右か左か、明日はどっちだ?・08

f0223055_9165091.gif文字を読んでいく先に明日があるのか?


質問です。
次の図形の斜線のラインの(A)と(B)。
イメージとして「上がっている」と感じられるのは、どちらでしょうか?
「下がっている」と感じられるのはどちらでしょうか?

図1
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これは、メディア学のデリック・ドゥ・ケルコフが、その著書「ポストメディア論」(1)の中で
投げかけている質問です。

もしも、(A)のラインが「上がっている」と感じた人。
その人は、アルファベットではない文字を日頃から使い、
読んでいる可能性が高いと、ケルコフはいいます。

同じ横書きでも、ヘブライ文字やアラビア文字は、右から左へ(←)書き表します。
下の図は、ヘブライ文字の「基本母字」といわれる22字の文字を図形に添えたもの。
右の端から「א(アレフ)」「ב(ベート)」「ג(ギーメル)」……
と、読んでいきます。

図2:ケルコフ「ポストメディア論」(1)中の図をもとに作成。
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日頃からヘブライ文字を読み書きして慣れ親しんでいる人は、
右から左へと読んでいくその方向(←)にひっぱられ、
その流れで見れば、(A)の斜線のラインは、上がっているように見えるというわけです。

しかし、英語やフランス語などの文字は、左から右へ(→)と読み進んでいく。
そうしたアルファベットなどに親しんでいる人が
(A)のラインを見れば、下がっていると感じるでしょう。

現代の日本を含めた多くの国では、いろいろなテクノロジーの基礎である科学の
数式や化学式やグラフなどもアルファベットと同じく、左から右へ(→)進みます。
そのグラフでいえば、(A)のラインは「右肩下がり」です。

それとは反対に(B)のラインは「右肩上がり」。
そういうグラフのイメージに慣れている人、
日常的にアルファベットの読み書きをしている人であれば、
下図のように、上がっていると感じるはずです。

図3:ケルコフ「ポストメディア論」(1)中の図をもとに作成。
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ケルコフによれば、世界にいろいろ文字がある中で、
音をあらわす「表音文字」は、横書き──つまり水平に書き記すことになるといいます。
さらに「表音文字」でも、表記するときに母音をあらわす文字があるものは、
右へ書き進めることになる。

アルファベットに代表されるように、
母音を含む表記法では(ただしエトルリア文字は例外)、
文字が並んでいる順番そのままに、逐次、言葉を読み進めていく。
それが人間の左右の脳機能と視覚システムによって、
右へ書き(読み)進めることになるのだというのです。

が、一方、ヘブライ文字やアラビア文字は、表記に母音を含まない子音体系です。
文脈に沿いながら、文字の組み合わせを判断して言葉をくみ取り、読み進める。
すると、左へ書き(読み)進めることになる。

もともと、アルファベットを考案したのは、古代ギリシア人でした。
古代のフェニキア文字を手本にしたといわれていますが、
このフェニキア文字は、左に書き進める文字でした。
フェニキア文字は、母音を含まない文字だったのです。

そこに、古代ギリシア人は母音をあらわす文字を付け加えます。
そして、ギリシア・アルファベットを生み出す。
すると、それまで左に書き進めていたのが、
ギリシア・アルファベットになると、まもなく、右に書き進める文字へ変化したそうです。
以来、アルファベットは母音を含む文字体系となり、
右へ書き進める文字になったのだそうです。


こうした読み書きのシステムは、わたしたちの思考や心理、身体など、
行動全般に影響すると、ケルコフはいいます。

だから、図3の斜線(B)を上がっていると感じたように
「もしそれが左から右へ読み進む性向とともに右の視野へひっぱられる場合、
あなたにとって、行動や時間や現実は左から右へ進むと結論づけてよい」
(1)
というわけです。

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では、日本語はどうでしょう。

音をあらわす「表音文字」は、水平に書かれますが、
形象(かたち)をあらわす絵文字が起源である「表意文字」は、垂直に書かれる。
縦書きです。
エジプトの象形文字や、そして中国の漢字もそうですね。

