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f0223055_10385947.gif人はなぜか地獄の側(左)へ行きたがる


文化としては、右を上位とする傾向が世界的にみられる。
これだけ顕著な傾向があるとすると、
これは何か人間の本来的な性向に根ざしたものではないかと思ってしまいます。

ところが、例外中の例外──というか、規格外の文化があります。
メキシコのテネハパ村のツェルタル語。
この言語には、そもそも「右」と「左」という言葉さえ存在しないというのです。

そして「右」「左」のない同様の文化は他にも、
オーストラリア先住民族のアランダ語、グウグ・イミディール語、
あるいはアフリカや南太平洋の島々など各地に見られるのだそうです
(井上京子「人類の感覚ー言語人類学から」(1))。

「右」「左」という観念どころか、言葉さえないとしたら、
業績が「右」下がりになったり、「左」遷されることもなくなっていいかも……。
あ、いえいえ、けれど、日常、生活していく上ではそうとう困ってしまうのではないでしょうか。

たとえば道を訊かれても、
「次の信号を左に曲がって……」
というような説明が出来なくなる。
お母さんが子どもに、
「戸棚の左の引き出しにあるお茶碗とって」
と言えなくなる。
そんなときにはどうすればいいか。

井上京子さんは、高知県高知市の例をひいて答えています(1)
高知市の公用語はもちろん日本語で、もちろん「右」「左」という言葉はあります。
が、北を山、南を海にはさまれて、東西に長くのびる平野の中にあるという地形のため、
空間の把握のしかたは「東西南北」の座標軸を使うとわかりやすい。

▼図1:高知県高知市
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それで日常でも、「右・左」ではなく、
「東西南北」を使う言い方をする習慣が、特に老齢の方にあるのだそうです。
道を訊かれると、
「次の信号を南に曲がって……」
と答える。
お母さんが子どもに
「戸棚の東の引き出しにあるお茶碗とって」
と頼んだりすることがある。

メキシコのテネハパ村は、山の傾斜地にあり、
空間の把握のしかたの座標軸となるのが、傾斜の「上り側」と「下り側」。
だからテネハパ村では、
「この道を下り側に曲がって……」
というような言い方をするそうです。

また、「上り側」と「下り側」の軸から外れた方向をさす場合には、
「○○さんの家の方」というような表現をするということで、
生活やいろいろなことをしたり、考えたりする上で、何の支障もないそうです。

つまり、「右」「左」という言葉さえない文化が存在する。
ということは、左右の概念はあくまでもそれぞれの文化から生み出されたものであって、
文化が違えばもちろん概念も違ってくる。
そこに集合的無意識のような傾向が認められたとしても、
全人類に共通する本来的、生理的なものではないということになります。

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では、生理的には人間は「右」「左」にどう対するか?
実験心理学や運動生理学、人間工学などからのアプローチが、その問いに迫っています。

ところで、筆者がよく行く近所のコンビニエンス・ストアは、入り口を入ると
すぐ右に雑誌コーナーがあります。
そこから左に折れるとお弁当コーナーがあり、さらに左に折れると飲み物などの冷蔵ケース。
そしてまた左へ折れると、ぐるっと店内を一周してレジ・カウンターにたどり着きます。

文房具など何か目当てのものがあれば、中の棚に向かいますが、
特に何もなければ
「雑誌」→「弁当」→「飲み物」→「レジ」
という左回り(反時計回り)の順番で店内を回遊することになります。

▼図2:近所のコンビニの配置例
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雑誌を立ち読みする時間がないときも、弁当を買わないときも、なぜか左回りになってしまう。
というのは、入り口を入るとすぐ左にレジがあるからです。
なので、品物を選んで店内のどこををうろうろしても、結局最後にはレジへ行くことで、
基本的に左回りになってしまうわけです。

これは店舗をデザインするときに、
お客の動線を左回りに誘導するように考えられているのでしょう。

それで近所のコンビニをざっと思い返してみると、7店のうち5店が左回り。
近所のスーパーマーケットは、3店のうち2店が左回りでした。
まあ、これはあまりにアバウトな統計なんで参考にも何にもなりませんが、
コンビニやスーパーは左回りに廻るところが多い気がします。

店舗設計についての本──たとえば、野口智雄「店舗戦略ハンドブック」(2)をみると、
右利きの人は左回りになりやすいといいます。
スーパーマーケットなど、日用の品をたくさんに購入するような店舗では、
左回りに廻りながら、利き手の右腕でカゴに入れるのが自然で、効率的となる。

全般的に、左利きよりも右利きの人の割合が多いので、
右利きの人を想定して設計するのが基本。
そのため、お客が左回りに足を運ぶよう、通路や動線を設計するといいのだそうです。

反対に、ひとつひとつの品物に注目させ、お客の足を留めさせたいような、
たとえば高級品などの店舗の場合。
こうしたお店では、お客が右回り(時計回り)に歩くように通路や動線で誘導する。
すると流れは悪くなり、お客はスイスイと簡単に通り過ぎることなく、ゆっくりと進み、
時には立ち止まって品物を眺めることになるというわけです。

ある貴金属店が、左回りだった店舗の内装を変えて右回りにしたところ、
売り上げがアップしたという例もあるようです。

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しかし、どうやら右利き・左利きには関係なく、
人には左回り(反時計回り)を好む傾向があります。

陸上競技のトラックや、野球のベース、スピードスケートのリンクなどは、
左回りに作られていますね。
馬が走る競馬場が、観客が見やすければ、右回り・左回り、どちらでもアリなのに対し、
人が走る競技では、圧倒的に左回りです。

もっとも、1896年の近代オリンピック第1回アテネ大会の競技場は、右回りだったんだそうです。
近代陸上のあけぼのであったその頃は、右回り・左回り、どちらでもよいということで、
たまたま右回りとなった。

しかしその後、競技に取り組む人々のあいだで、自然に左回りの方への流れが出来上がっていく。
そのアテネ大会から10年後の1906年。
オリンピック10周年を記念して開かれた競技大会で、やはり右回りの設定にしたところ、
「走りにくい」「不自然」という批判や不満が続出。
それほど、当時の陸上界では、左回りという感覚を人々が共有し、
それが主流となっていたんですね。

その2年後、1908年の第4回・ロンドン大会から、
オリンピックのトラック競技は、左回りとなります。
さらに1912年、IAAF(国際陸上競技連盟)が創設され、
その翌年に「left-hand inside(走る方向は左手を内側に)」という統一のルールが定められ、
現在に至るということです。

昔から絶対的に左回りだったというわけではないんですね。
では、「どうして左回りなのか?」というその理由については、
しかしオリンピック委員会でも明快な解答はないようです。

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人は、右に回る方(時計回り)が速く走れるのでしょうか?
左に回る方(反時計回り)が速く走れるのでしょうか?

