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f0223055_1254426.gifひとつの仮説


さて、これまで、
右から左へ(→)の方向が「すすむ」で、未来は左にあるのか。
それとも、左から右へ(←)の方向が「すすむ」で、未来は右にあるのか。
もしそういう無意識的な傾向があるとすれば、それは人間の生理的なものに根ざしているのか、
それとも文化によって異なるものなのか。
──ということを、右往左往しながら、あれこれ勉強して考えてみました。

その結果──。
「わからない」というのが、筆者の結論です。
さんざん回り道をして、結局「わからない」というのも情けない話ですが。

が、わからないなりに、考えてみたひとつの仮説(笑)があります。
まあ、仮説というほど、たいそうなものではないのですが、
以下にちょっと整理してみたいと思います。

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グリュンワルドやスーザン・バッハといった心理学の専門家は、象徴的に、
左から右へ(→)の方向が「すすむ」であり、未来があるとしています。
それは、大半の人々──特に欧米の人々にあてはまると考えられており、
心理テストや臨床の場にも応用されています。

図にすると、下の通りです。

▼グリュンワルドの空間図式をもとに、横軸だけを取り出して作成
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一方、カンディンスキーなど一部の人々や、また一部の日本文化には、その逆
──つまり、右から左へ(←)の方向が「すすむ」であり、未来があるとする感じ方があります。

その違いは、脳機能などの生理的なものなのか、
文化によるものなのか、文字を読み書きする方向の違いによるものなのか、
それとも個人的な感性によるものなのかは、はっきりとわかりません。
そのあたりは、専門家の方がこれからはっきりとさせてくれるかもしれません。

筆者が思う仮説というのは、紙芝居や絵本限定です。
連続する絵(映像)によって物語を表現するメディアにおいてのみの話です。
つまり、絵本や、マンガ。
絵巻や、冊子、草子。
そして紙芝居などといったメディアでは、
象徴の図式が変わってくるのではないかということです。

こうしたメディアでは、物語が展開する方向が自然に定められています。
くりひろげられるメディアの世界の中ではその力が強烈なので、
たとえ、仮に、人が生理的にあるいは文化的に、右へ向かおうとする性向を持っていたとしても、
もしくは、仮に、左へ向かおうとする性向を持っていたとしても、
ちょうど、強力な磁場がはたらいている空間では、重力さえ無力に感じられるように、
その方向に引っぱられてしまう。

そして引っぱられるがゆえに、象徴の図式が塗り替えられるように思うのです。
つまり、こんなふうに。

物語や絵が右向きに展開するメディアの場合
■文章が横書きの絵本・本・冊子(左開き・左綴じ)
■台詞が横書きのマンガ(左開き・左綴じ=欧米のコミックなど)
■コンピューター・ゲーム
■ウェブなどの電子メディア

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これは、グリュンワルドの空間図式の横軸そのものです。
が、しかし、展開する方向が左向きになると、
これとは逆の、下図のようになると思われるのです。

物語や絵が左向きに展開するメディアの場合
■文章が縦書きの絵本・本・冊子・絵草紙(右開き・右綴じ)
■台詞が縦書きのマンガ(右開き・右綴じ=日本の一般的なコミック)
■絵巻
■紙芝居

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「順勝手」「逆勝手」というのは、もともと「絵巻」で使われていた言葉です。
日本の絵巻では、左(←)に進むという方向が明確に決まっています。
その流れに順(したが)う表現を「順勝手」といい、
その流れに逆らう表現を「逆勝手」といいます。

※絵巻では、「順勝手となる構図」のことを、慣用的に「順勝手」と呼び、
「逆勝手となる構図」のことを「逆勝手」と呼ぶこともあるようです。
これについては、後述しようと思います
(後述:「斜線構図の順勝手と逆勝手」)。

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たとえば、登場人物が右を向いているか、左を向いているかだけで、
「順勝手」「逆勝手」の表現となることもあります。

左(←)に進む「絵巻」において、左を向いている人物は「順勝手」。
主人公の多くは、「順勝手」に描かれます。
それに対して逆の右(→)を向いている人物──つまり「逆勝手」の人物が登場することは、
主人公が出会う相手であったり、あるいは敵対する人物であったりします。

こうした「空間的な表現」は、小さい子どもたちを対象とする「絵本」では、
特にしっかりと配慮されています。

たとえば、右(→)に進む「絵本」において、右を向いている人物は「順勝手」。
物語には、「行って帰ってくる」という構造のものが多いのですが、
その「行く」ときに、主人公は、右(→)を向く「順勝手」で描かれます。
そして「帰る」ときに、主人公は、左(←)を向く「逆勝手」で描かれることが多い。

そして、これら「空間的な表現」とともに、
「順勝手」「逆勝手」は、「心理的な表現」として使われることがあります。
そのとき、上図のような空間象徴が成り立っていると思われることが多いのです。

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もっとも、「順勝手」「逆勝手」という言葉がなくても、
そうした表現は、自然発生的に、無意識的に、幅広く、使われているものです。
たとえば、マンガや、海外の絵本などでも効果的に使われていて、
それが物語をよりおもしろいものに見せています。

だから仮説といっても、「何を今さら」という気もします。
これらメディアに親しんでいる読者(観客)にとっては、当たり前のことかもしれません。
が、改めて、
「順勝手」「逆勝手」の表現の具体例を見ていきたいと思います。

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f0223055_9165091.gif文字を読んでいく先に明日があるのか?


質問です。
次の図形の斜線のラインの(A)と(B)。
イメージとして「上がっている」と感じられるのは、どちらでしょうか?
「下がっている」と感じられるのはどちらでしょうか?

図1
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これは、メディア学のデリック・ドゥ・ケルコフが、その著書「ポストメディア論」(1)の中で
投げかけている質問です。

もしも、(A)のラインが「上がっている」と感じた人。
その人は、アルファベットではない文字を日頃から使い、
読んでいる可能性が高いと、ケルコフはいいます。

同じ横書きでも、ヘブライ文字やアラビア文字は、右から左へ(←)書き表します。
下の図は、ヘブライ文字の「基本母字」といわれる22字の文字を図形に添えたもの。
右の端から「א(アレフ)」「ב(ベート)」「ג(ギーメル)」……
と、読んでいきます。

図2:ケルコフ「ポストメディア論」(1)中の図をもとに作成。
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日頃からヘブライ文字を読み書きして慣れ親しんでいる人は、
右から左へと読んでいくその方向(←)にひっぱられ、
その流れで見れば、(A)の斜線のラインは、上がっているように見えるというわけです。

しかし、英語やフランス語などの文字は、左から右へ(→)と読み進んでいく。
そうしたアルファベットなどに親しんでいる人が
(A)のラインを見れば、下がっていると感じるでしょう。

現代の日本を含めた多くの国では、いろいろなテクノロジーの基礎である科学の
数式や化学式やグラフなどもアルファベットと同じく、左から右へ(→)進みます。
そのグラフでいえば、(A)のラインは「右肩下がり」です。

それとは反対に(B)のラインは「右肩上がり」。
そういうグラフのイメージに慣れている人、
日常的にアルファベットの読み書きをしている人であれば、
下図のように、上がっていると感じるはずです。

図3:ケルコフ「ポストメディア論」(1)中の図をもとに作成。
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ケルコフによれば、世界にいろいろ文字がある中で、
音をあらわす「表音文字」は、横書き──つまり水平に書き記すことになるといいます。
さらに「表音文字」でも、表記するときに母音をあらわす文字があるものは、
右へ書き進めることになる。

アルファベットに代表されるように、
母音を含む表記法では(ただしエトルリア文字は例外)、
文字が並んでいる順番そのままに、逐次、言葉を読み進めていく。
それが人間の左右の脳機能と視覚システムによって、
右へ書き(読み)進めることになるのだというのです。

が、一方、ヘブライ文字やアラビア文字は、表記に母音を含まない子音体系です。
文脈に沿いながら、文字の組み合わせを判断して言葉をくみ取り、読み進める。
すると、左へ書き(読み)進めることになる。

もともと、アルファベットを考案したのは、古代ギリシア人でした。
古代のフェニキア文字を手本にしたといわれていますが、
このフェニキア文字は、左に書き進める文字でした。
フェニキア文字は、母音を含まない文字だったのです。

