カテゴリ:紙芝居のいろいろなこと( 2 )

さて、今回始まりました「あの人にインタビュー」、
最初のお客様は、紙芝居職人、猫田にゃあごろう氏です。

インタビューを行ったのは、陽当たりのいい屋根の上。
氏は、よくここで昼寝をたしなまれるそうです。
ちょうど昼寝を終えて耳をかいているところをお邪魔しました。

「ん〜〜? インタビュー? めんどくせえなあ。
ゴチャゴチャしゃべるの、嫌(きれ)えなんだから、おいら……」

と、おしゃべりが嫌いな理由を、
ニャゴニャゴ、ニャゴニャゴ、しゃべり続けること40分あまり。
が、なんとかインタビューの承諾を取り付けて、スタート。

f0223055_9112938.gif


「え? だいたいよお、
『子どもの目線に立って』とか、
『子どもの立場になって』紙芝居を作ろうなんて奴に
ろくなのはいねぇのよ」

──はあ……。と言いますと……?

「言いてぇことはわかるよ、そりゃ。子どもの見るもんだからな。
けどな、下手すると、
手抜きのお子様ランチを食わせるようなハメになるンだな、これが」

──お子様ランチ?

「子どもに食わせるもんはさ、
一流どこのネタ使って、一流どこのモノホンの奴にしたいわけよ。
カップラーメンの中の乾燥ネギもいいだろうけど、
子どもが初めて出会うネギがそれじゃ、かわいそーだろ?
そんなもんばっか食わされてみ。
ネギがどういうもんだか、わかんないまま、育っちまう。
ホンモノのネギかじってみて、
辛(かれ)えなとか、焼いたら甘くなるんだなとか、
そういうの、やらせなきゃ。子どもにはさ」

──はぁ。

「それが、おめぇ、
ネギは臭(くせ)えからとか、この味は子ども向きじゃねえからとか言って、
子どもが好きそうなお子様ランチにしちまうんだ。
ハンバーグやオムライスなんか、二流三流のハンパもんでも
テキトーに並べときゃ、子どもは喜ぶだろうなんてぇ料簡じゃ、
おめぇ、味もへったくれも、ありゃしねえ」

──でも、子どもたちが見てくれないと……。

「ああ、ああ、いつもそう言うんだよ、二流三流どころはさ。

んー、まあな、今の子どもたちは顎(あご)の力が弱っちまってるからな。
おいらたちガキん頃は、
かつ節だろうが、ネズミの骨だろうが、ガリゴリやったもんよ。
ところが最近の奴らときたら、
グニャグニャのキャットフードばかり食ってるもんだから、
意気地までなくしちまってるんだ。

な?
歯が立たねえような固いもんでもな、
毛嫌いされるニンジンやピーマンだって、
食えそうにない骨付き肉のでっかい塊(かたまり)だってな、
どおーんと出してやりゃいいんだよ、
子どもの目の前にさ。

わかる、わからないじゃなくってさ、
子ども向け、おとな向けじゃなくってさ、
おもしれぇもんだったら食うんだよ、あいつらは。
かぶりつくね。
でもよ、おもしろくなかったら、見向きもしねえ。
そのあたりの子どもの嗅覚の確かさってぇーの?
その辺は、おいらぁ、信じてるね」

──でも、子どもたちがおもしろがるものって、
何かわかりにくいですよね?

「何だっけかな、
誰だか新聞記者さんが言ってたよ。
『読者がおもしろそうなものを書くんじゃなくて、
自分がおもしろいものを書くんだ』ってな。

おいらはさ、物語づくりは井戸掘りだって、前から言ってんだ。
どこを掘るかって?
そこらの土じゃねえよ、ここ、ここ。
てめえの腹ン中を掘るのよ。
エイコラ、エイコラ、ひたすら掘ってくのよ。
んで、深(ふけ)えとこまで掘って湧いて出てきた水ってぇのはさ、
人間誰もが持ってる地下水脈ってぇ奴に通じてるんだな。
だから、てめえがおもしれぇと思ったもんは、
誰もがおもしれぇと思えるんだ。
子どももおとなも関係ねえやな。

それをさ、子どもだったらこういうのがおもしれぇだろとか、
こんなのがウケるだろうなんてナ、
てめえの腹掘らねえで、他人(ひと)の腹ばかりうかがってちゃあ、
半端な穴しか掘れねえ。
地下水脈の深(ふけ)えとこまで届きやしねえ。

まあ、でも、中途半端な浅いとこを掘り返してても、
水道管のパイプの壊れた穴からしみだした水くらいにはぶつかるかもしれねえな。
世間に流通している殺菌済みの水だ。
こぎれいな水だから、毒もいっさい混ざり込んでねえ。
世間に出回っているそれなりの水だからな、当座の飲用には役に立つだろうよ。
ところがギッチョンチョン、毒にもならなけりゃあ、薬にもならねえ。
まあー、そんなのは、今日飲んだら明日には忘れちまうって奴だな。

