安珍清姫の物語を旅する 03


清姫は、はたして悪女だったのか?(2)



今回、清姫の故郷といわれる和歌山県田辺市の真砂(まなご)の近所で物語を聞いたとき、
ふと別の物語を思い出したのでした。
以前、筆者が北陸を旅したとき、新潟県柏崎市のある観光施設で紹介されていた民話。
こんなはなしです。

f0223055_16123572.jpg ①「佐渡情話」:新潟県柏崎市

日本海に浮かぶ佐渡ヶ島の小木(旧・小木町、現在は佐渡市)というところに、
お弁という娘がすんでいた。
彼女は、藤吉という男を見初めて恋をする。
彼は、佐渡ヶ島の対岸にある越後の国、柏崎に住む船頭。
お弁はたらい舟に乗って、柏崎の藤吉のもとへ、毎夜、逢いにいく。

民謡の「佐渡おけさ」では、「佐渡は四十九里波の上」と謡われる。
日本海の荒波を越え、四十九里もの距離[註1]を渡るのに、
小さなたらい舟はあまりにたよりない。
けれどお弁は、真っ暗な海の上、柏崎・番神岬の常夜灯の灯りを目指して
懸命に舟をこぎ、毎夜,毎夜、逢いにいく。

しかし藤吉は、雨の日も雪の日も、時化(しけ)で海が荒れ狂う日も必ずやってくるお弁を
いつしか気味悪く思うようになる。
そして、ある夜、常夜灯の火を吹き消してしまう。
すると暗闇の中、目印を失ったたらい舟はぐるぐる迷い、ついには荒波に呑まれ、
お弁は冷たい体となって海岸に打ち上げられる。
そこは、青海川の水が日本海へと降り注ぐ滝のあるところ。
以来、その滝は「お弁が滝(お弁の滝)」といわれるようになったという(1)

この時は、自転車で旅をしていて立ち寄らなかったのですが、
お弁が滝は、JRの青海川駅のホームからも眺めることが出来るそうです。

※類話では、藤吉には妻子があった、
あるいは、男は番神堂(妙行寺)の「所化さ(=修行中の僧)」であったとも伝えられます。

また、別の類話では、男は潟町(新潟県上越市大潟区)に住んでいたといい、
佐渡から通って来る女は、潟町の雁子浜の明神さまの常夜灯の火を目指したといいます。
そしてやはり男が常夜灯を吹き消し、女は溺れ死ぬ。
しかし明神さまの崖下の海岸に流れ着いた女の亡骸を目にすると、男は自分の薄情を悔いて、海に身を投げます。
哀れに思った村人たちは、常夜灯近くの丘に「比翼塚」を建てて、二人を葬りました。
流れ着いた女を発見したとき、その長い髪が波にたゆたう様は人魚のようだったといい、
だからでしょうか、比翼塚はいつしか「人魚塚」と呼ばれるようになったそうです。

こうした伝説をもとに、二人の名を「お光」「吾作」として作られたのが、
浪曲「佐渡情話」(作・寿々木米若)です。
女性のひたむきな女ごころは、人々の心を揺るがすのでしょうか。
情熱の歌人・与謝野晶子も作品に取り上げ、これは番神岬に歌碑が建てられています。

「たらい舟 荒波もこゆ うたがはず 番神堂の灯かげ頼めば」

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さて。
改めて物語をあたってみると、同じようなはなしが、柏崎だけでなく、
実はいろいろな地方に伝わっていることがわかりました。
筆者がざっとながめてみただけでも、次のような物語が…。

②「火ともし山」:長野県諏訪湖近辺

信濃にある諏訪湖の東の岸の上諏訪に住む娘、おナミ。ある若者と人目を忍ぶ仲になる。
ところが、やがて、若者の一家は、湖の反対側、西の岸へと引っ越してしまう。
若者は、西の山で毎晩、火をともすことを約束し、おナミはその火をたよりに、
湖の周りを半周するという長い夜道を走って逢いに行く。

すると、若者へ飲ませるために彼女が持ってくる竹筒の中の酒が、湯気がたつほどのお燗になっている。
竹筒を乳房にはさんで夢中で走って来るため、その胸の熱さに酒が温まるのだった。

そうして逢瀬を重ねていくうちに、ある晩、おナミは遠回りするのがもどかしく、
冬も近づく湖に入り、一直線に泳いで逢いに行く。
その尋常ではない様子に驚いた若者は怖じ気づき、「もう来ないでくれ」と告げる。

それでもおナミはつのる恋しさをあきらめられない。
次の晩も、遠くチロチロとともる火を目指して、凍てつく湖水を泳ぐ。
けれどその火は、湖の南の小坂観音の山にともされたものだった。
若者は、火をともさなかったのだ。

方向のまったく違う南へ泳いだおナミは、諏訪湖のいちばん深いところへと入り込み、
ついには溺れ死んでしまう。
その後まもなく、若者は熱病にかかって死んだという(2)

※類話によると、冷たい湖水に入ったおナミは、火のように真っ赤に燃えて泳ぎ、
西の岸にいる若者からは、火の玉が湖を渡っているように見えたといいます。

③「つつじの乙女」:長野県上田市

信濃国、小県郡(ちいさがたぐん)山口村(現・上田市)に住む娘。
ある年の祭りの日、松代(現・長野市松代町)からやってきた若者と知り合い、恋に落ちる。
が、祭りが終わった次の日、若者は松代へと帰っていく。

恋しさつのる娘は、ある夜更け、家族が寝静まってから家を抜け出し、
太郎山、大峰、五里が峰、鏡台山、妻女山…と、けわしい五つの山々を越えて、若者に逢いに行く。
そうして娘は、毎夜通うようになる。

