遠目をきかせる 01

紙芝居の絵は、「遠目がきく」ということが要求されます。
このへんが、他のメディアの絵と大きく違うところでしょうか。

絵本の絵と比較すると、その特徴がはっきりします。
絵本を読むとき、読者は、手に持ったりひざに置いたり、
テーブルや床や布団の上に置いたり、
あるいはバスタブに置いたりして読みますよね。
(え? 風呂場では読まない?)

自分でめくる場合でも、誰かに読んでもらう場合でも、手が届く距離。
せいぜい20~50センチほどでしょうか。
そのため、ディティールが細かくても、目にとまる。
とくに子どもたちの目は、
画面のすみっこに描かれたほんの小さな小道具や脇役も見つけだします。
それが楽しい。

たとえば、背景の部屋の壁の小さな額縁の肖像画など、
おとなは気づかずに通り過ぎてしまいがちなんですが、
子どもたちは目ざとく見つけて、満足そうにうなずいたりして物語を楽しんでる。

また、絵本のページをめくる速度は、読者自身の意のままです。
お気に入りの絵には、何分もじーっと見入ったりもします。
読み聞かせの場合でも、読み聞かせるおとなたちは次のページを急がず、
そんなふうに浸る子どもたちの時間を待ってあげたりする。
次のシーンが待ちきれずに、早く絵を見たいときには、
自分で手を出してページをめくったりする子もいますよね。
途中で引き返して、見たい絵を何度でも見返すこともできます。

ところが、紙芝居の場合、
絵との距離は、少なくとも1~2メートル以上になるでしょうか。
演じる場所や観客の人数にもよりますが、
いちばん後ろの人が20メートルくらい離れて見るということもあります。
そうすると、細かく描かれた絵だと、わかりにくい。

さらに、場面をぬく速度は、演じ手次第。
1、2秒もしないうちに次の場面へ行ってしまうこともあるわけで、
子どもたちの絵を見る時間は、お気に召すままというわけにはいきません。

そこで、パッと見ても、遠くから見ても、内容や印象を伝えやすい絵
──つまり「遠目がきく」絵が求められるんですね。

では、遠目をきかせるためには、どうすればいいのでしょう?
勉強中、試行錯誤中、修行中の身の筆者ではありますが、
筆者なりに考えてみると、次のようになるのではないかと思われます。

 1. 大きく、しっかり。
 2. 輪郭を、くっきり。
 3. コントラストを、はっきり。
 4. かたちを、すっきり。
 5. 背景を、あっさり。
 6. 窓を、ぽっかり。

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1. 大きく、しっかり。

遠目をきかせるいちばん手っ取り早い方法は、
大きく描くことではないでしょうか。

携帯画面の大きさのワンセグの映像は、せいぜい一人か二人しか見られませんが、
映画館のスクリーンの大きさの画面なら、5〜600人の観客が見られます。
遠目がきくわけです。
ナスカの地上絵のように大きな絵であれば、成層圏の高さの距離からでもわかります。

手作り紙芝居では、
画面自体を大きくすることも、遠目をきかせるひとつの方法となるでしょう。
大きい紙に描けば、遠くからでも見やすい。
出版紙芝居の場合でも、
通常(24.5㎝×34.6㎝)より大きい大判のもの(40.8㎝×57.3㎝)があります。
また、その大きさ専用の舞台もあります
(参考:「童心社」ホームページ・大型紙芝居舞台の紹介ページ)。

ちなみに、筆者が手作りでやっている紙芝居は、約38㎝×55㎝ほど。
今、手元にあるそのサイズ用の舞台は、1つは、お師匠さんから譲り受けたもの。
仏壇作りの職人さんに頼んで作ってもらったのだそうです。
もう1つは、手先が器用でもの作りの得意な友人が作ってくれました。

紙(画面となるボードや板など)さえ用意できれば、
人間の背の高さを越えるような、超特大ジャンボ紙芝居も可能です。
そうした紙芝居をつくっている方たちもいらっしゃいます。
観客が大人数の場合には、その“超”遠目のききやすい画面が効果的。
が、遠目がききやすいというだけでなく、迫力満点で、
これは、パフォーマンスとしても楽しいものです。

