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f0223055_17455451.gif未来からの手紙


異星人ナヴィの死生観や自然観は、われわれ日本人に近しいところがあります。
おれは日本人ですが、残念なことに俳句は詠めません。
が、読むことは好きです。
森を散策したり自然と交流することで詩と向き合う俳句などは、きっと心に「フィーラー」を残していないと出来ないに違いないと思います。

日本人は、西洋の文明に生きて来た人々よりはナヴィに対して違和感が少ないのではないでしょうか。
豊穣な、母なる自然。
その恐ろしく残酷でもあるマイナスの側面が描かれることが少なかったりするのは、まあ、映画の常ですね。
映像には、イマジネーションを縦横に広げて描かれる華やかさがあり、そこでの生活は現実離れのした、まあ、つまりは仮想現実。
「夢のような」非現実の体験ではあります。
が、やっぱり魅力的。

翼竜のようなマウンテン・バンシーを乗りこなす試練は、一人前になるための通過儀礼のようです。
一歩足を踏み外せば奈落へ真っ逆さま。
そんな場所で暴れる野生の鳥をロデオのように乗りこなすのは、スリルどころではなく、生死を懸けた試練です。
それをやり遂げたときのジェイクのよろこびを、観客もまたちょっと分けてもらうことが出来る。
野生の獣であるマウンテン・バンシーと「フィーラー」を通わせ合い、その背中で風を切る爽快感。
崖の間を滑空し、空を飛び回る心地よさ。自由感。
それは、一人前のナヴィとして生きていくことのよろこびと重ねられます。

そして自然人ネイティリがまた、魅力的なんだよなあ。
演じた女優であるゾーイ・サルダナのことをこれまで知りませんでした。
俳優の動きを取り込み、CGに移し替えるパフォーマンス・キャプチャーという技術によって、彼女は全編、青い肌のナヴィとなって登場するため、素顔を見せません。
が、撮影までの半年間、武術や馬術、弓矢の技術を学んだというその動きは、ヒョウやオセロットのようにしなやかで美しく、セクシーです。

俳優がスクリーンや舞台で演じるということは、文字通り「アバター(分身)」にたとえられます。
ナヴィの女戦士ネイティリという「キャラクター=アバター」に映された姿は、余計な粉飾のないせいもあってか、純粋で、心もしなやかで美しく感じられたものでした。
「アヴァターラ」がヒンドゥーの神の魂を映した化身であるように、「アバター」もまた俳優の素顔を映しているのでしょう。
映画を観た後、ネットでゾーイ・サルダナの素顔を見たら、これがまた想像通りに美しく、チャーミングでした。

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さてしかし、ナヴィの「アバター」となることは、ナヴィそのものになることではありません。
そして物語のこの状況で「アバター」となることは、地球人類(マジョリティ)とナヴィ(マイノリティ)が対立するその切っ先の狭間に身を投じるということです。

おれは海外旅行というものをしたことがありません。
が、自国を離れて外国というものを少しでも経験すると、はじめて自分の国がわかった気がするという話を友だちからもよく聞きます。
人は、他者という鏡に自分の姿を映すことで、はじめて自分というものを知ることが出来るのでしょう。
異なる側に立って、外側から客観視することで、自分の姿というものが見えてきたりする。
他人の身になって、他人の側からながめたとき、自分のひずみや歪みも見えてくる。
ジェイクがアバターとしてマイノリティを生きたとき、自分の属するマジョリティ社会のひずみや歪みが彼の前に立ちはだかることになります。

大多数の人間の幸福のためなら、少数の人間を犠牲にしてもやむを得ない。
それがマジョリティ社会が選択して来た正義です。

かつて北米の西部開拓時代、人々は西へ西へと未知の土地へ行き、苦労して耕し、苦労して家を作り、苦労して町を作った。
確かに苦労を重ねたのだと思います。
しかし、では、その土地に代々住んで来た人々はどうしたか。
排除されました。

この映画では、「赤い人(赤色人種と呼ばれた北米インディアン)」が「青い人」に置き換えられているように見えます。
地球人類は、最初は異文化を理解しようとし、交渉を試みました。
が、結局、地球人類は地下に眠る鉱床資源を手に入れるため、「青い人」を排除し、その土地を奪おうとする。
かつて「白い人」が、利のために「赤い人」を悪と決めつけ、その土地を奪ったように。

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そうした構図は、100年前の過去でも100年後の未来でも、そして21世紀の今の世も変わらないのかもしれません。
「産業の発展」「国益」という利のためなら、数年前までは他国のものと認めていた島を突如、自分のものだと主張を始める国。
かつて隣りの国を侵略して仏教の指導者を追い出し、今は併合というかたちで、自国の圧倒的に多数の人数に比べれば少数の民族を制圧している国。
その某国の当局は今は否定していますが、一時、この「アバター」という映画の上映期間の短縮やPRの禁止を指示したというニュースが流れたことがあります。
その真偽はともかく、当局が危惧したということはじゅうぶん理解出来ます。
この映画は、大多数の富のためなら、少数は犠牲になってかまわないというマジョリティ側の論理に異議を唱え、告発する物語でもあるからです。

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映画では、グレイスら、親ナヴィ派以外の地球人類は、悪役として描かれます。
侵略を主導するカリスマ的なボスキャラは登場しません。
主導者がいないというのは現代的と言えるでしょう。
主導者が見えないまま、組織が侵略へと動いていく。
舵をきるのは、会社の資源開発部門の責任者、セルフリッジ。
彼はオフィス内ではおそらくデキる優秀な社員で、武力による強行ではなく穏便な交渉を望んでいます。
が、それというのも問題を起こすことを嫌い、上司や株主の評価を得るため。失敗したら自分が切られます。
彼は、ナヴィの身になって考えるということなど、想像したこともないでしょう。
大事な決断を下すという場面では、いかにも小物らしく尻込みをする。

そんな彼を煽るのが、根っからの軍人で、幾多の戦闘経験を積んできた、いかにも強者(つわもの)なクオリッチ大佐。
味方にとっては、経験を重ねた頼れるオヤブン。
彼はただ、会社の傭兵部隊の指揮官として、プロとして、仕事に忠実なだけです。
彼にとってナヴィは、憎むべき敵というよりも、障害となるから排除すべきものであるという「it(それ)」に過ぎないのかもしれません。
決戦の地へ向かう大型飛行艇の中で、コーヒーをすすり、「早いとこ、仕事を終わらせよう」などとつぶやくシーンなどは、いかにも悪役らしい。憎々しげに見えます。
原始的な武器しか持たず、簡単に蹴散らせるはずだったナヴィ軍によって、部隊がまさかの壊滅状態となれば、怒り心頭。
この映画ではボスキャラの役割を担い、最後までしぶとく主人公を追いつめることになります。

ナチュラルだとかエコだとか、今、時代の趨勢は自然志向に傾いています。
自然破壊を「悪」として糾弾しやすい。
また、自然と共生して生きるマイノリティを排除するマジョリティの横暴も、「悪」としてわかりやすい。
観客は主人公のアバターとともに、マイノリティ側に共感しているから、いっそうわかりやすい。
そんな「悪」に打ち勝ってみせるラストは、だからエンターテイメントとしてのカタルシスがあります。
溜飲が下がる。

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その点、歴史的な事実を背景とした「ダンス・ウィズ・ウルブズ」とは違いますね。
マイノリティ側の部族の一員となって友情を結ぶ”ダンス・ウィズ・ウルブズ”ことジョン・ダンバー(ケビン・コスナー)は、ジェイクの立場そのままです。
彼もまたマジョリティからは裏切り者とされ、拘束される。
インディアンに救出され部族に合流するも、結局、自分のせいで部族が窮地に陥らないよう、妻とともに部族を去るところでラストとなります。
インディアンが騎兵隊をやっつけてラストとはなりません。

最後に字幕で、その20数年後、スー族が騎兵隊に投降したと語られますが、
そこへ至るまで20数年の間にどれだけの悲劇があったか、われわれは知っているわけです。
「いいインディアンは死んだインディアンだ」
とする蛮行が、女性や子どもにも及んだ。
主人公たちもまた、その蛮行から逃げおおせることが出来たか、どうか。
部族のその先の運命を知っているから余計に、主人公と部族の仲間との別れが哀切を帯びて迫ってきました。

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また、この映画のラストは、映画「もののけ姫」とも違います。
「もののけ姫」では、サン(=もののけ姫)をはじめとする山犬やイノシシらの獣たち「自然」と、エボシを筆頭に、自然を開拓して産業を興して生きようとする「人間」の対立が軸となっていました。
自然を克して産業を興す。
これは、昔から人間が行ってきたことです。
たとえば、足尾鉱毒事件。
明治の当時、「富国強兵」のスローガンのもと、足尾銅山の採掘事業は、日本の「産業の発展」「国益」のための原動機の働きを担っていました。
が、精錬のための煙やガスは、付近の山の動物、植物、微生物をも死滅させる。
荒れ果て、緑を失った山々は洪水を引き起こす。
排水に含まれる鉱毒は川の下流へと流れ、人々の健康と田畑に甚大な打撃を与える。
これは暴挙に行き過ぎた例ですが、足尾には、エボシたちが行っていたタタラ場(製鉄所)の発展した姿、人間の業(わざ)の行く末の姿があったと思います。
彼らは森を切り拓いてタタラ場を作っただけでなく、そこから吐き出される煙は、付近の森を丸坊主にしていました。

