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古代中国では、周の時代以来、「服喪三年」ということが儀礼として行われていたといいます。
人が近親者、特に父母を亡くしたときには、3年間、喪に服すというのです。
(もっとも3年といっても足かけ3年で、
実際には2年と1ヶ月、一説には2年と3ヶ月ほどだそうです。)

礼について細かに記した書「礼記(らいき)」には、次のように書かれています。
父母の死後1年間は粗末なめしと水のみを食する。
約1年後の小祥忌(しょうしょうき)が終わって、野菜や果物を食べることができる。
足かけ3年目の大祥忌(たいしょうき)を終えてはじめて、肉や酒が許され、通常の生活となる。
そのあいだ、礼式に参加することはもちろん、遊びに興じたり、笑うこともつつしみ、
つまり「謹慎」します。
そのつつしみを破ることが、「不謹慎」なんですね。

「しかし3年だなんて、まあ、足かけにしたって、これはちょっと長過ぎるんじゃないですかね?」
と言ったのは、孔子の弟子の宰予(さいよ)でした。

喪の期間には、家に引きこもり、礼式や音楽などに関わることもない。
文化の中心であり担い手である君子が、3年もの間、礼や音楽から離れれば、
礼はすたれるし、音楽文化だって盛り上がらなくなる。
去年の穀物がつきたとしても、年が改まればまた新しい穀物が実るもの。
1年もたてば気持ちも新しくなる。
喪に服するのは、1年くらいでいいんじゃないでしょうか。
──と、宰予は主張するわけです。

問われた孔子は、逆に聞き返します。
1年で通常の生活に戻ったとして、しかし、だからといって、うまいご馳走を食い、
きらびやかなファッションを着飾ったとしたら、おまえのこころは安らかでいられるかい?

「いられます」
と、宰予はケロリと答える。

すると孔子は言います。
──君子は、父母を喪ったらそのかなしみのあまり、うまいものを食べてもうまいと感じられない。
音楽を聴いても、楽しいと感じられない。
立ったり座ったり、日常のことをしていても、安らかではいられない。
だから、自然に服喪の生活にこもることになるのだ。
だが、もしもおまえのこころが安んじていられるのであるならば、そうするがよかろう。

孔子はそう答えたものの、しかし、宰予が辞去してその場を去った後、こう漏らします。
──宰予は不人情なやつだ(1)

宰予という人は、弟子の中でも弁舌の才人として知られたそうですが、
どうも孔子と相性がよくなかったのか、しばしば孔子の不興を買っています。

けれどこのくだりの場面では、宰予の意見も一理あるという気がします。
実際、服喪三年は長過ぎるとして、周から数百年も経った孔子の時代には、
すでにあまり守られていなかったようです。
墨家では、孔子ら儒家を批判して、「服喪三月」と言い、3ヶ月間の喪を主張している。

しかしこれは、守らなければならない“しきたり”というよりも、
孔子が言ったように、近親者を喪った遺族のためにあるシステムであるように思われます。
だから孔子も、「礼を守りなさい」と宰予に迫るのではなく、直接的には、
「あなたがそう思うようになさい」と告げたのではないでしょうか。

「喪に服す」という慣習は、かたちを変えながらも、世界の各地で行われている。
それは、共同体が遺族のために用意した知恵であるようにも思われるのです。

公(おおやけ)の集まりとか、世間のつき合いに出向いて、
宴会や音楽や笑いや楽しみの場に参加すること。
しかしこれは、「悲嘆の仕事」のプロセスを歩む、
まさにかなしみのまっただ中にある人にとっては、楽しめるものではないでしょう。
苦痛だったりします。

だから遺族は、そうした社会のつき合いから一線を引いて、
社会の日常からある一定の距離をおくことを許される。
「喪に服す」期間を設けるというのは、遺族が「悲嘆の仕事」を行い、
そのために社会から距離をおくことを、社会が認めることでもあるわけです。

日本でもやはり、死を「けがれ」として忌み、
故人の遺族は、外部との接触を避けるという習慣があります。
そして一定期間、生産的な日常の社会から隔離されてこもります。
つまり、喪失を経験してこころの危機にある人が、「悲嘆のプロセス」に専念して
取り組みやすいよう、環境を整える。

しかし距離をおくことを認めるといっても、突き放すわけではありません。
その時期その時期が来たら、小祥忌や大祥忌など、故人をしのぶ会をとり行います。
(仏教では四十九日や一周忌などの法要。神道では五十日祭や式年祭など。
キリスト教では追悼ミサや記念式などが、これに当たります。)

そのとき、遺族を囲んで、社会のみんなが集まるということにも意義があるのでしょう。
そうして、段階的に、遺族が日常の社会へ復帰することを促します。

日本では、忌みこもる人のために、周囲が食事を用意し、世話をするという習慣もあったそうです。

しかしながら、今回の震災では、そうも言っていられませんでした。
古代中国では、故人の死後は粗末なめしと水のみの食事でしたが、
今回は当初、めしどころか水さえ飲めなかった地域があります。
いまだに、野菜も果物も満足に食べられない地域があります。

「悲嘆の仕事」以前に、まず、水を飲む、食べる、寝るという、
最低限の生活のための仕事にかからなければならなかった。
そして今も、ふつうの日常をふつうに営むための仕事が山積みしている。
こころが「悲嘆の仕事」に専心することは難しく、余裕もなく、
それゆえ、こころのケアということが、より求められるのだと思います。

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第二次大戦の頃、ワルシャワ・ゲットーのユダヤ評議会の指導者であるアダム・チェルニコアウは、
ナチスからの厳しい警告を受けながらも、子どもたちを遊ばせようとしました。
“遊び”推進派。

しかしそれは「不謹慎」であるという反対派から、
伝統的な喪の週間には「パーティ、また音楽や歌曲の発表」を一切禁じるべきだ
という請願書を受け取ります。
ちょうど中国で、服喪のあいだ、「礼」「楽」が禁じられていたように。

その反対派を説得しようと、チェルニコアウは彼が気に入って
いつも繰り返していた作家ディケンズの言葉を投げかけます。

「涙で時計のネジは巻けない」

すると反対派のひとりはこう答えたといいます。

「ユダヤ人の時計は、まさに涙で巻かれるのだ」(2)

ユダヤ人の歴史と当時の状況を考えれば、確かにネジは涙で巻かれていたのでしょう。
けれどもユダヤ人に限らない。
涙でネジを巻かなければならない「仕事」をするときが、誰にもあるのだと思います。

大切な人、大切なものを喪失したときは、くよくよしていい。
めそめそ泣いていい。
いや、めそめそしなければならない。

「悲嘆」を無理矢理忘れようとするのでなく、「悲嘆の仕事」から目をそむけず、
やり遂げること。
そのネジは、まさに涙で巻くものであるでしょう。

しかしながら、その一方で、その最中にも、遊びや笑いが必要なのだとおれは思います。

なぜなら、大きく左へ揺れた振り子のおもりはやがて折り返し、そして力強く右へと振れるように、
たとえ過酷な寒さと大雪に見舞われても、
一陽来復、冬至になればその大雪の下の土の中では、春へ芽吹く準備が始まるように、
そうした生命のしくみが、どんな人間にもあると思うからです。

とくに、生命自然のかたまりであるような子どもたちには必要なのではないでしょうか。

じゅうぶんに涙でネジを巻く必要がある。
一方で、少しずつ、微笑みで巻くネジもある。

それは時に、軽佻浮薄な、お馬鹿な、不謹慎な笑いであるかもしれません。
けれど、そうした笑いや微笑み、それらをもたらす遊びや音楽や物語もまた、
ネジを巻く力のひとつとなるのではないかと思うのです。

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A・デーケンさんは、「にもかかわらず」笑うということの大切さを説かれていました。