が、一般的には、手作り紙芝居であっても、
出版紙芝居とほぼ同じ、B4(25.7㎝×36.4㎝)程度の画面でつくる場合が多いようです。
そのくらいの大きさがオーソドックスとされているのは、
手作りで描くときの手頃さや、抜くときの扱いやすさということがあるでしょう。
そして、実は、ただ大きければいいというものでもなく、
そのくらいの大きさであっても、
じゅうぶんに遠見をきかせることが出来るということがあるのかもしれません。

そしてその遠目をきかせるための画面構成や構図の工夫は、
画面の大小に関わらずに求められるものです。

「大きく、しっかり」描くことで、遠目をきかせるわけですが、
では、単純に画面を「大きく」すればいいのでしょうか?
それも有効であるかもしれませんが、ただそれだけではなく、
ここでは、何を「大きく、しっかり」描けばいいのかも問われると思います。

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ところで、皆本二三江さんによれば、
絵というのは、描くのが男か女かで、その特徴があらわれるといいます(1)

その性差は幼い頃から認められるものだそうで、
男の子の絵、女の子の絵には、色彩や構図、描線の描き方など、
生理的ともいえるようなそれぞれの違いが出てくる。

で、女の子の絵の特徴のひとつは、「等価分散型」なんだそうです。
たとえば、ひとつの絵の中に、自分や友だち、家、花、小動物といったモチーフを描くとき。
女の子は、それらを“等価”──つまり分け隔てなく同じような大きさで描き、
それを画面の中に均等に“分散”して配置する。
自分も、友だちののりこちゃんも、家も、花も、ちょうちょうも、
同じような大きさで描かれ、全体が調和するような和やかさで等しく並べられたりします。

▼女の子の絵に多い「等価分散型」の典型例を模したもの
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こうした“等価分散型”の傾向は、
成人となってからの女性たちの作品にも垣間みられるのだそうで、
そうした女性作品はまた、静的、平面的になる特徴があるといいます。
それはしかし、中心がない、
アイ・キャッチともなるような中心点がないということにもなります。

対して、男の子や男性たちの描く絵では、
中心となるようなものがまず描かれる傾向が見られる。
ややもすると、それしか描かなかったりする。
その中心を軸として、中心を強調するような、
動的でダイナミックな構図の絵になりやすいといいます。

男性の絵によく見られるこうした傾向を、皆本二三江さんは
「一点拡大型」と呼んでいます。

▼男の子の絵に多い「一点拡大型」の典型例を模したもの
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どちらがよく、どちらが悪いとはもちろん言えません。
それぞれにそれぞれのよさと、また作者の個性があることは言うまでもありません。
が、しかしながら、遠目がききやすいのはどちらか。というひとつの観点だけから見れば、
これはどうやら「一点拡大型」の絵の方が適していると言えそうです。

女性たちの等価分散型は、ゆったり、じっくり、絵の世界に入り込み、
雰囲気を味わい楽しむ場合に効果的です。
個人で楽しむ「絵巻」や「絵本」向きと言えるでしょう。
しかし、遠くから見ると、焦点がはっきりしない。
パッと見には、何が描かれているかがわかりにくい。
遠目がききにくい。
その反対の一点拡大型の絵のように、中心となるモチーフがまず目に飛び込んでくると、
瞬間的にも、遠目にもわかりやすくなります。

「大きく、しっかり」描くのは、その中心モチーフです。
中心モチーフを、大きく、しっかり描くことが、
遠目をきかせる要素のひとつということが言えそうです。

たとえば、紙芝居のその場面で描きたい中心のモチーフが、
友だちののりこちゃんのことだとすれば、のりこちゃんを真ん中にデーンと置く。
のりこちゃんが何をしているか、大きく、しっかり描いて、
あとの自分、花、ちょうちょう、家……といった他のモチーフは小さく、
あるいはまったく省いてもいいわけです。
モチーフすべてを等しい大きさで均等に配置するとしたら、
描きたい中心であるのりこちゃんがかすんでしまいます。
遠目では、のりこちゃんの存在がわかりにくくなる。