そして、さらにその行く末に、今のおれたちの社会があります。
エボシたちや足尾銅山が自然を切り拓いて産業を興したように、まさにその通りの道を歩んで来ました。
封建制の中、権力に屈せず、病気の仲間に心を砕き、共同体を守り率いるエボシは、理想的なリーダー像です。
厳しい自然に立ち向かい、懸命に仕事をして、稼ぎ、生活を営み、共同社会を営む。
北米の西部開拓民もまた、同じ道を歩んで来ました。
そうした人々の労苦の上に、文明が築かれ、今の社会が成り立っている。
わたしたちの今がそうした文明の恩恵にあずかっていることを忘れてはならないでしょう。

「もののけ姫」では、どちらかを「悪」と決めつけるわけではありません。
その服装や「エミシ(蝦夷)」という出身の里の名前から、マタギやアイヌとのつながりを感じさせる主人公アシタカは、縄文時代の狩猟文化を継承する、自然と共生する民だと思われます。
彼は、サンたち「自然」側にも、エボシたち「人間」側にもどちらにも与(くみ)せず、害せず、
「曇りなき眼(まなこ)」によって両者を理解し、見定めようとします。
物語は、「神殺し(あるいは母殺しとも呼べるかもしれません)」へと展開し、その死と再生の力によって、丸坊主の山に緑がよみがえるところで幕を閉じます。
結局アシタカは、どちらにも帰属することなく、両者がいかに共生出来るかを探る道──つまり悩み続けることを選びました。
自然と共生する民らしい選択です。
おれはこの選択に、宮崎駿監督の誠実さを感じる気がします。
が、ここにわかりやすいカタルシスはありません。
われわれ観客にはモヤモヤが残ります。
どっちつかずにも見えるアシタカの選択は、「あなたはどういう道をとるか?」という問いを観客に投げかけることにもなる。

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ジェイクは、アバターとしてナヴィ側に身を置きますが、やっぱり意識や行動原理は地球人のままです。
巨大翼竜・レオノプテリックスを従えて伝説の英雄「トゥルーク・マクト」になるというのも、言い替えると、これは力を獲得することです。
獲得した権力をもって、全星の部族の天下統一をはかり、迫り来る武力に対して武力で応じる。
いわば、パワー・ゲーム。
絶体絶命のピンチのところで、「エイワ」という自然がエネルギーと力を貸してくれるという展開は重要だと思いますが、
原理としては、パワー・ゲームであることに変わりありません。

そのゲームに勝利し、悪をやっつけ、ハッピーエンドを迎えることがカタルシスとなるわけで、
エンターテイメントとしては納得の結末といえるでしょう。
が、しかし、その枠組みから抜け出せないところに、ハリウッド映画としての、引いてはアメリカの文化(文明)の限界があるような気もします。
パワー・ゲームとか経済とかも大切なことですが、しかし、そういう枠に縛られないところから、自然との共生や文化を発想し、勝ち負けではなく、解決の糸口を模索していくことが、今求められているのではないかとも思えるからです。

1977年、国連議会に応じて、アメリカ・インディアン、イロコイ族オノンダガ国のエルダー(長老)でありチーフであるオレン・ライオンズは世界に向けて声明を述べました。

「……創造神は我々を互いに平等なものとしてつくった。
そのことを私はあなた方に警告する。
しかも人間だけではなく、あらゆる生き物が平等なのである。
我々の生命が平等であることを、あなた方は理解しなければならない。そしてそれは、この世界の未来のために、あなた方が守り通さなくてはならない原則なのだ。
経済と技術があなた方を手助けしている。
しかし、あなた方が平等の原則を用いないならば、経済と技術によって、いずれあなた方は破壊されるだろう。
目先の利益や損失などは、未来の世代にとってはなんの意味もない。……」
「……悪事をなすのは我々、この二本脚の動物である我々だけだ。
そしてこの悪事を、我々の兄弟である自然に対して、あるいは他の人間に対して犯すならば、創造神の目から見て最悪のことをしでかしていることになる。」
(1)

この言葉が語られた当時からおよそ30年を経た「未来の世代」であるおれたちは、目先の利益や損失が意味のないことをいいかげん理解していいはず、です。
22世紀の未来から届いたこの映画の物語もまた、同じことを語っているように思われます。
自然に対して、マイノリティだったりする他の人間に対して、未来を台無しにするような最悪のことをしでかしてはいないだろうか。
「他人の身になる」ことで、そんなことも考えさせられた映画でありました。

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《引用・参考文献》
(1)ジョゼフ・ブルチャック編、中沢新一+石川雄午訳「それでもあなたの道を行け」(めるくまーる)
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f0223055_1532922.gif他人の身になってみる


この映画「アバター」は、2009年公開当時、「3D」作品として話題になりました。
興行的にも成功したらしいですね。
2011年現在、映画だけでなくテレビやゲームの「3D」化も普及しています。
専用メガネなしでも見られるそうな。
「3D」が当たり前となる日もそう遠くないような勢いです。
となると、この映画は興行的な記録とともに、「3D」の先鞭をつけた作品として歴史に刻まれ、記憶されるのかもしれません。
けれど、おれは「3D」云々と関係なく、ぜんぜんおもしろく観ました。
そしてその物語のおもしろさは、しかしどうやら、やっぱり「3D」の技術とも密接に関係がありそうなのでした。

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「他人の身になって考えてみろ」
子どもの頃、しばしば言われたもんです。
なるほど、自分をヒトの身に置き換えて考えると、ヒトが何を考えているかが理解出来やすくなる。
また思いやることも出来るのかもしれません。
他人の身になって考える「想像力」というやつは、きっと大切です。
けれど、これって難しい。
自分に余裕がないと出来ません。
利害や感情がからんだり、立場が違ったりしていると、もっと出来ません。
けれど、この「他人の身になって考える」ということを、「アバター」という映画はやってみせてくれるわけです。

そもそも「アバター」とは、ヒンドゥー教で言うところの「化身」「肉体の顕現」をあらわす「アヴァターラ」が語源。
神が、人間や動物のかたちに肉体化することでこの世に下った、その化身した姿をいうのだそうです。
ヒンドゥー教では、人間となるアヴァターラは青い色をしているといい、
それが青い肌のナヴィをデザインする発想のひとつのきっかけとなったと、ジェームズ・キャメロン監督は語っています。
意識は自分のまま、他人の肉体にリンクし、分身──つまり「アバター」になる。
文字通り、「他人の身になる」わけです。

主人公ジェイクが、初めてアバターにリンクしたとき、まるで試運転をするように、囲みを破り、スタッフの制止をふりきって外へ飛び出し走るシーンがありました。
戦争のために下半身不随となり車椅子生活を強いられていた彼にとって、足の裏に土を感じ、風を感じ、思いっきり走ることはこの上ない喜びだったでしょう。
観客にもそれは伝わりました。
アバターの視点のカメラワークがうまく使われ、走るにつれて躍動する景色が新鮮。
初めて自分の足で歩いた赤ん坊の頃の記憶はもちろんありませんが、
初めて自分でこいで自転車に乗れたときの景色は、確かこんな感じだったよな。と、思わせられる。

つまり、主人公ジェイクがアバターにリンクして、異星人ナヴィの身になって体験を重ねていくように、
観客も主人公にリンクして、体験を重ねていく。
ジェイクが他人の身になって体験するように、観客も主人公の身になって体験する。
聞き手が主人公に感情移入して物語を体験する、というのは、遠い昔話の時代から行われてきた「物語」というものの伝統的な特質です。
それをこの映画は拡大してみせてくれる。
このとき、3Dという映像システムが、実に効果的なんです。

たとえば空中に浮遊する小さな灰や、ガラス窓に付着した汚れ。
こうした細かいモチーフが遠近感の中で浮き上がって見えると、それが気配として感じられる。
3Dというと「映像が飛び出る」というフレーズで語られることが多いけれど、
むしろ「映像に入り込む」と言っていい。
立体的な景色の中へ分け入ることで、気配を体感出来る。
ヴァーチャルな錯覚とわかってはいても、視覚・聴覚だけでなく、五感さえ刺激される気がするのです。
リアルな臨場感。
その後も、3D映画を何本か観ましたが、そうした感覚はあまりありませんでした。
これは、この映画の綿密な映像演出のせいという要素も大きいかもしれません。

惑星パンドラのその立体的な世界は、エンターテイメントとして美しく描かれ、また世界観の設定が緻密なこともあって、深い奥行きが感じられます。
細部に至るまで見事。
空飛ぶ島、巨大樹、六本足の獣たち、夜になると発光する植物、浮遊するクラゲを思わせる植物の胞子……。
神秘的な謎にも満ちた確固たる世界が、リアル感を伴って確かに目の前に感じられる。
それだけで飽きません。

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では、主人公ジェイク(そしてジェイクにリンクした観客のわれわれ)が「他人(ヒト)の身になって」体験するその「他人」とは誰か?
彼とわれわれ観客は、どんなアバター(分身)となってこの映画の物語を体験するのか?
──それは、異星人ナヴィ。
先進諸国から見れば異文化の体現者であり、マイノリティ(少数民族)になぞらえられる存在です。