彼女は、若者に食べさせるため、両の手にひとつづつ、ホカホカに温かい餅をいつも携えていた。
家を出るとき、餅米を一握りづつ握りしめる。
昼でさえ歩きにくい山道を夢中で歩くうち、拳にギュッ、ギュッと力が入り、
汗に濡れた餅米がつきたての餅に変わるのだった。

雨が降ろうが、嵐になろうが、びしょ濡れになって悪路を通ってくる娘の様子に、
若者は「魔性のものなのではないか」と疑いを抱くようになる。
そしてある晩、若者は、
太郎山から大峰山へと至る山の稜線にある“刀の刃”と呼ばれる細く切り立った尾根道で待ち伏せ、
息せき切ってやって来た娘を崖の上から突き落とし、殺してしまう。

それからというもの、このあたりの山には、
娘の血に染まったような、真っ赤なつつじの花が咲くのだという(3)

※「信濃の伝説」(3)で、この伝説を“再話”として執筆した松谷みよ子さんは、
同じ話を「つつじのむすめ」(4)という絵本に書かれています。

④「比良八荒」:滋賀県琵琶湖近辺

近江国、大津(現・大津市)の旅籠(はたご)で女中として働く娘。
ある日、旅籠に宿泊した八荒坊という修行僧に一目惚れする。
その夜、部屋に忍んで行くが、修行中の身だからと拒絶される。
なおも迫る娘に、八荒坊は苦しまぎれに、修行している比良の竜神堂の灯明に火をともしておくので、
そこへ百夜通ってくれば、願いを受け入れると約束する。

実家に帰された娘は、
実家の鏡山(蒲生郡竜王町)から、湖の東岸の今浜(守山市今浜町)へとたらいを運び、
そこから対岸の竜神堂の火をたよりに、たらいに乗って一心に漕ぎだす。
まさか湖を渡って来ると思っていなかった八荒坊は驚くが、
しかし、百夜も通って来れるわけがないとたかをくくっていた。

ところが、次の夜も、その次の夜も娘はやって来る。
そうしてとうとう九十九夜を通いつめ、百夜目を迎えようとした晩、おそれをなした八荒坊は、
灯明の火を吹き消してしまう。
目標を見失った小さなたらいは、真っ暗闇の中、しゃにむに迷い続け、
折から吹いて来た突風の荒れた波に呑み込まれ、湖水に沈む。

この地方では毎年、3月下旬のころになると、
比良の山々から琵琶湖へ吹きおりる突風が起こることがある。
この現象の起こる頃は、ちょうど延暦寺の「法華八講」という法要の時期と重なるため、
「比良の八荒」と呼ばれる。
比良の八荒で湖が荒れるのは、娘の恨みの一念がそうさせるのだと人々は噂したという(5)

※類話では、娘の名は「お満」といい、「八荒」という力士に恋して、湖を渡り、
百夜を通ったことになっています。
お満がたらいに乗って出発した守山市今浜町には、彼女の霊を慰めるための「お満灯籠」が建てられています。
また、白髭明神の常夜灯をたよりに湖を渡ったという話や、
娘の名は「お光」といい、堅田(大津市本堅田)の満月寺の浮御堂に火をともしたなど、
琵琶湖周辺に、さまざまな類話が語られています。

⑤「お初伝説」:静岡県熱海市初島

伊豆沖の初島に住む娘。仕事で初島へと渡って来た伊豆山の若い番匠(大工の職人)を見初める。
が、娘に迫られた番匠は困って、
伊豆山まで百夜通って来たら受け入れてもよいと言って、帰ってしまう。
すると、娘は、便船もないというのに初島からやって来る。
三里(約10キロ)も離れた海を、泳いでくるのだろう、
伊豆山の山腹にある湯野権現の燈明の火をめざして来るらしい。

次の晩もその次の晩も、六十夜、七十夜……と通って来る娘に番匠は怖れを抱き、
とうとう百夜目の晩、権現の燈明を消してしまう。
折しも、その夜は大嵐。海は荒れ狂う。

翌朝、初島の娘が海岸に打ち上げられて死んでいた。
その体には鱗がはえていて、恐ろしい蛇体の姿であったという(6)

※類話では、娘の名は「お初」といい、
初島港の近くに、彼女を偲んだ「お初の松」という立派な木があります。
若者は「右近」といったり、「与七」という大工であったとも伝えられます。
そしてお初が海を渡ったのは、たらい舟を利用したともいわれます。
また、燈明の火を消したのは、横恋慕した別の若者の仕業だったとか、
風のせいで自然に消えてしまったというはなしもあります[註2]


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これらは「昔々あるところに」と語られるような「昔話」とは違います。
場所も人物も、具体的。
たとえば「お弁」「お満」などと名前が語られ、「諏訪湖」「初島」などと地名が語られる。
固有名詞がはっきりと明らかで、その土地と結びついている、いわば「伝説」です。
にも関わらず、一連のはなしには、共通するものがあります。

「百夜通う」「目印の火」「たらい」など、
いくつかのはなしには、まるでそっくりなモチーフも見られますね。

たとえば、こう考えることも出来るでしょうか。
各地の物語に共通する点が見られるのは、
物語が別々の土地に運ばれて伝わったと考える方が自然ではないかと。

物語は、旅をする行商人や職人、馬方や芸人らによって運ばれ、
あるいは女性が他の村へ嫁ぐことなどによって運ばれ、他の土地へと伝播します。
「伝説」であるこれらの物語も、運ばれて伝わるうちに、
物語の舞台となる湖や海、山などがそれぞれの土地に置き換えられていき、
さらにはその土地独特の気候や風土も盛り込まれ、
それぞれ「おらが村」の伝説としてリニューアルされ、各々根をおろしていった──
と考えられなくもありません。

しかし、一方、ユングが世界各地の「神話」や「昔話」に
人間の誰もが無意識的に共有するイメージを見いだしたように、
これらの「伝説」には、何か共通する心性がはたらいているようにも思えます。