そこに、古代ギリシア人は母音をあらわす文字を付け加えます。
そして、ギリシア・アルファベットを生み出す。
すると、それまで左に書き進めていたのが、
ギリシア・アルファベットになると、まもなく、右に書き進める文字へ変化したそうです。
以来、アルファベットは母音を含む文字体系となり、
右へ書き進める文字になったのだそうです。


こうした読み書きのシステムは、わたしたちの思考や心理、身体など、
行動全般に影響すると、ケルコフはいいます。

だから、図3の斜線(B)を上がっていると感じたように
「もしそれが左から右へ読み進む性向とともに右の視野へひっぱられる場合、
あなたにとって、行動や時間や現実は左から右へ進むと結論づけてよい」
(1)
というわけです。

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では、日本語はどうでしょう。

音をあらわす「表音文字」は、水平に書かれますが、
形象(かたち)をあらわす絵文字が起源である「表意文字」は、垂直に書かれる。
縦書きです。
エジプトの象形文字や、そして中国の漢字もそうですね。

そして垂直の縦書きのその行の送りは、モンゴル文字などを除いて、
右から左へ(←)進むのが一般的だといいます。

中国の漢字を輸入した日本もそうでした。
漢字にならって、垂直の縦書きで、行送りは右から左へ(←)。

図4
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こうして縦書きの文章を配してみると、斜線(A)は、上がって見えると思います。

やがて日本は、独自の「ひらがな」「かたかな」という「表音文字」を発明します。
が、しかし、その書き方のスタイルは、縦書きの左送りのまま。
漢字と変わらない縦書きという時代がずっと続いていました。

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筆者が昔、東京の浅草を訪れたとき、
「山龍金」と書かれてある看板のようなもの(「山号額」というのだそうです)を見かけて
ひとしきり頭をひねった思い出があります。

山に住む龍が、金を貯め込んだのだろうか。
山の龍をかたどった黄金があるのだろうか……。
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あ、そうか。
昔の字は、右から左へ読むんだっけ。
これは「金龍山・浅草寺」のことなんだと気づいたのは、
だいぶ経ってからのことでした。

が、しかし、それも間違いでした。
昔の字は、右から左へ読むというわけでもなかった。

「山龍金」というのは、実は縦書きなのだそうです。
縦書きで、行の送りが右から左へ(←)進んでいる。
ただしかし、縦に書くスペースが1字分しかないため、
右から左へ(←)書き進める横書きのように見えているだけなのだそうです。

屋名池誠「横書き登場ー日本語表記の現代ー」(2)によると、
日本に「横書き」という発想が生まれたのは、
江戸時代後期に欧米文化である「蘭学」が入ってきてからだといいます。

もともと「表音文字」である「ひらがな」「かたかな」を取り混ぜて使っていた日本語は、
水平の横書きへの対応もしやすかったでしょう。
けれど、右へ書き進めるか、左へ書き進めるかについては、どちらでもよかった。
昔の横書きは、左へ書き進めるというイメージがあるのですが、
実は、右書きと左書き、両方の書き方が存在していたのだそうです。

欧米文化に精通しているようなインテリ層は、欧米語と同じく右への横書きを、
一方、欧米の言葉なんて知らねえやというような庶民層は、
左への横書きをする傾向があったのだとか。

それがやっと第二次大戦後になって、右へ書き進める現在のスタイルに統一される。
それまでは、右に読むか左に読むかで混乱することもあったようです。

下図のように、そしてこのブログのように左から右へ(→)書き(読み)進める「横書き」は、
だから誕生してからまだ半世紀くらいなんですね。
しかし半世紀のあいだに、右への横書きは、わたしたちの生活にだいぶ浸透しているようです。
すると、それはわたしたちの意識の中にも浸透しているのでしょうか?

図5
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ケルコフが言うように、
文字を書き進める方向が、わたしたちの無意識にも影響しているとしたら……。

すると、心理テストである「バウム・テスト(樹木画テスト)」を提唱したカール・コッホが、
その理論を考える際に、グリュンワルドの空間象徴理論と、
もうひとつ、マックス・パルバーの筆跡心理学を参考にしたということも思い出されてきます。
アルファベットの文字をどう書くかというその筆跡から、
性格や心理状態を分析する。
そこでは当然、左から右の方向へ(→)書き進めることが前提となっています。

また、グリュンワルドが説いた、左下から右上へのびる「生命のライン」は、
人生において“上にアップする”という人々のイメージを具現化したものでした。
それはまさしく図3の(B)のラインと一致します。
というのはつまり、グリュンワルドが行った調査が、
アルファベットを使う文化圏のドイツ人を対象としたものだったからと言えるかもしれません。

するともしも、右から左へ(←)書き進めるヘブライ語に親しんでいる人たちを調査するとしたら、
「生命のライン」は右下から左上へのびる逆向き(図2の(A))となるのでしょうか?

こうしたマックス・パルパーやグリュンワルドの理論を背景とした「バウム・テスト」を、
もしもヘブライ語の文化圏の人が受けた場合、同じような分析結果となるのでしょうか?

日本人ではどうなのでしょう?

日本のバウム・テストでは、左右の解釈にはあまりこだわらない方がいい
という指摘は見受けられますが、
明確な説明は、今のところないように思います。

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ちなみに、右から左への方向(←)を「進む」と感じていたカンディンスキーは、
ロシア出身の画家です。
同じロシア出身でも、シャガールのようにユダヤ系ロシア人であれば、
ヘブライ文字との接触があったかもしれないと思ったのですが、
彼はモスクワ生まれで、父親は東シベリア生まれ。

彼の母語はロシア語で、
彼が学び、幼いときから親しんでいたのは、そのロシア語の文字であるキルリ文字だと思われます。
キリル文字は、左から右へ(→)進む文字。

また、後年、彼が活躍した舞台となったドイツやフランスのアルファベットも、
左から右へ(→)進む。

カンディンスキーについていえば、彼の感覚は、文字を読み書きする方向には関係なさそうです。

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こんな実験の試みがあります。

ニューヨークの写真家であるディヴィッド・B・アイゼンダラス。
彼は、50枚の風景写真を撮影して、
一方はそのままプリントし、もう一方は左右を反転させてプリントしたそうです。
その2枚を1組にして、2枚同時にいろいろな人に見せ、どちらがいいかを選んでもらう。

すると、その風景の構図が左右対称ではない場合、
約75%の人が、左右を反転させた2枚のうち、どちらか一方、
しかも同じ向きのものを選んだといいます。
その約75%は、みんな、アルファベットを読み書きする人々、
つまり、左から右へ(→)読み進む人々だった。

ところが、ヘブライ文字しか読まない人々、つまり、右から左へ(←)読み進む人々に
同じ2枚1組の絵を見せたところ、
アルファベットを読む人々とは反対の方の、
左右が逆転した写真を選んだ確率が高かったというのです(3)

左右に関しての審美的感覚についていえば、
文字を読む方向がもしかしたら影響しているかもしれない可能性があるというわけです。

ただ、この実験を紹介しているマーティン・ガードナーは、
他にもドイツの心理学者が行った似たような実験に言及し、
けれど確かな結論には至っていないと述べています(3)

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が、しかし、ケルコフの論を裏づけるようなこの実験結果が確かだとしたら、
世にある名作も、前回のように左右反転させて見る方が、
文化によっては、感銘の度合いに違いがあるかもしれません。
あるいは解釈のし方も変わってくるかもしれません。

すると、文字の読み方・書き方がわからない非識字者はどうなのでしょう?
また、「右」「左」という言葉さえ持たないメキシコのテネハパ村の人々はどうなのでしょう?
──いろいろと疑問がわいてきます。

第二次大戦後の日本では現在、
図4のように、縦書きで行送りが右から左へ(←)進む読み方と、
図5のように、横書きで左から右へ(→)進む読み方が、両方併存しています。
ひとりの個人が、その場面場面に応じて、両方を使い分け、両方ともに慣れ親しんでいる。

その「どっちもアリ」という曖昧さが、右と左をめぐる日本文化の
一筋縄ではいかない複雑さの要因ともなっているかもしれません。

しかし強いて言えば、世の趨勢は、横書きに傾いているといえるでしょうか。
「本離れ」が言われて久しく、
特に縦書きが中心である書籍や新聞、雑誌などの紙媒体が減っている。
そして若い世代を中心に、
横書きが中心の電子メディアと接する機会が非常に増えています。
(電子書籍などでは縦書き仕様のものもありますが。)

すると、今後、
左から右への方向(→)を「進む」と感じる人が増えるのか。
もしかしたら、
左から右へ(→)ゆるやかに風が吹いていると感じる人が増えたりするのでしょうか?