初めてジェイクが森に入ったとき、仲間とはぐれ、猛獣に襲われる。
結果、猛獣を殺すことになったわけですが、ナヴィの女戦士であり、狩人であるネイティリはそのことを責めます。
自然の中では襲われないためのルールともいうべき自然の処し方があり、彼はそれを破った。
身を守るためとはいえ、無益に生命を奪うことは自然の調和やバランスを破壊すること。
部族では当たり前のそうした自然の理を知らない彼を、何も知らない「赤ん坊」と呼んでネイティリは非難するのです。

やがてジェイクはネイティリに学び、狩りの仕方を教わるようになる。
初めて獲物を仕留めたとき、師である彼女が教えたのは、奪った生命に対して祈りの言葉を捧げることでした。
生命を奪い、その生命を自分の糧とすること。
それは自然の摂理であり、狩りということの本質であり、生きるということの現実。
そのことに感謝し、奪った生命の魂の平安を祈ることを教えるわけです。

こうした儀式の習慣は、世界各地の狩猟民族のあいだに見られます。
日本の東北や北海道の伝統的な狩猟集団であるマタギたちも、同じような祈りを捧げていましたね。
マタギとの脈絡があるといわれるアイヌもそうです。
アイヌ民族の世界観によれば、熊や鹿などのけものたちは神であり、本来の魂は山奥深く(あるいは天上)にある神の国(カムイ・モシリ)にいる。
それが人間の国(アイヌ・モシリ)へ時々やって来て、食糧となる肉や毛皮を人間にもたらしてくれるのだといいます。
だから、彼らを仕留めたときには、感謝して彼らの魂を神の国へ帰す祈り(カムイノミ)を捧げる(1)

ナヴィでは、死んだものの魂は、「エイワ」に帰ると言っていました。
「エイワ」というのは、どうやら惑星パンドラに生きとし生けるものすべてを結ぶネットワークの総和で、惑星生命体のようにひとつの意思を持ち、神に近いような存在であるらしい。
動物であれ、植物であれ、ナヴィであれ、すべてがネットワークに結ばれているというのです。
仏教でいうところの「縁」の概念に近いかもしれません。
北米インディアンには、

「ミタケ・オアシン(すべては関わり合っている)」

という言葉があるといいます(2)
星に生きるすべての生きものたちが「関わり合」うその糸のひとつひとつの総和が「エイワ」ということなのでしょう。

その糸、きずな、その結びつきが可視化されて描かれる。
そういうところが、映画のおもしろいとこですね。
神経繊維のニューロンのような、植物の根のネットワークが星じゅうに張り巡らされている。
動物たちもまた、それぞれ、先端が触手状の神経の束のような「フィーラー」といわれる器官を持っている。
(これはちょうどアニメ映画「風の谷のナウシカ」の王蟲(オウム)の触手を思わせます。
この映画には他にも、「空飛ぶ島」「獣の暴走」など、ジブリ作品をヒントにしたと思われるようなモチーフがあちこちで登場します。
キャメロン監督は、宮崎駿監督のファンであり、影響を受けているんだそうです。)

ナヴィもまた髪の毛の一部に「フィーラー」を持っていて、馬のようなダイア・ホースや、翼竜マウンテン・バンシーと意思を通わせ、乗りこなすときに互いの「フィーラー」を絡み合わせる。
また、大地に根を伸ばす「魂の木」は端末のような役目をしていて、
その木に「フィーラー」を絡みつかせることで、ナヴィは惑星の「エイワ」のネットワークにアクセスすることが出来る。
「魂の木」にアクセスすることは先祖と一体化することなのだともいいます。
ネットワークには、今は亡き先祖たちの記憶も蓄積されているということなのでしょう。
北米インディアン・アラバホ族に、

「植物はひとの兄弟姉妹。耳を傾ければ、語りかける言葉を聞くことができる」

という言葉がが伝わるそうです(2)
ナヴィもまた、植物や動物や自然の語りかける言葉を聞くことが出来るのでしょう。
耳ではなく、「フィーラー」によって。

自然と共生するナヴィの生き方が、「フィーラー」というモチーフが設定されることで、わかりやすく描かれることになりました。
地球に住むわれわれ人類も、かつてはそうだったのかもしれません。
「フィーラー」のような感受性を持ち、自然を畏れ敬い、自然からの声を聞き、感謝し、自然とともに生きていた。
が、人類はやがて自然から離れ、むしろ自然を克し、支配することで文明を築き、進歩を果たしました。
いつしか「フィーラー」をなくし、自然にアクセスすることを忘れてしまった。
けれど、前世紀にはまだ、心に「フィーラー」を持った人々が生きていた。
文明化の大きな波から取り残され、あるいは抗い、マイノリティ(少数民族)化していった人々もそうです。

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北米インディアンもまた、獲物であるバッファロー(野牛)を狩りで仕留めたときには感謝の儀式を行います。
アイヌにとって熊が神であったように、
彼らにとってバッファローは、敬意を込めて「あなた(thou)」と呼ぶ存在だったといいます。
大量の毛皮を売って利を得るため、かつインディアンへの食糧供給の道を断って追いつめるため、白人がバッファローの大量虐殺を行ったとき、
バッファローは「あなた」ではなく、「それ(it)」と呼ばれました。
利益になる舌と毛皮をはいだあとの食肉などは、腐るままにまかせたといいます(3)

白人に殺され皮をはぎとられ、肉塊(it)となったバッファローのいたましい光景は、映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」でも描かれていましたね。
伝統的な狩猟では、「わたし」と「あなた(thou)」が向き合う中で、生命のやりとりが行われる。
その尊さを知るからこそ、生命を奪ったときには肉の一片すらもおろそかにしないで「いただく」というのが、ひとつの掟(ルール)のようになります。
肉や毛皮や角はもちろん、革はティピー(テント)にする。腸は煮詰めて膠(にかわ)にする。背中のこぶは楯に使う。
無駄にするものは何もない。

北西部海岸沿岸に暮らしていた部族では、食糧とするサケを必要以上に穫ったり、後でそのサケを捨てたり無駄にしたりすると、霊界が怒って、たとえば火山を噴火させ人間たちに報復するのだといって戒める。
それが説話のかたちで残されています(4)

植物に対しても同じです。
篭(かご)を編むため、杉の木の根の皮を採る際には、杉の木に向かって

「私はあなたに、長い生命を与えてくれるこの大切なものを
ゆずってくれるようにお願いに来たのです。」
(クワキュートル族の伝承歌)

と、儀式の歌を親しく歌いかけて感謝し、皮をはぎとります(5)

アイヌでもまた、動物や植物を理由なく傷つけたり、おろそかにすれば、飢饉に襲われると伝えられる。
しかし、近代の功利的な経済社会では、敬意も感謝も自然観も生命観も無視されます。
利となる毛皮(it)の質や数量こそが必要目的であり、その他のことは問題とされない。

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映画の舞台となる22世紀。
地球は、エネルギー問題が深刻化し、自然資源も枯渇し、どうやらそうとう悲惨なことになっているらしい。
地球にはもう、自然とともに生きるような種類の人々は、転向するか滅びるかして、とっくにいないかのもしれません。
地球を台無しにし、そうして宇宙に進出した人類は、そこで自然と共生する生き方をする種類の人々と、たぶん2世紀ぶりの遭遇を果たすのです。
異星人ナヴィという生き方をする人々と。

自然を征服し文明を発展させ、そのテクノロジーで遠い宇宙へ進出してきた地球人類は、その時代、おそらく勝者でありマジョリティ(多数派)なのでしょう。
対して、原始的な狩猟を営み、自然と交信しながら生きるナヴィは、マイノリティ(少数派)であるのでしょう。

21世紀の今、先進国では多くの人々が、自然と隔絶した町の中、冷暖房付きの季節のない建物で暮らしています。
お金さえ払えば、食糧はコンビニやスーパーにあふれている。
食糧として動植物が店頭へ並ぶまでの、育てたり殺したりする過程は、すべてブラックボックス化されています。
おれたちは「それ(it)」の中に生まれ、「それ(it)」に囲まれ、育ってきました。
稲の苗を「あなた(thou)」と呼んで育てたり、豚を「あなた(thou)」として育て、その「あなた」を殺すという経験をしている人は限られています。
われわれ観客の多くもまた、マジョリティ(多数派)の側。

そしてもちろん、主人公ジェイクはマジョリティの社会で育ち、その社会の価値観を持ち、その社会で生きてきた男です。
その彼と観客であるわれわれは「アバター」という分身を通して、異質な文化と異質な価値観を持つマイノリティの社会の中に放り込まれる。
「他人の身になる」というその「他人(ヒト)」とは、ここではつまり、マイノリティを生きる「人」たちになるということ。
マジョリティ側にいるおれたちは、この物語でマイノリティを生きる生き方を体験することになるわけです。

それはひとつの快感でもありますね。
いやあーー、気ン持っちいいんだ、これが。

……って、このエキサイト・ブログって、本文の字数が制限されてるんですよね。
書ききれなくなっちゃった。
次回に続きます。

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《引用・参考文献》
(1)中川裕「アイヌの物語世界」(平凡社ライブラリー)
(2)エリコ・ロウ「アメリカ・インディアンの書物よりも賢い言葉」(扶桑社文庫)
(3)ジョーゼフ・キャンベル+ビル・モイヤーズ、飛田茂雄訳「神話の力」(早川書房)
(4)C・バーランド、松田幸雄訳「アメリカ・インディアン神話」(青土社)
(5)ジョゼフ・ブルチャック編、中沢新一+石川雄午訳「それでもあなたの道を行け」(めるくまーる)
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もう1ヶ月前のことになりますが、会期終了ぎりぎり、「デューラー展」に行ってきました
(東京上野・国立西洋美術館「アルブレヒト・デューラー版画・素描展『宗教/肖像/自然』」)。