ストーリーの大きな骨格はどれも似ています。
ヒロインは恋をする女性。
彼女たちは、「草食男子」に対するいわゆる「肉食女子」とでも言いましょうか、
男性に言い寄る、追いかける、あるいは男性のもとへ通い続けるなど、
女性の側から積極的なアプローチを行います。

恋のチカラは、圧倒的です。
彼女たちはそのひたむきさによって奇跡的なパワーを発揮し、
長い夜道を走り抜け、険阻な山々を乗り越え、泳いで、あるいは小さなたらいひとつで、
凍えそうな湖を渡り、荒れ狂う海を渡ります。
その能力は時として、人間を超える。

恋するヒロインの情熱、情念が、
燃えさかる火という象徴的なモチーフで描かれる点も、いくつかのはなしに共通します。
その熱が、酒を温めて熱燗にしたり、米粒をほかほかの餅に変えたりする。
血に染まったようなつつじの真っ赤な色は、燃えさかる炎の色でもあるでしょう。
②「火ともし山」の類話では、ヒロインは火の玉のように燃えていたといいます。
時にはその炎が凶器となる。
若者の死ぬ原因が「熱病」であることも暗示的です。
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ところで、数十年前の昭和の時代に、こんなエピソードがあります。
松谷みよ子さんが、奄美大島を訪れた際に、土地の方から聞いた話として
記している物語です(7)

──第二次世界大戦の末期。
奄美大島・加計呂麻島の入江に、海軍の魚雷艇部隊が駐留します。
“魚雷艇”といっても、当時のそれはベニア板で作られた一人乗りの貧弱なボート。
そこに火薬を積み込んで敵艦に体当たりするという、それはまるっきり自殺行為に等しい。
その部隊はつまり特攻隊でした。
隊員はみな若く、その約180名を束ねる隊長もまだ20代の学生あがりでした。
その青年隊長に、ミホという島の娘が恋をする。

彼女は、夜、ジャングルのように生い茂った木々の中、
枝やいばらに肌を裂かれて血まみれになりながらも、
暗闇の中、ときには岩場から海に落ちては必死に泳ぎ着きながらも、
彼のいる浜辺へ逢いに行ったのだそうです。

そうして1年半が過ぎた1945年。
戦局の激化につれて、奄美群島への爆撃も日を追って激しさを増す。
そしてついには、魚雷艇部隊にも出撃命令が下されます。
隊長を含む51名が死地へと向かおうと、覚悟を期して待機していたその夜。
ミホさんは海に突き出た岩の端で、喪服に着替えて短剣を胸に抱え、
時がきたならのどを突いて海へ身を投げるため、じっと待っていました。

ところが、翌日になっても出航の命令は届かず。
その翌日になっても、とうとう船は出撃することはありませんでした。
8月15日のその日、日本は敗戦を迎えたからです。

この部隊長である青年が、作家・島尾敏雄氏の若き日の姿。
そしてミホさんは、後の島尾敏雄夫人でした。

このエピソードは、敏雄氏自身がおそらくはフィクションを加味して
「島の果て」(8)「出発は遂に訪れず」(9)という短編小説に記しています。
また、ミホさん自身も、エッセイ「海辺の生と死」(10)の中に綴っています。
が、そうした作品とはまったく別に、
島の人々がうわさ話的な物語として口から口へ語り伝えていたのです。
松谷みよ子さんはそこに、
現実にあったはなしが、口から口へと伝わり、伝説化していく過程を見ています。
そして、血まみれになりながらも浜辺に通ったミホさんの姿に、
③「つつじの乙女」のヒロインのひたむきな姿を重ねています(7)

ひとつの物語が各地へと運ばれ、語られていくうちに換骨奪胎を施され、
まるでその土地に以前から伝えられて来たかのような伝説となることがあるかもしれません。
または、他の地から伝わった物語のモチーフやストーリーが
部分的に取り入れられたりするような影響があったりするかもしれません。

が、たとえそうであったとしても、その核のところには、
実際にその土地土地で暮らし、自分の人生を生きた人々のこうした姿があるのではないか。
20世紀という時代に奄美大島のミホさんという女性の姿が語り伝えられたように、
佐渡島のお弁、諏訪湖のおナミ、琵琶湖のお満、伊豆初島のお初……、
あるいは名前も定かでない女性たちのひたむきな姿の記憶が、もしくはイメージの面影が、
語り伝える人々の胸の中にいきいきと生きていたのではないかと思われます。

紀伊の国の清姫も、そんなひとりだったのではないでしょうか。

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いえ、これらの伝説群と安珍清姫の物語を同じカテゴリーでくくることは出来ないでしょう。
けれど、ヒロインと男性の関係性や立ち位置、心理に焦点をあてると、
特に和歌山県の地方に伝承される清姫の物語とは、かなり類似していることがわかります。
筆者が清姫の物語を聞いたとき、柏崎市の物語をふと連想したのは、
単なる偶然ではないように思われてきます。

激しい恋の炎に命を燃やすヒロインたちはけなげです。
恋するヒロインのけなげな行動を、
しかしながら男性側は歓迎し、その情熱にほだされるというわけではありません。
むしろ不気味さを感じ、畏怖します。
女性のそのひたむきさに、たじろがざるを得ない。

そんなたじろぐ気持ちが、ヒロインを、人間を超えた存在として描くことにもなります。
真っ暗な夜、海を越え、湖を越え、険しい山を越え、やって来る。
もうそれだけで、人間の能力を超えていますが、
凍てつく湖に飛び込み、暴風雨を越えてやって来るとなると、
これはもう人間離れしています。
男性たちは「魔性のもの」ではないかとおののくことになります。

男性たちは、
女性の想いをいったんは受け入れながら(もしくは受け入れるフリをしておきながら)、
最後に絶望の淵へと突き落とす。
そんな彼らの行動は、女性側から見れば裏切りであり、卑劣です。
が、男性の裏切りのかげには、こうした怖れおののく気持ちが見え隠れしています。