ふーむ。

風に訊いてみても、わからないかもしれませんね。

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《引用・参考文献》
(1)デリック・ドゥ・ケルコフ、片岡みい子・中澤豊訳「ポストメディア論〜結合知に向けて」NTT出版
(2)屋名池誠「横書き登場ー日本語表記の近代ー」岩波新書
(3)マーティン・ガードナー、坪井忠二・藤井昭彦・小島弘訳「自然界における左と右」紀伊国屋書店

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f0223055_1116031.gif絵の中では、右から左へ風が吹いている?


美術館や展覧会へ行くと、たいてい順路が指定されています。
ひとつの絵をずっと見続けて動かなかったり、
さっきの絵はどうだったっけかなと、気まぐれに後ろへ戻ったり、
あちこちウロウロする筆者のような見方は、やっぱり迷惑でしょう。
きちんと順番通り、観覧者が混乱することなく鑑賞できるよう、道が指し示されているわけです。

その順路は、一般的に、欧米の作品であれば、
絵が展示された壁に沿って右(→)へ進むことになります。
壁に沿いながら室内をぐるっと一周するような構造であれば、だから右回り(時計回り)です。

一方、昔の日本の作品などは、一般的に、
絵が展示された壁に沿って左(←)へ進むことになります。
だからこちらは左回り(反時計回り)となります。

なぜこうした違いがあるのか。
それについては、文字の読み方の方向の違いとして説明されます。

展示される美術品の中には、絵巻物や書とか手紙の類もあったりする。
また、文字の書かれている版画や絵画もあったりします。
そのため、欧米の作品をみるときは、アルファベットを読み進む方向通り、右(→)へ進む。
対して日本の作品をみるときは、
文章を読み進む日本古来の方向(=縦書きの文章の行送りの方向)の通り、左(←)へ進む。
──というわけです。

しかし、文字の書かれていない作品でも、絵をみる視線の移動方向は同じだという話があります。
つまり、欧米では、視線を右(→)へ動かして絵をみる。
日本では、視線を左(←)へ動かして絵をみる。
──というのです。

ただこの場合、眼球運動を測定して分析するような
厳密な注視線の移行というわけではないでしょう。
絵をみるとき、絵を読むときの「癖のようなもの」とでも言えるでしょうか。

欧米の右(→)への方向は、
グリュンワルドら心理学者が「進む」と感じるとする方向でもあります。

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美術史家のハインリヒ・ヴェルフリンという人が、「美術史論考」(1)という著書で、
レンブラントの「三本の木」を取り上げているそうです(2)

▼レンブラント「三本の木」1643年
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これは版画の作品。
つまり、刷ったもの。
原画は、左右反転となるわけです。
しかしレンブラントは、それを計算して、この構図を描いた。
そしてここには、左から右へ(→)流れる視線の動きがはたらいているというのです。

視線を移行させたその先に三本の木があることで、その重要性が正しく認識される。
もしも、この作品の左右が反転していたなら、その意味は弱くなってしまうと
ヴェルフリンはいうそうです。

レンブラントは、この作品制作の1年前に妻を亡くしたそうで、
そうした憂鬱な感じが表れているようだという感想を抱かれる人が多いようです。
が、筆者はそういう感じは受けませんでした。

画面の左上の斜線は、雨だという説もあるようで、
確かに左側の空の大気は、不穏なうねりを見せています。
しかし、右の丘にやや逆光気味に光があたり、三本の木の影が手前に伸びているのを見ると、
これは太陽がゆっくりと右の方向へ傾きかけていく黄昏れ間近の午後か、
あるいは、右の丘の向こうから朝日が昇ってくる早朝のシーンか。
左上の斜線は、雲間から差し込む太陽の光線と陰影の非写実的な表現であるように、
筆者には思われます。
三本の木と丘を照らしている光が美しい。
憂鬱感というよりも、人生の日々の中の1コマであるこの風景を慈しんでいる感じがする。
右を向いて耕作にいそしみ働く農夫の姿も含めた、人生の営みの風景。
死ということを意識するからこそ、その1コマがいとおしくなるのではないでしょうか。
──まあ、これは筆者の勝手な感想です。

では、これが、ヴェルフリンの言うように、左右反転したらどうなるか?

▼レンブラント「三本の木」を左右反転させたもの。
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なるほど、左右反転させた方には、不安定な印象があります。

なぜかオリジナルの方は「開かれている」感じがして、落ち着きと広がりが感じられ、
左右反転の方は「閉じられている」感じがするのは、
つまり、左から右へ(→)視線を移行させて見ているということでしょうか。
視線を左から移そうとすると、すぐ左にある三本の木に吸い寄せられ、
その先の空や風景の広がりをしみじみと味わう前に、そこで目が止まってしまう。

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このヴェルフリンの論考を取り上げている「美術における右と左」(2)の序章は、
共著者である中森義宗・衛藤駿・永井信一三氏の座談会をとりまとめたかたちで構成されています。
その序章では上述のように、絵をみる視線は、
西洋では右へ(→)、古来の日本では左へ(←)移行するとされる。

そしてその習慣は、文字を読み書きする方向などに影響されたためで、
だから第二次大戦後、統計グラフや文字の横書きに慣れている現代は、
左から右へと視線を移す西洋の見方に近いのではないかと述べられています。

確かに、昔から日本では、右から左へ(←)視線を進めるのが一般的でした。
文章が付された絵巻や冊子はもちろん、
しかし文章のない絵画でも、右から左へ(←)。

たとえば、四季をテーマにした屏風図などでも、
春・夏・秋・冬と推移する季節は、右から左へ
「冬←秋←夏←春」
と描かれることが多い。
(といっても、例外はままあるそうですが(3)。)

「美術における右と左」(2)の序章では、
西洋画のヴェルフリンの説とは対照的な、右から左へ(←)視線を移す日本の例として、
葛飾北斎「富嶽三十六景」のひとつ「凱風快晴」が取り上げられています。

▼葛飾北斎「凱風快晴」1831年頃〜「富嶽三十六景」
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ここで強調されているのは裾野の広がりであって、富士山の頂(いただき)ではない。
「右から左へと視線を移行させるのが正しい鑑賞法である」(2)
と述べられています。

しかし筆者は、この説明に少なからず違和感を覚えてしまいました。
どうしても、なだらかな裾野の曲線を左下から右上へとたどっていき、
その彼方に遠くそびえる頂上の赤が、空にくっきりと映えている
その存在感と雄大さに目を奪われてしまう。
これはやはり、筆者が視線を左から右へと(→)移すことが慣習となっているせいでしょうか?

もしも昔の日本人である葛飾北斎が、
右から左へ(←)の視線の動きによって作品を描いている(それが版画であっても)としたら、
左から右へ(→)の視線の動きによって見ている西洋人とは真逆です。
すると西洋人や、そういう見方をする現代の一部の日本人は、
左右が真逆の下図の絵にこそ、北斎の意図をくみとることが出来るのでしょうか?