朝日新聞(2006年10月29日付)の記事が、その実験を行っています。
福岡大学陸上競技部が協力して行ったその実験では、
トラックを右回りで走っても、左回りで走ってもタイムに有意差は見られなかった。
タイムとしては、どちらで走っても同じ。

しかし選手の感想は、右利きの人も左利きの人も総じて
「右回りは走りにくい」「右回りに走るのは違和感がある」
というものだったといいます。

日頃から左回りが習慣となっているため、たとえ機能としてはそれほどに違いはなくても、
心理的・無意識的に左回りを好む傾向があるということなのでしょうか?
この実験では「100m走」を行って比較しています。
が、もしも心理的な影響があるとすれば、
たとえば長距離走などになってくるとやはり差が生じるのではないかとも思わせられます。

トラックの短距離走では差はありませんでしたが、
しかし、階段を降りる場合には、左回りの方が速いのだそうで、
早稲田大学理工学部教授・渡辺仁史さんは、そのデータを踏まえ、
非常階段などは左回りで降りるような設計をするよう提唱されています
(朝日新聞・2004年10月23日付記事)。

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「足の裏博士」として知られた平沢弥一郎さんによれば、
人が直立する場合、両足で均等に体を支えずに、重心は左足にかかる傾向があるといいます。
左足で体を支える。
つまり、左足が「支持足」となる。

一方、右足は運動を与える動力としての働きを担いやすい。
多くの場合、こちらが「利き足」となります。

すると、「歩く」「走る」などの運動をする場合には、
支持足である左足がバランスを保ちながら中心となって「軸足」となり、
「運動を与える」右足は、地面を右へ蹴り出すことによって左回りへ有利に働くというわけです。

重心が左に寄るということは、左方向へ傾きやすい。
そして左カーブの際には、地面を蹴る右足が、左回転の遠心力を抑えて
前方左へ推進する力を生み出すことになります。

加藤孝義さんは上述の平沢弥一郎さんの研究をデータとともに紹介しつつ、
これには、大脳右半球・左半球の機能の影響も関わっているのではないかと述べています(3))。

大脳左半球は、右半身につながっている。
大脳右半球は、左半身につながっている、そして左足を直接的にコントロールします。
この右半球は、空間の認識や運動の機能に優位に関わっている。

そのため、右半球は、単に左足の筋肉を動かすだけではなく、身体のバランスがとれるよう、
平衡感覚などと連動させ、微妙に調節してコントロールしているのではないか。
それが左足を「支持足」「軸足」として機能させているのではないかというんですね。

それに対して「利き足」である右足は筋肉を使う単純運動。
どちらかといえば運動の推進力を担うことになる。

そうして左足を軸として、右足を推進動力としやすいことから、
左へ曲がりやすくなるのではないかというわけです。

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人は左に重心をかけやすい。
これは、自分の足を使うわけではないオートバイの運転操作にも影響するようです。

オートバイのドライバーは概して右カーブを苦手とするような傾向が、どうやら見られる。
埼玉県警察本部は、2003年に実施した調査から、
「カーブで起こった二輪車の単独事故のうち、
右カーブ対左カーブの比率は6対4、死亡事故は7対3の割合で発生している」
という結果を発表しています。

右カーブを回るときに、事故が起こりやすくなる。

その感覚は、筆者がふつうに自転車を運転していてもわかる気がします。
オートバイや自転車の運転では、カーブを走る際、
遠心力を抑えるために車体と身体を内側に傾斜させて、重心のバランスをコントロールします。

そうした時には、左に重心をかける方が心理的、無意識的にも安定を得てコントロールしやすく、
右に重心をかけるのは不得意となりやすいように思われます。

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また、とっさの場合。
たとえば、ふいにボールや破片か何か物体が飛んで来たとき。
あるいは、突然、暴走する自動車や荒れ狂うイノシシがこちらへ猛然と向かって来るようなとき。

そんな、いざという場合には、人は左方向へ身を避ける。
という傾向があることが実験からわかっているそうです(3)
理由はわからない。
が、なぜか人は左へ回避したがる。

そして、なぜか人は左へ寄りたがる。
渡辺仁史さんは、世界各地の駅、商店街、地下街などを調査した末、

「歩行者の専用道路では、自分の周りに3平方mの空間が確保できないほど込み合うと、
人の流れは左に寄っていく」


という結論に至ったそうです(前出・朝日新聞・2004年10月23日付)。

だから、交通ルールや慣習のないところでは、自然に左側通行となりやすい。
日本でも、大戦後の1949年、GHQ(連合国軍総司令部)の意向で道交法が改訂され、
「人は右、車は左」という右側通行が実施されるまでは、
「人も車(馬車)も左」が一般的だったようです。

この傾向も、人は左に重心をかけやすいということに起因しているのでしょうか?
渡辺仁史さんは、決定的な理由についてはまだわかっていないとしています。

そしてまた、
「人はどうも左側に、頼るべきものを置いて歩くようなんです」
と、渡辺仁史さんは、同じ記事で語っています。

それを裏付けるように「左右どちらに壁があると歩きにくいか」について、
歩行感を調べる実験調査を加藤孝義さんが行っています(3)

結果、右側に壁があると歩きにくく感じるとする人は、約66%。
つまり、どちらかといえば、左側に壁などの「頼るべきもの」がある方が歩きやすい
という心理がある。
そんな傾向もまた、
道路の空間で歩くときには左側へ寄りやすいということにつながるのかもしれません。

この実験調査は日本で行われたものですが、異なった文化圏ではどうでしょうか。
たとえば「右・左」という言葉が存在しないメキシコのテネハパ村で行われたとしても、
果たして同じ結果となるのか、どうか。
──興味深いところです。

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さてここで、あのグリュンワルドの空間図式を思い起こしてみましょう。

▼図3:グリュンワルドの空間図式
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人は、まっすぐ歩こうとしても、やや左へ偏る傾向がある。
左へ曲がりやすい傾向がある。
それが大脳半球の機能や、あるいは運動機能として、重心を左へおきやすいことから起きるのか、
それとも、心臓がやや左に位置するためなど他に理由があるのか、
その答えはまだはっきりと確かめられてはいないようです。

が、この傾向は、無意識的な空間象徴を描いたグリュンワルドの図式と
不思議に符合するように思われます。

現代ではあまり意識される機会は多くありませんが、
「歩く」という空間を移動する行動は、不安を伴います。
人類がまだ、野獣に食われるかもしれないと怖れていた原始の時代、
曲がりなりにも何らかの壁で守られ、火を灯したねぐら(家)の内から、
一歩外へ出ることは緊張を意味したでしょう。

外へ出歩くとき、こころの奥底では、危険を回避し、
安心安全な「内」側へ退きたい、戻りたい、身を守りたいという本能的な心理が
働くのではないでしょうか。
こうした「回避」「後退」「内向」「防御」といった要素は、
グリュンワルドの空間図式では、左への方向を意味します。

人間は、身体の周囲に、これ以上他人に近づいて来られると不快に感じるという
「パーソナルスペース」の空間を持っています。
他人との親密度の度合いや、個人の感じ方で広さは異なりますが、
電車などで混雑したときの息苦しさは、
見知らぬ他人にパーソナルスペースを侵される不快感でもあるわけです。