しかし、かなしみに打ちひしがれている人のまさにその目の前で、
歯をむきだしにして馬鹿笑いをするような、高笑いをするような、
そんな笑いは憚(はばか)れるでしょう。
軽佻浮薄に浮かれて、歓ぶように楽しむように、遊びに興じることもやはり憚れる。
「不謹慎」だと思います。

今回の震災は、国を揺るがす大きなことでした。
非常にたくさんの方が、今、悲嘆のプロセスを歩んでおられます。
同じ地を共有するものとして、同じ国を共有するものとして、あるいは同じ人間として、
同情するのでなく、同調するのでもなく、
そうした方たちのかなしみにいくらかでも想いを馳せることは、これは自然なことだと思います。
そこから、「不謹慎」だと思う感情も生じてくる。

もしかしたら宰予のこじつけかもしれませんが、
彼は、社会を担う人々が長期にわたって「喪に服す」ことで一線から退き、
そのあいだ、社会や文化を衰退させることを心配していました。

しかしながら、社会は、「喪に服す」というシステムを設けることで──
“かなしみ”と“日常”を切り離し、セパレート化することで、
衰退を食い止めてきたのだと思います。

つまり、社会まるごと全部で、喪に服するわけではない。
かなしみの仕事に従事する人々のエネルギーを欠く分、
そのあいだ、残りの他の人々がサポートして社会を回す。
そうして遺族がその仕事を終えたとき、社会の日常へ復帰が出来るように、
社会を盛り立てておく。

今回のように大規模な不幸に見舞われた場合、
国全体でかなしみを分かち合おうという気持ちも生じてきます。
けれど被災された方々は、被災しなかった人々に対して、サポートしてくれること、
気持ちを知って認めてくれること、忘れないでいてくれることを望みこそすれ、
必要以上に、社会の全員で暗く淀むことを望んではいないのではないでしょうか。
必要以上に、気分だけで同調して自粛することは望んでいないのではないかと思います。

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今回の震災のように、突然の、衝撃的な恐怖の出来事によって喪失がひき起こされた場合、
グリーフ(悲嘆)体験は、複雑化し、しばしばトラウマ体験になるといいます(3)

悲嘆は、その体験を言葉にすること、誰かに話すことでこころの整理をし、
それが救いになったりもする。
しかしトラウマは、言葉にすることが難しく、なかなか表現がしにくい。

子どもたちの場合、何が起こったか、実態がよく理解できないため、
それが余計に不安を高めることもあるそうです(4)
不安を感じたとしても、おとなや周囲がまだ緊張しているような状況のときには、
それを表そうとしない。
そして安全な状況となり、安心感が確かめられるようになってはじめて、ぐずったり、
赤ちゃんがえりをするなど、不安を表現するということもあるそうです。

また、起こった現実を、イメージとして、感情として、消化することができない。
あまりにも圧倒的な出来事であるため、自分の中に取り込むことができない。

ナチス・ドイツの収容所やゲットーでは、
しばしば子どもたちが憲兵隊ごっこをして遊ぶ光景が見られたといいます。

今回の震災でも、地震ごっこや、津波ごっこをする子どもたちの姿が見かけられるそうですね。
こうして遊びの中で悲劇を繰り返すことは、ショッキングで異質な出来事を、
自分の中で消化しようとする反応なのだそうです。

そして、あまりにも圧倒的な出来事であるため、自分に対して自信がなくなる。
とくに子どもたちは、無力感にとらわれやすい。
自分が信じられなくなる。
そして、この世界自体が信じられなくなる。

対人関係療法の視点からすると、
トラウマというのは、自分への信頼感、身近な人への信頼感、
そして世界への信頼感が揺らいでしまい、この世界に生きていくことが怖くなる。
──恐怖感や絶望に圧倒されそうな状態になることだといいます(5)

そのとき、トラウマ克服のカギとなるのは、身近な人の支えがあるかどうかということ。
ヨブがすべてを失い、孤立無援となったとき、三人の友人が駆けつけてきてくれました。
結果的にはヨブを追いつめることになりましたが、
しかし、話しをするとか、寄り添うとか、そうした支えが大切なのでしょう。

それは身近な人ばかりに限らないのかもしれません。

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過酷な試練を課す神さま(あるいは、もしかしたら自然)に対して、ヨブは怒り、
自分の正当性を主張し、論戦を挑みます。
ヨブは強い人だと思います。
けれど、もしも彼が日本人だったらそういうことはしないだろうなという気がします。
ユダヤ教やキリスト教が生まれた地は、緑も水もわずかな、
砂漠という厳しい自然の中にありました。
それに比べると、日本は温暖な気候と、水や草木や豊かな自然に恵まれています。

しかしながら台風の通り道であり、地震大国であり、しばしば天変地異に襲われる。
神さま、あるいは自然は、和魂(にぎみたま)という恵み深い優しい顔をもつ一方で、
荒魂(あらみたま)という残酷で荒々しく祟りをなす顔をもっているのです。

けれど、荒魂である神さまが暴虐のかぎりをつくし、人間をさんざんに苦しめたとしても、
わたしたち日本人には、神さまに抗議するという発想があまりないような気がします。
神さまが、時にそうすることもやむを得ないという、締念のようなものがどこかある気がする。

だから、禍(わざわい)が起こったとき、それに対して戦いを挑むとか、征伐するというよりも、
追い払ったり、流したりしてやり過ごす。
つまり神道で言うところの「祓(はら)う」、
水に流して「禊(みそ)ぎをする」ことで、「けがれ」を払い、流す。

それは、身を清浄にすることであると同時に、
荒ぶる神さまをなだめ、荒魂を和魂に変えることであるわけです。
つまり自然の荒々しく残虐な側面に圧倒され、とらわれるばかりでなく、
優しく豊かな側面も認めて受け入れようとする。

ところで、江戸時代後期の辞書である「倭訓栞(わくんのしおり)」では、
「けがれ」は「気枯れの義」であると述べられています。
「けがれ」は「穢れ」と漢字で書くように、忌むべき汚れものというイメージもあるのですが、
これは「ケ」が枯れるという意味合いもあるというのです(6)

「ケ」は、「気」であり、「褻」でもある。
「褻」という漢字は、もともとは「肌着」や「普段着」のことを意味します。
そして、下着や普段着を洗濯もせずに毎日ずっと繰り返し着ていると汚れてくることから、
「汚らしい」「けがらわしい」という意味になりました。
「猥褻(わいせつ)」という言葉にもこの漢字が使われていますね。

しかし本来は、ふだん着るもののこと。
そこからふだんの慣れた日常のことを表すようになり、「な(れる)」と訓読みしたりします。
つまり「ケ(褻)」とは、ふだんの日常の状態のこと。

民俗学者・桜井徳太郎によれば、日本語の「ケ」とは、
語源的には、稲を成長させる霊力のことであったといいます。
ふだんの日常の営みを成り立たせる活力、霊気のような、
「気」のようなエネルギーのことを「ケ」であるというわけです。

その「ケ」が枯れて弱まった状態が、「けがれ(気枯れ・褻枯れ)」。
「気枯れ」は「気離れ(けがれ)」に通じ、
つまり、霊力が離れていってしまうことでもあるといいます(7)

日常の営みを毎日毎日繰り返していると、まるで肌着がうす汚れて「けがれ」てくるかのように、
だんだんエネルギーが離れてしまい、枯渇してくる。
行き詰まって、息が詰まりそうになってくることもあるのでしょう。
そこで人々は「けがれ(穢れ)」を払い、洗い流すことで、
清浄な「ハレ」の状態を呼び込もうとします。

「ハレ」というのは、雲が払われて、青い空に太陽が満ちている「晴れ」の状態のこと。
清浄な、聖なる状態であり、これは非日常的な状態でもあります。
ふだん日常で身につけている肌着や普段着ではなく、
「ハレ」のときに着るのが「晴れ着」であるわけです。