中心モチーフというのは、その場面の画面で、
いちばん伝えたいものということですね。

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絵巻の多くは、たいていロングショットで、場面の全景が描かれます。
いわばパノラマともいえるようなワイドな画面で描かれることもあります。
たとえば、合戦絵巻などに多いのですが、
広く景色を見わたせる眺望の中に、馬に乗った武者やら、槍を持った兵士やら、
旗を背負った兵士やらがいろいろ細々と描かれている。
絵巻をスクロールして展開することで、そのひとつひとつをたどっていくわけです。

絵本の「とこちゃんはどこ」(2)、「 ウォーリーをさがせ」シリーズ(3)なども、
パノラマのようですね。
「ウォーリーをさがせ」のいちばんの楽しみは、もちろん、
パノラマのような見開きの絵の中にウォーリーの姿を探して発見することです。
が、そればかりではありません。

たとえば、海中のようすを描いた次のような場面──。

「あっ。魚の矢印にお尻を突かれている」

「上半身が魚で、下半身が人間の人魚がいるぞ」

「小さな魚たちが集まって大きな魚になって泳いでいるよ。絵本の『スイミー』(4)みたい」

などなど、荒唐無稽ないろいろの姿や不思議な光景をパノラマの中に見つけることも
大きな楽しみのひとつです。

▼絵本「新ウォーリーのふしぎなたび」(3)を模写(部分)。
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さらには、たとえば、本物ののこぎりを付けたノコギリザメがいたり、
アシカやアザラシのことを英語で「シー・ライオン(sea lion)」といいますが、
本当に文字通りのライオンがいたりと、
ひとつの画面の中に、10や20のおもしろい発見がある。
子どもたちは自分の人差し指で、そのひとつひとつを指差していきながら、
絵本を楽しんでいたりします。
また、友だち同士でわいわい指差し合いながら読むというのも、
楽しみのひとつでしょう。

昔のマンガでも、こうしたパノラマのような場面が使われることがありました。
たとえば、初期の手塚治虫作品「メトロポリス」(5)には、
2ページ見開きで、大都会メトロポリスの混乱ぶりが描かれる場面があります。
(※こうした群衆を描く場面を「モブ・シーン」というそうです。
手塚治虫は特にモブ・シーンを好んで描いたようです。)


▼マンガ「メトロポリス」(5)を模写(部分)。
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凶悪な犯罪者で、変装の名人のレッド公爵が街に潜入したというニュースが流れる。
彼は、巨大な鼻の持ち主ということで、大きな鼻をもった人々が疑われます。
そこで、鼻の低くなる薬を求めて薬屋に駆け込む人、
鼻が高いためにケンカを始めるカップル、
鼻が大きいために自殺をはかって窓から飛び出す人……などなど、
マンガチックな場面を、読者はパノラマの景色の中にたどっていきます。

しかし今は、こうしたパノラマのような手法をマンガに使うことは少ないでしょう。
スムーズにスピーディに読みやすくするため、
コマ一つの中に、伝えたい絵の情報を三つ四つ以上と盛り込むことは
基本的には少ないのではないかと思われます。
大きなコマでも、小さなコマでも、
コマ一つに、伝えたい絵の情報は、せいぜい一つか二つ。
そうしたコマが次々に連続していって物語が展開するわけです。

それに対して、立ち止まって、じっくり、ゆっくりながめることのできる
絵巻、絵本、昔のマンガの一部などでは、
一つの絵の中に伝えたい情報がたくさん盛り込まれていたりする。
むしろ、それが楽しみなんですね。
こうしたパノラマの中に事物を並列的に配する絵は、つまり“等価分散型”です。
いろいろなモチーフが、同じように並べられている。
その中では中心となるモチーフが見えにくい。
主人公は見つけにくい。
「ウォーリーを探せ」や「とこちゃんはどこ」は、
その見つけにくさを逆に利用した絵本ということができます。