緻密。
よくも、悪くも、緻密な印象でした。
今回は版画、素描がメインで無彩色の展示ばかりだったから、真面目で緻密な追求というような印象が余計に目についたのかもしれません。
理詰めで自然を観察し、理詰めで風景を測定し、理詰めで象徴を構築していくような、そんな追求。

だからたとえば、アダムとイブをモチーフに、美しい理想的な女性の裸婦像を描いたとしても、筋肉や骨格がしっかり追求されている。
けれどあまりに正確なために、優美さやエロス的なものがすっかり削げ落とされている。
物質としての肉体に見えてしまいました。
もっとも、神聖な聖書の物語に、情念やエロスを求める方がおかしいんでしょうね。

謹厳実直なマルティン・ルターと同じ時代の、同じドイツの人で、影響もずいぶん受けたらしいと聞いて、なるほど納得。
いかにもドイツ人らしい。

が、かといって、しかつめらしいものばかりでもありません。
たとえば「ライオンを引き裂くサムソン」という絵は版画なのですが、線が力強く、いきおいというか、情感がみなぎっていて、惹きつけられました。
そしてどれも緻密に描かれているのですが、細かく描き込まれていても、明暗の対比や構図の妙で、それが邪魔にならない。
中間のトーンの美しいものもありました。

また、踊る村人の光景とか、ちょっとユーモラス。
男性性器を暗示するように、男性の腰のそばに水道の蛇口をわざわざ描いたものなどもありました。
しかし、いかにも「象徴的に描いて遊んでみました」感があり、洒脱さに欠ける。
全体的なテーマともチグハグだったので、これは変という印象で終わってしまいました。

そんなデューラーにとって、恋と情熱の国イタリアへの旅行という異文化体験は大きかったのでしょう。(当時、レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめとするルネサンスの画家たちに出逢ってるんですね。彼にはないものが、イタリア美術にはあったような気もします。)
今回の展覧会にはありませんでしたが、二度目の旅行の帰国後に描かれた「アダムとイブ」には優美さとエロス的なものを感じます。
まあ、版画と違って、油彩という違いもおおいにあると思うんですが、今回のものとはずいぶんと違うように思われました。

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右と左の稿でデューラーの作品に触れたので、筆者はどうもそういう目でもながめてしまいました。

展覧会には、版画のための下書きが展示されていました。
版画は刷るものですから、当然、左右が反転します。
作家が肉筆で描いたものと、右と左が逆になるわけです。
しかし、職人的でもあるデューラーはそのことを熟知していたように思われます。

彼の生きた15〜16世紀は、グーテンベルクの発明した印刷技術が急速に発展した時代でした。
聖書が印刷されることにより、人々が身近に聖書という原典を手にすることが出来やすくなった。
それがルターの宗教革命を導いたともいえます。

デューラーは、神聖ローマ帝国のマクシミリアン1世の肖像を油彩でも描いていますが、
まず版画で肖像を描いて評価されたようです。
そのエラのはった肖像も展示されていました。
油彩ならばたった1枚を、限定された場で限定された人に見せるだけ。
しかし、版画を印刷すれば、より多くの人々にアピール出来る。
彼の肖像は印刷されて、街のあちこちに貼られたんだそうです。
ちょっとしたブロマイドですね。

「マクシミリアン1世の凱旋門」という作品は圧倒的でした。
印刷された1枚はふつうの大きさ。
しかし、それを50枚近くつないで貼り合わせて3メートル四方の大画面を現出させるのです。
ハプスブルグ家の栄光を描いたそれは、ひと時代前であったら、実際に彫刻を施した凱旋門を建てるとか、油彩の大作として描かれたのでしょう。
しかし当時の権力者は、印刷技術を使い、より多くの人々の目にふれさせることで、威光の顕現を企図したわけです。

デューラーは、当時では最新の、そうした印刷技術をうまく使って作品を手がけた人だったんですね。
多くの本の印刷にも関わっているそうです。
聖書のポピュラー化とともに、その映像化も望まれたのでしょう、デューラーはイエスの生涯を描いた「受難伝」の連作をいく種か描き、それが本にもなっています。
本になることを想定して描いた。
活字は横書きで、左綴じ。
右へとページをめくる流れが意識されていたと思われます。
「受難伝」では特にそうでした。

しかし、右への流れは西洋美術の基本なのでしょう。
他の作品でも、それが版画であっても1枚ものであっても、総じて右方向へ進むものが多いように思いました。(例外もありますが。)
デューラーの全作品をあたったわけではありませんが、その中にあって、左方向へと進む「騎士と死と悪魔」はやはり異質といえるのかもしれません。
だからこそ、イングリット・リーデルもその著「絵画と象徴ーイメージ・セラピー」(1)で取り上げていたのでしょう。

彼女は、死の方向へと向かう騎士の姿を論じて、
「この銅版画の成立時期が、すでにデューラーの生命線の最期へと向かう致命的な疾患の時期と合致するかどうかは、よく考えてみなければならないだろう。」
(イングリット・リーデル「絵画と象徴ーイメージ・セラピー」(1)
と述べています。
「騎士と死と悪魔」の制作が、1513年。
デューラーはこのとき、42歳。
15年後の1528年、彼はマラリアでその生涯を閉じることになるわけですが、制作当時、その肉体としての死を意識していたかどうか(無意識的にもとらえていたかどうか)は、おおいに疑問です。
やはりこれは、よく「考えてみなければならない」でしょう。

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展覧会は、いぶし銀の職人の逸品を見させてもらったという感慨がありました。



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《引用・参考文献》
(1)イングリット・リーデル、城眞一訳「絵画と象徴ーイメージ・セラピー」青土社
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f0223055_438197.gif日本はなぜか地獄の側(左)へ行きたがる?(1)


左右について調べはじめたら、すっかり右か左かの迷路にはまってしまい、
右往左往のままに文章を書き並べてしまいました。
本来ならば、紙芝居の本論からかけ離れた些末なことなどカットすべきなのですが、
そこはユルユルゆる~い当ブログのこと。
ページの無駄、文章の無駄と思いつつ、このままカットしないでアップしてしまうのでした。
興味のない方は、ご勘弁、どうぞお読みとばしのほどを。

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さて、日本においての「右・左」はどうか。
まず、言葉のその語源を尋ねてみると、諸説あります。

その代表が、日(太陽)に由来するとしたもの。

南を向くと、太陽が昇るのは東。これは左の方向です。
そこで、太陽がぶら下がって「日が垂れる」かたちから、「日垂り」、
あるいは、「日が出る」から、「日出り」、
太陽の光が満ち足りて「日が足りる」から、「日足り」
ということから、「ひだり」となった。

逆に、太陽が沈む西は、右となります。
落ちゆく日を見限ることから、「見限り」「見切り」となり、
「みぎり」→「みぎ」となったというわけです(1)

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東洋史学者である白鳥庫吉は、これに異説を唱えています。

欧米やインドなど世界中で、右は「正しい、まっすぐなこと」を意味し、
左は「悪い、歪んで曲がっていること」を意味することは、この稿でもこれまで見てきました。

この傾向は、ツングース語、ブリヤート・モンゴル語、アイヌ語など、
アジアの中北部で話されているアルタイ諸語という言語でも同様なのだそうです。
ところが、その中にあって、
昔、匈奴のひとつとも目されていたテュルク語族(突厥)と、
そして日本のみが異なっているというのです。

つまり、日本では、左が「まっすぐなこと」であり、
右が「曲がったこと」であった。

日本語の「ひた」は「まっすぐなこと」を意味し、漢字の「直」の読みがなともなりました。
その「直(ひた)」に語尾の「り」が付いて「左(ひだり)」となった。

対して「曲がったこと」の「曲がり」が変化して「まがり」→「みぎり」となった。
「曲がり」の「マガ」は、禍事(まがごと=不吉なこと、悪いこと)の禍(まが)に通ずる。

というのが、白鳥庫吉の説です(2)

「古事記」で、死の国、黄泉から帰って来たイザナギノミコトは、
穢れたからだを清めて禊ぎ払いをします。
そのときに、からだに付着していた黄泉の穢れから、禍津日神(マガツヒノカミ)が生まれます。
この神さまが世界に災厄をもたらす。
が、同時にイザナギは、その凶事を直すための直毘神(ナオビノカミ)を生みました。

マガツヒ(マガツビ)の神がマガ(禍、曲)である凶をもたらし、
ナオヒ(ナオビ)の神がそれを祓い清めることで、直(ナオ)して吉にする。
マガツビとナオビは対立しながらも背中合わせでペアをなし、
日本の文化を貫く大きな要素のひとつとなっています。

白鳥庫吉は、この「マガ(禍、曲)」と「ナオ(直)=ヒタ」が、
「右」と「左」の語源ではないかというんですね。

この白鳥説に対して、
新村出(しんむらいずる)は昭和3年(1928年)当時、反論しています。

そして「右」の語源については、
「にぎり(握)」が「みぎり」になったのではないかという貝原益軒の説をとっています。
だから新村出が編んだ「広辞苑」では、
第六版の今でも、「右」の項に、「(ニギリ(握り)の転か)」と記されています(3)