そして垂直の縦書きのその行の送りは、モンゴル文字などを除いて、
右から左へ(←)進むのが一般的だといいます。

中国の漢字を輸入した日本もそうでした。
漢字にならって、垂直の縦書きで、行送りは右から左へ(←)。

図4
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こうして縦書きの文章を配してみると、斜線(A)は、上がって見えると思います。

やがて日本は、独自の「ひらがな」「かたかな」という「表音文字」を発明します。
が、しかし、その書き方のスタイルは、縦書きの左送りのまま。
漢字と変わらない縦書きという時代がずっと続いていました。

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筆者が昔、東京の浅草を訪れたとき、
「山龍金」と書かれてある看板のようなもの(「山号額」というのだそうです)を見かけて
ひとしきり頭をひねった思い出があります。

山に住む龍が、金を貯め込んだのだろうか。
山の龍をかたどった黄金があるのだろうか……。
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あ、そうか。
昔の字は、右から左へ読むんだっけ。
これは「金龍山・浅草寺」のことなんだと気づいたのは、
だいぶ経ってからのことでした。

が、しかし、それも間違いでした。
昔の字は、右から左へ読むというわけでもなかった。

「山龍金」というのは、実は縦書きなのだそうです。
縦書きで、行の送りが右から左へ(←)進んでいる。
ただしかし、縦に書くスペースが1字分しかないため、
右から左へ(←)書き進める横書きのように見えているだけなのだそうです。

屋名池誠「横書き登場ー日本語表記の現代ー」(2)によると、
日本に「横書き」という発想が生まれたのは、
江戸時代後期に欧米文化である「蘭学」が入ってきてからだといいます。

もともと「表音文字」である「ひらがな」「かたかな」を取り混ぜて使っていた日本語は、
水平の横書きへの対応もしやすかったでしょう。
けれど、右へ書き進めるか、左へ書き進めるかについては、どちらでもよかった。
昔の横書きは、左へ書き進めるというイメージがあるのですが、
実は、右書きと左書き、両方の書き方が存在していたのだそうです。

欧米文化に精通しているようなインテリ層は、欧米語と同じく右への横書きを、
一方、欧米の言葉なんて知らねえやというような庶民層は、
左への横書きをする傾向があったのだとか。

それがやっと第二次大戦後になって、右へ書き進める現在のスタイルに統一される。
それまでは、右に読むか左に読むかで混乱することもあったようです。

下図のように、そしてこのブログのように左から右へ(→)書き(読み)進める「横書き」は、
だから誕生してからまだ半世紀くらいなんですね。
しかし半世紀のあいだに、右への横書きは、わたしたちの生活にだいぶ浸透しているようです。
すると、それはわたしたちの意識の中にも浸透しているのでしょうか?

図5
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ケルコフが言うように、
文字を書き進める方向が、わたしたちの無意識にも影響しているとしたら……。

すると、心理テストである「バウム・テスト(樹木画テスト)」を提唱したカール・コッホが、
その理論を考える際に、グリュンワルドの空間象徴理論と、
もうひとつ、マックス・パルバーの筆跡心理学を参考にしたということも思い出されてきます。
アルファベットの文字をどう書くかというその筆跡から、
性格や心理状態を分析する。
そこでは当然、左から右の方向へ(→)書き進めることが前提となっています。

また、グリュンワルドが説いた、左下から右上へのびる「生命のライン」は、
人生において“上にアップする”という人々のイメージを具現化したものでした。
それはまさしく図3の(B)のラインと一致します。
というのはつまり、グリュンワルドが行った調査が、
アルファベットを使う文化圏のドイツ人を対象としたものだったからと言えるかもしれません。

するともしも、右から左へ(←)書き進めるヘブライ語に親しんでいる人たちを調査するとしたら、
「生命のライン」は右下から左上へのびる逆向き(図2の(A))となるのでしょうか?

こうしたマックス・パルパーやグリュンワルドの理論を背景とした「バウム・テスト」を、
もしもヘブライ語の文化圏の人が受けた場合、同じような分析結果となるのでしょうか?

日本人ではどうなのでしょう?