日常の次元からいったん非日常の次元へ飛び出て、「褻」(=肌着、普段着)の洗濯をする。
命の洗濯をする。
そうして、霊力というか、元気というか、エネルギーを取り戻して、
また日常の営みである「ケ」へと帰っていくんですね。

その「ケがれ」から「ハレ」へと移行するきっかけとなるのが、神事であったり、
儀礼であったり、つまり祭りの起源であったといいます。

世の中のそこかしこで不安感がふくらみ、不安が不安を招き、暗く淀んで「ケ」枯れた状態のとき。
そういうときこそ、祭りが必要なのではないでしょうか。
たとえば、音楽。
たとえば、遠足だとかレジャーだとか。
たとえば、スポーツ。

ナチスの圧力の中、ヴィルナ・ゲットーで行われたスポーツの試合は、
「不謹慎」だとして、一部の人々の顔を曇らせました。
その気持ちはわかるのですが、しかし同時にその「歓びと祭り」が、
人々に過酷な現実に抗していく気力とエネルギーを与えたのではないかと思うのです。

たとえそれが一時(いっとき)に過ぎなかったにせよ、
「ハレ」の時間がきっと元気と勇気をもたらした。

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今、被災された人たちと、被災しなかった人たちが手を組んで
何かに取り組む試みが始まっているようです。

東京の銭湯のような居酒屋のようなお店が、
被災された水産加工会社や酒造と組んで、イベントを行ったり
「さばの湯」http://sabanoyu.oyucafe.net/)。

被災した商店に、1口数万円で個人が投資するシステムが出来たり
「セキュリテ被災地応援ファンド」http://oen.securite.jp/)。

東北の手仕事──民芸品や工芸品、特産品を紹介するフェスティバルが横浜で開かれたり
「手仕事フェスタ4+東北の手仕事」http://kizashinoj.exblog.jp/)。

こうしたムーブメントには、かつて人々が集い、ともに笑い、ともに祈り、
ともに遊び興じた「祭り」の原型のような面影がどこかあるような気がします。
やがてこれらの取り組みが根付いていったとき、
豊かな実りある「ケ」(日常の仕事)へと変わっていくのでしょう。

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今回の震災では、被災しなかったおれたちもまた、
日常の営みの大切さに改めて気づかされたように思います。

朝起きて、新聞を読んで。
ごはんを作って食べて、仕事に出かけて。
あいさつをして、どうでもいい天気の話や馬鹿話をして……。
こうした日常(ケ)を何気なく送れることって、実はとても幸せなことだったんですね。

けれど、「ケ」の時もあれば、「ケがれ」の時もある。
「ケ」が枯れて、まったく消滅してしまったかのように見えたとしても、
新たなかたちで「ケ」は再び必ず生まれてくる。
その力となるのが、「ハレ」の時間であり、人とのつながりであり、
時には遊びであり、笑いであるのだと思います。
特に子どもたちにとっては。

涙でネジを巻く仕事はとても大切です。
けれど、こうした遊びや笑いの力もまた、大切な一方のネジを巻くのではないでしょうか。
紙芝居というのもまた、きっと。
ほんのわずかな、アリの小指ほどの力かもしれませんが、
きっと何かネジを巻く手助けのひとつになるんじゃないかなあと……。
おれは思いたいです。








《引用・参考文献》
(1)吉川幸次郎「論語」朝日選書・朝日新聞社
(2)ジョージ・アイゼン、下野博訳「ホロコーストの子どもたち」立風書房
(3)ピーター・リヴァイン、マギー・クライン、浅井咲子訳「子どものトラウマ・セラピー~自信・喜び・回復力を育むためのガイドブック」雲母書房
(4)八木修司「阪神淡路大震災と心のケア」〜杉村省吾、本多修、冨永良喜、高橋哲編「トラウマとPTSDの心理援助」金剛出版・所収
(5)水島広子「対人関係療法でなおすトラウマ・PTSD」創元社
(6)谷川士淸「倭訓栞」名著刊行会
(7)宮田登「ケガレの民族誌」ちくま学芸文庫
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ずいぶん前。
東京・立川市近くのある施設で夜間警備の仕事をしていました。
そこは甲州街道に面していて、昼も夜もなく車通りが激しい。
が、渋滞することはなく、どの乗用車もどのトラックもその付近に来ると、
ひときわ加速するようにブイブイ走っておりました。

その街道に猫の死骸を見つけたのは、夕方、出勤途中のこと。
そういう場所だから、交通ルールなんか無視の猫がひかれてしまうのは仕方がなかったのでしょう。
道路中央の猫はのびたまま。
車がひっきりなしに通るので、死骸を道路の端へ移動させるのは簡単ではなさそうでした。
ドライバーは前方の異物に気づいたとしても避けられないのか、その上を次々に通り過ぎて行く。
かわいそうな気がしましたが、おれは出勤を急いでいて、横目で見ながら通り過ぎました。

そして、そんなことはすっかり忘れて一晩。
仕事を終えた朝の帰り道。
その場所を通りかかると、何かぬいぐるみの切れ端のようなものを道路に見つけました。
しかし、死骸自体は、探してみてもありません。
ただその切れ端のようなものと、毛のような、ほこりのようなものがあちらこちらに散らかり、
それがブイブイ通り過ぎる車の風にあおられて低く舞っているのでした。

どうやら猫は一晩中、この場所に置かれたままだったらしいのです。
次々ひかれるまま、タイヤに砕かれ、千切られるまま。
もしかしたら、国道を管轄する事務所とかが対応して回収し、
それとわかるような塊(かたまり)を忘れていったのかもしれません。
いえ、もしかしたら、中身のおおかたはカラスなどが持って行ったのかもしれない。
あるいはもしかしたら、誰か近所の方が土に埋めるなど葬られたのかもしれない。

けれどおれの目には、車にひっきりなしにひかれるうちに、ミンチにされ、
ほこりとなってしまったように見えたのでした。
たぶんその日の昼頃までは、すました顔で毛づくろいなどしていたかもしれない猫が、
一晩でほこりに変わり果てる。
そのことに愕然とした記憶があります。

まさしく、人も獣もみんな、塵(ちり)から生まれ出て、塵に帰る。
人間は、神さまが土の塵からつくったものだから、最期には土の塵になるのだと、
聖書では語られていましたっけ(1)
今の日本のように火葬の習慣があるところでは、灰になる。
いったん灰になってから、塵となり、そして土に帰る。

生きものというのは、大地に還るものなんですね。
他のものに食われたものは、エネルギーとなり糞となり、細菌に分解されて塵となる。
倒れて地に伏したものもまた、その体を虫や微生物や他のものに食われ、分解され、塵となる。
そうして有機物となることで土を肥やし、植物の栄養となっていく。
その植物を生きものが食べ、それをまた他の生きものが食べ……。

そうした輪っか(サークル)の中に、生きものであるおれたち人間もいて、
塵やほこりもあるのかもしれません。

そう考えると、ふだん、道端で風に吹かれている塵だって、
誰かの変わり果てた姿である可能性だってないわけではない。
どこからかやって来ては吹きだまりの隅っこにたまるほこりだって、
もしかしたら何か生きものの痕跡であるのかもしれないわけです。

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映画「四つのいのち」の中で、古い教会の建物の中のほこりが描かれていました。
逆光の中でキラキラと舞う、しかし何の変哲もない、ただのほこり。
ただのゴミです。

けれど、やぎ飼いの老人にとってそれは、聖なるほこりなのでした。
老女に掃き集められ、雑誌のページを包み紙にして丁寧に折り畳まれたそれを、
老人はうやうやしく教会からもらい受けます。

一日中ずっと、いやな感じのせきをし続けたその晩、
老人は粉をコップの水に散じ入れてゴクリゴクリと飲み干していました。
てっきり薬だと思われていたその粉の正体こそ、何と、教会の床のほこり。
その地方では(あるいは老人個人の中では)、
教会のほこりは、病気を治す聖なる薬だと信じられているようなのです。
(実際には、映画の舞台となったイタリア・カラブリア州ではなく、
近くのシチリア島で信じられている信仰だそうです。)