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さて、白鳥庫吉のように、日本には、左を尊び右を卑しめる「左尊右卑」の文化があった。
……と、説いたのは、本居宣長ら近世の国学者たちでした。
その証拠としたひとつが、「古事記」の叙述です。
「古事記」(4)には、左を尊いとするような箇所がいくつも見られるんですね。

たとえば、冒頭。
天地創造のとき、地上に現れたイザナギ、イザナミの男神・女神は、
つくった島に太い柱を立てて御殿を建てる。
男神イザナギはその柱の左から廻ります。

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左から廻るということは、つまり右回り(時計回り)ということですが、
ここでは「左から」ということが意識されています。

このあたりはややこしいので、ちょっと整理しておきます。
右方向へ進む・左方向へ進むでも、廻ろうとする円環のどの位置にいると意識するかで、
回転の方向が違ってしまうのです。
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「右に回す」「右に回る」といえば、
上図Aを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
たとえば、ダイヤルやネジを「右に回す」といえば、
たいていは上図のAのように、時計回りに回転させることになります。
また、会場やらせん階段を、「右に回る」のも、
同じくAのように、時計回り回転です。
一般的には、「右回り」=「時計回り」とされます。

反対に、「左に回す」「左に回る」。
たとえば陸上競技のトラックを「左に回る」ように走るとすれば、
上図のBのように、反時計回りに回転することになります。
「左回り」=「反時計回り」です。

ところが、下図のC・Dの地点のように、
円環の手前にいるとすると、方向が逆になるのです。
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たとえば、柱や山を目の前にして、
左「から」回り込んで進もうとすれば、Cのように時計回りとなります。
「左回り」=「時計回り」ということになる。
これが、男性であるイザナギの回り方です。

反対に、D地点にいて、右方向「から」回って進もうとすれば、
「右回り」=「反時計回り」ということになります。
これが、女性であるイザナミの回り方です。

一口に「右回り」といっても、「右回る」図Aと、「右から回る」図Dでは、
回転の方向が逆になってしまうわけです。
このことは、世界各地の習俗でも混乱しがちなのですが、
右へ進むのを意識しているか、左へ進むのを意識しているかという
意識の違いがポイントになるようです。

そこで混乱を避けるため、
陸上競技のルールでは、「left-hand inside(左手を内側に)」と言ったり、
仏教では、「右肩を中心に向けて回る」などという表現をするんですね。

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さて、女神イザナミは、イザナギとは反対に右から廻って(反時計回り)、
出合ったところで相和し子どもをつくります。
ここには、男性は女性よりも上位にあり、
上位の男性は、左から廻ることが正しいとする考え方が反映されているといいます。

また、イザナギが黄泉から帰って禊ぎ払いをしたときの、先述のくだり。
その最後、左の眼を洗ったときに天照大御神(アマテラスオオミカミ)、
右の眼を洗ったときに月読命(ツクヨミノミコト)、
鼻を洗ったときに建速須佐之男命(タケハヤスサノヲノミコト)が生まれます。

アマテラスは太陽をあらわす最も重要な女神で、月をあらわすツクヨミよりも上位。
上位のアマテラスは、左の眼から生まれる。

また、このとき、イザナギが穢れをはらおうと
身につけている衣服や装飾品を投げ捨てたときにも、神さまが誕生します。

左手にまいた玉飾り(原文では「手纒(たまき)」)を投げたときに、
・奥疎神(オキザカルノカミ)
・奥津那芸佐毘古神(オキツナギサビコノカミ)
・奥津甲斐弁羅神(オキツカヒベラノカミ)

次に、右手にまいた玉飾りを投げたときに、
・辺疎神(ヘザカルノカミ)
・辺津那芸佐毘古神(ヘツナギサビコノカミ)
・辺津甲斐弁羅神(ヘツカヒベラノカミ)

の神さまたちが生まれます。

つまり左手の玉飾りからは「奥」のつく神々、
対して、右手の玉飾りからは「辺」のつく神々が生まれる。

これと似た箇所は、火の神さま、カグツチのくだりにも見られます。
火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)は、母神イザナミから生まれ出る際に母親を焼いて傷つけ、
イザナミが死ぬ原因となりました。
妻の死を嘆き悲しんだイザナギはカグツチを斬り殺し、そこから神々が生まれます。
そのとき、カグツチのからだから生まれる神さまは次の通り。

左手→志芸山津見神(シギヤマツミノカミ):樹木がうっそうと茂る山の神さま。
左足→原山津見神(ハラヤマツミノカミ):平かな峰をもつ山の神さま。

右手→羽山津見神(ハヤマツミノカミ):「はやま」は端山で、山の端、つまり麓(ふもと)の山の神さま。
右足→戸山津見神(トヤマツミノカミ):「とやま」は外山で、山の外のあたり、
                   つまり平地や里に近いところの山の神さま。

つまり、左側から生まれるのは山の「奥」の方であり、
右側から生まれるのは山の周辺、「辺」の方である。

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国学者・本居宣長はこれらの箇所を指摘して、
左は「奥」にあたり、右は「辺」にあたるといい、「万葉集」の次の歌を掲げます。

「振田向宿禰が、筑紫の国に下った時の歌一首
我妹子(わぎもこ)は 釧(くしろ)にあらなむ 左手の 我が奥の手に 巻きて去(い)なましを」
(5)

宿禰(すくね)という姓をもっているくらいだから上級官僚だったのでしょう、
その振田向(ふるのたむけ)という男性が、九州の筑紫国へ赴任して旅立つ際に、
妻と別れなければならなくなる。
そこで、わが妻(我妹子)が、釧(くしろ)であればいいのにな。
そうしたら、手に巻き付けていっしょに連れて行けるのに。
という、愛惜の情を歌った「相聞歌(恋の歌)」なわけです。

チューリップというバンドが、往年のヒット曲「心の旅」で、
「眠りについた君を ポケットに詰め込んで そのまま連れ去りたい」(財津和夫作詞)
と歌っていたような感じでしょうか。

釧(くしろ)というのは、玉や金属や貝などで作った手首に巻く装身具のことで、
いわば、ブレスレット。
「手纒(たまき)」のようなものでもあるのでしょう。

愛するひとを大事に思って身につけるとしたら、それは奥の方である。
だから「奥」の手であり、日頃から尊ばれている左手に巻き付けるのだと、
本居宣長はいうわけです(6)
つまり、
「奥」=「左」=上位(尊い)
「辺」=「右」=下位(卑しい)
という図式です。

以上を説明し、上野誠さんは、この「左」という表現の中に、「心のうわ辺」ではなく、
「心の奥底」で大切に想っているのだという心情も読み取れると指摘しています(7)

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さてところが、「奥の手」というのは、
必ずしも左手のことではなかったのではないかという反論があります。

釧(くしろ)は臂(ひじ)に巻くものなので、手の「奥」とは臂のことではないかと思ったと、
本居宣長自身も記しています。
が、両方どちらでも巻くものをわざわざ「左手」とことわっているのは、
左を奥としたからだと結論しているわけです。
しかしこの結論は、決定打に欠けているように筆者には思われます。

「広辞苑」が「奥の手」を説明し、「一説に、かいな。二の腕」と述べているように、
塚崎幹夫さんは、「二の腕」と解しています(8)

これは「ひじ」であれ、「二の腕」であれ、
手の腕の奥まった部分へ袖に包んで肌身離さず身につけるということで、
その想う気持ちはじゅうぶんに伝わるのではないでしょうか。
また、賀茂真淵らが指摘するように、日常の生活で頻繁に用を足すのは右手です。
そのため、腕に飾りを付けるとしたら、ふだんは使わない左手にということもまた、
じゅうぶん常識的に理解出来るわけです。

これは「左手」が「奥の手」というわけではなく、
素直に、ただ単に左手の奥の方の部分と解してもいいように思われます。
そしてこの歌は、必ずしも、
左手が尊ばれているという証拠にはつながらないのではないでしょうか。

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イザナギの左右の手纒から生まれた海の神さまは、
それぞれ海域を示す名前が付けられていると考えられます。
本居宣長は、「奥」はすなわち「沖」で、
「辺」はすなわち「海辺」であるといいます。

そして「辺」が右に当たるのは、
「砌(みぎり)」という言葉にも合致していると述べています(6)
「砌(みぎり)」は、「幼少のみぎり……」などと言うように、
「とき。時節」または「ところ。場所」などを表す言葉。

これは、軒下の雨だれを受ける敷石や石畳のある所で、
水際をあらわす「水限(みぎり)」というのがもともとの意味なんだそうです。
なるほど、「辺」である水ぎわを示す「砌(みぎり)」で、「みぎ=右」にも通じる。

しかしながら、六柱の神さまは、「奥」と「辺」の対に整理されていて、
一見わかりやすいように見えながら、個々に見ていくとわかりにくい。

たとえば、渚をあらわすナギサ彦が、
「辺」にあってヘツナギサビコ(辺津那芸佐毘古神)となるのはわかりますが、
「奥(沖)」にあってオキツナギサビコ(奥津那芸佐毘古神)となるのは矛盾します。

また、ヒノカグツチから生まれた八柱の山の神さまにしても、
端(「辺」)である羽山津見(ハヤマツミ)に対応する「奥」は、
むしろ腹から生まれた奥山津見神(オクヤマツミノカミ)と考える方が自然で、
こちらも整合性には乏しいように思われます。