▼葛飾北斎「凱風快晴」〜「富嶽三十六景」を左右反転させたもの。
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いえ、左右反転の絵だとまったく印象が違って見えるのは、
有名な赤富士(凱風快晴)をあまりにも見慣れているために違和感を感じる
というだけではないように思います。

こちらの左右反転の方は、筆者は個人的には、
ヘリコプターに乗った空撮のアングルで、
嶺の頂(いただき)から裾野を見下ろしてながめているような感じがします。

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ヴェルフリンが、左から右へ(→)の視線の動きを指摘したのに対し、
さらにガフロンは、人が絵画をながめるとき、
左下の手前から右上の奥へ意識を移動させながらみているといいます。
いわゆる「グランス・カーブ理論(glance curve theory)」です。

「グランス・カーブ」〜三浦佳世「知覚と感性の心理学」(4)掲載の図に基づいて作成。
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「左下から右上へ」というこの方向は、グリュンワルドの「生命のライン」を思い起こさせますが、
さらに手前から奥へという、三次元的な要素も加味されています。

視覚には、左にあるものがやや大きく見えるような錯視の傾向があるそうです(=左方過大視)。
だから、三浦佳世さんによると、書道で漢字を書く場合、
左右のバランスをとるために、
右の「つくり」よりも、左の「へん」を、若干小さめに書くといいのだそうです(4)

左にあるものが大きく見えるということは、近くに見えるということです。
そして右にあるものは小さく見え、遠くに見えることになる。

すると、グランス・カーブの曲線の構図を用いた下図(A)と、
それを左右反転させた図(B)。
これをを比べると、どうでしょう?

木の隣りにある家は、図(B)の方がちょっと近いような、
図(A)に比べれば、早くたどり着けそうな感じがするのではないでしょうか。

図(A):三浦佳世「知覚と感性の心理学」(4)掲載の図(Adair & Bartley,1958による)に基づいて作成。
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図(B):同上「知覚と感性の心理学」(4)掲載の図(Adair & Bartley,1958による)に基づいて作成。
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葛飾北斎「凱風快晴」の構図は、グランス・カーブの典型的な軌跡を描いています。

筆者がオリジナルをみたとき、富士山のてっぺんが遠くにあるように感じ、
左右反転のものをみたとき、てっぺんが手前にあるように感じたのには、
こうした視覚の仕組みがあったんですね。

グランス・カーブ理論については、
脳の左右のシステムの機能差によって生じるのではないかという説明がなされています。
が、しかし、文化による違いがあるのではないかと、三浦佳世さんは指摘しています。

文化によっては、グランス・カーブ理論のような見方をしない場合もあるかもしれない。
「正しい鑑賞法」は、右から左へ(←)視線を移行させるものと述べられていた通り、
もしかしたら昔の日本人である北斎は、グランス・カーブのような見方をしないで、
「凱風快晴」を描いたかもしれない可能性もあると思われます。

けれども、グランス・カーブ理論に納得した筆者は、やはり戦後生まれの日本人で、
無意識に左から右へ(→)の見方をしているということなのかもしれません。

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が、しかしながら、たとえば同じく北斎の有名な「神奈川沖浪裏」。

▼葛飾北斎「神奈川沖浪裏」1831年頃〜「富嶽三十六景」
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こちらでは筆者は、右から左へと(←)視線を移してみてしまうのです。

波にもまれ、揺さぶられつつ、左へ走る舟といっしょに、視線を左へ走らせる。
そしてモンスターのように襲い来る大波にぶつかるものの、
しかし柔道の名人にアタックしてもいつの間にかかわされて投げ飛ばされるように、
ふわっと体がくるりと一回転して輪を描く。
そのダイナミックな動きの輪の中に、
水しぶきがスローモーションで飛び散るのがくっきりと見えて、
そして輪の中に小さく富士山がのぞいていることに気づく──といった感じです。

これは、あくまでも筆者の個人的な感想なのですが、
つまり、視線の移行の方向は一定ではない。
アイ・キャッチのあるポイントがあれば、まずそこへ視線を走らせる。
そうして絵の構図に導かれるままに、右方向へ目を移したり、左方向へ目を移したりする。
──ような気がするのです。

北斎は他にも、この富士山と波という同じモチーフの絵を描いています。

▼葛飾北斎「海上の不二」1834年頃〜「富嶽百景」
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二つの絵は構図が似ていても、富士山と波の配置は、左右が反対です。
にも関わらず、視線の向きは反対にならず、右から左へ(←)向かうように思われます。

荒々しい波は、右から左へと(←)襲いかかるように押し寄せている。
バラバラと水しぶきのように散らされた千鳥の群れも、
リズミカルな流れをつくりながら、右から左へ(←)飛んでいく。
そうした動きにぐいぐい引っぱられ、わたしたちの視線も右から左へ(←)押し寄せていきます。
そして千鳥が飛んでいく彼方──視線の行き着く先に富士山を発見するわけです。

こうした構図であれば、
左から右へ(→)視線を走らせることに慣れている欧米人であっても、
ごく素直に、右から左へ(←)視線を走らせることになるのではないでしょうか。

絵巻や連作などではない1枚の絵であれば、
絵自体は、鑑賞者に見る方向を強制するわけではありません。
たとえ順路が指定されていたとしても、
右から見ようが、左から見ようが、
「正しい鑑賞法」に必ずしも従う必要はないように思います。
絵のままにながめて、思うままに感じればいい。

ただしかし、そのとき、右にみていくか、あるいは左にみていくかという
心理的な「癖のようなもの」が無意識的にあって、
その影響を受けるようなことが、やっぱり、あるのかもしれないなあとも思われます。

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「上手から下手(右から左)に風がゆるやかに吹いている」という別役実さんは、
舞台だけはなく、絵画の中にもその風を感じていました(5)

たとえば、フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」。

▼フェルメール「窓辺で手紙を読む女」1657年頃
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この女性は、上手(右)から下手(左)へ移動しているわけではない。
が、この瞬間に至る寸前まで、移動してきたことを思わせ、
下手(左)へ「向かう身体」であることをうかがわせると、別役実さんはいいます(5)

視線が移行する方向というわけではないでしょう。
けれど、身体が左を向いていることによって、
さらに画面の右側3分の1ほどを緑のカーテンにおおわれている構図のせいでしょうか、
女性の頭部は画面の中心にありますが、時間が止まったような静けさの中で、
窓の方向──つまり、左へと向かう気配のような何かを、なるほど感じるような気がします。

フェルメールの作品には、
左から光が射しこむ中、人物は左向きにたたずんだり、座っているようなものが多い。
もしかしたら、そうした「癖のようなもの」があり、
別役実さんはそこに共通するものを感じるのかもしれません。

筆者は、左を向いてたたずむこの構図の中に、ひそやかさを感じるように思います。

絵には、緑のカーテンと、それを吊るすためのカーテンポールが描かれています。
これは、部屋を仕切るためのカーテンかと思ったら違うんですね。
フェルメールの暮らしていた17世紀当時のオランダでは、
室内に飾る絵画にほこりをよけるためのカーテンを取り付けていたのだそうです。
それをフェルメールは、「だまし絵」として、絵の中に描き込んだというわけです。

そのカーテンポールの横線と柱や影が、画面の四方を取り囲む枠(わく)のように見えます。
額縁に絵を飾る以前に、額縁の枠がすでに絵の中に描かれていて、
そこに掛けられたカーテンが半ば開かれ、中の絵がのぞけているように見えるのです。

そして壁の余白がたっぷり過ぎるほどに室内の空間が広く描かれ、
それに比べると女性の姿は小さい。
それが女性のシルエットを際立たせ、また清澄な空気感を感じさせることにもなっているのですが、
女性は、わたしたち見る側の視点からは離れた、やや遠い距離にいるように見えます。

また、テーブルクロスの乱雑さや、無造作に置かれ傾いている皿の果実も、いかにも日常的です。
テーブルを片付けているところなのか、果実を運んで来たところなのか、
家事の途中の合間に手紙を読んでいるという状況が想像できる。

そのため、ちょうど、絵という小窓の枠に切り取られた女性の日常のプライベートな一場面を、
カーテン越しにのぞき見しているような錯覚を感じるのです。

読んでいるのは、もしかしたら恋人からの手紙かもしれない。
しかしその想いはひとり胸に秘め、しずかに、しかし何度も反芻しているように見えます。
その表情からは、手紙がどんな内容なのか、はっきりわかりませんが、
その姿勢にはじっと見入っている熱心さがうかがえる。

女性のそんな素の姿を、思わず目撃してしまったような、
ちょっとドギマギしてしまう感があるように思います。
……あ、いえ、ついつい妄想してしまいました。

それが、右向きであったとしたら、どうなるか?