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絵図や絵巻を見せながら、物語を語る「絵解き」というメディアがあります。
「絵解き」では、昔は「楚(しもと)」という笞を使ったり、
「おはねざし」と呼ばれるようなキジの尾羽のついた棒などを使い、
絵を指して物語を語り聞かせます。

たとえば、その昔、熊野比丘尼は、
「地獄六道図」などの絵図を持ち歩いて「絵解き」をしました。
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これは、生まれ変わったり死に変わったりしたときに魂が行くとされる、
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天という、仏教が説く六つの世界をパノラマのように描いたもの。
この中でたとえば「地獄」について物語り、
「地獄に行ったらば、恐ろしい鬼がおって……」
などと語っているとき、
観衆の目がうろうろと「天」の美しい蓮の池あたりに向いていたら困るわけです。
だから、「地獄」の世界を語るときには「地獄」の絵を、
「修羅」の世界を語るときには「修羅」の絵を、おはねざしでひとつひとつ指差していく。

絵本やマンガなどでは、パノラマのような“等価分散型”の絵のどこを見るかは、
読者の自由にまかせられています。
絵図も、どこをどう見てもかまわないのですが、
これを語るという場合、語り手は、伝えようとする絵に観衆の目を向けさせなければなりません。
今何を物語っているか、観衆にどこに注目してもらいたいか、
語り手は、ひとつひとつを指差し、視線を誘導する必要があるわけです。
そのために、笞やおはねざしが必要なんですね。

紙芝居でも、パノラマのような絵は可能です。
可能ですが、しかし、遠目をきかせようとする場合には難しい。
紙芝居では、視線を誘導する笞やおはねざしを使いません。
その代わり、ちょうど現在のマンガの一コマと同じように、
一つの場面の画面には、伝えようとする絵の情報は一つか二つ。
それが抜かれ、次の場面があらわれる。
そうして次々に連続していって、物語が展開します。

たとえば、もしも、六道輪廻の物語を紙芝居にするとしたら、
一場面の中に六道の世界すべてをパノラマ式に描いて
ひとつひとつを指差しながら長々と物語ることはしないでしょう。
一場面あるいは数場面を地獄の世界、次の場面で餓鬼の世界、次に畜生の世界……と、
六道の中の光景を、ひとつひとつ場面場面に割り振ったりしながら、
何場面にもわたって展開させることになると思います。

この一場面の中で伝えようとする、一つか二つの絵の情報。
これを「大きく、しっかり」と強調することが、遠目をきかせることになります。

たとえば、その場面で描きたいのが、主人公の気持ちだったりするとき。
主人公の顔を大写しのアップにして、
その気持ちを伝える表情を大きくしっかり描くといいかもしれません。
またたとえば、その場面で描きたいのが、物語のキーポイントとなる小道具だったりするとき。
小道具だけをアップにし、中心モチーフとして、大きくしっかり描くのも方法の一つであるでしょう。
主人公の行動を伝える姿。
気持ちを伝える物。
状況を伝える風景……。
いちばん伝えたいそうした中心モチーフを、「大きく、しっかり」描くことが、
遠目をきかせつつ、物語を劇的に展開させていく紙芝居の絵に求められるのではないかと思います。

が、しかし、ただ単に大きく描けばいいというものでもありませんよね。
面積として大きく描かなくても、中心モチーフを大きくアピールすることができます。
そんな他の要素について、次に考えてみます。
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《引用・参考文献》
(1)皆本二三江「だれが源氏物語絵巻を描いたのか」草思社
(2)松岡享子作、加古里子絵「とこちゃんはどこ」福音館書店
(3)マーティン・ハンドフォード作/絵、唐沢則幸訳「新ウォーリーのふしぎなたび」フレーベル館
(4)レオ・レオニ、谷川俊太郎訳「スイミーーちいさなかしこいさかなのはなし」好学社
(5)手塚治虫「メトロポリス」(手塚治虫漫画全集(44))講談社













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by kamishibaiya | 2013-02-17 19:04 | 紙芝居/絵を描く | Comments(0)

「ポレポレ」は、スワヒリ語で「のんびり、ゆっくり」という意味です。紙芝居屋のそんな日々。


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