さらにはその誇張した延長線上に、ヒロインのモンスター化、
──清姫は、実は大蛇であったとするような物語を生んだのではないでしょうか。

百晩、一回も休まずに通い続けるというような「真摯さ」は、
「執念深さ」へと変わり、「蛇」という生き物のイメージに重なります。
浜に流れ着いたヒロインの死体は蛇体だった(⑤お初伝説)というのは、
あるいは伊豆周辺の龍の伝説とのつながりがあったとしても、
人間を超えたヒロインが「魔性のもの」へ、そしてモンスターへと発展する
その途中のかたちであるようにも思えます。

ヒロインの情念が炎の熱となり、酒を温め、米を餅に変える。
大蛇と化した清姫が吐き出すのは、やはり炎でなければならなかったでしょう。
その炎によって安珍をとり殺す。
それは、若者が「熱病」となって死ぬ(②火ともし山)という暗喩めいたエピソードの
誇張されたかたちとも言えます。

ちなみに、
実際の事件がモデルとはいえ、「創作」の要素が強く、比べることは出来ませんが、
江戸の人々のあいだに評判を呼んだ「八百屋お七」の物語も、
これら悲劇的なヒロインの系譜を継いでいるといっていいでしょう。

彼女もまた、積極的な恋愛アプローチをする少女として描かれます。
江戸の大火事で焼け出された本郷の八百屋の一家。
避難生活を送るお寺の吉祥寺で、一家の娘お七は、お寺の小姓吉三郎に恋をする。
幼いながらも、吉三郎の部屋にしのぶお七。
が、親に見つかりとがめられ、やがて八百屋の建て直しも完成して一家は本郷へと戻り、
離ればなれになる二人。
逢いたさ、恋しさがつのるばかりのお七は、
自宅に火をつければ彼に再び会えると思いつめ、とうとう自宅に火をつける。
さいわい火は消し止められたものの、お七は放火の罪で捕まり、
鈴が森刑場で火あぶりとなります(11)

この物語でもやはり、「炎」がキーワードとなっているようです。

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さてしかし、この日本という国では、
女性の積極的な恋愛アプローチには、どうやら悲劇性が伴うらしいのです。

「古事記」の冒頭で、女性のイザナミは、男性のイザナギに
「ああ。なんてステキな男なの!(阿那邇夜志愛袁登古袁:あなにやしえをとこを)」
と声をかける。
ところが、男性より先に女性から声をかけるのはよくないということで、
そのときに生まれた子ども、ヒルコは立つこともできず、失敗作とされ、
葦舟に入れられて流されます。
そこで今度は、先に男性・イザナギの方から声をかけることで、
二柱の神さまは日本の島々を次々と生み、国造りに成功します。
女性から先に、積極的に恋をコクってはいけない。

もっとも万葉の時代には、女性たちはごく素直に「I Love You」が言えたようです。
そんな女性たちのおおらかで素朴で情熱的な相聞歌(=恋愛の歌)が、「万葉集」を彩っている。
そして平安朝の王朝時代になると、恋愛の機微を繊細に詠んだ歌や、
「源氏物語」をはじめとする恋愛模様を描いた物語作品など、恋愛をテーマとする女流文学が花開きます。

ところが封建制社会になると、女性が「I Love You」を言えない時代が
700年近くもの長きにわたって続きました。

個人と個人が自由に恋愛をし、結婚をするという考え方は、近代になってから。
明治の時代になって、恋ごころをたからかに詠う女流歌人・与謝野晶子らが登場します。
この時代の与謝野晶子が、
佐渡島のお弁の一途さにシンパシーを感じていたというのは興味深いところです。
それでもしかし、当時、自由恋愛をする“進歩的”女性はまだ少数派で、
多くの女性は家に縛られ、親が決めた見合い結婚が主流だったようです。

が、明治の世から約100年。現代の恋愛事情は変わりました。
自由恋愛は一般化され、当たり前。
小説や映画やドラマ、歌、マンガなどなどメディアを見回してみても、恋愛にあふれ、
愛は正義で、愛は勝つというテーマにあふれている。
いわば、恋愛至上主義といえるでしょうか。
(もっとも一時は飽きられたのか、若年層の「恋愛離れ」という傾向が
指摘されたりしたこともありましたが。)
そんな現代の見方からすれば、昔の伝説群のヒロインたちの一途な恋は、
礼賛されこそすれ、非難されるものではないでしょう。

しかし、①「佐渡情話」をはじめとするこれら伝説群の時代背景と思われる封建制社会にあっては、
自由恋愛は基本的に認められませんでした。
結婚は、家と家との結びつきが第一で、だから親が決めるもの。
親の意向から離れて、きちんと仲人を立てない結びつきは
「野合(やごう)」と呼ばれて非難されました。

胸がキュンとなって恋に落ちる。
それは、異性を恋い慕うという、生命の根源から発せられるごく自然な感情です。
女性たちのその情念、その想いは、しかし当時は抑圧しなくてはいけなかった。
そんな中で、自分の情熱に対して素直に正直に行動したお弁やおナミ、お初たちの結末は、
だから悲劇的にならざるを得なかったのかもしれません。

清姫の物語は、封建制社会になる以前の平安時代に生まれたものです。
が、そうであったとしても、抑圧された女性たちの悲劇性の要素は、
清姫の物語にも共通するものではないでしょうか。
そこに、清姫のせつない哀しみの側面も見えてくる。
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①「佐渡情話」の類話では、男性は「所化さ」と呼ばれる修行中の僧でした。
③「比良八荒」では、男性は「八荒坊」という名の修行中の僧でした。
安珍もまた、熊野詣の修行中の僧でしたね。
彼らがヒロインを拒否する理由は、修行の妨げになるという宗教的なものでもありました。
しかし、そうした理由を掲げる感情の底には、
やはり女性を畏怖するという無意識的な心理が横たわっているように見えます。