だから、せきをし続けてもやぎの世話を休むことの出来ない老人はありがたく飲み干す。
いわゆる「イワシの頭も信心」式の、前近代的な迷信といえばそれまでです。
汚染されているかもしれない雑菌だらけのゴミを飲むだなんて、
現代医学からすれば言語道断でしょう。
けれど、映画の中では、そのプラシーボ効果たるや、あなどれないことになっています。
プラシーボ効果──薬理作用のまったくない薬でも、
「これは効く」と言われて服用すると、実際に治療の効果を発揮する。

やぎを放牧の最中、老人は野グソをする際に、そのほこりの包みを落としてしまいます。
今までは聖なるほこりを飲みさえすればおさまっていた病気の症状が、
そのために夜になってもおさまらない。
そこで教会へもらいに行くのですが、すでに夜中でもらうことが出来ない。
それがために老人は、死んでしまうのです。

まあ、常識的に考えれば、そのゴミのほこりこそが病気の遠因かもしれず、
病院に行かなかったため、病気がそうとうに進行していたことが死因だったかもしれません。

けれど、聖なるほこりを飲みさえすれば病気は治るという絶対的な信念が
それまでの彼の頑健な体を支えていたわけで、
それがなくなってしまえば、気力も健康もいっきに崩壊してしまうというのも
うなづけなくもありません。

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「ほこり」と、「老人の死」という、一見何も関係のないような2つの事柄が、
仏教でいう「因果」のように結びつけられます。
原因が起こって、結果が生じる。
つまり、
「老人が病気を治すために、教会のほこりを飲んでいる」
→「ほこりを落としてなくす」
→「老人が死ぬ」

映画では、こうした「風が吹けば桶屋がもうかる」式の因果の連鎖のようなことが
全編にわたって語られます。

たとえば、
「老人がカタツムリを拾って、たぶん食用にするため、鍋に入れておく」
→「逃げ出さないよう、重し代わりの小石をふたの上にのせていたのに、
帰ってみるとカタツムリが外へ飛び出している」
→「そこでふたをヒモで縛りつけることにして、いらなくなった小石を2階の窓から捨てる」
→「イースター祭りの行列のために衣装や十字架を運んできた小型トラックが、
坂道の途中で駐車して、その小石を車止めに使う」
→「やがて行列が通り過ぎ、それを追いかけて子どもが来ると、犬が吠えかける」
→「怖がる子どもは、自分への関心をそらせるため、道端の小石を拾って投げる」
→「ボールを取ってくる遊びをするように、犬は小石をくわえて取ってくる」
→「が、その小石は車止めで、小石を外されたトラックは坂を下り、
やぎたちを囲っていた塀にぶつかって壊す」
→「やぎたちは村へくり出す。そのうちの一匹は老人の2階の部屋に乗り込み、
わがもの顔でテーブルに乗る」

そんな事件が起こっているというのに、老人はやぎの勝手を叱るでもなく、
その横のベッドでこんこんと眠り続けている。
そこで観客は、老人の息が途絶えてしまったかもしれないことに気づかされるのです。

かくて人間(老人)の視点で語られていた物語は、ここからやぎの世界へと移り変わります。

こんなふうに書き出してみるといかにも不自然ですが、
行列のシーンなどは、10分近い長回しで撮影された遠景の1カットで描かれます。
説明のためのカットバックやクローズアップも使われますが、頻繁ではない。

シチュエーションはもちろん意図的に、かなり人工的に作られたものです。
(もっとも、やぎのアクションなどは演出通りではなく、
たぶん意図から外れた撮影時の偶発性がうまく取り込まれています。
それが巧まざるユーモアをかもし出したりしているところもミソですね。)

しかし全般的には、台詞もナレーションもない風景が淡々と映し出されるだけであり、
いかにも自然に起こった作為のない出来事のように思わせられてしまいます。

だから、画面の中の何に注目するかは観客の自由。
上記の因果の連鎖にしても、どう解釈するかは観客の想像に任せられることになります。
それがフランマルティーノ監督のねらいでもあるのでしょう。

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公式サイトのフランマルティーノ監督のインタビューによると、
この映画を発想するきっかけとなったのは、
イタリアのカラブリア州の山奥で、牧夫や炭焼きの人たちと生活をともにしたことだったそうです。
そもそも監督自身の先祖の出身地がカラブリアで、そこは彼のルーツのような場所でもあった。

調べてみると、カラブリア州はイタリアの南の端っこ。
ブーツの形をしたあのイタリア半島のつま先あたりにあります。
イオニア海をはさんで、ギリシアと対している。

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この辺は、紀元前、ギリシアの植民地だったそうで、その植民国家はクロトンと呼ばれました。
そのクロトンが、現在のカラブリア州、クロトーネ。

クロトンは、当時、ピタゴラスが移り住んで教団を設立したところとしても知られています。
昔、このカラブリア州をギリシア人のピタゴラスたちが闊歩(かっぽ)していたというわけです。

映画には、どこか異教的な、そのピタゴラス的なものが大きく反映されているようです。
監督いわく、タイトルの「四つのいのち」という言葉は、ピタゴラスが語っていた。

ピタゴラスといえば「ピタゴラスの定理」で有名ですね。
数学や幾何の業績を残した数学のエライひと。大数学者。
ですが、本来は、この世界すべて──万物の原理は数であると考えた
神秘主義の思想家だったようです。

ピタゴラスにとって「1、2、3、4」は基本となる数字で、
全部たし算すると、神聖な数である「10」となる。
それを形として表すと、美しい正三角形となる。
音楽でも、弦の長さと和音には比例関係があり、
やはり「1、2、3、4」を基礎として成り立っている。
そこに美しい調和の秩序があるといいます。

そうした数の原理は宇宙にもあるとされ、ピタゴラスによれば、
宇宙の中心には生命の源である「かまど(火)」があって、
その周りを太陽や月や地球など10個の惑星が円を描いて回転している。
そこにも、美しい調和の秩序を見いだしていたのでしょう。
星と星との距離には、音階の比例にも似た関係性があって、
惑星たちは回転しながら壮大な音楽を奏でていると考えていたようです。

東京を離れた空気のきれいなところで、夜、空をながめると、
星々のあまりのきらきらしさに、
なるほど壮大な交響曲のような感覚に圧倒される時があるものです。

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円環(サークル)を描くこの物語を象徴するように、
映画の冒頭とラストに炭焼きの風景が登場します。
物語は炭焼きの煙から始まり、
最後にまた炭焼きの煙(さらには炭を使って煮炊きする村の家庭の煙)へ帰ってくる。

この炭焼きは、古来からのやり方だそうで、炭焼き窯は使われません。
炭にする木材を小山のように積んで干し草をかぶせ、さらに土でおおって大きな山にする。
そうしてじっくり時間をかけて炭にする。
山肌のあちこちから煙が立ち昇るのですが、その穴をふさぐために土をパンパンとたたく。
このやり方は、ギリシアでもよく見られるのだとか。
ギリシアでは、足で踏みつけて煙の出る穴をふさぐそうです。

その小山のように積まれる木材の組み上げ方が美しい。
監督は最初、これを見たとき、現代芸術を見ているような感銘を受けたそうです。

火が真ん中に置かれる。
このとき、もしも木材が無秩序に置かれたとしたら、
火からの距離はばらばらで、ところどころ生焼けのものが出来てしまう。
そこで、すべて中心の火から同じ距離になるように配置するため、
組み上げた造詣は円形となります。
土山は球体となり、実際には球体を半分にした形で盛られることになる。
その美しさには、こうした実際的な自然の法則にもとづいた機能としての美があるというわけです。

それはちょうど、火(かまど)を中心として惑星が円を描くと考えた
ピタゴラスの宇宙に通じるものがあるのだと思います。

自然の中に内在する美しさ。
数学的な原理によって機能されるその仕組みのハーモニー(調和する美しさ)。

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ところでピタゴラスは、魂の輪廻転生を考えていた人でした。