▼フェルメール「窓辺で手紙を読む女」を左右反転させたもの。
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これは筆者の個人的な感覚なのですが、右を向いた彼女は、
何だかあっけらかんとして、秘密めいたところ、思いつめたところがない。
開放的な、開かれているような印象を受けます。

もしかしたらこれは、グリュンワルドが右への方向を「外向的」として、
左への方向を「内向的」ととらえた象徴図式と関係があるようにも思われます。

フェルメールの描く左向きの女性たちは、左向きに描かれることで、
内省的な、落ち着いた雰囲気が強調され、
その内面がにじみ出るような画面の主役に、よりふさわしくなるのではないか。

左を向いて「手紙を読む」女性は、自分の内なる気持ちと向き合っている。
しかし、表には出さないその内面が、ひそやかな印象につながったのかもしれない。
すると窓ガラスに映った彼女の、自分自身を照射する鏡像も意味をもってくるように思えます。

けれど、彼女が右を向いたとき、かもし出されていたそうした要素がなくなる気がするのです。

そして彼女が右を向いたとき、風向きが変わったように筆者には思えました。
右から左へ(←)ゆるやかに吹いているはずの風に、彼女は逆らうのではなく、
彼女が右を向くとともに、風は左から右へ(→)吹き始めたように思えたのでした。

そう思ってしまった筆者は、感覚が鈍感なだけで、
別役実さんの感性がとらえている流れを感じとることができないのかもしれません。
あるいは、人それぞれに感じ方が違うということなのでしょうか。

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中森義宗さんら三人の方々は、右に見るか、左に見るかという日本人の意識は、
第二次大戦を境に変化したのではないかと指摘していました(2)
それには、文字の横書きという影響も大きいでしょう。

三浦佳世さんもまた、古来、日本で意識や時間の進む向きを左とするのには、
「筆記方向に関係していることは想像に難くない」(3)
と述べています。

だとすると、別役実さんの左へ風が吹いていると感じる感性は、
縦書きの文章に慣れているというようなことに関係してくるのでしょうか?
それとも、関係はないのでしょうか?

文字を読み書きする方向というのが影響するのかどうか?
次に考えてみたいと思います。

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《引用・参考文献》
(1)筆者は未読ですが、ヴェルフリン「美術史論考」は、次の日本語訳が出版されているそうです。
ハインリヒ・ヴェルフリン、中村二柄訳「美術史論考ー既刊と未刊ー」三和書房(1957年刊)
(2)中森義宗・衛藤駿・永井信一「美術における右と左」中央大学出版部
(3)榊原悟「日本絵画の遊び」岩波新書
(4)三浦佳世「知覚と感性の心理学・心理学入門コース1」岩波書店
(5)別役実「別役実の演劇教室ー舞台を遊ぶー」白水社

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f0223055_11133612.gif舞台では、右から左へ風が吹いている?


日本には、部屋のどこに誰が座るのかという席順のマナーがあります。
お客や目上の人が、「上座」に座る。

これは、出入り口や窓の位置によっても違ってくるのですが、
床の間がある部屋であれば、基本的には、床の間に近い方が「上座」となります。
そして基本的に、床の間に対して「右」の方が「上座」となります。
右と左でいえば、目上の人ほど、右の位置にくる。

だから、席順の配置は、たとえば下図のようになります。
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落語では、ひとりで二人の会話を演じて表現するとき、
顔を左右にふるということをします。
「上下(かみしも)をつける」とか、
「上下(かみしも)を切る」などといわれるテクニック。

「上手(かみて)」にやや顔をかたむけて
「ねえ、ご隠居さん」
と、しゃべる。
それに対して応じるように、今度は「下手(しもて)」に顔をかたむけ、
「何だい、八っあん」
と、しゃべる。
そうすることで、二人の人物の会話を演じ分けるんですね。

このとき、目上の人物は、上手に位置すると想定されます。
対して目下の人物は、下手の側に位置するのが基本となります。
だから、目上のご隠居は、目下の八っあんに対して、
下手(左)を向いて(=演者本人からすれば右を向いて)話しかけることになります。
顔をどちらに向けてしゃべるかで、二人の関係性が判断できたりする。

つまり、部屋の「上座:下座」の構図が、
そのまま舞台の「上手:下手」の構図に置きかえられ、
「上座/上手」=「右」の側に、上位の人物がいるというわけです。

噺の中でこうした約束事の表現が成り立つのも、
右に座るか、左に座るかというような位置関係を、
昔の人々は暮らしの中で気にしていたということがあるからかもしれません。

これは、伝統的な芝居でも同様で、
エラいひと、上位の人物は、上手側に位置するのが基本となります。
たとえば歌舞伎では、登場人物がどこに位置するか、
「居どころ」という一定のポジションが定められていますが、
身分の高い人物の「居どころ」は、たいてい中央か、上手(右)側です。

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もっとも「上座・上手」は「右」といっても、
これは床の間や舞台に向かって「右」ということで、
本人や演じ手からの視点でみれば、「上座・上手」は「左」。
これはむしろ、
左を優位としていたからだともいわれます。

「左」の語源が「日垂り」──日の垂れる東の方向であり、
「右」の語源が「見限り」──日を見限る西の方向であるといわれたのは、
つまり、正面を南に向けているからです。
なぜ南を向くのか。
その理由は、「太陽崇拝」として説明されます。

北半球にある日本では、
空を横切る太陽の通り道(黄道)は、真上を通るのではなく南にずれているので、
太陽は、南寄りの方向に見える。
だから南向きの窓は、日光をたくさん採りこめて明るい。
そしてこれは、
「天子は南面す(天皇や皇帝は南を向く)」
という理由のひとつにもなっています。

「天子南面」の思想は中国から輸入されたもので、
平安京も、中国(唐)にならって造られました。

現在、地図で京都をみると、右京区は左にあり、左京区は右にあるというチグハグさに気づきます。
これは、北を上にする現代の地図でみるからですね。
天皇は北の大内裏(だいだいり)におわしまし、
「南面す」──南を向いて政治を執り行っていたので、
その天皇から見れば、東の左京は左に、西の右京は右になるわけです。
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神社なども、南向きに建てられていることが多いようですね。

そしてこの時代では、日が昇る方──「東=左」が優位とされました。

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もともと芝居は、目に見えない神に奉ずるものでした。
神を慰め、楽しませることで、災いをはらい、福を祈願するためのもの。
太陽神であるアマテラスのために、天の岩戸でアメノウズメが踊ったのが、
歌舞の起源だとする話もあります。
歌舞や芝居は、太陽に向かって、つまり南向きに演じられたかもしれません。

野外であれば、照明もない当時、舞台にはいっぱい光が当たる方が見やすいでしょう。
また南向きの舞台であれば、それを観る観客は太陽を背にするため、
逆光で見にくくなるということもない。

能楽は、当初、芝の上や寺の境内など、野外で行っていたようです。
それが、能舞台の建物が造られるようになると、初期のものは、
しかしながら南向きではなく、北向きに作られたといいます。
「天子南面」のせいもあるでしょうか、貴人の席は、南に面するように設えられる。
その観客席に対して演じられる舞台は、だから北を向くわけです。

この習慣は、現実に建てられた舞台の方位に関係なく受け継がれ、
歌舞伎の舞台にも踏襲されます。
それで上方の舞台では、後々まで
上手側は「西」、下手側は「東」と呼ばれていたそうです(1)

▼昔の上方の歌舞伎舞台
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ところが江戸では反対に、「上手」は「東」、「下手」は「西」となります。
というのは、江戸三座の芝居小屋があった猿若町の劇場が
たまたま「上手=東」「下手=西」の位置にあったからだといいます。
その後、劇場が移転して、現実の方位と異なるようになっても、
この習慣が受け継がれる(2)
現在でも、「舞台の東」「舞台の西」という言い方をすることがあるそうです。

▼江戸猿若町の歌舞伎舞台
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しかしながら、東西南北や「上手」「下手」の呼称に関係なく、
観客が目にする舞台上の眺めには、
右と左の象徴的な効果がはたらいているように思われます。

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能では、シテ(為手)が主人公です。
シテの多くは、神霊や亡霊や龍神、天狗、鬼など、異世界の住人。
人間であったとしても、弁慶など異能の持ち主だったり、
狂女など異常な状況にある人間であり、異世界とのつながりを感じさせます。