10年も20年も読みつがれるもんはさ、
地下水脈までつながってるもんだからさ、
いつ読んでも新鮮なんだな、これが。
くんでも、くんでも、尽きるこたアねえってのはこのことよ。
多少、泥臭くたってな、
子どもらもさ、てめえの腹の底の泉の水と同じもんだってわかるから、
身にしみておもしれぇんだよ。
ま、読みもんでも、紙芝居でもおんなシことだわな」

f0223055_9112938.gif


「ケストニャーって知ってるかい? ケストニャー。
そのおっさんが、トラばあさんと、リンちゃんと
ワルツを踊って、飯を食ったってんだ」

(※筆者注:おそらく、氏の言っているのは
E・ケストナー〈『ふたりのロッテ』の作者〉、
P・L・トラバース〈『メリー・ポピンズ』の作者〉、
A・リンドグレーン〈『長靴下のピッピ』の作者〉
のことだと思われます。
1953年、3人は、スイスの料理店で会食したことがありました(1)。)

「でな、3人とも人間の種族であることには違(ちげ)えねえが、
ドイツとか、イギリスとか、スウェーデンとか、国が違うんだとさ。
言葉は通じなかったりしたんだが、通じ合うもんがあったんだろな、
話はワイワイ盛り上がったっていうのよ。

でな、3人はそれぞれ、
じいさんやったり、おっ母さんやったり、先生やったりして、
日頃から子どもとつき合っていたことは、いたんだ。
子どもと接する、そういう“経験”ってぇ奴は、たしかに役に立つ。
が、子どもの本を作るってぇときには、それがいちばんじゃねえってんだな。

じゃあ、何が大事(でえじ)かってぇと、
てめえがガキん頃にさかのぼって、それを忘れねえこと。
ガキん頃のてめえ自身と接することがいちばん大事だってんだよ。
3人が3人、そうゆう結論に落ち着いたっていうんだな。

リンちゃんなんかはさ、自分の作品は、
子どもン頃の自分をおもしろがせたい、楽しませたい、
そのために送る手紙だって言ってるぜ(2)
その手紙が、自分だけじゃねえ、多くの子どもを楽しませてるってぇわけだ。

な。そうゆうこった。
てめえの腹ん中に掘り当てた泉の水だから、
その井戸は、みんなを楽しませることができる。

そらな、えばってる社長さんも、しかめっつらの先生も、
みんな昔は子どもだったっつうことよ。
そりゃ、時代が変わっても、根っこは変わんねえ。
みんな、腹の奥の奥ンところに、おんなシ地下水脈が流れてる。
100年前、200年前の物語がガツンと来るってぇのは、そおゆうとこよ。
そおゆうとこ。
人間も猫も、そこらへんは変わんねえと思うんだがなあ、おいらは」

──(ここでにゃあごろう氏は、大きなあくびをすると、
鼻をピクピクさせました。)

「ま、おめえみてえな、三流どころ……っつうかぁ、
四流か五流の人間には、わかんねえかもしれねえなあ」

──は、はぁ……。

「さて……っと。
そろそろ、おれも、夕飯(めし)を探しに行かねえとな。
ま、おめえも、せいぜいがんばんなよ。五流なりによ。
ほんじゃ、な」

そう言うと、氏は、屋根からストンと降り立って、
ふらりと路地のあいだに消えていきました。







《引用・参考文献》
(1)E・ケストナー、高橋健二編訳「子どもと子どもの本のために」同時代ライブラリー・岩波書店
(2)シャスティーン・ユンググレーン、うらたあつこ訳「遊んで、遊んで、遊びました〜リンドグレーンからの贈りもの〜」ラトルズ
[PR]
なんで自分は紙芝居なんていうものを始めたのだろう?
と、考えると、昔見た一つの夢につきあたります。
いやあ、まったく、おかしな夢を見たものです。
たしか二十歳にもならない頃だったでしょうか、筆者はぐうたらな学生でした(今はぐうたらな社会人ですが)。
その頃に見たのが、こんな夢でした。

当時、実家では、セキセイインコを飼っていました。
代々住みついたそのインコたちは、なぜか名前を一律に「ピーコ」と呼ばれていました。
ちなみに、おすぎさんのご兄弟のあの方とは何の関係もありません。
やって来たお嫁さんも「ピーコ」。
生まれた子どもも「ピーコ」。
兄弟みんな「ピーコ」。
彼らは、飼い主のセンスの貧困さを恨んでいたかもしれませんね。