自分の周囲3平方mの空間に、ひょっとしたら敵かもしれない見知らぬ他人が侵入し、
通り過ぎる、すれ違うという状態は、
程度の差こそあれ不快感、もしくは無意識的に不安を生むでしょう。
そうして「自分の周りに3平方mの空間が確保できないほど」混み合う状態になると、
人の流れは左に寄って行くという。
つまり、無意識的な不安感が、退きたい、守られたい、回避したいというような
グリュンワルドの左方向へと人々を導くのではないかと解釈出来るわけです。

そして、左側に壁などの「頼るべきもの」を求めたりして、左に寄って歩く。
また、何かに襲われるなど危急の際には、とっさに左へと身を避けようとする。
不安に襲われたときや安心感を求める心理が、
人々の足を左方向に向けさせるという傾向があることも、
上述の解釈を裏付けていると言えそうです。

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さてしかし、人は無意識の安寧感の内に留まることは出来ません。
母性的な無意識の中に包まれ、呑み込まれることはしばしば死を意味します。
そしてもしも、ただ自分の欲望のままに甘え、利己的な欲望に耽溺し、
自分を律することを怠るとしたら、それは悪にもつながるでしょう。

意識は、母性の混沌(カオス)から目覚め、
葛藤を通じて「生への対決」の方向へ向かわなければならない。

つまり、グリュンワルドの示す右方向。
社会性を具える「父性」「外向」性、「努力」「願望」「未来」という能動的な方向です。

前回見た通り、多くの宗教や文化が、
左方向を悪として地獄の側とし、右方向を善として天国の側としていることも、
こうしてグリュンワルドの象徴を通じて解釈することが可能のように思われます。

天国へ行きたいと願わない人はいないでしょう。
しかし、わたしたち凡人は、とかく楽な方へ、楽な方へ、
怠惰で堕落するような地獄の側、つまり左の方向、左回りへと舵をきりやすい性向を
もともと持ち合わせているのかもしれませんね。

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さてしかしながら、日本の文化はしばしば逆方向を示し、
紙芝居もまた、左方向へと進む文化なのでした。

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《引用・参考文献》
(1)井上京子「人類の感覚ー言語人類学から」「左右/みぎひだり──あらゆるものは「左右」に通ず!」學燈社・所収
(2)野口智雄「店舗戦略ハンドブック」PHP研究所
(3)加藤孝義「空間感覚の心理学~左が好き? 右が好き?」新曜社
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f0223055_13212490.gif右へ進めば天国、左へ進めば地獄という文化


右と左。
そのイメージについては、社会人類学の立場から、
ロベール・エルツがひとつの答えを提出しています。
右側が○(よい)で、左側を×(悪い)とする文化が世界的に見られるというのです。

世界の諸民族では、宗教的、社会的、文化的に、

=「聖」「正」「強」「美」

などとして上位に置き、反対に

=「俗」「邪」「弱」「醜」

とすることが圧倒的に多い(1)

これは、利き手に関係するでしょうか。
人間は、なぜか一般に、右利きの人が多い。
この傾向は、世界各地を見渡しても、各時代を見渡しても、変わらないのだそうです。

右利きは多数派で、左利きの人は少数派。
その右利きの人は、利き手となる右手を頻繁に使い、右手が器用となる。
反対に、利き手でない左手は不器用で、左手を使うのは劣ることになりやすい。
そのため、右手を使うことが妥当、
つまり、右が妥当で、正しいとされることになるのかもしれません。

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欧米では、「右」と「左」という言葉をたどるだけで、左右の優劣がはっきりわかります。

前回、ちょっと触れましたが、ラテン語の「sinister」は「左」を意味するとともに、
「不吉な、邪悪な」という意味でもあります。
一方、「dexter」は「右」という意味とともに、「器用な、機敏な」を意味する言葉です。

これらのラテン語を語源とする
英語の「sinister(左の)」「dexter(右の)」、
また、イタリア語の「sinistra(左)」「destra(右)」
にもやはり「右・左」以外に、同様の意味が付随しています。

また、「右」を意味する英語の「right」は、「正しい、まっすぐなこと」。
「オーケー」「妥当」の意味だったり、「正当性」や「権利」「法」という意味にも使われます。

一方、「左」を意味する英語の「left」の語源は、「弱い、価値がない」などを表す古英語。
一説には、右利きの人が何か仕事をするときは、利き手である右手ばかり使うため、
左手は「left out(除外する、無視する)」ところから
案外、「left」となったのではないかといいます(2)

こうした傾向は、他のヨーロッパの言葉でも見られます。

フランス語…………「droit(右)」・「gauche(左)」
ドイツ語……………「recht(右)」・「link(左)」
スペイン語…………「derecha(右)」・「izquierda(左)」
ポルトガル語………「direita(右)」・「esquerda(左)」
ロシア語……………「право(右)」・「лево(左)」

それぞれ「右」を意味する言葉は、
同時に「正しい」「正当性」「権利」「器用な」などの意味を持つ。

「左」を意味する言葉は、やはり
同時に「不器用な」「不幸な」「いかさまの」といったような使われ方をします。


フランス語で「左」を意味する「gauche」は、
「歪んだ」「厄介な」「下手な」「不器用な」という意味をもつ言葉。
そう、
宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」(3)の主人公の名前です。
ゴーシュ──日本語訳すると「左」さんは、なるほど、
セロ(チェロ)の演奏が「下手」で「不器用」でした。

さすが宮沢賢治、ナイス・ネーミング!

「左」をスペイン語の辞書で調べていたら、マイナスな表現が並ぶ中で唯一、
「tener mano izquierda(左の手を持つ=手腕がある)」
という成句を見つけました。
これは日本でいうところの「左利きは器用」と同じ意味かと思ったら、さにあらず。
スペインの闘牛士は、右手で剣を持ち、左手でマレータ(あの赤い布)を翻して、
襲いかかってくる牛をさばきます。
名人はその左手の使い方がうまい。
そこから、そうした左手を持つことが
「上手にコントロールする。手腕がある」という意味で使われるのだそうです。

こうしたプラスの意味の成句が珍しいほどに、
欧米での「左」のイメージはだいぶ分が悪いようです。

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その欧米文化の源流をたどると、ひとつには古代ギリシアに行き着くわけですが、
古代ギリシアでも右が優勢です。
ギリシアでは、右の方向が幸運とされていたようです。

たとえば、ホメーロス「イーリアス」(4)で、
神様のゼウスが時々、人々に何か幸運の兆しを示そうとします。
お得意の雷のイナヅマをひらめかせたり、
長者屋敷の扉ほどの大きさもある巨大な鷲を飛ばせたりするのですが、
その際には必ず人々の右方向の位置へ出現させています。

同じくホメーロス「オデュッセイア」(5)でもゼウスは、
主人公オデュッセウスの息子テーレマコスの言葉に答えるように2羽の鷲を飛来させますが、
鳥たちは人々の右側をよぎっていきます。

