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絵巻/日本


日本の伝統的な絵巻は、ひとりで鑑賞するようにできています。

だいたい肩幅くらいの長さ(60〜80㎝くらい)に、画面を広げる。
基本的には右手で巻き込み、左手で広げながら、スクロール。
場面は、右から左へと展開していきます。
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絵と文章が交互に配されているもの。
絵の中に文章が書かれているもの。
──などなど、その形態はいろいろですが、
多くは文章を読みながら、絵をながめつつ、ひとりで物語の展開を楽しみます。

が、「源氏物語絵巻」の中で冊子の読み聞かせをしていたように、
絵巻を繰り広げて画面をながめる人のかたわらで、
侍女などが文章を読み聞かせていたということも想像できます。

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下の絵は、江戸時代後期の1804年に出版された山東京伝「近世奇跡考」の挿し絵。
当時は世俗化して「歌比丘尼」といわれていた熊野比丘尼の
絵解きをする様子を描いています。
熊野比丘尼は、たいてい1枚の掛け軸絵を見せながら語りますが、
こうして絵巻を用いることもあったようです。
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②の女性は、髪型や服装から、「上臈」といわれるような
身分の高い武家の女性であることがわかります。
①の熊野比丘尼が、武家の屋敷に招じ入れられ、絵解きを語っているところです。

絵巻の画面には閻魔大王が描かれていて、語っているのはたぶん地獄の絵解きです。
切々と哀れを催すくだりを語っているのでしょうか、
②の女性は袖で涙をぬぐい、かたわらの侍女も顔をおおって泣き出しています。

絵巻は、基本的に座敷の2次元的な平面に置かれて広げられるものですから、
鑑賞する人数はひとりか、せいぜい3〜4人が限度となります。

平安時代の貴族社会であれば、それもOK。
しかし、一部の少人数の人々の楽しみとするだけでなく、
より多くの民衆に語り聞かせようとすれば、
室内でも野外でも、絵を立てて、多くのひと目に触れさせる工夫が必要です。
「絵解き」の多くが、掛け軸絵を立てて掲げて語ったひとつには、
そうした理由もあったと思われます。

江戸時代でも、こうした屋敷の室内で、2〜3人の観客相手であれば、
絵巻は、有効なシステムであったでしょう。
が、武家の屋敷によばれて少人数相手に語るというようなケースは、
それほど頻繁ではなかったかもしれません。

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同じ絵巻でも、インドネシアの「ワヤン・ベベル(Wayang Beber)」は、
大画面で、そして画面を垂直に立てるというやり方をすることで、
多くの人数にアピールしています。

また、インドの「ポトゥア(Patua)」は、
横にスクロールさせるのではなく、縦にスクロールさせる絵巻。
そうして床にべったりと置くのではなく、
画面を持ち上げて3次元的に立たせることで、
より多くの人々に見せることが可能です。

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一方、日本スタイルの絵巻も、今は多くの人が鑑賞できるような工夫がなされています。

「安珍清姫」の物語で知られる和歌山県の道成寺
こちらでは、お寺に伝わる「道成寺縁起絵巻」を描き写した写本を使って、
絵解きを行っておられます。

この「絵とき説法」は、数百年の昔から伝わり、
現在も、年間に3000回以上行われているそうです。
そうした長い口演の歴史の中から、絵巻をより効果的に見せる工夫が生み出されたのでしょう。

木の台を使って、絵巻を立てかけ、聴衆が見やすいように画面を起こす。
左端の軸をはめ込むようにして、台に固定させる。
「説法」の語り手は物語を語りながら、
右端の軸をくるくる回して巻き込み、スクロールさせて画面を展開させるというわけです。
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筆者は、生で見たことがなく、
これはぜひとも行って拝見したいなあと思っています。




《参考文献》
榊原悟監修「すぐわかる絵巻の見方」東京美術
武者小路穣「絵巻の歴史」吉川弘文館
高畑勲「十二世紀のアニメーション ー国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるものー」徳間書店
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パルデ・ダーリー/イラン