これはあくまでも想像なのですが、
もともと、紀伊の国に根をおろし、人々のあいだで語り伝えられていたのは、
今も和歌山県周辺に伝わる民話のような物語だったのではないでしょうか。
つまり、①から⑤のように各地に伝わる一連の伝説のような、
恋するヒロインの悲劇を描いた物語。

その原話を、お坊さんである鎮源さんが仏教の教訓話として「法華験記」に書き留めたとき、
仏教のありがたさを説くための効果として、
あるいは、煩悩を諸悪の根源とする仏教的倫理観をより強調するあまり、
ヒロインを、情欲に目のくらんだ未亡人、つまり「悪女」に設定したのではないか──。
そんな想像も成り立つように思います。

いえ、しかし、鎮源さんが「法華験記」としてテキスト化したのは、11世紀の平安時代。
それが「今昔物語集」などにも伝わり、何百年という長い間、
書物によって伝わる、つまり「書承」というかたちで広く伝播しました。
それを読んだ読者が、今度は語り手となり、口から口へと伝えていく。
当時、大多数だった文字の読めない人々の間にも拡散したことでしょう。
和歌山県周辺に伝わる民話の「安珍清姫」物語群は、むしろ、
こうした「書承」から「口承」というルートを経た結果、生まれたとも考えられます。

が、もしもそうだったとしたら、その後、
「書承」だった物語は「口承」のあいだに変わっていったということになります。

応永年間(14世紀末~15世紀)頃に作られたといわれる「道成寺縁起」絵巻は、
おおかたが「書承」──つまりテキストの「法華験記」に拠っています。
ヒロインは未亡人ではなく主婦となっていますが、
情欲のために男性を誘惑する「悪女」というキャラクターはほとんど変わっていません。
ですが、ストーリー展開などには、謡曲「道成寺」の前身である「鐘巻」にも見られるような、
「法華験記」とは違う別の要素が入り込んでいるといわれます(12)
そこにはおそらく「口承」の影響もあるのではないかと筆者は思います。

その後18世紀には、名前のなかったヒロインに「清姫」という名前が付けられます。
そうして浄瑠璃や歌舞伎など、さまざまなジャンルの作品にも登場していきますが、
その横顔には、男性をたぶらかす淫婦の面影というよりは、
むしろ、“恋するヒロイン”のイメージが濃厚にいきづいています。
つまり、和歌山県周辺に伝わる民話群が語っているような女性像。

これらの物語や民話が、「書承」→「口承」の末に生まれたものだとしても、
その「口承」のあいだに宗教色が薄れ、ヒロインのキャラクターが変化し、
淫猥な年増の「悪女」というイメージが払拭されていったようです。

つまり、もともとの「口承」通りにせよ、
あるいは「書承」の後に発展した「口承」であったにせよ、
口から口へ、多くの人々を通過して語られて伝わるそのあいだに、
ヒロインは、“恋する乙女”となっていった。
それは多くの人々が心のうちに抱いていたヒロイン像だったのではないでしょうか。

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ところで、「佐渡情話」の伝説をあれこれ調べて、
奄美大島のミホさんのエピソードと出くわしたとき、筆者は驚きました。

これまで作家・島尾敏雄氏の名前くらいは耳にしていて、
代表作「死の棘」(13)の文庫本を買ってページを開いたことがあります。
しかし、読み進めてはみたものの、
えんえんと陰鬱に、くどくどと繰り返される夫婦げんか。
そんな親たちの“大人の事情”に翻弄される幼い子どもたちの悲惨。
そのせつなさ、救われなさに、途中で読むのがいやになり、
長らく書棚の肥やしにしていました。
ところが今回、びっくり。
「死の棘」のヒロインと、奄美大島のミホさんが同一人物であるとは、
まさか思ってもみなかったのです。

1945年。奄美大島の加計呂麻島で終戦を迎えた島尾敏雄氏は、辛くも死への特攻を逃れる。
同じく死を覚悟していたミホさんもまた救われ、愛し合う二人は結ばれます。
翌1946年。結婚。
昔話であるならば、
「それから二人はいつまでも仲良く暮らしましたとさ」
というハッピー・エンディングを迎えるところです。

が、現実は違いました。
それからおおよそ10年後。
当時、講師などの職を得ながらも作家としての道を歩んでいた敏雄氏は、
一男一女を得て、一家4人、東京都小岩でおだやかに暮らしていました。
そんな1954年、秋。
氏の日記を妻のミホさんが読み、数年前から続いていた夫の不倫を知る。
そして彼女が彼を問いつめるところから、作家が自身を描くこの私小説は始まります。
それは、出口の方向さえわからない無間地獄の日々の始まりでした。

夫は、自分の過ちを認め、平身低頭、謝る。
妻は、夫の行状を責め、これまでの日々を疑い、夫の愛を疑う。
夫は、それでも謝り、ひたすら謝る。
妻は、それでも重箱の隅をつつく執拗さで、夫の不実を暴きたてようとする。
夫は、もうこのようなことは決してしないと誓い、さらに重ねて誓わされる。
妻は、夫の謝罪と誓言を“頭”では理解するが、“心”では受け容れられない。
そして妻は、もう一度始めから夫の不実を突っつきはじめ、夫を責め苛む。
──小説は、このようなパターンをひたすら繰り返します。

やがて妻の理性の箍(たが)がギシギシと歪み、壊れはじめていきます。

夫が、ほんの1、2時間ほど一人で外出するのさえ、
女のもとへ行ったのではないかと疑いだす。
その取り調べは、ヒステリーの発作のようになっていく。

そのため、夫は、片時でも妻を一人にすることが出来ず、
学校の講師の仕事へ行くにも、妻と子を連れ歩くようになる。
原稿執筆の打ち合わせや売り込みの際にも、
疑惑を抱かれぬよう、細心の注意を払わなければならなくなる。
それは仕事の大きな支障となって、夫はだんだん収入の道を断たれるようになります。