またたとえば、アイスキュロス「アガメムノン」でも、
戦へと赴く出陣前の鳥占いが、コロス(合唱隊)によって語られています。
黒鷲と白鷲が、
「槍を執る、右手の方の、誰しも目につくところに」
姿を現したというので、これは吉兆だというわけです(6)

こうした鳥占いなどの文化がローマ時代に引き継がれ、
それが「sinister(左)」を「不吉な」というようになった起源だとする説もあります。

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古代ギリシアの哲学者プラトンの「国家」に、臨死体験が語られる場面があります。
戦死しながら屍体が腐らず、死後12日目に生き返ったエルという男が語ったとされるくだりです。

彼の魂は肉体を離れると、ある不可思議な場所にたどり着く。
そこは裁きの庭で、大地に2つの穴、それと向かい合って天にも2つの穴が開いている。
その間に裁判官たちが並び、やって来る者たちに判決を下し、しるしをつける。
そうして正しい人たちは右側の天の穴へ上っていき、
不正の人たちは左側の地の穴を下って1000年にもわたる刑罰を受けるといいます。

いわば、天国と地獄のようなもの。
その天国は右にあり、地獄は左で口を開けているというのです(7)

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欧米文化のもうひとつの源流であるキリスト教でも、やはり右が圧倒的に優勢。

「主よ、あなたの右の手は力をもって栄光にかがやく、
主よ、右の手は敵を打ち砕く。」
「出エジプト記」第15章6節(8)

というように、旧約聖書では、神様の右手が活躍することが多い。
多くの宗教画でも、神様の御手は右手として描かれます。

ユダヤ人の名前としてよく見られる「ベンヤミン」という名は、「右手の息子」を意味する。
ユダヤ教、キリスト教では、右手は祝福された手をあらわしますから、
これは「幸せな子」という意味になるのだそうです。

また、たとえば「創世記」第48章の1シーン。
ヤコブ(=またの名をイスラエル)が147歳となり、いよいよ死期が近づいたとき。
その子ヨセフが、自分の息子2人を引き合わせ、
彼ら兄弟にとっては祖父にあたるヤコブに祝福してくれるように頼みます。

老齢のヤコブは目があまり見えなかったので、ヨセフは
長男を彼の右の方へ、次男を左の方へ近寄らせる。
ところがヤコブは、腕を十字に交差させ、右手を次男の頭に置き、左手を長男の頭に置きます。
不満に思ったヨセフが抗議すると、ヤコブは、
「わかっている。子よ、わたしにはわかっている」
と説明します。
2人ともに将来大いなる者となり、その子孫も繁栄することになる。
けれど、弟は兄よりももっと大いなる者となり、子孫も栄えるだろうというのです。
ここでも、右の手が上位とされています(8)

新約聖書(9)でも、イエス・キリストが昇天すると、
神の右の座につくと語られています(「マルコによる福音書」第12章36節)。

「最後の晩餐」をテーマにした伝統的な絵画で、イエスの右隣りに座して描かれるのは、
「イエスの愛しておられた弟子」であるといわれるヨハネです。

そしてイエス・キリストが再臨する最後の審判では、次のような場面が語られます
「マタイによる福音書」第25章31節)。

王の前にすべての民が集められ、羊飼いが羊(ヒツジ)と山羊(ヤギ)を選り分けるように、
人々も右と左とに選別される。
その際には、羊(=従順、生け贄、キリストの象徴とされる)は右側に。
山羊(=罪人、サタンの象徴とされる)は左側に。

「右側にいる人たち」は、利他的に、弱く貧しい人を助け、親切にした人々。
彼らは、「祝福された人たち」「正しい人たち」と呼ばれ、
「天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい」
と優しい声をかけられます。

対して「左側にいる人たち」は、他人を省みなかった利己的な人々。
彼らは「呪われた者ども」であり、
「悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ」
と厳しい罰が宣告されます。

プラトンの倫理観とは少々異なりますが、
「正しい人」が右の天国へ行き、「不正の人」が左の地獄へ行くという図式は同じです。

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ちなみに、ユダヤ教の影響を受けているイスラム教でも、同様の図式が語られます。
この世の終末の審判の日のことを「コーラン(クルアーン)」はこう述べます。

そのとき人は、生前にしたすべてのことが包み隠さず記録された「帳簿」
(いわゆる「エンマ帳」のようなものでしょうか。敬虔な者の記録は「イッリーン」と呼ばれ、
放蕩者の記録は「シッジーン」とも呼ばれます)
を渡される。

「帳簿を右手にわたされた者」は、善行を積んだ者として楽園へ行く(第69章19節)。
しかし、「帳簿を左手にわたされた者」(第69章25節)、
あるいは「背後に帳簿を授けられる者」(第84章10節)は、
罪人として、ザックームという猛毒の木の実を胃袋いっぱいに詰め込まれ、熱湯を飲まされたり、
業火に焼かれることになります。
つまり、地獄に行くというわけです。

また、第56章(出来事の章)では、その審判のとき
人々は3つのグループに分けられると説かれています。

ひとつは、宗教心に篤く善行の先頭を進む「率先する者」
彼らは至福の楽園に召される。

二つめは、「右がわの者」
彼らも、涼しい日陰と泉と果物に満ちた楽園へ行く。

が、三つめの「左がわの者」は、
悪行の報いとして、上述のような地獄へ送られるとされます(10)

イスラム世界でも、右=天国行き、左=地獄行き、なんですね。

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左右についてのこうした伝統的なイメージは、
ダンテの「神曲」(11)にも受け継がれています。

「地獄篇」で、ダンテと案内人であるヴィルジリオは、
「足を左の方へ向け」(第10歌)、
「底へ向かって左へ左へと下りて」(第14歌)、
「道を左にとり」(第18歌)、
「左へ曲がりながら下って」(第19歌)
地獄界を巡ります。
地獄界は、地の下に穿たれた、いわば巨大なすり鉢状の穴。
そこを二人は、左へ左へと旋回しながら、下降していく。

ただ例外もあります。
燃える墓の広場では高い城壁のあいだをぬけるために「右へ曲が」ったり(第9歌)、
ジェリオーネという怪獣の背中に乗るために、
「少しばかり道を外れて右のほうへと下」ったりもしています(第17歌)。
しかし地獄へ下るときには、基本的に左方向へ進むわけです。

地獄界の中心である堕天使ルチフェロ(いわゆるルシファー。サタンとも呼ばれる悪魔)の元へ
たどり着いた二人は、
今度は、反転するようにして地獄を脱出し、浄罪界へとやって来ます。

浄罪界には、巨塔のようにそびえる“浄罪山”という山があり、二人はそこを登ることになります。
そこで出会う魂たちは、たいてい右方向にいる。

出会った魂のひとりに、負担の少ない近道を尋ねると、
「斜面を伝って右手に廻るがいいだろう、そうすれば生きた人にも登れる道がみつかるはずだ。」
とアドバイスされます(第11歌)。
また別な魂のひとりに、より高いところへ至る案内を請うと、
「絶えず諸君の右手が外に向くようにし給え。」
といわれます(第19歌)。

