげています(3)

たとえば、「左柄杓(びしゃく)」。
死んだ体をぬるま湯で洗い浄める「湯灌」の際に、
右手ではなく、左手でひしゃくを持って湯を注ぐというものです。

うどんを作るのに、小麦粉を挽く際には、ふだんは臼を右に回す。
が、お通夜に出すうどんは、臼を左に回して作るのだそうです。
左に回して挽く臼は「左臼」といって、だからふだんではあまり使われない。

また、出棺のとき、葬儀の列は、「左回り」に廻る。

このような慣習のせいでしょうか、
お酌をするとき、お酒を左手で持って注ぐのは嫌われます。
お酒は、右手で持って、左手は軽く添えて注ぐのが、マナー。
栃木県・足利地方では、いわゆる博徒たちも、
徳利を左手で持って注ぐことを、非常に忌み嫌ったということです(4)

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縄の綯(な)い方も同様です。
日常では、「右綯い」というやり方で綯った縄が使われます。
しかし、棺桶を縛って、墓の穴の中へ下ろすときに使われる「棺縄」は、
「左綯い」なのだそうです。
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「左綯い」の縄は、葬礼のときに使われる。
そして一方、神事のときに使われる縄もまた、
それがたとえ目出たいお祝いの場合であっても、「左綯い」です。
神社に飾られるしめ縄も、基本的に「左綯い」。
お正月に飾られるしめ飾りの縄も「左綯い」ですね。

松永和人さんは、これを2つの活動の分野に分けて説明しています(3)
ひとつは、「世俗的生活活動」の分野。
ふだん仕事をして、生活をしている、日常的な局面。
こちらでは、多くの人が利き手としている右手の側が、巧みで器用であり、
生産性を高めるとして、右が上位、つまり、
「右>左」
となる。

それに対して、「呪術・宗教的生活活動」の分野では逆転します。
死と向かい合う葬礼や、福をねがい念ずる神事の祭礼を行うような局面。
世俗的には弱く、劣っている左手が、劣るがゆえにこちらでは聖なる力をもつと考えられる。
災厄や魔をはらい、病気の治癒を担う呪術的な力をもつ側として、
「右<左」
になるというのです。
凶事であっても吉事であっても、それが呪術的、宗教的な活動であれば、
「左」綯いの縄が使われるというわけです。

右の側を日常的、意識的、現実的、外面性として、
左の側を非日常的、無意識的、霊的、内面性とするようなこうしたあり方は、
あのグリュンワルドの象徴図式と合致するようにも思われます。

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右を優位とする世界的な傾向に対して、日本は異なる文化を持っているといわれました。
確かに左を優位とした時代があり、そうした文化の一部分はなお生きていると言えるでしょう。
が、しかし、本質的なところでは、世界的な傾向と変わりない。
なにか異質な、特別な文化というわけではないようです。

けれども、右か左かの方向については、
やはり日本の文化は、一筋縄ではいかないように思われます。

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《引用・参考文献》
(1)松枝茂夫・竹内好監修、奥平卓・大村益夫訳「老子・列子」徳間書店
(2)ロベール・エルツ、吉田禎吾・内藤莞爾・板橋作美訳「右手の優越」ちくま文庫
(3)松永和人「左手のシンボリズム 『聖』-『俗』:『左』-『右』の二項対置の認識の重要性」九州大学出版会
(4)中山太郎「左尊右卑の思想と民俗」〜礫川全次編「左右の民俗学」批評社・所収

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by kamishibaiya | 2012-06-21 23:11 | 紙芝居/絵を描く | Comments(0)

「ポレポレ」は、スワヒリ語で「のんびり、ゆっくり」という意味です。紙芝居屋のそんな日々。


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