妻のヒステリーのような取り調べが始まると、家事にも支障をきたします。
それまで、元気で明るい主婦であり、母親だった妻の仕事がピタリと滞ってしまう。
家族が食事をすることさえ、ままならなくなる。
そんな母親の影響をいちばん受けるのは、幼い子どもたちです。
母親の変化に脅え、神経をとがらせ、荒れていく。

危機をもたらしたのは、その原因が夫の浮気にあるとはいえ、
こうした家庭の現状を見れば、妻にも責められるべき一端があると言っていいでしょう。
罪科(つみとが)があるか否かは別として、また、「法華験記」が断じていたのとは違う意味で、
彼女は「悪(あ)しき女」──「悪女」と呼ばれてもしかたがないかもしれません。
少なくとも「良き女」──「良妻賢母」であるとは言えないでしょう。

ただ、ここで忘れてならないのは、
南の島で男性への純愛に命をかけた女性と、
東京の片隅で男性を執拗に追いつめた女性は、別人格ではないということです。
彼女は二重人格者でもありません。
それとも、おおよそ10年のあいだに彼女が変わったというのでしょうか?

おおらかな島で育ったミホさんは、結婚後、神戸、東京と移り住んでからは、
都市という慣れない環境の中で苦労されたようです。
敏雄氏の父親である気難しい義父と同居したり、
収入の不安定な中で家計をやりくりし、子育てに追われるといった経験は、
もしかしたらミホさんを変えたかもしれません。

が、本質的には、彼女は変わっていなかった。
むしろ、何も変わっていなかったからこそ
──10年の年月を経てさえ、変わらずに夫を愛していたからこそ、
いいえ、愛し過ぎていたからこそ、
彼女は悪女にならざるを得なかったのではないでしょうか。

青春時代と呼ばれるような一時期には、後先考えずに夢中で突っ走ってしたことも、
それから10年も経ってみれば、夢からさめたようにいろいろな現実が見えてくる。
いつのまにか子育てや生活や雑多な日常に追いかけられて流されて、
当時の無茶な情熱が、遠い日の花火のように思え、ほろ苦さとともに懐かしむ……。
──なんていうことはよくありがちです。

夢見る頃は、理想の恋人像を相手にあてはめ、押しつけ、
「アバタもエクボ」で夢中になったとしても、
実際に生活を共にすれば、相手の「アバタ」も「アラ」もはっきり見えてくるものです。
たとえ相思相愛で結ばれた二人であっても、心変わりというのがあって、
あるいは、いわゆる倦怠期というのがあったりするものです。
もしも彼女がそんなふうに変わっていたとしたら……。
そして今は夫も視野の外で、その存在さえかすんでいたとしたら……。
たとえ夫が浮気をしたとしても、謝って反省するのであれば、
世間体や人生設計に鑑(かんが)みて、適当に折り合いをつけて許し、
前向きに現実と向き合って、良妻賢母といわれたりしたかもしれません。

ところが、彼女は許せなかった。
頭では許したとしても、彼女の心とからだが許さなかった。
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詩人マックス・ジャコブの作品に、「地平線」という二行の短い詩があります。

「彼女の白い腕が
私の地平線のすべてでした。」(14)

恋愛の最中なんていうときには、
恋人の存在がこの世界のすべてであると感じるようなことがあるもんですよね。
恋人の腕が、この世界の地平線となる。
地平線より外の世界は目に入らなかったりする。

佐渡島のお弁にとっては、恋人の腕は地平線であり、水平線であり、
そしてその存在は、暗闇を照らす道しるべとなる灯りそのものであったでしょう。
だから彼女は疑わず、灯りをたのんで小さなたらい舟ひとつで荒れ狂う海にも入っていけた。

が、しかし、その灯りが吹き消されたとしたら、どうなるか?
──彼女の世界は、上も下もわからぬ漆黒の闇にのみ込まれます。
それは、ただ恋人の裏切りなのですが、それにとどまらず、
彼女が拠って立つ世界そのものの崩壊を意味します。
彼女が2本の足で立っているその足もとの大地がガラガラと崩れ落ちてしまう。

ミホさんもまた、そんなふうだったのではないでしょうか。
彼女は「死の棘」の作中でこう語ります。

「あたしは十年のあいだ、とにかく純粋にあなたを愛してきたという自信があって、それに支えられてきょうまでやってきたのに、このごろなんだかだんだんあなたが、しんから嫌いになってきそうなのがおそろしいわ。そうなったらあたしの人生はおしまいです。」(13)

彼女が、不毛ともいえる夫への尋問をくりかえすのは、
亀裂が走り、今にも崩れそうにグラグラ揺れる大地の上で、
なんとか生きていく足場を取り戻したい、なんとか安心を取り戻したいという
必死のもがきだったのではないでしょうか。
その安心は、夫の言い訳めいた誓いの言葉では取り戻せない。
どうしたら取り戻せるのか、夫にも、そして彼女自身にもわからない。

彼女にとって夫の裏切りは、世界の終わりであり、生命存在の危機でした。
そうしたレベルの不安から発せられた衝動は、自分でコントロール出来るものではないでしょう。
夫を追いつめることは、ただ傷つけ、苦しませるだけだと頭ではわかっていたとしても、
自分で自分をコントロール出来ない。

今回、改めてこの小説「死の棘」を最初から読んでみると、
前回途中まで読んだときとは違う印象が浮かび上がってきました。
そして読み進めていくうち、筆者の耳には、
安珍を追いつめる清姫のこころの内なる声が、
ミホさんの言葉に重なって聞こえてくるような気がしたのです。