その後、案内人であり旅の道連れであるヴィルジリオは、
「私たちは右の肩を縁の方に向けて、いつものように山を廻らねばなるまい」
と言い、新たなる道連れを加えて三人となった一行はそのように登り、
疑わず、迷わず、天堂界(いわゆる天国)への道をたどることが出来ます(第22歌)。

天国へ向かうには、右方向へ進むわけです。

「神曲」では、右へ行くということが、
正しい道を歩む、正しい行いをするということの暗喩にもなっているんですね。

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……と、以上のような欧米の観念と教養は、
欧米人(フランス人)のロベール・エルツにとっては自明のことだったかもしれません。
彼の著作では、「右手の優越」を前提として、むしろ欧米以外の地に目を向け、
人類の原初的な文化の姿を探りながら左右について論じています。

たとえば、ニュージーランドのマオリ族や北米インディアンの各習俗でも、右が上位。
西アフリカのニジェールの諸部族でも左手は不浄とされ、
女性が料理をする際にさえ左手を使わないのだとか(1)

ヒンドゥー教や仏教を生んだインドでも、右手が清浄で左手が不浄とされていますね。
古代インドでは、目上の人や聖火など敬うべきものに対しては、
不浄な左手を隠し、右手(右肩)を向けて廻るのが礼儀とされていたそうです。

ブッダの最晩年を描いた「大般涅槃経(大パリニッバーナ経)」。
遊女アンバパーリーや鍛冶工の子チュンダが尊師(ブッダ)に礼をしてその場を辞去する際には、
「右肩を向けてまわって」立ち去っています(12)

また、ある神さまがブッダと対話して、その言葉に感じ入ったときも、
「右まわりの礼」をしてから後に消え失せています。
右肩を向けて廻ることで、尊敬をあらわすのだといいます(13)

この習慣は、
「右遶三匝(うにょうさんそう)」(=尊像を礼拝するとき、そのまわりを右回り(時計回り)に三回まわること)
というような礼式となって仏教に伝えられているそうです。
だから今でも、たとえば東大寺二月堂などで「お百度参り」するときにも、右回りなのだとか。

ブッダがこの世に誕生したのは、生母摩耶(マーヤ)夫人の「右」脇からといわれています。
生涯の最期を迎えたときには、「右」脇を下に臥して床に横たわる姿だったといわれ、
それが「涅槃像」として伝えられています(14)

ブッダ、そして仏教も、右を聖なる側として意識していたことがわかります。

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以上のように、
「右手は器用で力が強い:左手は不器用で力が弱い」
とするだけではなく、
「清浄:不浄」
「聖:俗」
「善:悪」
「正:邪」
「美・醜」
など、右と左にいろいろな観念が結びつき、
総じて「右」を上位におき、「左」を下位におく文化が世界各地にみられるわけです。

1909年に発表されたエルツの論文「右手の優越」以降に進められた研究では、
「右」上位の世界的な傾向を裏付ける一方、
しかし、その各々の観念は単純な二元論ではかたづけられない、
それぞれの事情や状況、いきさつやいわれによって違うという見方がされているようです。

そして何によらず例外というものがある。
その“例外”の代表的な例のひとつが中国であり、そして日本の文化です。

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《引用・参考文献》
(1)ロベール・エルツ、吉田禎吾・内藤莞爾・板橋作美訳「右手の優越」ちくま文庫
(2)マーティン・ガードナー、坪井忠二・藤井昭彦・小島弘訳「自然界における左と右」紀伊国屋書店
(3)宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」〜「宮沢賢治全集7」ちくま文庫・所収
(4)ホメーロス、呉茂一訳「イーリアス」~呉茂一・高津春繁訳「ホメーロス」筑摩世界文学大系、筑摩書房・所収)
(5)ホメーロス、高津春繁訳「オデュッセイア」~呉茂一・高津春繁訳「ホメーロス」筑摩世界文学大系、筑摩書房・所収)
(6)アイスキュロス、呉茂一訳「アガメムノン(オレステイア三部作)」〜「ギリシア悲劇1ーアイスキュロス」ちくま文庫・所収
(7)プラトン、田中美知太郎・藤沢令夫・森進一・山野耕治訳「国家」~田中美知太郎編「プラトン2」(「世界の名著7」)中央公論社・所収
(8)「口語・旧約聖書」日本聖書協会
(9)「新約聖書・詩編つき」日本聖書教会
(10)藤本勝次・伴康哉・池田修訳「コーラン」〜藤本勝次編「世界の名著15」中央公論社・所収
(11)ダンテ、野上素一訳「神曲」~「ダンテ」世界文学大系、筑摩書房・所収
(12)中村元訳「ブッダ最後の旅ー大パリニッバーナ経」岩波文庫
(13)中村元訳「ブッダ神々との対話ーサンユッタ・ニカーヤ1」岩波文庫
(14)永井信一「東洋美術における右と左」〜中森義宗、衛藤駿、永井信一「美術における右と左」中央大学出版部・所収
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f0223055_13311464.gifフロド・バギンズは、行って帰ってきて、そして…


さて、「行って帰ってくる」物語を追ってきたこの稿も、
初めの物語に「帰って」筆を置くことにしましょう。

「指輪物語」(1)です。

主人公フロド・バギンズは、旅に「行って」、
そうして世界を救うというとてつもない大仕事をやりとげた後、
仲間とともに故郷のホビット庄(村)に「帰って」きます。

しかし、彼らを待っていたのは、故郷の変わり果てた姿でした。
木は切り倒され、田園はつぶされ、煙突の煙が空を汚し、工場の排水が川を濁らせる。
温和で人のいい住人たちが、功利的な権力と暴力で支配され、
言われるがままに不幸な暮らしを強いられている。

結末を言ってしまえば(スイマセン、ネタバレです)、
彼ら自身の力で、その一派を黒幕ごと一掃して平和を取り戻すことになります。

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ですが、冒険から「帰って」きてからもなぜ、わざわざ、
この一挿話が付け加えられたのでしょうか?