その彼らは、下手奥の「橋懸かり」からやって来ます。
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「橋懸かり」は、文字通り、あの世(異世界)とこの世(現実)を結ぶ橋でもある。

異世界からやって来るそのシテを、ワキ役が本舞台にいて迎えます。
ワキは、シテの物語の聞き役であり、相手役であり、多くは現実の生身の人間です。
物語の主人公はシテですが、ワキは観客とともに現実の側にいて、
だから観客は、ワキ役の視点から舞台をながめ、異世界の住人に対することになります。

そのワキは、舞台の上手の手前、
「ワキ柱」といわれる柱のあたりの定位置(=脇座、ワキ座)にいます。

一方、橋懸かりからやって来たシテは、
下手奥から本舞台へと入って約1mくらい、「シテ柱」のあたりで止まります。
そこが最初の定位置となります(=常座またはシテ座)。

シテはやがて、本舞台を左回り(反時計回り)で一巡するなど、移動しますが、
上手(右)にワキがいて、下手(左)にシテがいるという図式は基本的に変わりません。
つまり、右に現実世界、左に異世界があるという構図。

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ところで、欧米の演劇の演出では、「Blocking(ブロッキング)」ということを行います。
舞台のエリアを、ブロック(区画)に分ける。
そこから、舞台上で俳優がどのブロックに立つか、
どのブロックからどのブロックへ移動するかというその動きを考え、配置を決めます。
日本でいうところの“立ち稽古”のニュアンスもあるでしょうか。

俳優は、役の感情のまま、自由に勝手に動けばいいという演出法もあります。
が、舞台全体をみながら、物語の展開を考えながら、
立ち位置や動きのプランを組み立てることは、演出効果をはかる上でたいせつなことと思われます。

このブロックに象徴的な意味があることを、R・クラインが
「舞台文庫・演出入門」(3)という本で語っています。

エール大学の学部長であったアレクサンダー氏の説であると記されていますが、
この本が内田直也さんによって訳され刊行されたのが1954年(昭和29年)。
現在、この説がどう評価されているのかはわかりません。
また、演出効果は、他のいろいろな要素に左右されるもので、
必ずしもブロックの意味通りにならないことはもちろんであることが断り書きされています。

が、しかし、右・左を考える上で、興味深い内容だと思います。
以下に紹介してみます。

▼図:「舞台文庫・演出入門」(3)の図をもとに作成。
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下手前(Downstage right)
「親しみのある、あたたかい形式張らない区域」
家庭の団らんや、恋人同士の語らい、なごやかな話し合い、ラブ・シーンなどに適する。

下手奥(Upstage right)
「ロマンチックな叙情的な区域」
甘い恋のささやきや、幻想、もの想いにふけるようなシーンなどに適する。

中央前(Downstage center)
観客がいちばん見やすく、「強い印象」を与える区域。
闘争や、重要な発言、クライマックスのシーンなどに適する。

中央奥(Upstage center)
「儀式張った、威厳のある区域」
法廷での宣言、結婚式での接吻など、儀式的な効果のある場面や
告発や指導者の演説のシーンなどに適する。

上手前(Downstage left)
「形式張った、親しみの薄い、排他的な感情」を示す区域。
①(下手前)の区域とは反対になる。
商談や儀礼的な訪問、謀反、またとっぴなラブ・シーンなどに適する。
独白や、そのとき事件には関係しない孤立した人物の立ち位置にふさわしい。

上手奥(Upstage left)
「六つの区域の中でいちばん弱い」区域。
殺人や狂乱の場面など、インパクトの強いシーンでも、
この区域を使われると、激しさが和らぐ効果がある。
未経験者の未熟な演技は、なるべくここで行われるといい。
「この世ならぬ超自然的なもの」の場面にも使われる。

※欧米の右・左は、舞台側からの視点が基準で、下手が「right」、上手が「left」となります。

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この欧米の説が、日本古来の能舞台の位置取りを考える上で示唆に富むことを、
狂言師である木村正雄さんが指摘しています(4)

欧米のブロッキングには、この他にも9区画や12区画に分けたりと
いろいろな区分のし方があります。
対して、能の本舞台は、区画に分けるというわけではいようですが、
9つの位置が定められていて、どう位置取りをするかの座標とされています。
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能のいわゆる台本である謡本(うたいぼん)や、狂言台本には、
「常座に着座する」「正中で」など、
どの位置に立ち、座り、どの位置で台詞を言うかがこと細かく書かれています(5)(6)

能や狂言も、ブロッキングという演出術を昔から伝統的に考えているんですね。

異世界の住人である能の主人公・シテは、「この世ならぬ超自然的なもの」です。
すると、⑥(上手奥)と縁がありそうですが、
能の特徴のひとつである「夢幻能」の世界は、むしろ②(下手奥)と関係がありそうです。

ロマンティックでありながら、幻想をみたり、もの想いや瞑想にふけり、
無意識の内奥へ沈潜するような場所。
その②のブロックよりさらに奥の位置に、能舞台では「橋懸かり」があり、
そこから異界の住人がやって来て、この現実世界に姿を現すわけです。

一方、そのシテを迎えるワキは、⑤(上手前)に位置しています。
ワキは、シテの相手役であり、聞き役でありますが、
直接的に対決したり、
いっしょに踊り狂うというようなことは少ないように思います。
むしろ、シテから一歩距離を置いて、客観視する立場。
事件に関係しないというわけではありませんが、
この位置にいることによって、距離感を保っている──
世俗的でもあるような、現実的な意識を保っているとも考えられます。

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そしてこの舞台上の空間象徴は、
あのグリュンワルドの平面上の空間図式を思い起こさせます。

グリュンワルドの図式は二次元の空間。
舞台は三次元で、観客から見れば、手前と奥という、距離の違いもあります。
そうした諸要素の違いはあるけれど、
左右の軸を見ると、根っこのところが同じように思えます。

▼グリュンワルドの空間図式
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左側(下手側)は、「内」。
いわば、「ホーム」です。
母性に包まれる。
家の中の安らぎ。くつろぎ。
フレンドリーな雰囲気の①(下手前)のブロックと符合します。

そこから内なる方向へ沈潜すると、無意識と意識が混じり合う狭間で、
夢想し、もの想いにふけることになる(②下手奥)。

そしてさらに無意識の奥の深いレベルへ退くところには異界が通じていて、
その「橋懸かり」から、異界の住人であるシテがやって来る。


R・クラインは、流れの強弱ということを述べています。
下手から上手への動きに勢いがあり、下手側に強さがある。
日本でも、能の「橋懸かり」、そして歌舞伎の「花道」は下手にあるもので、
舞台への登場のし方をインパクトあるものにしている。
下手側が重要視されているというのです。

これは、グリュンワルドが、左から右への方向(→)を「進む」として、
右の先に未来があるとしたことを考えると、理解できます。
エネルギーは、右の方向──下手から上手へ向かっている。

そうすると、上手側のブロック(⑤⑥)は、未来であり、結果の領域となります。
が、R・クラインによると、こちらは力弱く、形骸化したような象徴が与えられている場所で、
的外れのように思えますね。

いえ、しかし舞台では、流動するエネルギーの中にこそドラマ性があるのでしょう。
固定された絵とは違って、動的なベクトルに大きな意味がある。

いったん未来に到達してしまえば、その結果が成功だとしても、あるのは停滞です。
その到着点からなおも前向きに進もうとすれば、
次のステージへと向かわなければなりません。
けれど、この舞台上では、右の方向にはもう進めません。
この上手の位置から右へ行こうとすれば、その舞台からは退場することになります。

上手の位置にいる人物が向かうとすれば、この舞台上では、
グリュンワルドが「受動的」「抑制的」「回避」「退縮」であるとした
左の方向──上手から下手へ動くしかないのです。

すると、⑤(上手前)の形式や現実に縛られた閉塞感や、
⑥(上手奥)のエネルギーとしては最も弱い場所という象徴が説明できるように思います。

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ちなみに余談ですが、
能の本舞台の正面奥には、「鏡板」といわれる羽目板があります。
これは、音を響かせる音響板のはたらきをしているのだそうです。
その「鏡板」には、「老松(おいまつ)」という松の絵が描かれています。
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松は、神が宿る依り代。
その神の象徴である老松の前で舞台が演じられるんですね。