イランに伝わる「パルデ・ダーリー(Pardehdari)」は
「絵語り」と訳することができるでしょうか。
「パルデ(pardeh)」は、「幕」というような意味であるようです。
幕に描かれた絵を見せながら、物語を語る。

「パルデ・ハーニー(Pardekhani)」=「絵芝居」とも呼ばれます。
これは、イランにある伝統的な語り、「ナッガーリー(Naghali)」の
ひとつなのだそうです。

幕──横長の大きな布──に描かれた絵を見せて語るというスタイルは、
インドの「ボーパ(Bhopa)」と同じです。
「ボーパ(男性の語り手)」は、
「パド(phad)」という布に描かれた絵を見せて語ります。

「パルデ・ダーリー」や「ボーパ」は、まったくの静止画です。
舞台の書き割りのように、絵は固定されたまま動かない。
場面が次々に展開するというわけでもありません。

そのため、これらのメディアでは、
絵を見せることが、どちらかといえば副次的となり、
唄うように語ったり、あるいは、まったく歌ったり、
または声明を唱えるように語ったりというような語り芸が
メインになっているように思われます。

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「パルデ・ダーリー」の動画がありました。
街頭で行われているもの。
観光ツアー向けでもあるようです。

Naghali, traditional Iranian story telling, Shiraz, uppersia tours


次の動画は、なにかの会場内で行われたものでしょう。
PARDE-KHANI / NAGHALI (STORY TELLING) _ TEHRAN _ 1
PARDE-KHANI / NAGHALI (STORY TELLING) _ TEHRAN _ 2
PARDE-KHANI / NAGHALI (STORY TELLING) _ TEHRAN _ 3

①の動画中、街頭で演じられていた方が、
②〜④では、二番目の語り手として登場されています。
幕の絵は、どちらの動画も同じもの。
なにか英雄叙事詩の物語のように見えます。

どんな物語を語っているのか、言葉もわからないのですが、
観客とのやりとりの様子が、実にいきいきと感じられますね。

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カヴァド/インド


インドには、絵解きや絵巻など、
絵を見せながら物語を語る伝統的な芸能が、現在も各地で行われています。
「カヴァド(Kavad、Kaavad)」もそのひとつ。
ラージャスターン州に伝えられ、
その歴史は300年とも400年ともいわれています。

一般的に「絵」は、紙や布に描かれるものですが、
カヴァドでは、木の板で作られた箱に描かれます。

箱には扉があり、それが折りたたみ式になっていて、
たたんだり、開けたりしていくと、次々に場面が展開していく。
その絵を指さしながら(クジャクの羽根を使うこともあるようです)、
物語を語っていくというわけです。

あるいは、あらかじめ布で板を覆っておいて絵を隠しておき、
それをずらして取り外すことで、場面場面の絵を見せていくということも
しているようですね。

そうして次々に扉を開いていき、最後の扉を開くと、
その奥に、神さまの神像が置かれていたりします。
この神さまは、物語の結末で登場し、救い主のはたらきを担ったりするのだそうです。

さながら箱の奥にご本尊を奉った厨子とか仏壇の、からくり仕立て
といったような風にも見えます。
宗教に関する物語を扱うことも多く、
演じる人は、芸人というよりも宗教家とみなされることもあるそうです。

ちょっとしたタンスほどの大きなものもありますが、
たいていは持ち運びに便利な、小さいサイズ。
これを携えて、語り手は村から村へと、旅をしながら語って歩く。
なので、「Portable Shrine(持ち運び可能な聖堂)」とも説明されます。

これは筆者のうろおぼえの記憶なので恐縮なのですが、
ずっと以前、ブータンの寺院を紹介したTV番組の中で見たような気がします。
こうしたからくりの箱を、
日本の修験者が背負っていた「笈(おい)」のようにかついで歩いては、
その絵を見せながら、人々に語っていたような……。

ブータンは仏教の国ですが、
ラージャスターン州のカヴァドはヒンドゥー教なので、
カヴァドがブータンで行われているというわけではないでしょう。
が、もしかしたらその形式が伝わったのではないかと思うのですが……、
不確かな情報でスイマセン。