黒幕は、かつては高名な魔法使いとして知られたサルマン。
彼は悪へ寝返って、フロドやその友人ガンダルフたちを窮地に陥れますが、
結局破れ、堕落し、零落し、今はせいぜいゴロツキどもを手なずけることしか出来ません。
全世界を震撼させたボスキャラ・冥王サウロンにくらべれば、チンピラです。

フロドたちは、大敵・サウロンを相手に渡り合い、世界を救ったのです。
そんな大きな山場を乗り越えて「帰って」きたところへ、
チンピラ相手のエピソードを、小さなコブのようにくっつけるのは蛇足にも思われます。


作者トールキンは、「著者ことわりがき」の中で、物語は「寓意」を意図しているわけではなく、
読者に自由な読み方をしてほしいと述べています。
そしてこの一挿話「ホビット庄の掃蕩」の章もまた、
20世紀執筆当時のイギリスの状況を皮肉った寓話でも何でもないと釘を刺し、
「これは話の構想の中では重要な部分であり、最初から見通しが立てられていた。」
と、わざわざ「ことわりがき」しているのです(1)

筆者は、ここにトールキンのファンタジーに対する想いが見えるような気がしてなりません。
フロドが故郷の日常から、冒険という旅へ「行って帰ってくる」ことは、
ちょうど読者が彼とともに、現実世界からファンタジーの世界へ「行って帰ってくる」ことと
重ねられているのではないでしょうか。

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読者とともに冒険から「帰って」きたフロドたちにとっての現実世界は、故郷のホビット庄です。
彼らは、そのホビット庄の現実問題に直面することになる。
そして目の前のそこに今ある現実に立ち向かい、現実世界をよりよいものに変えようとする。
もしも、冒険へと旅立つ以前の彼らだったら、他の住人と同じように、
チンピラの支配にただ忍従するだけだったかもしれません。

彼らにとって友人であり導き手であり、そして大いなる援助者であるガンダルフは、このとき、手を貸そうとしませんでした。
彼は、一行とともに「帰って」きます。
が、途中で道を分ち、ホビット庄に顔を見せなかったのです。
しかし、彼はホビット庄の惨状を予見していたのでしょう、
別れ際にサルマンの名を出して注意を促してから、こう言います。
「ホビット庄のことはお前さんたちが自分で解決しなければならぬ。それこそお前さんたちが今まで仕込まれてきたことなのじゃ。」
そしてフロドたちは、成長した、実に大きくなったと言い、
「お前さんたちはだいじょうぶうまくやってのけるじゃろう。」
そう言葉を言い置いて、馬を駆って風のように立ち去ります(1)
そしてその言葉の通り、フロドたちはやってのけたのでした。

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「帰って」きたフロドたちは、別に魔法を使えるようになったというわけではありません。
技を体得したとか、何か目に見えるようなパワーを得たというわけでもありません。
からだは小さいホビット族のまんまです。
幾多の戦いの場数を経て、戦いに対する経験値は上がったかもしれませんが、
戦闘力がアップしたというわけではなさそうです。

けれど、彼らは「仕込まれ」た。
「アスケシス」の旅を乗り越えることで、まさしく彼らは「仕込まれ」たのだと思います。

脅かしや暴力にひるまず、屈することなく、知恵を使い、仲間に呼びかけ、仲間の力を結集させ、
そうしてゴロツキどもを一掃する。

その胆力。その思慮深さ。その意志の強さ、大きさ。
それらは、もしかしたら彼らの生来の資質であったのかもしれません。
しかし、何度もこころ折られ、嘆息し、くじけそうになった「アスケシス(精神訓練)」を通じて
「仕込まれ」、資質を大きく成長させた。
彼らはガンダルフの言っていた通り、成長し、大きくなったのです。

これから先、彼らの現実に災難や困難がふりかかって来たとしても、
それらは道を照らす灯となるに違いありません。

ちょうどバスチアンが「生命(いのち)の水」を浴びたときに感じた「生きる悦び、自分自身であることの悦び」が、
その後年老いてからも、人生で最も困難な時期にさえ、彼をほほえませ、
そして周囲の人々を慰めた、と語られていたように(2)

そして彼らといっしょに旅を経験した読者もまた、現実に立ち向かおうとする彼らの勇気の一粒をもらうのではないでしょうか。

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仲間のサムが、旅の途中でエルフ(妖精)の奥方からプレゼントにもらった土(粉末)は
印象的です。
中には、種子(たね)がひとつ入っていました。

木を切り倒され、荒れはてたホビット庄に、サムはその土をまき、種子をまきます。
すると後に、緑は豊かに育ち、「マルローン樹」といわれるファンタジーの森にしか生えない樹が、
美しく神秘的な枝を茂らせることになったといいます。

もしかしたらトールキンは、「マルローン樹」の種子が、
読者の(そしてもしかしたら作者自身の)現実世界にもまかれ、
葉を繁らせることをひそかに願ったのではないでしょうか。

その実は食べられるものではないらしく、腹の足しになったわけではないらしい。
しかつめらしい教訓や知識や情報や何かの役に立つものでもないらしい。
ましてや、経済や産業の利益につながるわけでもないらしい。
しかし、その美しさを愛でるために、近隣の村や、遠くの方からも人々がやってきたといいます。

その木陰は時に、畑の耕作に疲れた人々が腰を下ろして安らぐ憩いの場所となったかもしれません。
激しい雨のときには雨宿りの場となり、
酷暑のときには、厳しい陽射しから身を守るための日陰を提供してくれたかもしれません。
村にそびえ立つその姿は、道に迷う旅人にとっての目印しとなったかもしれません。

ひょっとしたら、宮沢賢治が遺した「 虔十公園林」(3)のように、
その根元で子どもたちが夢中で遊んだかもしれません。

そしてたぶん、
……いえ、きっと、その木陰は緑の風を運び、
バスチアンがファンタージエン国から持ち帰った「生命の水」のように、
この世界をいきいきとさせた。
「人生って悪くないかもしれない」と思わせてくれるような、
そんなふうな木陰だったのではないかと思うのです。

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紙芝居の扉を開けて絵が見えたとき。
演じ手が口を開いて物語が始まるとき。
そこに現出する世界も、ここではない世界──異界です。

それは、「ファンタージエン国」、「ナルニア国」、「第二世界」と、呼び名はさまざまですが、
魔女ややまんばやかいじゅうたちがすんでいる世界。
つまりは、わたしたちや子どもたちの心の現実のずっと奥底、
10フィート以上も深く根っこをもつ世界。

時に恐ろしく不安に満ちていて、時には死の世界にさえ通じていたりする。
楽しいだけでなく、怒りやかなしみにも満ちている。
そして、だからこそおもしろく魅力的な世界です。

物語の主人公は、成長する子どもたちが母のもとから旅立ち「行って帰ってくる」ように、
母なるものから切り離され、旅立ち、その異世界へ「行って帰ってくる」。

紙芝居を作るとき、わたしたちもまた、その世界へ「行って帰ってくる」のでしょう。
そして、紙芝居を演じたり、みたりするとき、
演じ手や観客の子どもたちは、主人公といっしょに、そこへ「行って」、そうして「帰ってくる」。

それは、ただ、遊ぶだけです。
が、しかし、そうしてただ遊び興じて帰ってきたとき、子どもたちの手には、
サムが持ち帰ったような樹の種子が──
どんなにつまらない小さなものでも、何かの種子が、握られているのだと思います。
また、そうであればいいなあと思います。




《引用・参考文献》
(1)J・R・R・トールキン、瀬田貞二・田中明子訳「指輪物語」評論社
(2)ミヒャエル・エンデ、上田真而子・佐藤真理子訳「はてしない物語」岩波書店
(3)宮沢賢治「虔十公園林」〜「宮沢賢治全集6」ちくま文庫・所収
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f0223055_1544921.gifバスチアン・バルタザール・ブックスは、
行って帰ってくる・その2




「はてしない物語」(1)は、
多くの昔話やよくできた作品と同じように、
“通りいっぺんの寓意を読み取ろうとするような解釈”を拒むところがあります。
“解釈のための解釈 ”ではとらえきれない豊饒さがある。