この老松を描くには、松以外の植物を描かないなどの決まり事があるのだそうです。
その決まり事の中に
「鏡板の中心より左下から根を起こし、幹は右上に曲がって伸びる」
という項目がある(7)

左下から右上へ。
松は曲がりくねっているのでわかりにくいのですが、
これは、グリュンワルドが示していた「生命のライン」そのものですね。
生命は「左下」の「始まり」から、「右上」の「終わり」へ至る軌跡と考えられていた。

舞台背景に描かれたこの絵も、舞台の左から右への流れを暗示しているように思えます。

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さて、しかしです。
劇作家の別役実さんは、次のように書いておられます。

「舞台の心理的空間の側面というのは、
長い間観客の視線にさらされてきたことによって生じた、
『目に見えない空間の癖』ようなもの、と言えばわかりやすいであろう。」
(8)

なるほど、空間の象徴というのはそういうものだろうと思います。
ところが、その基本的な「癖」のひとつとして、別役実さんはこう述べます。

「舞台には、上手から下手に風がゆるやかに吹いている。」(8)

能の舞台やR・クラインが紹介していた説とは反対の方向
──右から左への方向(←)です。

どうしてそうなるかはわからないとしながら、
これはすでに知られている基本のひとつだとして挙げられているものです。
つまり、別役実さんの個人的な感覚ではなく、舞台人一般の感覚であるらしい。
それを図式としてでなく、身体感覚として肌で感じるというのです。

確かに、舞台には上手から登場して、下手へ退場すると動きがスムーズだという話を
どこかで聞いたことがあるように思います。

また、歌舞伎の舞台は、家や屋敷のセットがある場合、
基本的には、玄関や門は下手側になります。
歌舞伎では、能舞台と同じく、基本的に役者は下手から登場し、下手へ退場しますから、
下手に玄関があるのはごく自然です。

が、しかし、「内」は「上手(右)」側にあり、
「外」は「下手(左)」側にあることになる。
グリュンワルドの空間図式の左右が逆転したかたちです。

このパターンは現代劇でも見られることが多く、
たとえば、吉本新喜劇の舞台となる食堂は、店の内奥が「上手(右)」で
店の入口──つまり外側が「下手(左)」だったりします。

「内」から「外」へと向かう先に未来があるとすれば、
ここでもやはり「上手から下手へ」──「右から左へ」風が吹いているのでしょうか。

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ただしかし、別役実さんは独特の詩的な表現で「風がゆるやかに」と形容しています。
「いきおいよく」というわけではない。

この「上手(右)から下手(左)へ」の順路の方向に、それらしいストーリーを付すならば
「あてのない旅に出る」
というような移動がふさわしいというのです。
強い意識としてではなく、無意識の方向へゆるやかに引っぱられるニュアンス。

するとこれは、生理学的なアプローチの研究が、
「人はなぜか道路の左側に寄りやすい」「人は左へ回避しやすい」といっていたような
無意識的な特性によるのかもしれないとも思えてきます。

反対に「下手(左)から上手(右)へ」の逆路の方向に、同じくストーリーを付すならば
「借金を返してもらいにいく」
というような移動がふさわしいと、別役実さんはいう。
借金返済は当然と考えていたとしても、気まずい。
その気まずさを越えてあえて立ち向かう、
まさしく逆風に向かわなければいけないシチュエーションです。

理由はどうあれ、強い意識、強い意志が必要です。
葛藤するエネルギーがドラマだとすると、舞台上の移動のアクションは、
「あてのない旅」に比べれば、躊躇や逡巡も含めて力強いものになるでしょう。

その意志の向かう先こそが、「生命のライン」の方向
──グリュンワルドのいう未来への方向であると解釈できなくもないように思えます。

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いえ、しかし、どうでしょう。

舞台には、下手から上手へ(左から右へ)風が吹いているのか?
それとも、上手から下手へ(右から左へ)風が吹いているのか?

グリュンワルドらの心理学者や長谷川集平さんが、右への方向が「進む」であるといい、
反対にカンディンスキーや日本の一部の文化が、左への方向が「進む」であるというように

まったく異なる感覚があるということなのでしょうか?

別役実さんは、フェルメールの絵画に触れ、
絵にも、右から左への風が吹いていると言及しています(8)
改めて、絵の左右について次に考えてみたいと思います。

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《引用・参考文献》
(1)諏訪春雄「歌舞伎の源流」吉川弘文館
(2)河竹繁俊監修、早稲田大学演劇博物館編「演劇大百科事典」平凡社
(3)R・クライン、内田直也訳「舞台文庫・演出入門」創元社
(4)木村正雄「能舞台での演出ノート」狂言総合サイト「太郎冠者」
(5)小山弘志・佐藤喜久雄・佐藤健一郎校注・訳「謡曲集」〜「日本古典文学全集」小学館
(6)小山弘志校注「狂言集」〜「日本古典文学大系」岩波書店
(7)日本全国能楽堂・能舞台案内サイト「鏡板」解説のページ
(8)別役実「別役実の演劇教室ー舞台を遊ぶー」白水社

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f0223055_1117501.gif日本はなぜか地獄の側(左)へ行きたがる?(2)


右に並ぶか、左に並ぶか。
右手を使うか、左手を使うか。
……などなど、中国では昔から、体系的な礼式によって、いろいろな場面での右か左かが
厳しく決められていたようです。
インドでは、男女によって、右か左かが逆になるということがありましたが、
中国ではそうした性別の他、社会的な身分や立場、序列、陰陽の思想、方位などによって変わってくる。
その上、場の状況や文脈によっても異なってくるという複雑さ。

そして、それをさらに複雑にしているのが、
右を尊ぶか左を尊ぶかは、その時代を支配する王朝によって推移、交代してきたという歴史です。

古代中国の陰陽の思想の原理では、
左→陽
右→陰
とされ、陽と結びついた左が尊重されていたといいます。

が、それが、王朝によって変化する。
その推移をごくおおまかに書き並べてみると次のようになります。

■周 (紀元前10~2世紀頃)→左を尊ぶ
■春秋(紀元前8~5世紀頃) →左を尊ぶ
■戦国(紀元前4~2世紀頃 )→右を尊ぶ
■秦 (紀元前2世紀頃)   →右を尊ぶ
■漢 (紀元前3~3世紀頃) →右を尊ぶ
■六朝(3~6世紀頃)    →左を尊ぶ
■隋 (6~7世紀頃)    →左を尊ぶ
■唐 (7~9世紀頃)    →左を尊ぶ
■宋 (10~13世紀頃 )   →左を尊ぶ
■元 (13~14世紀頃 )   →右を尊ぶ
■明 (14~17世紀頃 )   →左を尊ぶ
■清 (17~20世紀頃 )   →左を尊ぶ

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老子という人は、生まれた時代も生まれた場所も明確ではないのですが、
一説には、紀元前6世紀頃を生きた人ではないかと言われています。
紀元前6世紀──つまり、左を尊んでいた春秋時代。

その老子はやはり、君子は左を尊ぶと記しています。
が、しかし、武器を使うときには、右を尊ぶのだといいます。

祝いの席(吉事)では、左が上位。
葬儀の席(凶事)では、右が上位となる。

人を殺害するのが目的の「兵(軍隊や武器)」というのは、「不祥の器(道具)」である。
軍隊は、戦いに勝ったとしても、人を多く殺すがゆえに、
悲しみの涙を流し、喪に服すのが、本来の姿なのだ。
だから軍隊は、葬礼の作法にならって、右を上位とする。

それで、軍隊の副将軍は、左に座り、
彼よりも上の位の大将軍は、右に座るのだというのです(「老子」第三十一章(1))。

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しかしながら、時代が変わり、王朝が変われば、右・左は逆転します。

中国には、「丞相」という官職がありました。
君主を補佐するいちばん高い位の、いわば大臣。
その丞相には2名が任じられ、それぞれ「右丞相」「左丞相」となることがありました。
「右」と「左」、どちらが位が高いとするかは、その王朝によって異なります。