「あの晩からあたしはこんなになってしまったが、自分にも何がなんだか理解できない。あなたをいじめてかわいそうでも、どうにもおさえることができない。あたしだって苦しいのです。もういちど、前のあたしになりたいけれど、どうしてももとにもどることはできない。」(13)

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やがてミホさんは、精神を病んでいき、
発作のような夫への尋問は、歯止めのない発作そのものへと変わっていきます。
そんな妻の変化──変身ぶりを、夫である敏雄氏は作中でこう綴ります。

「……不安のなかで妻を見守っていると、そのゆるやかな変身がこころの奥だけでなく皮膚の上にもあらわれてきて、凝視するたびに細胞がはじけ、内に隠されていた異相が表面に出てきそうだ。妻は私ときもちのかよわぬところに行ってしまうらしく、私をへだてるため皮膚にかたい甲羅をかぶり、私の目の前で見たこともないひとの表情を装いだす。」(13)

これはまるで清姫が大蛇へと変身していく描写そのもののようです。
清姫の皮膚に浮かび上がったのは「甲羅」ではなく「鱗(うろこ)」でしたが。

そんな妻を前に、「私(=敏雄氏)」は突然、嫌悪感に襲われます。
それまで修復しようと妻につくしてきた努力も放り出し、
「どうなってもかまわない捨て鉢のきもち」になる。

「今はただ夫を審(さば)くためきりもなくむごくなることのほかは日常を失ったかに見えはじめた妻に、かかずらうことをつづける必要はない。というより、皮膚に湿疹がぶつぶつできるふうな嫌悪が血液にまざってからだじゅうをめぐり、ともかく妻のそばから逃げだしたい。」(13)

妻の厳しい尋問の切っ先の前に身をおいた氏は、
もしかしたら安珍がその身をもって知った恐怖を感じていたかもしれません。
追いつめられた末に、出口のない子宮のような鐘の中に閉じ込められ、
じりじりと炎に焼かれていくその恐怖。そのひりつくような痛み。
その恐怖の向こうには、
大いなる母──“グレートマザー”のイメージがちらついているようにも思われます。

しかし、安珍と決定的に違っていたのは、何度も逃げだしたいという衝動に駆られたとしても、
氏はけっしてミホさんから逃げなかったということです。
際限のない無理矢理な尋問にも応じ、酷くなっていく妻を、とにかく受けとめた。
入院し、療養する妻を看護し、そのかたわらから離れなかった。
そしてこれは「私小説」の伝統でしょうか、
「私」自身の心の裏側までひきずり出し、さらけ出そうとする。
氏は、ずるさや卑俗さも含めた自分自身を見つめ、
自らの「死の棘」(これは新約聖書によると“罪”を意味するそうです)からも目をそらしませんでした。

小説は、未完のようにぶつりと途切れて終わります。
その後どうなったのか。二人は関係を修復し、ミホさんは回復することができたのか。
──は語られず、読者は想像する他ありません。
が、後年、69歳で氏が亡くなられたそれ以降、
ミホさんはずっと喪服を着続けたというエピソードを聞くと、
「死の棘」の日々の後も、その一生を二人で歩み続けたのだろうなと思わせられます。
それは、ただ若い日の情熱に身をまかせた愛ではなく、
もしかしたら長い年月をかけて、時には傷つけ合い、時にはいたわり合いながら、
一歩ずつ一歩ずつ、二人が互いに築いた愛のかたちであったかもしれません。

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さて、あらためてこの稿のタイトルです。
清姫は、はたして悪女だったのか?

──答えは“yes”だと筆者は思います。
清姫は、悪女だった。
(といっても、「法華験記」に書かれていた「悪女」とは違う「悪女」ですが。)

そしてこうも言えるのではないでしょうか。
すべての恋する女性は清姫であり、悪女である。
もしくはその可能性をもっている。

能楽「道成寺」では、清姫は直接的には描かれません。
舞台に登場し、描かれるのは、清姫の怨霊──“精霊(スピリット)”です。
そのため、能一般に見られる特徴でもあるのですが、俗世的なものが抜け落ちて、
抽象化された本質的なものが、一種のファンタジーとして語られることになる。
ちょうど醸造酒から余計なものが省かれて蒸発し、
濃縮された香り高い蒸留酒(スピリッツ)が生み出されるかのようです。

舞台の上、精霊という姿の中に立ち現われるのは、女性の美しくも哀しい情念です。
それは、湖や海を渡り、山々を越えたお弁や、おナミ、お初、そしてミホさんら、
恋する女性たちがその胸の中に抱えていたものでした。
女性の誰しもが心の奥底に持っている。

そしてそれは、初恋を知り初めたばかりの少女も持っているもの。
数知れぬ恋愛経験を重ねて浮名を流す女性であれ、
あるいは恋愛は戯れのゲームとうそぶく女性であったとしても、
ほんとうに愛する人と出逢ったときに発露するもの。
未亡人であろうと、不倫に走る主婦であろうと、
その想いの核にある純粋な情念という部分は、変わらないのかもしれません。

だからこそ、清姫の精霊は、人々を惹き付けて離さない。

能楽、歌舞伎、文楽、長唄、地唄、義太夫となり、
さらには沖縄の組踊(ウチナー芝居)になったり、
はたまたフラメンコや室内オペラに取り上げられるなど、
今の今でも、清姫が様々な作品に登場しているのは、
彼女が、女性たちの魂(スピリット)の体現者であるからでしょう。

しかし、たとえば愛する人の裏切りにあったとき、
愛するがゆえに、絶望へと陥ることになります。
強く一途に愛するがゆえに、その絶望は重く深くならざるを得ない。
それは時として自らを滅ぼすこととなり、
あるいは時として、すなわち愛の炎が憎しみの炎へと変わり、
相手を破滅へ導くことになります。
そうなった彼女は、悪女と呼ばれても仕方がないでしょう。