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どんな物かは、画像を見た方がわかりやすいですね。
グーグルの「kaavad」の画像検索


「YouTube」に、手作り工芸のひとつとして紹介している動画がありました。



下の動画は、カヴァドを生業(なりわい)としている人々を追ったドキュメント。
Kaavad_Make_Tales - Part1
Kaavad_Make_Tales - Part2

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題材は、「ラーマヤーナ」や「マハーバーラタ」など、神話や英雄、または父祖の物語。
語り手は、物語を記憶していて暗誦するのだといいます。

最近では、このからくりの形式を使って、
子どものための教育に使おうという試みがなされているそうです。

Nina Sabnaniさんという方が、幼児向けの教材に関わられていて、
動画の中で紹介しています。
→「YouTube」の紹介動画

こちらの素材は、板ではなく、厚紙。
仕掛け絵本の「カヴァド」版といった感じでしょうか。

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小西正捷さんによると、
1988年、国際人形劇連盟「ウニマ」の関連行事で、
日本の人形劇団が「カヴァド」形式の「モモタロウ」を演じたんだそうです(1)
どんな試みだったんでしょうか?

いやあー、おっもしろそうですねえ。

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《引用・参考文献》
(1)小西正捷「インド民俗芸能誌」法政大学出版局
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 冊子[源氏物語絵巻]


「源氏物語」、そしてそれを映像化して絵巻にした「源氏物語絵巻」に、
絵本の原形とも思われる冊子形式のメディアが登場します。
「東屋(あずまや)」(一)の場面。

「源氏物語」を彩るヒロインのひとりである浮舟(うきふね)は、
身分は高くないものの、裕福な家の娘。
が、母親は子連れで再婚したので、父親の実子ではありませんでした。
財産目当てで彼女と婚約した男は、その事実を知って、
父親の実子である彼女の妹と結婚してしまいます。
不憫に思った母親は、浮舟を、
彼女の異母姉である宇治の中君(なかのきみ)のもとへ預けます。

ところが、中君の夫である匂宮(におうのみや)には浮気癖があり、
偶然、彼女を見つけて強引に迫る。

この後、浮舟は、
この匂宮と、そして「源氏物語」後半の主人公・薫との板挟みになり、
自殺へ追い込まれることになります。

が、この「東屋」の場面の時には、事なきを得ます。
しかし、男性経験のない浮舟にはショックでした。
そんな妹に気をつかって、慰めるために中君が用意してすすめたのが、
絵物語の冊子です。

中君が、
「絵など取出させ給ひて、右近に、詞(ことば)読ませて」(1)
──というくだり。

「右近」は、浮舟に仕える侍女(女房)です。

中君は、浮舟といっしょに絵を見ます。
恥ずかしげに物怖(ものお)じしていた浮舟は、やがて物語に夢中になったのでしょう、
いつのまにか前に乗り出して絵に見入っている。
そんな異母妹の美しい横顔をながめて、中君は感慨にふけります(2)

このシーンを「絵巻」では、姉妹二人ではなく、
浮舟ひとりで絵を見るという構成で描いています。
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絵の冊子に見入っている浮舟()。
その手前で、詞書(ことばがき)の冊子を朗読しているのが、右近です()。
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つまり、絵が描かれている冊子と、
文章が書かれている冊子という、2冊に分かれた1組の絵本。

たいていは高貴な人のために、侍女(女房)などが文章を読み聞かせる。
その読み聞かせに合わせて、ページをめくって絵をながめていくというわけです。

「絵巻」の他に、こうした仕組みのメディアが、
平安の当時、貴族社会の中にあったことがわかります。

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《引用・参考文献》
(1)紫式部、石田穣二・清水好子校注「源氏物語」〜「新潮日本古典集成」新潮社
(2)紫式部、与謝野晶子訳「源氏物語」〜「日本国民文学全集4」河出書房新社
   佐野みどり「じっくり見たい『源氏物語絵巻』」小学館
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