たとえば、物語には、その果てしなさを表すような二匹のへび
──相手の尾をそれぞれかみながら輪になってつながるへびが登場します。
それはこの「はてしない物語」という本の表紙にも描かれているものでした。
これは、昔から錬金術などに伝えられる“ウロボロス”で、
ユング派の精神分析では、未分化なカオス状態という象徴の意味が与えられているものです。

が、そうした解釈を無理矢理にあてはめようとしても、あまり意味はないのではないでしょうか。

しかし、“アイゥオーラおばさま”という登場人物に出会うとき、
わたしたちは、あの母なるもの──グレートマザーのひとつの姿を見ることになります。

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「アイゥオーラ」という名前は、イタリア語で「花壇」のことなのだそうです。
彼女の体からは葉や花が咲き乱れ果実が成長し、
それが帽子の飾りとなり、花柄の模様となって服を彩ります。
そして彼女が「特別に骨をおって用意した」そのみずみずしい果実が、
バスチアンの望むままに彼の飢えと渇きを癒してくれます。

いわば「いい母親」としてのお菓子の家。
とびきりの理想的なお菓子の家ですね。

母親の体の血液が実は母乳であり、赤ん坊の糧(かて)となるように、
バスチアンは、アイゥオーラおばさまの体──つまりお菓子の家を食べる。
そして、食べることで、癒される。

彼女は、バスチアンのこれまでの道のりを肯定し……、というより、
彼の存在自体を肯定し、受けとめてくれる。
すべての価値観を見失い、傷ついたバスチアンには、
その存在をあるがままに受けいれてくれる「絶対的信頼感」を得ること、
その母なるものの抱擁を確かめることが必要だったんですね。

バスチアンは、幼児の頃に退行するようにして、アイゥオーラおばさまのもとで過ごします。
それは、バスチアンの今は亡き母親の面影をたどり、その与えてくれた愛情を、
そして彼の中にある母性を今一度確かめることでもあったでしょう。

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その家は「変わる家」
家自体も形を変えるのですが、そこで過ごす人間も「変わる」
──変容させるというのがおもしろいと思います。

ヘンゼルとグレーテルが訪ねた魔女のお菓子の家は、
彼らをその甘さの中に閉じ込めようとするものです。
つまり、成長や変容を拒む。
いわば「変わらせない家」。
もっとも、そうして魔女が彼らに与えた攻撃と試練が、実は彼らを結果的に
「変えて」いくことになるのですが。

一方、アイゥオーラおばさまの「変わる家」(=変わらせる家)は、
倉橋惣三が説いた通りの甘み──子を思う母親のこころそのものをバスチアンに与えます。
そうして彼が愛に満たされたとき、バスチアンは自分の“ほんとうの望み”が何であるかに
思い至ります。

彼の“ほんとうの望み”とは、自分が誰かから愛されることではなく、
自分から誰かを愛するということ。
それはアイゥオーラおばさまから愛を受け取らなければ、気づけなかったことかもしれません。
そうして彼は、自ら進んでお菓子の家──母なるものの元から旅立っていく。

実際、子どもたちは愛情の欠けた不安定な状態ではなかなか自立に踏み切れません。
けれど、じゅうぶんな愛情に満たされたとき、
ごく自然に自立へのステップへと足を踏み出していくものなのでしょう。
安全安心な港が築かれてはじめて、荒れる外海をも目指して船が出航出来るように。
成長する果実が、時が熟した時、ごく自然に木の枝から離れ落ちていくように。

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バスチアンのその旅立ちの朝、アイゥオーラおばさまは、
実や花だけでなく葉っぱすらもすっかり落として、枯れ木のように見えたと語られます。
その時、彼女は目を閉じたまま、無言であったところを見ると、
もしかしたらほんとうに枯れていた──死んでいたのかもしれません。
献身的なその愛情は感動的です。
もしかしたら彼女は命を賭してバスチアンに愛を与えた。

しかし、“母なるもの”──死と再生のはたらきを持つグレートマザーである彼女は、
またいつか、かたちを変えてよみがえり、バスチアンの前に現れるのではないでしょうか。

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ファンタージエン国へと「行った」バスチアンが人間世界に「帰る」ためには、
最後の、そしてほんとうの望みをみつけなければなりませんでした。
それは、誰かを愛すること。
言うことは簡単ですが、
しかしそれは、一般的に愛するというような抽象的、空想的なことではなく、
現実として具体的に実践する愛でなくてはならない。

しかし現実を生きることを忘れ、現実の記憶をなくし、
とうとう両親の記憶さえ失った彼には、誰を愛するかさえ答えることができなくなります。

ファンタージエンという国土は、人間が眠っている最中に見て、
けれど忘れてしまった夢が積み重なったその基盤の上にあるのだといいます。
なるほど、ファンタジーというのは、そういうものなのかもしれません。

無意識の中に堆積した夢のかけらの上に築かれる物語。
バスチアンは、その堆積層の地中深く、穴を穿った採掘場で、
自分の失った記憶の手がかりとなる絵を探し、掘り起こすことになります。

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「空想は現実に十フィート(=約3m)も根をおろしてこそ、はじめて意味をもつ」
と、絵本作家センダックは語っていました(2)

バスチアンが降りた坑道は、10フィートよりもはるかに深かったかもしれませんね。
けれど、確かにそこは現実の地下10フィートの根っことつながっている。
光の届かない坑道の真っ暗闇の中での手探りの作業は、
自分のこころの深層の奥底を探る作業であったのでしょう。

わずかな物音でも、繊細な夢の絵の雲母は壊れてしまう。
そのため、バスチアンの採掘の師となる坑夫ヨルは、大きな声を出しません。
むしろ沈黙によって、バスチアンを教え導く。

永遠の冬であるその場所はしんと静かで、その作業は、内的な瞑想に似ているようにも思われます。
来る日も来る日も、地道で、辛抱強さを必要とする、孤独な作業。
そこで飲むスープは身体をあたためてくれましたが、
その塩からさは、涙と汗に似ていたと語られます。


そうしてとうとうバスチアンは、1枚の絵を発掘する。
それは、「自分を最も愛してくれる」父親の絵でした。
ちょうどマックスが、「自分を最も愛してくれるだれかさん」──母親の作った夕食の匂いに導かれ、現実へと帰ってきたように(「かいじゅうたちがいるところ」(3))、
バスチアンにとっては、その絵が、現実の世界へ「帰ってくる」ための道しるべとなったわけです。

これでやっと帰ることが出来る。
そう思われたとき、バスチアンが作り出した不幸な生きものが、絵をこなごなにしてしまいます。
すべてが無に帰す。
自分の名の記憶さえ、失ってしまう。
絶対的な絶望。
そのとき、現われ、彼を救ったのは、かつての友。
──バスチアンが不信と嫉妬のために剣で胸を貫いた、アトレーユでした。

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そこでバスチアンが、「アウリン」というメダルを手放したとき、
帰るための道が開かれることになります。