「日本書紀」では、手足は左右に分けられることなく、「手」から麓山祇(ハヤマツミ)、
「足」から䨄山(シギヤマツミ)が生まれたことになっていて、
「奥/辺」の観点からすると、バラバラです。
どうも、「古事記」の方は、後付けでむりやり整理したようにも感じられますね。

そして、「奥/辺」に振り分けようという意図があり、それが「左/右」に対応しているとしても、
これらの場面からは、「奥=左」が、「辺=右」よりも上位にあって、尊いということが
必ずしも読み取れるというわけではありません。

そういえば、新村出は「広辞苑」で、「左」を
「端・へりの意のハタ・ヘタが転じた語か」としていました。
この説の出所と理由は、筆者はわかりませんが、
もしもこの説の通りなら「端・へり」を意味する「辺」は「左」となるわけで、
これはまったく反対ということになります。

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本居宣長は、「日本書紀」は中国の影響が大きい、それに比べると「古事記」は影響が少なく、
日本古来のオリジナルな伝承を伝えているといいます。
しかし、生粋の「メイド・イン・ジャパン」といわれる「古事記」もやはり、
中国の影響をまぬがれていません。

たとえば、男神イザナギが柱の左から廻り、女神イザナミが右から廻る場面。
これは、前漢の書「淮南子(えなんじ)」の「雄左より行き雌右より行く」という言葉の通りだと
白鳥庫吉が述べています。

またこれは、「天左旋地右動」でもあり、やはり中国の古典から拠っている原則であることを
平田篤胤が指摘しているそうです(9)
天はすなわち陽であり、男性。
地はすなわち陰であり、女性。
陽である天(男性)は左から廻るものであり、陰である地(女性)は右から廻るものという
中国の陰陽説を、「古事記」の作者はなぞったのだというわけです。

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また、女神イザナミから先に声をかけたため、子づくりに失敗する場面。
ここにも中国の影響が見られると中西進さんはいいます(9)

当時、日本は母系社会で、結婚の形態は、男性が女性のもとへ通う「通い婚」がふつうでした。
子どもは(長子は特に)小さい頃は母親の元にいて育てられるので、
成長してからも「おや」といえば母親のことをさし、
両親のことは「母父(おもちち)」と呼んでいました。

「父母(フボ)」と呼び習わすようになったのは、
中国の儒教的な男性優先の思想が入って来てから後なんだそうです。

漢字に中国の発音を当てたのが「音読み」ですが、
その音読みで「フ・ボ」といい、母よりも父を先におく言い方をするようになる。
それまでは、男を先におく「男女(ダンジョ)」という言い方もなかった。

そのため、女性から先に声をかけたとしても、
本来は間違っていなかったのではないかというわけです。

そのときに生まれた子は、骨のない醜い「水蛭子(ヒルコ)」ですが、
しかし本来は、「日る子」、すなわち太陽の子であり、
「日る女(ヒルメ)」であるアマテラスに対応する神ではなかったかとする説があります。

アマテラスは、別名「大日孁貴(オオヒルメノムチ)」で、
大いなる太陽の女神(日る女=日孁)の高貴な方(ムチ)の意をあらわします。
それに対し、大いなる太陽の御子、つまり「日る女」=アマテラスの男性版が
「日る子」=ヒルコだったというのです。

ところが、中国から男尊女卑の思想が入ってきたため、それが間違いだったと変えられる。
女性から先に声をかけてアプローチするのは、はしたないとされる。
そこで、再度やりなおすことになり、男神イザナギの方から先に声をかけることで
正常な出産が出来るようになったのではないかというんですね。
そうしてこのとき、イザナミは、淡路島や四国や九州や本州など、日本の島々を生みます。

──「父母(フボ)」「男女(ダンジョ)」など、音読みにして
男を先におく言い方は、中国の影響。
すると、「右左(みぎひだり)」ではなく、
「左右(サユウ/サウ)」と音読みにして、左を先におく言い方なども、
やはり中国からの輸入と考えて、あながち間違いではないように思われます。

塚崎幹夫さんは、以上の他にも、左を尊び右を卑しめる日本の「左尊右卑」説を吟味し、
その主張する根拠が、実は微妙であり、
多くは中国からの輸入を基にしているのではないかと指摘しています(8)

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では、中国での「右・左」はどうなのか?
(スイマセン。右往左往が、もうちょっと続きます。)

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《引用・参考文献》
(1)谷川士淸「倭訓栞」名著刊行会
(2)白鳥庫吉「左(pidari)右(migi, migiri)」~礫川全次編「左右の民俗学」批評社・所収
(3)新村出編「広辞苑・第六版」岩崎書店
(4)福永武彦訳「古事記」~「日本国民文学全集1」河出書房
(5)土屋文明訳「万葉集」巻第九・1766番 ~「日本国民文学全集2」河出書房
(6)本居宣長、倉野憲司校訂「古事記伝(二)」岩波文庫
(7)上野誠「左手の奥の手」「左右/みぎひだり──あらゆるものは「左右」に通ず!」學燈社・所収
(8)塚崎幹夫「右と左のはなし」青土社
(9)中西進「天つ神の世界ー古事記をよむ・1」角川書店

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紙芝居って、なに?(1)



たとえば「紙芝居って知ってる?」ときかれて、
「カミシバイ? 何それ?」
と応じる日本人は少ないかもしれません。
紙を何枚も重ねたのをぬいていき、描かれた絵を一枚ずつ見せながら物語を語るアレです。
「紙」の絵を見せて、「芝居」を演じるから「紙芝居」。
たいていの人はどこかで見たような覚えがある。
たとえば、保育園や幼稚園、小学校などで出逢っているのではないでしょうか。

「ああ、アレね。懐かしいなあ」
と、自転車で町の路地へやってきたおじさんのしわがれ声や、
見ながら食べた駄菓子の水飴やソースせんべいの匂いを想い出したりする方もいるでしょう。

そうした街頭紙芝居は、昭和初頭に生まれました。
それが爆発的にヒット。
子どもたちの娯楽として熱狂的に迎えられ、第二次大戦の前と後に一時代を画した後、
やがて昭和30年代頃、姿を消していきました。

昭和の前半のその時期に子ども時代を過ごした方にとっては、
ノスタルジックに感じられるかもしれません。
紙芝居といえば、
「あの懐かしい」とか「昭和の昔の」という言葉が枕詞のようにセットで語られるのも、
一世を風靡したメディアとして、町の風俗として、昭和の時代を象徴していたからでしょう。

残念ながら筆者は遅れてきた世代で、
公園に何やら集まって紙芝居を見ている子どもたちの背中を見た幼い日の記憶はかすかにあるのですが、
街頭紙芝居をはっきり見たといえる経験はありません。
けれど、小学校で先生が演じていた、交通安全などのいわゆる教育紙芝居は見た記憶があります。
意識して見るようになったのは、おとなになってから。
だから筆者にとっては、紙芝居といってもノスタルジーやレトロの感覚はありません。

今の子どもたちにとってもそうだと思います。
「街頭」紙芝居について前の世代から伝え聞いたことはあったとしても、
見た経験も記憶もないわけですから、「懐かし」くて見るということはない。

おもしろければ見る。
おもしろくなければ見ない。
おもしろくなくて見ないのであれば、
すたれて滅び行くのは当然。淘汰される運命であるのでしょう。

が、しかし。
これがなかなかおもしろいんです。
おもしろがっているのは筆者ひとりかと思っていたら、どうやらそうでもない。
おもしろがっている子どもがいます。
おもしろがっているおとなもいます。
もちろん、作品や演じ手にもよるのでしょう。

けれど、必ずしもキレイとは思えない、落書きのような絵の手作り紙芝居であったり、
おおよそ上手とは思えない、つっかえ、つっかえの演じ手であっても、
子どもたちは実におもしろそうに見ていたりする。
その目の色の輝きときたら、何でこんな顔が出来るのだろうかと不思議に思ってしまうくらい。
なぜでしょう?


f0223055_882010.gif身近な、「映像を見せながら話すこと」

──理由のひとつには、わかりやすさ、興味のひきやすさということがあると思います。
絵にすると、話がわかりやすい。

TVのニュース・情報・バラエティ番組などでは、出演者がただ話しをするだけでなく、
ボードやフリップボード、スクリーンなどで、絵や図、写真などの映像が多用されます。
何枚も重ねたパターン(フリップ)を次々にぬいたり倒したりして、
連続した一枚一枚の絵を見せながら話すという、
それこそ紙芝居のスタイルで語られる光景も見かけます。
物事や事件のあらましなど、何かを説明する場合、映像があるとわかりやすいんですね。

また、興味をひきやすい。
だからこうした映像を使うやり方は、
企業のプレゼンテーションや学校の授業などでもよく利用されます。
スライドやOHP、パソコンのモニターやプロジェクタ、CG、テロップなどなど、
見せ方の技術はいろいろ進歩していますが、
「絵を見せながら話す」という素朴な原型は変わりません。

そしてまた、ただ話すだけの場合とまた違ったおもしろさ、楽しさがある。
そのやり方が、お笑いで使われたこともありますね。
いわゆるフリップ芸とか、めくり芸とかいわれるもの。

スケッチブックやフリップボードに描かれた絵を次々にめくったり、
そこに“しゃべくり”を入れて、笑いをとる。
「いつもここから」「鉄拳」「バカリズム」といった方々がやっていました。