数字の「1」が始まりであるように、最上であり、唯一無二の「1」が根源となる。
その最上のものから、「神」「悪鬼」「英雄」が派生して、4番目に「人間」の魂が派生する。
その人間の魂は、死んだときに肉体から離れ、
誰か他の人間や動物に宿って生まれ変わるというのです。
そうして何回も生まれ変わって浄化され、清められた末に、
始まりの根源である「1」へと帰っていく。

ピタゴラス自身、自分の前世は、パントスの息子エウポルボスだったといいます。
それがトロイア戦争のとき、メネラオスという者の槍で殺された。
生まれ変わってピタゴラスとなってから、アルゴスの町のヘラの神殿を訪ねたら、
そこの記念品の中に、エウポルボスだった当時に愛用していた楯があるのを見つけたそうです。

だから人間にしろ、獣にしろ、その生命を奪ってはいけない。
なぜならそれは、わたしたち自身の血族であるかもしれないのだから。
──そのようにピタゴラスは弟子たちに語ったということです(2)

仏教に馴染みのある日本人にはあまり違和感がない考え方だと思います。
輪廻がほんとうにあるのかという議論はともかく、
動物や、そして木や草にも魂のようなものがあるのではないかというアニミズムは、
たぶん日本人が誰でも無意識的に持っているのではないでしょうか。

動植物はもちろん、火や水もカムイ(神)であり、魂があると考えていたアイヌの人々にも
近しいかもしれません。
ショーペンハウアーは、水や石などの無機物にも生命への意志を感じていたそうですが、
宮沢賢治あたりはおそらく、石ころにも生命を感じていたはずです。

映画の「四つのいのち」とは、
人間(やぎ飼いの老人)、
動物(やぎの子ども)、
植物(モミの木)、
鉱物(炭)
の4つだと思われます。

が、これがピタゴラスの言うような輪廻転生の物語かというと、違うでしょう。
老人が死んだ後に、やぎの子が生まれますが、そこに因果関係はありません。
老人の魂がやぎに生まれ変わったと、むりやり想像できなくもありませんが、
それが強調されているわけでもありません。

放牧の途中、生まれて間もない子やぎが溝にはまって、群れから取り残され迷子になります。
親や仲間を探し回りますが、探し疲れ、やがて鳴き疲れ、
モミの大木に抱かれるようにその根元で一夜を過ごす。
子やぎを追っていた物語が、その場面からモミの物語へと移り変わります。

たぶん翌日には、老人から仕事を引き継いだやぎ飼いの男性が、子やぎを探しに来たと思われます。
しかし、もしかしたら、
たとえば一晩の寒さのために子やぎが絶命したと考えられなくもありません。
その魂がモミの木へ移り宿ったと、むりやり想像できなくもないかもしれない。
が、むりやりです。

そのモミの木は、ちょうど長野の諏訪大社の御柱祭のように切り出され、
村人たちの手で山から運ばれます。
監督のインタビューによれば、イタリアのその地方では「ピタ」の祭りというそうで、
その期間中、柱として村に飾られる。
祭りが終わると木材となり、炭焼き職人たちの手で炭にされる。
つまり「モミの木=炭」なわけで、ほんとうは「三つのいのち」であるのかも。

いえ、しかし、モミの木が焼かれることで、ひとつの生命が終わります。
そして炭になることで、新たなもうひとつの生命として生まれ変わる。
「モミの木」と「炭」は、別の生命となる。
だから「三つのいのち」ではなく、「四つのいのち」となるんですね。
もしもピタゴラスの輪廻が語られているとしたら、
この場面にこそ語られているのかもしれません。

つまりこれは輪廻の物語ではなく、
人間、動物、植物、鉱物という4つの世界が語られる4つの物語。
老人、やぎの子、モミの木(炭)は、因果の連鎖で結ばれているわけではありません。
必ずしも何か直接的な関係を持っているというわけではない。

それぞれの魂は、それぞれの円環(サークル)を巡っている。
その円環同士が、カラブリアの山奥の村というこの土地で共存共生し、
時には直接的に、時には間接的に、関わり合っています。

人間はやぎを飼いミルクを得て、モミの木を祭り、炭となして暖を得る。
子やぎはモミの木の元に安らぎを見つけます。
──四つのいのちだけでなく、村の人々、炭焼き職人、犬、草、ほこり……、
みんな、何かしらつながり合っている。
秋→冬→春とうつろう季節の円環の中で、
あるものはこの世に誕生し、あるものは死を迎える。
それぞれの円環が響き合っている。
そこに一種のハーモニー(調和)を感じられる気がするのです。

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その自然のハーモニーの輪のひとつとして、人間の輪が含まれている。
これは幸せなことだと思います。
やぎや犬と共に暮らした老人は、自然のハーモニーの中で生を営み、生を終える。

日本の花を代表するサクラ。
サクラはいっきに花開き、咲き乱れ、そして散り、地面へと落ちて土となり養分となります。
古来、その円環(サークル)を繰り返してきました。
けれど、現在の街路樹であるサクラの花は、土に還ることができません。
周りがすべてアスファルトでおおわれているからです。
美しく散った花びらは、やがて変色し、車の風にあおられるまま。
清掃処理されなければならない厄介者のゴミとなり、その多くがゴミ袋に詰められ、
焼却所へ送られます。

道路で死んだ猫もまた、たとえほこりと化しても、土に還ることは出来ないのです。
円環(サークル)をまっとうすることが出来ない。
おそらくは、都会で暮らす人間もまた。


「インディアンの行うことのすべてが円環(サークル)をなしていることに、おまえは気がついただろう。
それは宇宙の力が、つねに円をなして働いているからであり、あらゆるものは円環になろうと努めているのだ。」

(ブラック・エルク〈オガララ・ラコタ族〉)(3)

なるほど、自然と共存するインディアンの人々もまた、
自然の営みの中に円環(サークル)を見い出していました。
しかし、都会にあっては、いのちの円環(サークル)を見ることも感じることも
難しいのではないでしょうか。

宇宙を回転する天体たちは、動くときに音響を生じさせ、美しい音階をなすと、
ピタゴラスは考えていました。
けれどそれは、あまりに幽玄なために、人間の耳で聴くことが出来ないのだといいます。
しかし、ひょっとしたらピタゴラスは心の耳で、
大自然が奏でる音楽の旋律を何か感じとっていたのではないかとも思うのです。

そしてもしかしたら、おれたちもまた耳をすましさえすれば、
この映画に描かれた、おおよそエキサイティングとは言えない片田舎の風景の中に、
──BGMのない沈黙の画面の中に──
いのちの円環(サークル)がおりなす音楽の美しい旋律のかけらを、
何か感じとることが出来るかもしれません。





《引用・参考文献》
(1)旧約聖書「創世記」第3章19節、「伝道の書」第3章20節
(2)ブルフィンチ、野上弥生子訳「ギリシア・ローマ神話」岩波文庫
(3)ジョゼフ・ブルチャック編、中沢新一+石川雄午訳「それでもあなたの道を行け」(めるくまーる)









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先日、紙芝居作家の三好富美子さんにお会いしたら、
三好さんのはなしを筆者が間違って聞いていたことがわかりました。

こちらの記事で。
おおぜいの子どもたちを前に話しをするとき、全体に視線を送りながら話す。
そのコツは、てっきり「ななめに見る」だと思っていたのですが、
正しくは「Sの字に見る」なのだそうです。
なるほど、その方がわかりやすい。

その箇所を訂正して、お詫びします。
三好さん、すいませんでした。
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斉藤隆介さんの作品に「ベロ出しチョンマ」(1)という名作があります。