「アウリン」は、バスチアンが幼ごころの君から託された、
この国を統べるための名代のしるしとも言うべき宝物で、その裏には
「汝の 欲する ことを なせ」
と刻まれていたものでした。

灰色の現実の中で絶望にこころを縮ませ、こわばらせていたバスチアンにとって、
自分には「欲することを為す」自由があること、
その可能性を信じることは大きなよろこびであり、大きな救いとなりました。

ファンタージエン国では、すべてが可能でした。
灰色の現実の中で自分の可能性を信じられず、可能性の枯渇の中で絶望に陥っていた彼に、
アウリンは可能性をもたらし、気づかせ、生気を与えてくれる。
可能性を得た彼は、しかし今度は、その大きな可能性の中で自己を見失ってしまったのです。

拡大された可能性の中でさまよっていたバスチアンは、自己自身を振り返り、
自己自身へと戻らなければなりませんでした。
そして自己の深層を掘り起こすことで、“ほんとうの”具体的な望みにたどりつく。

(※このあたりのバスチアンの心理的な状況は、
哲学者キルケゴールが、その著書「死にいたる病」(4)の中で
「可能性」と「必然性」について説いた箇所によく言い表されていると思います。)

帰る道への扉が、実は最初からバスチアンの胸にぶら下がっていたというのも、
おもしろいところですね。
最初から、自分自身が持っていた。

「内面に向かって(道を)求めるべきで、外面に向かって散漫になってはいけない」
と説いたブッダの言葉に通じるところがあるかもしれません(5)
あるいは、
「照顧脚下(しょうこきゃっか)」(足元をよく見よ)
という禅の言葉。
道は、遠く外に求めてもあるものではなく、自分のすぐ足元にあるよ、
ということなのだそうです(6)

しかし、その気づきに至るためには、失敗を重ねて試行錯誤する、
遠く外をさまよう「アスケシス」の旅が必要だったのでしょう。

この世界の根源的なパワーをもつ、“命の綱”ともいえるお宝、アウリン。
けっして失うまいと大事に持っていたその宝を手放すことこそ、
実は道を開く鍵だったというあたりも、どこか禅問答を思わせるところがある気がします。

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そしてさらに、アトレーユの友情に救われ、
バスチアンは「生命(いのち)の水」を飲むことができます。
旅は孤独でもありましたが、一人ではなかった。
人々に教えられ、導かれ、そして助けられて「生命の水」にたどり着いたわけです。

「生命の水」たちは、大きな泉として高く低く噴き出しながら、声を上げてこう言います。

「われら、生命の水!
己(おの)が内より ほとばしり出る泉…」
(1)

アト・ド・フリース著「イメージ・シンボル事典」(7)によると、
「泉(fountain)」は、異界から湧き出るものとされ、
そのイメージは、「死」「誕生」「再生」などと関連をもつとされます。

そんな生命の水を、バスチアンは全身に浴び、浸かる。
その描写は、「流」という漢字そのままに、橋のたもとから流された川の水の中で、
あるいは羊水の中で、「あの世」に行った魂が、死と再生を経験するさまに似ています。

頭部に水を降り注いで行われる「洗礼」というキリスト教の儀式は、
全身で水に浸かるのがもともとのやり方で、
これは「再生」を意味するともいわれます。

生命の水に洗われて魂は「この世」によみがえる。
生まれ変わる。
そうしてバスチアンは「帰って」きます。

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さて、すると、現実の世界が一変します。
具体的には何も変わってないのですが、生まれ変わったバスチアンの目からは、
すべてがいきいきとしているように見えてくる。

それは「ムーリーフォック(mooreeffoc)」効果でもあるでしょう。
何がいちばん大切なのかを知り、現実に立ち向かう勇気を知った彼にとって、
この世界は奥深く豊かに見えてくる。
「アスケシス」をやりとげた彼は、無彩色に、灰色に見えていた現実が、
実は豊かな彩りを持っていたことを知るわけです。

バスチアンは「生命の水」を浴びたとき、父親にも飲ませてあげようと両手にすくいました。
が、途中でこぼしてしまいます。

そういえばグリム童話に「命の水」(8)という一編があります。
瀕死の病気に苦しむ王様である父親に飲ませるために、末っ子の王子が苦労を重ねて
「命の水」を持ち帰るという物語です。

バスチアンは父親と再会を果たします。
バスチアンは、自分がいなくなって父親はよろこんでいるかもしれないくらいだと
言っていましたが、とんでもない。

バスチアンが行方不明となったあいだ(現実では一晩)じゅう、
彼は血眼になって捜し歩いていたのでした。
彼は、バスチアンの母親である妻と死別したことで、その悲嘆から抜け出せずに、
息子への関心をじゅうぶんに注げなかったのでした。
息子を失ったらと思う彼の気持ちは、いかばかりだったでしょう。

そしてバスチアンは、たぶん生まれて初めて、父親の目に涙が宿っているのを目にします。
そのときです。
途中でこぼしてしまったと思っていた「生命の水」を実は持ち帰っていたこと、
実は飲ませることが出来たんだということを確信するのです。

確かに彼は、「生命の水」を持って帰っていた。
グリム童話の父親王は、結局、息子が持ち帰った「命の水」を飲んで元気になりました。
バスチアンの父親もまた、生きる元気を取り戻すんですね。

そう。
異界へ「行って帰ってくる」こと。
「死」と「再生」を体験することは、おとなに成長するための試練であり、
それは時に、自分の中にある「生命の水」に気づくこと。
その日常の現実では見えにくい生命の“いきいきしさ”を、
こちら側の世界へ持ち帰ることであるのかもしれません。

それが、この世界をいきいきとさせる。
それは、現実に硬直したこの世界や、あるいは父親、あるいは自分自身を解きほぐし、
救うことでもあるのだと思います。

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《引用・参考文献》
(1)ミヒャエル・エンデ、上田真而子・佐藤真理子訳「はてしない物語」岩波書店
(2)ナット・ヘントフ「かいじゅうたちにかこまれて」~イーゴフ・スタブス・アシュレイ編、猪熊葉子・清水真砂子・渡辺茂男訳「オンリー・コネクト」岩波書店・所収
(3)モーリス・センダック、神宮輝夫訳「かいじゅうたちのいるところ」冨山房
(4)キルケゴール、桝田啓三郎訳「死にいたる病」〜桝田啓三郎編「キルケゴール」(「世界の名著40」)中央公論社・所収
(5)長尾雅人・荒牧典俊訳「宝積経」〜長尾雅人編「大乗仏典」(「世界の名著2」)中央公論社・所収
(6)久須本文雄「禅語入門」大法輪閣
(7)アト・ド・フリース、山下主一郎主幹、荒このみ・上坪正徳・川口紘明・喜多尾道冬・栗山啓一・竹中昌宏・深沢俊・福士久夫・山下主一郎・湯原剛共訳「イメージ・シンボル事典」大修館書店
(8)グリム「命の水」~高橋健二訳「完訳グリム童話集・3」小学館・所収



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