その頃暮らしていたのは、四代目か五代目のピーコだったかと思います。
そのピーコの世話は、たいていしっかり者の妹がテキパキとやっていました。
が、ときどきは、ぐうたらな兄である筆者も手伝わされるハメになり、カゴの掃除などをさせられることもありました。

その掃除とは、こうです。
二つのカゴ同士の入り口を合わせてくっつける。
f0223055_845822.gif

そうして、間に下敷きをはさみ、中のピーコが逃げないように下敷きで押さえながら、慎重に入り口を開ける。
f0223055_8461561.gif

次に、はさんだ下敷きを引き上げると、入り口が開通します。
それぞれワンルームの二つのカゴが、二部屋続きの一軒家となるわけです。
f0223055_8471679.gif

そこで、ピーコを誘ったり、なだめたり、追い立てたりして、一方のカゴからもう一方へ移らせる。
ピーコが片方のカゴへ移ったところで、入り口を閉める。
そうして空き家になったら、やっとそのカゴを掃除出来るのです。

なぜ、こんな面倒なやり方をするか。
カゴにピーコを入れたまま掃除をすると、バタバタと暴れたりしてやりにくい上、作業をする手のすき間から脱走して旅立っていくやつが続出したからです。
そこで、いったんカゴを空き家にしてから掃除をするのが、当時習慣になっていました。
夢の中で筆者はこの作業をしていたのでした。

どうして、そんなことをしていたのかわかりません。
夢とはそういうものなのでしょう。
夢の中ではやがて、カゴとカゴの間の下敷きがいつのまにか増えていました。
何枚も重ねられたついたての下敷きを一枚、一枚、引き上げる。
そして、最後の一枚を引き上げるとき、ピーコが、カゴからカゴへ飛び移るというわけです。

さらにふと気がつくと、いつのまにやら重ねられた下敷きが、なんと紙芝居に変わっていました。
f0223055_8482330.gif

紙芝居を一枚、一枚、ぬいていく。
最後の一枚をぬいたとき、ピーコがカゴからカゴへ飛び移るのです。

ところがさらにまた気がつくと、二つのカゴが、いつのまにか電話に変わっていたのでした。
f0223055_8483526.gif

筆者は、二つの電話の受話器を並べたところへ紙芝居をはさみ、一枚、一枚、ぬいていたのでした……。
夢とはわけのわからないものです。
 
いったいどういうことなのだろう?
朝起きた筆者は考えました。
その頃、筆者は、フロイドなどをちょっとかじり読み、ちょうど夢日記をつけたりしていました。
まあ、結局かじり読んだだけで、日記も三日坊主というか、二〜三ヶ月坊主で終わったのですが、そんなフロイド流の分析を借りずとも、その夢の意味は明らかなようにも思えました。
つまり、それはコミュニケーションということだったのかもしれません。
電話と電話。
カゴとカゴ。
その間にある紙芝居がラストを迎えたとき、ついたてはなくなり、電話から電話へ、声が飛んでいく。
カゴからカゴへ、ピーコが飛んでいく。
紙芝居を終えたとき、そんなふうに、心から心へ、一羽の小鳥が飛んでいくのではないか。

当時、筆者は地元のアマチュアの劇団に在籍していて、大学の授業をサボっては、子どもたち向けの芝居に夢中になっていました。
あるとき、地元の青少年会館がお祭りをすることになり、そこの余興として紙芝居を演じることになりました。
劇団の仲間と絵を描いて三本の紙芝居をつくってはみたのですが、いやはや拙い絵。
演じ方も、メチャクチャ。
が、子どもたちときたら、そんな下手くそな紙芝居を、キラキラした目で食い入るように見てくれたのでした。
それは、芝居とはまたちょっと違う喜び。
目の前に子どもたちがいて、反応が間近に伝わってくるのです。
その頃のそんな体験が、夢に出てきたのでしょう。

夢には続きがありました。
場面がいつのまにか変わっていて、筆者は子どもたちの前で紙芝居を演じていました。
演じる筆者は、赤鬼でした。
そのアマチュア劇団が当時、あたり狂言のように昔から上演していたのが「泣いた赤鬼」(原作・濱田広介、脚本・横田弘行)で、筆者はほんのチョイ役しか演じたことはありませんでした。
ところが、夢の中では経験したこともない主役の赤鬼になっていたのです。
その演じていた紙芝居の物語は、赤鬼が紙芝居を演じるというはなしでした。
紙芝居の絵の中に、やはり赤鬼がいて紙芝居を演じ、その赤鬼も、やはり赤鬼の紙芝居をやっていて……。
ちょうどロシアのマトリョーシカ人形の入れ子細工のように、合わせ鏡の中で無限に続く映像のように、自分が演じる紙芝居の中の自分が……、えんえんと続いていたのでした。
その夢が何を意味するのかは、いまだにわかりません。
ただ、それ以来、その夢が頭から離れませんでした。