「桜塚やっくん」などは紙芝居そのままに物語を語り、その合間合間に、観客をイジる。
台詞を観客に言わせたり、次の展開を観客に想像、予想させ、
それを裏切る展開をして落としたりしていました。
観客とのそんなやりとりはTV向けにショー化されてはいましたが、たとえば昔、
街頭紙芝居で見られたような演者と観客との交流にも通じるものがあるのではないかと思います。


f0223055_884894.gif「映像を見せながら話」してきた歴史

この「映像を見せながら話す」というのは、古来から行われていた手法でもありました。
絵を見せながら、主に仏教の説話などを説いて聞かせる
「絵解き(えとき)」というものがあります。

仏教が始まった頃のインドで。
お釈迦さまの一生を描いた壁画や掛け物の絵が作られ、
その絵を見せながら説いて語るという布教が行われていました。
お釈迦さまがまだ生きていた頃から始まったという説があるくらいですから、
二千年以上の昔から「絵を見せながら話す」が行われていたことになります。

それが仏教とともにチベットなどアジアへ広まり、
中国では「変」と呼ばれるような語りものとなる。
日本でも12世紀頃から「絵解き」が行われ、やがて仏教寺院のわくから民衆の中へ飛び出し、
大衆芸能へと発展します(1)

一方そんな12世紀、日本では、
「他人に絵を見せながら物語を読み聞かせる」
あるいは、「自分で絵を見ながら物語を読み進める」
というかたちの、映像を使って物語を伝える「絵巻」などのメディアが、主に宮廷で発達します。

「源氏物語絵巻」には、脚本と画集が2冊でセットになった冊子が描かれています(参照)。
侍女が脚本を読み語り、それを聴きながらお姫さまが画集をめくって物語を楽しんでいるのです。
ちょうど絵本の「読み聞かせ」のようなかたちですね。

絵巻」なども、こうしたかたちで傍らで誰かが読み聞かせたり、
あるいは自分で文章を読みながら物語を楽しんだのでしょう。

中世になるとそれらが民衆へと広まり、
絵巻物や掛け物の絵を見せて語る「絵解き」を行う人々が諸国を廻り歩きました。
さらに版画印刷が発達した江戸時代には、絵が比較的身近なものとなり、
人々は、文章と挿し絵で物語を楽しむ「絵本」の原型のような「絵草紙」を手にします。

そして江戸時代後期、技術の発達とともに、寄席や縁日ではエンターテイメント性が高められ、
入れ替わる絵を、のぞき穴から立体的に見せる「のぞきからくり」、
幻燈機とガラス板を使って影絵を動かして見せる「写し絵」など、
当時では新奇な映像に附して物語の口上を語って聞かせるメディアが人気を呼びました。

その中で「写し絵」は、人手がかかって利益が薄く、明治時代の中頃に消えていきます。
仕事を失った「写し絵」の画家たちは、それまでガラス板のスライドに描いていた人物像を、
紙に描いてそのまま見せることを工夫する。
その紙の人物に、手でにぎりやすいような竹の棒をつけ、紙人形を作る。
いわば、今のペープサートの元祖です。

それを動かして物語を語るかたちで興行を始めます。
最初は、かたちは変わっても「写し絵」と名乗って演じていた。
それが、紙人形を動かす芝居だというので、やがて「紙芝居」と呼ばれます。
それがさらにかたちを変え、紙に描いた絵をぬいて見せながら語る現在の「紙芝居」となりました。

そうして今の紙芝居が発明されたのは1930年代と言われていますが、
そのかたちが生まれ、受け入れられた背景には、
こうした伝統的な「絵を見せながら話す」土壌が日本にあったとも考えられます。


f0223055_892249.gif時代とともに生きた街頭紙芝居

かくて紙芝居は、昭和の当時、日本の主に都市部で、あの町この町の路地路地を席巻し、
一時代を画します。

それには、「映像を見せながら話す」ことのわかりやすさ、興味のひきやすさ、おもしろさに加え、
紙芝居のお手軽さ、お気軽さという点もポイントが高かったでしょう。
演じ手ひとり、紙の絵が数十枚あれば事足りる。
そんな単純素朴なシステムは機動性があり、室内はもちろん、自転車で持ち運びが出来、
むしろ野外のちょっとした路地や空き地で演じられました。

もちろん演じ手のワザも求められたでしょうが、
それほどに熟練した腕と経験がない素人が演じても、ある程度のおもしろさは成立する。

その手軽さに反して多くの効果が期待出来る紙芝居は、いろいろな分野に利用されました。
街頭での爆発的ヒットに早くから目をつけたのは、宗教界です。
子どもたちへの布教活動に取り入れられ、仏教紙芝居、キリスト教紙芝居が作られる。
さらには、教育界が注目して教育用のものが作られ、今日に至ります。
また、広告業界も注目していました。
企画だけで結局実現はされませんでしたが、街頭紙芝居が扱う駄菓子類とはまったく別に、
菓子会社のコマーシャルに利用されるという話もあったそうです。

そして戦争が始まると、戦意高揚のためのプロパガンダに使われました。
戦後、米軍のGHQが紙芝居の調査に乗り出し、一時期は統制をしいて検閲を重ねたのも、
紙芝居の影響力のあなどれないことを米軍がおそれたためでした(2)

子どもたちのごく身近にあった紙芝居ですが、時代に利用され、
時代とともに歩んだ存在でもあったんですね。

それだけ力を持っていたメディアが、しかし、なぜ衰退していったのでしょう?
これには、時代の流れという一言だけではかたづけられない理由があったと思います。


f0223055_810052.gifなぜ街頭紙芝居は絶滅への道をたどったのか?

第一に、テレビやマンガなどのメディアの台頭があり、子どもたちがそちらへ流れていったこと。
映像によってわかりやすく、おもしろく物語る文化は、
テレビやマンガ、アニメーションへと受け継がれました。

たった一人による手工業的な紙芝居が、目の前の数十人を相手とするのに比べると、
一度に数千、数万人、あるいは数百万、数千万人を相手にする
雑誌やテレビなどの「マス」メディアは、システマチックな大型工場のようです。
テクノロジーは映像をさらに進化させてCGや3Dを生み、
映像を伴う物語は今、ゲームや電子メディアによっても多様に伝えられています。

当時の街頭紙芝居は、昭和初期のいわゆる「エロ・グロ・ナンセンス」の風潮を受け、
庶民のドロドロ、ギラギラした情念のようなものを反映した自由奔放さが
魅力のひとつでもありました。
現場では「エロ・グロ」を加味した方が人気を得て商売になるため、
しばしば過剰となる傾向もあったのだとか。

といっても、当時の「エロ・グロ」の水準は、
現代に比べればまだまだ可愛いものだったような気がしなくもありません。
またそれは、下層庶民の情念を映した「説経」などの物語の歴史にも通ずるように思います。

しかしそれが、紙芝居の広まりとともに批判を受けるようになり、
子どもへの教育的な影響に配慮した自主規制を行うようになります。
規制はいきいきしたエネルギーを削ぐこととなり、
それがおもしろさを奪ったという指摘があります。

少々の下品さや残酷さも厭わないエネルギーは、
当時は未成熟だった若いマンガ文化(劇画とも呼ばれた)へと流れていったのかもしれません。

そして、これらの理由とともに、大きな一因として、
子どもたちの生活が変わったということがあるのではないかと思われます。


f0223055_8104085.gifサンマが危ない

「遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」
と、かつて「梁塵秘抄」(3)で歌われたものでした。

近所で何やらガヤガヤ、ワイワイ遊ぶ子どもたちの声がすると、おとなでも心浮き立ってくる。
が、今、「遊ぶ子供の声」を町中で聞くことがめったにありません。
外遊びをする子どもたちの姿が激減したためです。

その理由としてよく指摘されるのが、「サンマがない」ということです。
秋刀魚(サンマ)が不漁ということでもなく、
明石家さんまさんが引退したというわけでもありません。
「時間」「空間」「仲間」という三つの「間」──サンマが
子どもの生活から失われてきたというのです。

塾や稽古ごとや○○教室などに追われ、遊ぶ「時間」がなくなってきた。
交通安全の面からも、防犯の面からも、危険のない路地や遊べる空き地がない。
遊ぶ「空間」がなくなってきた。
隣り近所や地域で集まったり、群れたりする「仲間」がなくなってきた。

マンガ「ドラえもん」(4)には、土管の置かれた空き地がよく描かれていました。

そこでは主人公ののび太やジャイアンや子どもたちがたむろし、おしゃべりし、
野球で遊んだり、ケンカをしたり、ときどき昼寝をしたりしていたものです。
連載されていた昭和の当時ではありふれていたそんな風景も、
今は探し出すのが難しいのではないでしょうか。
それは子どもたちの“居場所”といえる空間だったに違いありません。

むろん、子どもたちが遊ばなくなったわけではありません。
スケジュールを調整し、電話でアポをとりながら、友だちとの遊びの時間を作ったりしています。
おとなの管理のもと、公園や運動場が用意されています。
サッカーや野球などスポーツのクラブでは、おとなが管理・指導してくれます。
玩具、そしてテレビを始め、ゲーム、DVD、パソコンなど、
技術を進化させた遊びのためのツールは、子どもの周りに大量にあふれています。
子どもたちだけで自由に群れて遊ぶ「集団遊び」や「外遊び」が少なくなってきただけで、
遊びそのものはやはり子どもたちの関心を集め続けているわけです。