右を尊んでいた元の時代には、「右丞相」が、「左丞相」よりも位が上。
左を尊んでいた唐の時代には、「左丞相」が、「右丞相」よりも位が上。

その唐にならって「左大臣」「右大臣」を設置した日本の朝廷では、
だから「左大臣」が、「右大臣」よりも上位とされました。
以来、日本では、左大臣>右大臣という位置付けは変わらず、
3月3日のお雛様も、左を上位として飾り付けます。

今も使われる「左遷」という言葉。
低い役職におとされることをいいますが、
これは、漢の時代に生まれた言葉だからです。
右を尊ぶ漢の時代では、左に移り変わることは、つまり降格を意味しました。

優秀で頼りになる部下のことを「右腕」といいますが、
これも、右を尊ぶ漢の時代に生まれた言葉です。

また、不謹慎だったり、不都合なことを「左道」といいますが、
これは、もともとは「不正な道」という意味です。
こちらは、戦国時代に生まれた言葉。
右を尊ぶ戦国時代には、左へ行く道は、つまり「邪道」だったわけです。

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「古事記」は日本の純粋なオリジナル。
と、後年、本居宣長らの国学者たちは主張していましたが、
中国文化の影響は、まぬがれなかったと思われます。
当時、日本にとって中国文化は、最新のトレンドで、水準も高く、権威も高かった。
遣隋使や遣唐使を送るなど、いかに中国文化を取り入れるかに心を砕いていました。

「古事記」が文章化され、献上されたのが、712年。8世紀です。
それは左を尊いとする「唐」の時代のこと。
その編纂されるずっと前から、物語は暗誦によって伝えられてきたといわれますが、
だとしても、「六朝」「随」と、3世紀から500年、左を尊いとする時代が続いていました。
語り伝えられるうちに、その影響が及んだ、
あるいは、物語を整理し編纂するときに取り入れられた可能性はじゅうぶんにあると思います。

つまり、文化を輸入した当時の中国が、たまたま、左を尊び、左を上位におく時代だった。
そのおかげで、日本に、左を尊いとする文化が、複雑な体系としてではなく、
端的にそのまま取り入れられるようになったと考えられるのです。

だから、「上代尚左(または神代尚左)」という言い方をされたりもします。
「古事記」が献上された頃の「上代(神代)」という昔の時代には、
左を尚(たっと)んでいた(=尊んでいた)というのです。

これはつまり、「上代」以外の時代では、必ずしも左を尊んでいるというわけではなかった。
むしろ、左よりも右を上位とする傾向もあったことになります。

とくに政治や制度などと直接的には関係のないような、
庶民の日常生活や、各地の習俗には、
左よりも右を優位とするような傾向がみられるようです。

つまり、ロベール・エルツ「右手の優越」(2)に説かれていたような
右を優位とする世界的な傾向は、
基本的なところでは、日本でも変わらないと思われるのです。

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日本の食事の配膳は、左にご飯茶碗。右にみそ汁などの汁碗を置くのがマナーとされます。
これには、日本では左が優位なので、主食のお米を左に置くのだという説もあります。
が、懐石などでは、まず最初にご飯をひとくち食べる。
とすれば、最初に左手が手にするのはご飯茶碗なわけで(右利きの場合)、
機能的な理由からこうしたかたちになったとも考えられます。

このとき、左に汁碗、右に飯椀を置くなど、フォーメーションを逆にすることは
「左膳(ひだりぜん)」といって、忌み嫌われることでした。

昔は、大きなテーブルというものはなく、
一人前の食事を並べる「膳」という台が使われたわけですが、
この膳を横にして側面を人前に向けることもまた「左膳」といって、嫌われました。

左膳は「えびす膳」とも呼ばれます。

イザナギとイザナミの子ども、ヒルコ(蛭子)は、「日本書紀」では、
3歳になるまで足腰が立たず、水に流されます。
時代が下って鎌倉時代の頃になると、このヒルコが海を漂流した後、浜辺へ流れ着いたことになります。
海から漂着したものを「えびす」として祀る信仰がこれに結びつき、
「ヒルコ」=「えびす」として同一視されるようになる。
だから、「えびす」の漢字は、「恵比寿」、「夷」と書く一方で、
「蛭子」と書くこともあるんですね。

「えびす」は、そのため、歪んだかたちや正常ではないことの意味にも使われました。
「えびす膳」=「左膳」は、正常ではない配置のし方ということです。

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また、「左膳」は、死者に供する食事のことをいいます。

葬礼のときには、「逆さごと」ということがよく行われます。
日常でいつも行っているふつうのやり方とは反対のことをすることで、
“死”という非日常的な世界を区別するのです。

老子がいた当時の中国の礼式では、先述のように、
ふだんは左が上位で、葬儀のときには右が上位とされていました。

が、日本では、ふだんの日常の正常な状態が“右”であることが多く、
そのため、「逆さごと」は“左”とされる場合が多いようです。
「左膳」も、そのひとつ。

松永和人さんは、こうした「逆さごと」の例をあげています(3)

たとえば、「左柄杓(びしゃく)」。
死んだ体をぬるま湯で洗い浄める「湯灌」の際に、
右手ではなく、左手でひしゃくを持って湯を注ぐというものです。

うどんを作るのに、小麦粉を挽く際には、ふだんは臼を右に回す。
が、お通夜に出すうどんは、臼を左に回して作るのだそうです。
左に回して挽く臼は「左臼」といって、だからふだんではあまり使われない。

また、出棺のとき、葬儀の列は、「左回り」に廻る。

このような慣習のせいでしょうか、
お酌をするとき、お酒を左手で持って注ぐのは嫌われます。
お酒は、右手で持って、左手は軽く添えて注ぐのが、マナー。
栃木県・足利地方では、いわゆる博徒たちも、
徳利を左手で持って注ぐことを、非常に忌み嫌ったということです(4)

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縄の綯(な)い方も同様です。
日常では、「右綯い」というやり方で綯った縄が使われます。
しかし、棺桶を縛って、墓の穴の中へ下ろすときに使われる「棺縄」は、
「左綯い」なのだそうです。
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「左綯い」の縄は、葬礼のときに使われる。
そして一方、神事のときに使われる縄もまた、
それがたとえ目出たいお祝いの場合であっても、「左綯い」です。
神社に飾られるしめ縄も、基本的に「左綯い」。
お正月に飾られるしめ飾りの縄も「左綯い」ですね。

松永和人さんは、これを2つの活動の分野に分けて説明しています(3)
ひとつは、「世俗的生活活動」の分野。
ふだん仕事をして、生活をしている、日常的な局面。
こちらでは、多くの人が利き手としている右手の側が、巧みで器用であり、
生産性を高めるとして、右が上位、つまり、
「右>左」
となる。

それに対して、「呪術・宗教的生活活動」の分野では逆転します。
死と向かい合う葬礼や、福をねがい念ずる神事の祭礼を行うような局面。
世俗的には弱く、劣っている左手が、劣るがゆえにこちらでは聖なる力をもつと考えられる。
災厄や魔をはらい、病気の治癒を担う呪術的な力をもつ側として、
「右<左」
になるというのです。
凶事であっても吉事であっても、それが呪術的、宗教的な活動であれば、
「左」綯いの縄が使われるというわけです。

右の側を日常的、意識的、現実的、外面性として、
左の側を非日常的、無意識的、霊的、内面性とするようなこうしたあり方は、
あのグリュンワルドの象徴図式と合致するようにも思われます。

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右を優位とする世界的な傾向に対して、日本は異なる文化を持っているといわれました。
確かに左を優位とした時代があり、そうした文化の一部分はなお生きていると言えるでしょう。
が、しかし、本質的なところでは、世界的な傾向と変わりない。
なにか異質な、特別な文化というわけではないようです。

けれども、右か左かの方向については、
やはり日本の文化は、一筋縄ではいかないように思われます。

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《引用・参考文献》
(1)松枝茂夫・竹内好監修、奥平卓・大村益夫訳「老子・列子」徳間書店
(2)ロベール・エルツ、吉田禎吾・内藤莞爾・板橋作美訳「右手の優越」ちくま文庫
(3)松永和人「左手のシンボリズム 『聖』-『俗』:『左』-『右』の二項対置の認識の重要性」九州大学出版会
(4)中山太郎「左尊右卑の思想と民俗」〜礫川全次編「左右の民俗学」批評社・所収

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