f0223055_9523780.gif


その後上京して、「アトリエ魔瑠」という紙芝居グループと出会い、そこで、神保裕子さんという、今ではプランナーとして活躍されているお師匠さんと出会います。
お師匠さんにはいろいろとお世話になり、今でもお世話になりっぱなしです。
そこで、紙芝居をつくったり、休日などにイベントで演じたりするようになり、やがて、自分でもひとりで近所の公園などで紙芝居をはじめるようになりました。
編集の仕事をずっとしていたのですが、あるとき、その会社を辞めて、そうして貯めたお金で、旅をすることにしました。
紙芝居と寝袋とテントを積んだリヤカーを自転車でひっぱって、その先々、アポなしで幼稚園や保育園に飛び込んで紙芝居をやらせてもらうという旅です。

その旅の途中で見た夢も忘れられません。

といっても、夢の細部は覚えていません。
けれど、その情景は今もありありとよみがえるような気がします。
とにかく子どもたちが、紙芝居の前にいました。
みんな並んで、にっかにか、それはもう、にっかにかと笑っているのでした。
太陽の陽射しがそこにぜんぶ集まったかのように、子どもたちの姿は明るく白っぽく、なぜだか、ぽかぽかしていました。
秋が訪れを見せた河岸の朝早く。
寒々としたテントの中で目を覚ましたときも、しばらくは、夢の中で味わったそのほくほく感が消えませんでした。

その旅は最初から難儀な旅ではありました。
出発したときは夏の真っ盛り。
あまりの暑さに熱中症でバタバタと何人かが倒れたというニュースが伝えられていました。
その炎天下、自転車とリヤカーの連結部が故障。大量の汗で疲労困憊。リヤカーの荷物が重く、坂道が登れない。
紙芝居を演じさせてほしいと、幼稚園保育園に飛び込んでも、なかなかやらせてもらえない(そりゃあ、当たり前ですよね。向こうの園の方には迷惑な話しでした)。
それでも、のんきすぎる性格がよかったのか悪かったのか、急ぐ旅でもなしと自転車をこぎ続け、暑さを避けるために茨城から北海道へフェリーで渡り、そこから南下していきました。
途中、どしゃぶりの雨の中、タイヤがパンクし、修理道具も水浸しのため自分で修理が出来ず、自転車屋のある町まで延々と歩いた日もありました。
安物のカッパは下着まで濡れてしまって困りました。
リヤカーが横倒しになり、泥水へはまり、荷物が台なしになるなんてこともありました。

しかし、今考えると、これほど幸せな旅はなかったと思います。
のんびりと気の向くまま、自転車のハンドルの向くまま。
途中寄り道をして宮沢賢治の故郷を訪ねたり、円空の木彫りの仏像を探したり、遠野で昔話を聞いたり、芭蕉の句碑や良寛のお寺を訪ねたり。
いろいろな方にお世話になり、親切に声をかけてもらったり、ご馳走になったり。
そして何よりも、突然の訪問にも関わらず、わけのわからないやつに紙芝居を演じることを許してくれて、そうして観てくれた子どもたちと園の先生たち。
そんな人たちに出会えたことが、いちばんの幸運でした。
行く先々で出会った、そんな子どもたちの印象が、夢の中に出てきたのだと思います。
紙芝居を観ながら、子どもたちはとにかく、にっかにか、夢の中で笑っていたのでした。
それから旅を続ける間じゅうずっと、夢の中のその光景は、筆者のかたわらから離れませんでした。

f0223055_9523780.gif


今もこの2つの夢のことが、筆者のかたわらから離れません。
それから、童心社主催の「紙芝居作家塾」という研究会に参加させてもらうようになり、出版向けの紙芝居作りもしました。
これからも紙芝居に携わっていきたいと思い、「KAMISHIBAIでいこう!」というタイトルのHPを今回、起ち上げてみた次第です。
まあ、ぼちぼち、ちまちま、のろのろとでも、細く長く続けていけたらと思ってるんですが。

筆者は、コミュニケーションをとるのが、おおよそ下手なタイプの人間です。だから、コミュニケーションということにあこがれるのかもしれません。
そんな筆者でも、紙芝居をしているとき、一羽の小鳥が、胸のカゴからはばたいていくような気がすることがあります。
子どもたちのカゴから小鳥が飛び出してくるような気がすることがあります。
たとえ錯覚に過ぎないにしろ。

もしも紙芝居についての3つめの夢を、いつか見ることが出来るとしたなら、そんな小鳥たちが鳴きながら歌いながら空を飛び交うような、そんな夢を見てみたいもんだよなあと思っているんですが……。
いやあー、最近は、何がなんだかさっぱり見当もつかない夢や、悪夢ばっかり。
いい夢というのは、なかなか見られないもんです。


 
 
[PR]