江戸時代の義民として知られた佐倉惣五郎のはなしがモデルなのだとか。
千葉県の花和村という村では、領主の過酷な年貢の取り立てに、農民たちは飢えて困り果てていた。
そこで長松の父親は、死を覚悟して将軍への直訴を企てます。
が、聞き入れられず、一家は磔(はりつけ)にされることになります。

12歳の長松には、幼い3歳の妹をあやして笑わせるための必殺技がありました。
人形浄瑠璃のように、眉毛をカタッと八の字に下げ、ベーッと舌を出す。
そのあまりの“ヘン顔”に、ぐずっていた妹も笑わずにはいられない。

長松一家が柱に縛り付けられ、いよいよ槍で突かれようとしたとき、妹は泣き叫びます。
そのようすを見た長松は、自分のことも忘れて、妹をなだめ笑わせようと、
眉毛をカタッと八の字に下げ、ベーッと舌を出す。
そして舌を出したまま、殺されたのでした。

一家が殺された刑場のあとには、やがて神社がたち、その縁日にはおもちゃの人形が売られるようになりました。
人形の背中の輪をひっぱると、眉毛がカタッと八の字に下がって、ベーッと舌を出す。
見れば、だれでも笑わずにはいられない。
そのおもちゃが「ベロ出しチョンマ」。
「長松」の名前がなまって、「チョンマ」になったのだということです。

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「花和村」や神社やおもちゃも、作者のフィクション。
が、この物語にあやかって、佐倉惣五郎の霊をまつる惣五霊堂で「ベロ出しチョンマ」人形が売られたのだとか。

その人形ともぜんぜん違いますが、物語にあやかって、カンタンなおもちゃを作ってみようとしたのでした。
ところが八の字に眉毛を下げることはできず、男の子の顔にも見えず。
結局、試行錯誤の末、舌を出すだけのおばけになってしまいました。

ベロ出しおばけ

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おばけのふつうの顔。
ところが、内側の紙コップをカタッと回すと……。

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材料と道具は、キョロキョロにゃんこのときと同じです。
これだけ。
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(1)えんぴつで下書きの顔を描きます。
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このとき、目と目のあいだの幅は、口の長さよりも長くとります(下図・左)。
口の長さよりも狭いのはいけません(下図・右)。
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(2)カッターやはさみで、目の穴をくり抜き、口に切り込みを入れます。
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(3)もうひとつの紙コップを差し込みます。
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(4)目の穴の内側のところに、えんぴつでしるしを付けます。
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(5)えんぴつで付けたしるしよりも狭い幅で、下書きの舌を描きます。
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(6)カッターやはさみで切り込み、U字形に舌を切ります。
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(7)舌を赤く塗ります。
はっきり鮮やかに見えるよう、赤のマジックインクなどで塗ると効果的です。
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(8)はめこんだ内側の紙コップの舌を、外側のコップの口の切り込みから差し出します。
その舌の先を折り曲げます。
これがストッパーとなります。
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折り曲げたところの白い部分も赤く塗ります。
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(9)舌をしまった状態にして、ふつうの表情の目玉を描き入れます。
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(10)舌を出した状態にして、驚かせる表情の目玉を描き入れます。
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(11)顔を描いて、完成。
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内側の紙コップをクルッと回すと……。
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旅の行く先で、子どもたちに届けようと思います。
「ベロ出しチョンマ」にあやかって、少しでも笑ってもらえるといいのですが。






《引用・参考文献》
(1)斉藤隆介「ベロ出しチョンマ」角川文庫
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ちょっと旅へ行くことにしました。
紙芝居と寝袋とテントと、いろいろ運びつつ、自転車で。

自転車で引っ張るリヤカーは、リヤカーやカートの製作で知られるムラマツ車輛さんに発注。
小回りのきく集配ツールとして活躍中のクロネコヤマト「新スリーター(リヤカー付き電動自転車)」のリヤカーもこちらで作っているのだとか。

社長さんはじめ、みなさん親切。
こちらの用途に合わせて大きさやデザインをカスタマイズしていただき、
費用の方もかなり配慮してもらいました。
感謝です。
(ムラマツ車輛HPは、こちら

作ってもらった木箱に、雨を防ぐふたを取り付け、ざっと塗装して、自転車に接続させ、
「ソーピース・キャメル・ザ・9th(ナインス)」の完成です。

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「ソーピース・キャメル(Sopwith Camel)」というのは、第一次大戦で活躍した複葉式の飛行機の名前です。
マンガ「ピーナッツ」シリーズのご存知スヌーピーが、「撃墜王」となって第一次大戦ごっこで遊ぶとき、宿敵レッド・バロンを倒す彼の愛機が「ソーピース・キャメル」。
といっても、ただの犬小屋なのですが。
彼は犬小屋の屋根にまたがり、戦闘機に乗って大空を駆る勇者の夢をみるのです。
(英語の発音からいえば、「ソッピース」と呼ばれることも多いようですが、マンガを訳した谷川俊太郎さんにならって、やはり「ソーピース・キャメル」と呼びたい気がします。)

スヌーピーにとっての犬小屋は、居間であり、オフィスであり、しばしばベッドであり、ある時は飛行機ともなる。
彼の居場所であり、相棒でもあります。
旅のときの自転車はそんな存在でもあるなと思い、「ソーピース・キャメル」と名付けたのでした。

前回、もう10年くらい前になるでしょうか、自転車で旅をしたときは、「ザ・4th(フォース)」──4台目でした。
その後、盗まれたり、違法駐車で持っていかれたり、壊れたりで、この自転車に乗り換えるのは9台目。
そこで、「ソーピース・キャメル・ザ・9th(九世号)」というわけです。

本家の戦闘機「ソーピース(ソッピース)・キャメル」は操縦機能にくせがあって、熟練者が乗りこなせば、旋回や宙返りなど機敏性を発揮して大きな戦果をあげる。
しかし初心者が使いこなすのは難しく、当時、幾多のパイロットが敵にやられる前に自滅したため、「パイロット・キラー」と呼ばれたのだそうです。

今回の旅は、自滅しないようにがんばらなくちゃ。
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今、旅のための準備をいろいろしています。
行く先々の紙芝居公演のときに、ちょっとした手作りおもちゃを届けたくて、制作中。


キョロキョロにゃんこ
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ふしぎ、ふしぎ!
目玉がキョロキョロ動くにゃんこです。
子どもたちだけでもカンタンに作れますが、カッターナイフを使うところは、おとなの人に手伝ってもらった方がいいです。

材料と道具は、これだけ。
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(1)外側になる紙コップに、えんぴつでネコの顔の下書きを描きます。
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(2)目の中をくり抜きます。
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カッターナイフを使うと早い。
最初にカッターナイフで切り込みだけ入れて、はさみで切り抜いてもOK。
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(3)カッターナイフ(または、はさみ)で、耳にするところを切り抜き、折り曲げて立てます。
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(4)マジックインキと、色つきのペンや色えんぴつ、クレヨンなどで顔を描きます。
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(5)もうひとつの紙コップを中にはめます。
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(6)目の穴の幅がわかるように、外側の穴から内側のコップにえんぴつで印をつけます。
内側のコップを少しずつ回してずらしながら印をつけていき──。
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目の穴の幅が、だいたいわかるようにします。
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(7)目の穴の幅からはみ出さないよう、黒いマジックインキでグニャグニャ波線を描いて、グルリと一周させます。
この波線が、目玉になります。
二本の波線の描き方で、右を見たり、左を見たり、より目になったり、離れ目になったりすることになります。
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(8)内側のコップをはめ込んで出来上がり。
内側のコップをくるくる回すと、にゃんこがいろいろな顔をするよ。
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先日、こちらの記事「ホロコーストの子どもたち」(1)という本を紹介したところ、
kangamiruさんからコメントをいただきました。
子どもたちが遊ぶアート系のワークショップを避難所に届ける活動を始められたとのこと。
しかし、そうした活動は不謹慎だというような風潮に悩んでおられるとのことでした。