日本のバウム・テストでは、左右の解釈にはあまりこだわらない方がいい
という指摘は見受けられますが、
明確な説明は、今のところないように思います。

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ちなみに、右から左への方向(←)を「進む」と感じていたカンディンスキーは、
ロシア出身の画家です。
同じロシア出身でも、シャガールのようにユダヤ系ロシア人であれば、
ヘブライ文字との接触があったかもしれないと思ったのですが、
彼はモスクワ生まれで、父親は東シベリア生まれ。

彼の母語はロシア語で、
彼が学び、幼いときから親しんでいたのは、そのロシア語の文字であるキルリ文字だと思われます。
キリル文字は、左から右へ(→)進む文字。

また、後年、彼が活躍した舞台となったドイツやフランスのアルファベットも、
左から右へ(→)進む。

カンディンスキーについていえば、彼の感覚は、文字を読み書きする方向には関係なさそうです。

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こんな実験の試みがあります。

ニューヨークの写真家であるディヴィッド・B・アイゼンダラス。
彼は、50枚の風景写真を撮影して、
一方はそのままプリントし、もう一方は左右を反転させてプリントしたそうです。
その2枚を1組にして、2枚同時にいろいろな人に見せ、どちらがいいかを選んでもらう。

すると、その風景の構図が左右対称ではない場合、
約75%の人が、左右を反転させた2枚のうち、どちらか一方、
しかも同じ向きのものを選んだといいます。
その約75%は、みんな、アルファベットを読み書きする人々、
つまり、左から右へ(→)読み進む人々だった。

ところが、ヘブライ文字しか読まない人々、つまり、右から左へ(←)読み進む人々に
同じ2枚1組の絵を見せたところ、
アルファベットを読む人々とは反対の方の、
左右が逆転した写真を選んだ確率が高かったというのです(3)

左右に関しての審美的感覚についていえば、
文字を読む方向がもしかしたら影響しているかもしれない可能性があるというわけです。

ただ、この実験を紹介しているマーティン・ガードナーは、
他にもドイツの心理学者が行った似たような実験に言及し、
けれど確かな結論には至っていないと述べています(3)

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が、しかし、ケルコフの論を裏づけるようなこの実験結果が確かだとしたら、
世にある名作も、前回のように左右反転させて見る方が、
文化によっては、感銘の度合いに違いがあるかもしれません。
あるいは解釈のし方も変わってくるかもしれません。

すると、文字の読み方・書き方がわからない非識字者はどうなのでしょう?
また、「右」「左」という言葉さえ持たないメキシコのテネハパ村の人々はどうなのでしょう?
──いろいろと疑問がわいてきます。

第二次大戦後の日本では現在、
図4のように、縦書きで行送りが右から左へ(←)進む読み方と、
図5のように、横書きで左から右へ(→)進む読み方が、両方併存しています。
ひとりの個人が、その場面場面に応じて、両方を使い分け、両方ともに慣れ親しんでいる。

その「どっちもアリ」という曖昧さが、右と左をめぐる日本文化の
一筋縄ではいかない複雑さの要因ともなっているかもしれません。

しかし強いて言えば、世の趨勢は、横書きに傾いているといえるでしょうか。
「本離れ」が言われて久しく、
特に縦書きが中心である書籍や新聞、雑誌などの紙媒体が減っている。
そして若い世代を中心に、
横書きが中心の電子メディアと接する機会が非常に増えています。
(電子書籍などでは縦書き仕様のものもありますが。)

すると、今後、
左から右への方向(→)を「進む」と感じる人が増えるのか。
もしかしたら、
左から右へ(→)ゆるやかに風が吹いていると感じる人が増えたりするのでしょうか?

ふーむ。

風に訊いてみても、わからないかもしれませんね。

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《引用・参考文献》
(1)デリック・ドゥ・ケルコフ、片岡みい子・中澤豊訳「ポストメディア論〜結合知に向けて」NTT出版
(2)屋名池誠「横書き登場ー日本語表記の近代ー」岩波新書
(3)マーティン・ガードナー、坪井忠二・藤井昭彦・小島弘訳「自然界における左と右」紀伊国屋書店

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by kamishibaiya | 2012-06-29 06:36 | 紙芝居/絵を描く | Comments(0)

「ポレポレ」は、スワヒリ語で「のんびり、ゆっくり」という意味です。紙芝居屋のそんな日々。


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