能舞台で、蛇の姿に変じた清姫の精霊は、鐘の中から般若の面を着けて姿を現します。
その面は、いかにも恐ろしい邪悪な表情なのですが、
筆者はこの場面でその面を見るとき、
邪悪というより、憂いを帯びた、なんとも哀しげな表情に見えて仕方がありません。

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道成寺の伝説では、大蛇と化した清姫は、安珍を焼き殺した後、
日高川へ身を投じて命を終えます。
その大蛇の骸を埋めたとされる「清姫蛇塚(じゃづか)」が、
道成寺近くの畑に隣接したふつうの住宅地の中にひっそりと遺されていました。
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安珍が眠る道成寺境内の安珍塚からは、徒歩5、6分とはいえ、ちょっと離れています。
観光スポットでもある道成寺のにぎわいからも外れていて、
これでは清姫もさびしいのではないかと思いましたが、
このおだやかな場所で、彼女はしずかに眠っているのでしょう。

一方、清姫が生まれ育ったという旧・真砂村には、
かつて清姫が泳いだという清姫淵(たぶん)のすぐ上に、清姫の墓がありました。
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その石碑のような墓石には、「御詠歌」として、
次のような歌が刻まれています。

「煩悩の焔(ほのお)も消えて 今ここに
眠りまします 清姫の魂」

清姫の魂(スピリット)──ひたむきに恋する女性の情念、その炎(焔)は、
しかし、仏教的に見れば、愛着(愛に執着する)という煩悩に過ぎないのでしょう。
けれど、その煩悩ゆえに、つまり人間であるがゆえに、
彼女の物語は時代を超えて、21世紀を生きる私たちの心にも生き続けている。

そして悪女であるがゆえに哀しくせつなく、
そのおどろおどろしくも美しい姿は、私たちの胸を突き刺すのだと思います。








《参考・引用文献》
(1)野村純一編、浜口一夫執筆(新潟担当)「日本伝説大系・第3巻」みずうみ書房
(2)浅川欽一・大川悦生「信州の伝説」~「日本の伝説・3」角川書店
(3)“信濃の民話”編集委員会編「信濃の民話」~「日本の民話・1」未来社
(4)松谷みよ子文、丸木俊画「つつじのむすめ」あかね書房
(5)駒敏郎・中川正文「近江の伝説」~「日本の伝説・19」角川書店
(6)渡辺昭五編、加茂徳明執筆(静岡担当)「日本伝説大系・第7巻」みずうみ書房
(7)松谷みよ子「現代の民話」中公新書
(8)島尾敏雄「島の果て」~島尾敏雄「はまべのうた・ロング・ロング・アゴウ」講談社文芸文庫・所収
(9)島尾敏雄「出発は遂に訪れず」~島尾敏雄「出発は遂に訪れず」新潮文庫・所収
(10)島尾ミホ「海辺の生と死」中公文庫
(11)井原西鶴、東明雅校注「好色五人女」岩波文庫
(12)内田賢徳「『道成寺縁起』絵詞の成立」~小松茂美編「桑実寺縁起・道成寺縁起」(続日本絵巻集成13)中央公論社・所収
(13)島尾敏雄「死の棘」新潮文庫
(14)マックス・ジャコブ、堀口大學訳「地平線」~西脇順三郎・浅野晃・神保光太郎編「名訳詩集」白鳳社・所収




[註1]佐渡島から本州までの最短距離は、約32㎞。
明治時代に制定されてから以降の現代では、「1里=36町=約3.92㎞」とするので、
「49里=約192㎞」となり、まったく違うことになります。
しかし、明治以前の昔、「里」の単位は、時代や地域によって長さがバラバラでした。
が、全般的に1里はおおむね、5町から6町とされ、
もしも「1里=6町=約655m」ならば、「49里=約32㎞」ということになります。
しかしながら、「四十九(しじゅうく)里」と謡われたのには、
「島の暮らしが始終苦しい」から、あるいは「渡し舟稼業が始終苦労する」から
ともいわれているのだそうです。


[註2]初島の初木神社には、初木姫の神話が伝わっています。
その昔、日向の国から舟で東国を目指した初木姫が、遭難して初島に流れ着く。
当時は無人島だった初島を何日もさまよった末、海岸で火を焚いたところ、
応じるように海の向こうの伊豆山で火が焚かれるのを見つける。
伊豆山彦という男神が、初木姫の火の合図に答えたのでした。
そこで姫は筏を作って海を渡り、二人は伊豆山で出逢う。
「お初伝説」は、この神話がベースになっているのではないかという説もあります。

初島には、大漁を祈願する竜神宮が祀られています。
また、伊豆山の地下には、そのシッポを箱根の芦ノ湖まで届かせるほど巨大な、
赤と白の2匹の龍がすんでいるといいます。
それこそが、伊豆山神社の伊豆山大神の化したお姿で、
赤い龍と白い龍が相和して温泉が生じ、
その目や耳や鼻や口の穴から温泉が湧き出しているのだとか。
風水では、大地を走る気の流れ──地脈を「竜脈」といい、龍にたとえますが、
白い龍は水を司り、尾を芦ノ湖につなげているというと、
これは地下水脈を思い起こさせます。
すると火を司る赤い龍は、地中を走るマグマの流れのことでしょうか。
地下水脈とマグマの熱が交わるところに温泉が湧く。
打ち上げられたお初が蛇体であったというのは、
土地に伝わるこれら龍神や龍の伝説に、もしかしたら何かしら関係があるかもしれません。











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by kamishibaiya | 2017-08-02 14:04 | 絵を見せて語るメディア | Comments(0)

「ポレポレ」は、スワヒリ語で「のんびり、ゆっくり」という意味です。紙芝居屋のそんな日々。


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