第二次大戦中、ナチス・ドイツに迫害を受けながらも、
ゲットーや収容所の出口の見えない過酷な生活の中で、
おとなたちは子どもたちを遊ばせようとしました。
しかし、全員が諸手を挙げて賛成したというわけではなかったようです。
そんな活動は不謹慎だとして反対する意見があり、住民を二分していたといいます。

おれは、子どもたちを遊ばせようとした人々の気持ちが、とてもわかる気がします。
けれど一方で、ゲットーの人々や、そして今の人々が、
遊びを不謹慎だ考える気持ちも理解出来るように思います。

リトアニアのヴィルナ(ヴィリニュス)・ゲットーでは、初期の頃に住民の半分が処刑されました。
その後も、繰り返し「特殊作戦」という名の処刑が行われる。

そんな中、それでも野外競技場でスポーツの試合が行われたそうです。
ツェーリッヒ・カルマノヴィッチという方が、そのときのことを日記に記しています。
試合の中で自然にわき起こる大喚声に、自由を感じ、人間らしくありたいと願う。
が、そのとき、傍らの友人が嘆いて言ったそうです。

「大ぜいが悲しみ、大ぜいが死んでいる。それなのにここでは歓びと祭り!」(1)

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今回、震災から1週間も経たない頃だったでしょうか、
プロ野球のセ・リーグが、予定通りペナント・レースを行い、
予定通り東京ドームで開幕戦を行うと決定を下しました。

関東の人々が節電を心がけ、計画停電の無理を甘んじて受けようとしたひとつには、
震災地を想ってのことがあったと思います。
その最中、いくら照明を減らすとはいえ、
東京ドームで華々しく開幕戦を行うということには強い違和感がありました。

あくまでも喩えですが、飢餓で死ぬ人も出る中、
みんなで我慢して食糧を分け合おうとしている隣りで、
飲めや食えやの宴会を開こうとするような不謹慎さを感じたものです。

「大ぜいが悲しみ、大ぜいが死んでいる。それなのにここでは歓びと祭り!」(1)

経営としての皮算用や権力の横暴がチラチラと垣間見えていたことも、違和感の理由でした。
強行しようとする経営側に対して、実際に野球を行う現場の選手たち選手会は反対しました。
その背中を世論が後押しして、
また政府の抵抗にもあい、結局延期になりました。

それに比べ、電力への配慮はもちろん、
まず第一に被災された人たちに配慮して執り行われた、甲子園での高校野球や、
サッカーのチャリティ試合はさわやかでした。
そして延期の結果、セ・パ、足並みを揃えてプロ野球も開幕。

それらの競技で選手たちが見せてくれた心意気は、スポーツが人々を元気づけるということを、
大義名分などではなく、信じさせてくれたように思います。

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家族やパートナーや近しい友人──愛する人が亡くなったとき、人は
「グリーフ・ワーク[grief work]」というプロセスを歩むといいます。

「グリーフ・ワーク」は、「悲嘆の仕事」「悲哀の作業」などと訳され、
「喪の作業[mourning work]」とか「悲嘆(悲哀)のプロセス[grief process]」
というような言い方もされます。

J・ボウルビィは、そのプロセスは個々の状況や個人個人によって違いがあるものの、
共通のパターンのような一連の段階をたどるとして、4つの段階をみています(2)
アルフォンス・デーケンは、その段階をさらに12の要素に分け、次のようにみています(3)

〈1〉精神的打撃と麻痺状態:ショックを受けて、一時的に現実の感覚が麻痺する。

〈2〉否認:起こった現実が信じられない。否定しようとする。

現実を受け入れられずに茫然とする〈1〉〈2〉の段階を、ボウルビィは「無感覚の段階」とし、
数時間から1週間ほど連続するとしています(2)
(それ以上続いて長期化する場合には、不安定な理由が考えられる。)
この時期は一見冷静にも見えますが、緊張に満ちている。
そして次の〈3〉以降の段階で打って変わって強い感情に襲われることになります。

〈3〉パニック

〈4〉怒りと不当感:何も悪いことをしていないのに、
どうして「不当な」苦しみを負わなければならないのかという怒り。
人的災害や犯罪による死であれば、怒りの対象はその原因となった人物へ向けられるが、
天災の場合、運命や神に向けられたりする。
また、怒りの表出が妨げられると、内攻して怒りを自分自身へ向けることもあるという。

韓国では、胸をたたいて泣き叫んだり、しゃにむに怒りをぶつけて怒鳴ったり、時には卒倒するなど、
激しい感情表現が見られることがありますね。
それに比べると日本は抑制的と言えるかもしれません。
が、表に出さないだけで、感情の強さの度合いが小さいということではないと思います。

〈5〉敵意とルサンチマン(うらみ):やり場のない感情を、周囲の人々に敵意というかたちでぶつける。
たとえば、最期を看取った医療関係者や救助者がどんなに最良のケアをしたとしても不満に感じて、
まるで死の責任が彼らにあるように思ってしまうなど。

〈6〉罪意識:故人に対して、こうしてあげればよかった、あんなことをしなければよかったなど、
現実のことや、あるいは想像上のことなども含めて、悔恨の情に苛まれる。
故人の死の責任が、自分にあるのではないかという罪悪感も。
それはしばしば非論理的で、子どもの場合には特に飛躍しやすい。
たとえば、「自分がいい子ではなかったからこんなことになったんだ」
というような思い込みをすることにもなる。

広島の原爆被災地で生きる女性を描いた「父と暮らせば」(4)という戯曲があります。
作者井上ひさしさんは、執筆にあたって、被爆された方々の膨大な手記を渉猟されたそうです。
その多くに見られたのが、「なぜみんなが死んで、自分だけが生き残ったのか」という罪悪感。

欧米では〈4〉怒りの感情が大きいといいますが、
日本では〈6〉罪意識となることが多いような気がします。
今回の地震でも、同様の話をされている被災者の方をニュースでお見かけしました。

「父と暮らせば」のヒロインもまた、そうした負い目に悩み、一歩を踏み出せないでいる。
その苦悩は、劇中、被災して幽霊となったヒロインの父親から
「“後ろめとうて申し訳ない”病」という病気だと名付けられます。
自分だけ生き残ったことが後ろめたく、死んだ方々に対して申し訳ないという。

そんな彼女に、幽霊の父親はメッセージを送ります。
「生きよ」と。
自分の分まで、生きよと。

映画化された「父と暮らせば」(監督・黒木和雄)では、幽霊の父親を原田芳雄さんが演じていました。
彼は広島弁で、宮沢りえさん演じる娘に語りかけます。

「わしの分まで生きてちょんだいよぉー」

ちょっぴりコミカルな、けれど切実なその台詞は、胸にしみとおるものでした。

〈7〉空想形成、幻想:故人がまだ生きているように錯覚したり、空想する。
たとえば、故人の分の夕食を作って用意して、彼の帰りを待ってしまう、など。

〈8〉孤独感と抑鬱

〈9〉精神的混乱とアパシー(無関心):空虚さがこころを占めるようになり、どうしていいかわからず、
人生のあらゆる面に無関心になる。

ボウルビィによれば、以上のような混乱や絶望や追慕の段階を経て、
次の〈10〉〈11〉〈12〉のような、
つまり「さまざまな程度の再建の段階」に至るとされます(2)

〈10〉あきらめ──受容:日本語の「あきらめる」という言葉には、
本来、「明らかにする」という意味があるように、
自分の状況を明らかにし、つらい現実を直視しようとする。
「受容」とは、運命に身をまかせるという消極的な意味ではなく、
現実を積極的に受け入れていこうとする行為だという。

〈11〉新しい希望──ユーモアと笑いの再発見:ユーモアと笑いは、健康的な生活に欠かせないものであり、
それを復活させることは、悲嘆のプロセスを乗り切ることでもあるという。