しかし、遊びの質は変わりました。

こうした三間(サンマ)の減少は、イコール、街頭紙芝居の場が失われることを意味しました。
観客である子どもたちが集まる時間がない。
場所がない。
いっしょに見る仲間がいない。
街から、遊ぶ子どもたちの声が消えるとともに、
街頭紙芝居もまた消えざるを得なかったのでしょう。


f0223055_8112557.gif子どもたちのコミュニケーションが変わっている

この三間(サンマ)がなくなることで、
筆者は、四つ目の「間」も失われているような気がしてなりません。
人と人のあいだにある「間」──コミュニケーションというやつです。

自由な群れ遊びの中で子どもたちは、仲間同士、異年齢同士、
どうしたらおもしろく遊べるか、遊びのルールを変えたり、試行錯誤したりと工夫します。

楽しいことばかりではありません。
ケンカもするし、イヤな思いもいっぱいします。
その中で、どうしたらうまくやっていけるか、知恵をしぼる。
ともに遊び合うことで、触れ合い、ぶつかり合い、お互いに考え合うことを学び、
コミュニケーションの力を身につけるわけです。

テレビは当初、「お茶の間=家族団らんの場」の提供を意図していたようですが、
結局、個々人でバラバラに楽しむ方向へ流れています。

発信者と受信者がいかに双方向的に関わるか──現在、電子メディアをはじめ、
ゲームやテレビなどでも盛んに試み、工夫しています。
が、基本的には、一方通行です。

オギャアと生まれ落ちた人は、ヒトとヒトの「間」に育って、人「間」となる。
人間はヒトに囲まれて成長し、言語やコミュニケーションやいろいろなことを身につけ、学びます。

たとえば一方通行のテレビやビデオ、DVDといったメディアは、
どんなにおもしろく感動的に人間を描いた内容だとしても、モノであることには変わりありません。
幼児期から、モノばかりに囲まれた環境で育つとどうなるか?

幼児期という大切な成長期に、四六時中、そうしたモノだけと関わることの弊害が、
医学の立場からも指摘されています
(日本小児学会・提言「乳幼児のテレビ・ビデオ長時間視聴は危険です」2004年(5))。

映画「となりのトトロ」などで知られるアニメーション作家・宮﨑駿監督は、
「うちの子はトトロが好きで、ビデオで100回くらい見ています」
というような手紙をファンからもらうと、これはヤバイと心底思うのだそうです。

「トトロ」を1回だけ見たなら、ドングリを拾いに野山へ遊びに行こうと思うけれど、
100回見続けたら、行かなくなる(6)
また、監督は、子どもには3歳までテレビを見せない方がいいと再三、発言しています。

それよりも自然──風光明媚な立派な自然などではなく、
身の回りのたとえば「畳のけば」みたいなものでも、
自然の現実に触れる方がいい。
そうした体験が「子どもたちを生き物として元気にするために必要なこと」ではないかといいます(7)

ドングリを拾いに野山へ行けば、汗をかく。泥だらけになる。
足が棒になるかもしれない。
草で手を切るかもしれない。
ひょっとしたらハチやなんかと遭遇するかもしれない。

それに比べれば、冷暖房のきいた安全な室内で、
子守り代わりのビデオやテレビ、たとえばトトロを100回見たとしても、
これは危険でもありませんし、面倒でもありません。

けれど、面倒な、危険かもしれない現実と格闘しつつ遊ぶ経験は、
トトロを100回見続ける以上に、「子どもたちを生き物として元気に」させるに違いありません。

はち切れんばかりの好奇心を抱えてワクワクし、時にはむちゃくちゃな挑戦にドキドキし、
失敗しては泣き、叱られては消沈し、思い知らされ、
それでもおもしろいことを探して冒険に胸をときめかせ、
現実に飛び込んでいく子どもたちの本来的な特性が、
もしかしたら今、失われているのではないか?
──宮﨑監督のそんな危惧の声が聞こえてくるような気がします。

そして現実に遊ぶ、現実に触れるということは、誰か他のヒトと関わるということを伴ってきます。
友だち。仲間。
兄弟姉妹、母親、父親たち、家族。
先生や隣り近所の人たち。
隣り近所の生き物たち。
いっしょに遊んだり、面倒をみたり、みられたり。
助けたり、助けられたり。
見守られたり、叱られたり、時にはトラブルを起こしたり。

こうした様々なコミュニケーションのかたちは、
まさに「となりのトトロ」の中にいきいきと描かれていたものでした。
主人公姉妹のサツキとメイを取り囲む、
不思議な生き物たちをさえも含む魅力的なそのコミュニティは、
物語の舞台となった昭和30年代の初め頃ではよく見かけられたのかもしれません。
が、今では遠いものとなっているような気がします。

面倒をみたり叱ってくれるおばあさんが近所に住んでいたり、
トトロが神社の森に棲んでいたり、
そして、路地から紙芝居屋の声が聞こえていた昭和時代。

子どもを取り巻く状況とコミュニケーションの「間」は、
そんな当時とは、ずいぶん変わってしまっているようです。
それは子どもたちの「今」にどんな影響を及ぼしているのでしょうか?

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《引用・参考文献》
(1)林雅彦「絵解きの東漸」笠間書院
(2)山本武利「紙芝居~街角のメディア」吉川弘文館
(3)佐々木信綱校訂「梁塵秘抄」岩波文庫
(4)藤子・F・不二雄「ドラえもん」小学館
(5)日本小児学会ホームページ(http://www.jpeds.or.jp/saisin.html#67
(6)養老孟司・宮﨑駿「虫眼とアニ眼」新潮文庫
(7)宮崎駿・インタビュー「子どもにいちばん大事なもの」民主教育研究所編「季刊・人間と教育」10号・旬報社・初出~宮崎駿「折り返し点」岩波書店・所収
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「kamishibai・イズ・コミュニケーション」
  01・演じるときに、どこに立つ?
  02・目と目が通じ合うところから
  03・演じ手と観客はキャッチボールをしている
  04・「間」抜けな話
  05・6秒の「間」か、6秒の空白か
  06・緊張と緩和と「間」のカンケイ・その1
  07・緊張と緩和と「間」のカンケイ・その2
  08・緊張と緩和と「間」のカンケイ・その3
  09・緊張と緩和と「間」のカンケイ・その4
  10・呼吸を合わせる「間」
  11・ほんの少しのこと
  12・「引き」から「受け」へと変わるとき
  13・いないいないばあの「間」を遊ぶ
  14・おしたり、ひいたり、はぐらかしたり
  15・コミュニケーションをひきおこす3つのこと
 

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「行って帰ってくる」物語
  01・ビルボ・バギンズとフロド・バギンズは、行って帰ってくる
  02・やまんばは、どこからやって来たか
  03・「意地悪な継母」は、どこからやって来たか
  04・ヘンゼルとグレーテルは、行って帰ってくる・その1
  05・ヘンゼルとグレーテルは、行って帰ってくる・その2
  06・小僧さんは、行って帰ってくる
  07・ちさと少年は、行って帰ってくる
  08・あの世へ、行って帰ってくる
  09・マックスは、行って帰ってくる
  10・バスチアン・バルタザール・ブックスは、行って帰ってくる・その1
  11・バスチアン・バルタザール・ブックスは、行って帰ってくる・その2
  12・フロド・バギンズは、行って帰ってきて、そして…



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「遠目をきかせる」
 01・大きく、しっかり。
 02・輪郭を、くっきり。


「右か左か、明日はどっちだ?」
 01・人はムーンウォークでは歩かない
 02・右へ進めば天国、左へ進めば地獄という文化
 03・人はなぜか地獄の側(左)へ行きたがる
 04・日本はなぜか地獄の側(左)へ行きたがる?(1)
 05・日本はなぜか地獄の側(左)へ行きたがる?(2)
 06・舞台では、右から左へ風が吹いている?
 07・絵の中では、右から左へ風が吹いている?
 08・文字を読んでいく先に明日があるのか?
 09・ひとつの仮説
 10・順勝手と逆勝手──空間表現から心理的な表現へ
 11・斜線構図の順勝手と逆勝手
 番外編・アラビア語の翻訳絵本にみる右・左


キャラクターの構図
 01 ロングショット・ミディアムショット・クローズアップ
 02 ミッフィーはなぜ子どもたちの心をつかんで離さないのか




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小林玲子さんの「涅槃図」の絵解き
 01・絵解きが始まる
 02・この絵の場面に至るまで
 03・白い沙羅双樹の花の中で
 04・駆けつけて来た人々
 05・駆けつけて来た神々
 06・駆けつけて来た動物たち
 07・ネコだった描いてほしいモン
 08・そのとき、ブッダの弟子たちは
 09・摩耶夫人、降臨

「小栗判官照手姫」の絵解きをみる
 01・流浪の人々が育てた物語
 02・いにしえより語られし物語
 03・物語の伝説を歩いてみる
 04・そして物語はつくられた

虎御前のミステリーを訪ねる
 01・石をめぐる5つの伝説
 02・虎御前をめぐる女性たち──松浦佐用姫
 03・化粧坂から高麗山へ
 04・虎御前をめぐる女性たち──都藍尼
 05・「宿河原」という場所
 06・女たちの曽我物語
 番外編・梅の里紀行

絵を見せて語るいろいろ
 01・冊子[源氏物語絵巻]
 02・カヴァド/インド
 03・パルデ・ダーリー/イラン
 04・絵巻/日本




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2011年4月13日:紙芝居がやってくる
2011年5月10日:お詫びと訂正





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by kamishibaiya | 2011-02-04 09:28 | index | Comments(0)