筆者は以前、上智大学の市民向けのセミナーに参加し、
アルフォンス・デーケンさんの講演を聴く機会がありました。
そのときにも、ユーモアと笑いということを強調されていて、
死を考える上でもそれが役立つと話されていたのが印象的でした。

彼の故国ドイツには、
「ユーモアとは、にもかかわらず笑うことである」
という言葉があるそうです(5)

〈12〉立ち直りの段階──新しいアイデンティティの誕生:悲嘆のプロセスを乗り越えることで、気持ちを整理し、
新たなアイデンティティや人間関係を再構築して、より成熟した人格を獲得することが出来る。


以上、12の段階は、すべての人がたどるというものではなく、
人によっては途中の段階をとばしたり、順番が前後したり、
また、複数の段階が同時に重なって現れたりすることもあるそうです。
行きつ戻りつということもあるかもしれません。

これは身近な人を喪った場合ですが、他のものを失ったときのかなしみということもあります。
喪失してしまったものが、愛着のある有形・無形の何か所有物だったり、
自分のからだの一部だったり、健康だったり。
自分が安息できる家だったり、故郷だったり、
あるいは仕事を失うことは自分の役割を失うことでもあるでしょう。
それはアイデンティティの喪失にもつながります。
こうした対象喪失のかなしみもやはり、12の段階と似たようなプロセスを経ると思われます。

今回の大地震では、被災されたみなさん一人一人が、何かしらを失われました。
しかもその喪失は、突然に不意をつかれてひき起こされた。
身近な人を喪うとき、それが予期しない突然の死別だった場合、
9~36%の人がPTSD(心的外傷後ストレス障害)になるというデータもあるそうです(6)

身近な人を喪うと同時に、家や田畑や仕事や故郷も失うというケースも多い。
そうした場合、先が見えない中、「悲嘆の仕事」が複雑化、長期化しやすくなるのは当然でしょう。
その上、身近な人がいまだ行方不明で、その死が予想されてはいても、
きちんと知らされることなく、はっきりと確認出来ないケースさえある。
心理的には、「悲嘆の仕事」のプロセスにとりかかることさえ出来ません。

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人はうれしいときに笑う。怒ったときに怒鳴る。かなしいときに泣きます。
それが自然で、「悲嘆の仕事」のプロセスもそうした反応のひとつだとされます。
“心理的”な反応というよりも、“生理的”な反応に近い。

しかしフロイトによれば、そうした反応を表に出さないよう、意識しないよう、
抑圧して無理矢理に押さえ込んだ場合、
──つまり「悲嘆の仕事」をちゃんと消化して通過しないと、
後々、その無理が何かしらのかたちで人生の障害となったり、
あるいは病的な症状となって表れてくるといいます。

たとえば目の前の忙しさに追われて、「悲嘆」と向き合わないことがある。
忙しさに追われることで、気を紛らわせたいということもあるでしょう。
また、周囲から
「いつまでもくよくよしないで、前向きになりなさい」
「あなたはそんな弱い人間ではないはずだ。元気を出してがんばりなさい」
「他の人に比べたら、あなたの受けた状況はまだましなのだから、我慢しなさい」
「そんなに気にすることはないじゃないか」
というような言葉かけや、また、言葉ではなくてもそうしたプレッシャーを受けることもあります。

そうして自分でも、
「こんなことに負けていては恥ずかしい」
「がんばることの出来ない自分は、だめな人間なのではないか」
などと考えるようになり、「悲嘆」と向き合わずに回避することがある。

「悲嘆」がそれほど重くない場合や、すでに〈10〉〈11〉〈12〉の回復へ向かう段階に至っているときには、
周囲からのそうしたメッセージが励ましとなることもあるでしょう。
しかし、「悲嘆の仕事」のまさに渦中にある人にとっては、
針のむしろとなって追いつめることになったりもする。
「悲嘆の仕事」を歩むその過程を妨げることにもなるかもしれません。

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旧約聖書の「ヨブ記」(7)の中で
ヨブは、正しく、信仰のあつい人であると語られます。

しかし彼は、突然続けざまに起こった盗賊や火災や嵐の来襲によって、
牛や羊など財産である家畜や、雇い人や、息子や娘たち家族の生命を奪われます。
さらに病気に襲われ、足の裏から頭の先まで腫れものにおおわれ、
かきむしらずにはおれない痒みと苦痛に苛まれます。
こんな仕打ちを受けるなら神を呪って死ぬべきだと、妻は出ていく。

この相次ぐ不幸は、神とサタンの賭けから生じたと聖書の物語では語られるのですが、
おれはずっとそのことが理解出来ませんでした。
けれど、詩人・評論家の吉本隆明さんが、この「ヨブ記」の中の「神」は
「自然」として考えることも出来ると言うのを聞いて、腑に落ちた気がしました。

なるほど、自然は残酷な試練を「これでもか、これでもか」とでもいうように
人間へ課すことがある。
今回の震災では、非常に多くの方がそうした体験をされたように思います。

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そんなヨブのもとへ、三人の友人が彼を慰め励まそうと訪れます。

ヨブが体験したのは、近親者の死だけではありませんでした。
しかし、もしも「悲嘆のプロセス」に当てはめるとしたら、
〈4〉怒りと不当感の段階にあったと言えるでしょう。
彼はこの世界に生まれてきたことを呪い、突然に自分にもたらされた不当な運命に抗議します。

すると、三人の友人はそれを咎めます。
絶対である神が正しくないわけがない。神に抗議するのは不遜だ。

三人の言うことは、ある意味、正論のようにも思われます。
しかし、ヨブの“今”や、ヨブの現実から離れた位置に身を置く
傍観者としての論であるように思います。

それがたとえ正しく、ヨブを励まそうとする発言であったとしても、
ヨブを傷つける針となって、彼を追いつめることになる。


けれど、しかしながら、ヨブの災いを伝え聞き、慰めいたわろうと、
それぞれの地からやって来た三人の友情は、ヨブにとって支えにならなかったでしょうか?
彼らは見捨てなかった。

三人は最初、遠くの方からヨブを目にします。
病気で変わり果て、今はヨブかどうかもわからなくなってしまったその姿を見たとき、
彼らは声を失います。
あまりの悲惨さに、かける言葉がみつからない。
そうして一言も話しかけぬまま、七日七夜、その場所で座り続けたと物語では語られます。

その沈黙は、三人の無力さの結果だったかもしれません。
が、しかし、そこに居続けたこと。
逃げ出すことなく、見捨てることなく、
そして儀礼的な励ましや、生半可な慰めの言葉を発してとりつくろうことなく、
ヨブを見守り、そこに、ただ、居続けたこと。
それは、財産を失い、家族を失い、健康を失い、こころの平安を失い、
信仰まで失おうとしていたヨブにとって、大きな救いとなったに違いありません。

そのおかげで、わずかでも安心さを得たからこそ、
ヨブも自分のこころを包み隠さず吐露する気持ちになったのではないでしょうか。

「悲嘆の仕事」においては愛する人を喪うわけですが、けれど、けっして孤独になるわけではない。
誰かがいてくれる、誰かが想ってくれているという人とのつながり。
そのつながりが、そのプロセスを歩む上で重要だといいます。

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《引用・参考文献》
(1)ジョージ・アイゼン、下野博訳「ホロコーストの子どもたち」立風書房
(2)ジョン・ボウルビィ、黒田実郎・岡田洋子・吉田恒子訳「母子関係の理論」岩崎学術出版社
(3)アルフォンス・デーケン「悲嘆のプロセス──残された家族へのケア」~アルフォンス・デーケン、メヂカルフレンド社編集部・編「〈叢書〉死への準備教育ー第二巻『死を看取る』」メヂカルフレンド社・所収
(4)井上ひさし「父と暮らせば」新潮文庫
(5)アルフォンス・デーケン「ユーモアは老いと死の妙薬~死生学のすすめ」講談社
(6)水島広子「対人関係療法でなおすトラウマ・PTSD」創元社
(7)「口語・旧約聖書」日本聖書協会

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