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ロングショット・ミディアムショット・クローズアップ


紙芝居の絵は、物語をものがたる絵なので、
当然、物語に登場する人物(もしくは動物や植物、幽霊・妖怪、宇宙人、または器物その他)を
描くことになります。

その登場人物たちをどう描くかという構図を考えるとき、
参考になると思われるのが、映画などの映像技法で使われるショットの基本です。

次のショットの種類は、ごくおおまかなもの。
映像制作の現場によって、また人によって、呼び方や分類のし方が異なることもあるようです。
(参考:ルイス・ジアネッティ「映画技法のリテラシーⅠ」(1)

(1)ロングショット
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「ロングショット(long shot)」における被写体とカメラの距離は、あいまいなものですが、
一般的に、演劇においての舞台と観客の距離と同じだといわれます。
まあ、舞台といっても、膝と膝を突き合わせるような小劇場から、
オペラグラスがなければ見えないというような大型劇場まで、種々さまざまで、
この言い方自体、あいまいですね。

ただ、一般の舞台がそうであるように、
物語の中で、登場人物はどんな場所にいるか、何をしているか、周りはどんな状況かが
見渡してわかるような距離だといえるでしょう。
そうした場所や状況を、背景としても描き込みやすい構図です。

「ロングショット」の中でも、「フルショット(full shot)」というのは、
登場人物の全身が画面におさまるくらいの大きさ。
これでは、まわりの状況などを描き込むスペースはあまりありませんが、
登場人物自身や、その服装、かっこう、動作を強調したいときなどに適しています。

(2)ロングショット/フルショット
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また、「ロングショット」の中でも、「超ロングショット(extreme long shot)」となると、
登場人物は米粒ていどの大きさ。
それでも、大自然を伝えたいとか、草原の広さを強調したいなどというときに
よく使われますね。

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物語の絵として、場所や状況や登場人物の行動をわかりやすく伝えるためには、
こうしたロングショットの絵がぴったりです。
昔から多用されてきました。

昔の絵巻なども、たいていロングショット。
また、戦前のマンガや紙芝居も、ロングショットが主流だったようです。

たとえば、マンガ「のらくろ」(2)などは、
舞台の額縁がそのまま、マンガのコマ割りのフレームになったかのよう。
その中で、のらくろたち登場人物(犬)が、
舞台上の俳優のようにロングショットで描かれるというのが基本的な構図です。

「のらくろ上等兵」(2)の部分を模写
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場所や状況も描き込まれ、わかりやすいのですが、
ともすれば説明的になったり、画面展開が単調になりやすいきらいがある。

戦後、そんなマンガに、映画的な手法を持ち込んで一種の革命を起こしたのが、
手塚治虫さんだといわれます。
その手法のひとつが、ロングショットだけではない、
次に掲げるような多様・多彩な構図でした。

紙芝居も自由に映画の手法を取り入れ、発展しましたが、
ひとつには、手塚治虫さんらのマンガの影響もあると思われます。

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「ミディアムショット(medium shot)」は、
「ロングショット」と「クローズアップ」の中間のような構図です。

よく使われるのは、胸から上を写す「バストショット(bust shot)」ですね。

(3)ミディアムショット/バストショット
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ミディアムショットには、この他にも、
腰から上の上半身を画面におさめる「ウェストショット(waist shot)」、
膝から上をおさめる「ニーショット(knee shot)」
などがあります。

これは、画面の中に2人の登場人物をおさめたり(=ツーショット)、
あるいは3人をおさめたり(=スリーショット)して、
会話ややりとりを描くときなどにもよく使われます。

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そして、「クローズアップ(close-up)」。
「クローズアップ」という言葉は、「近づいて見る」という意味で、
「大写し」などと訳されます。

手足や小物なども、もちろんクローズアップされたりしますが、
一般的には、登場人物の顔に近づいて「拡大」する構図がよく使われます。

(4)クローズアップ
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さらに、目や口元など、小さな部分を「拡大」しようとするショットは
「超クローズアップ(extreme close-up)」とよばれます。

(5)クローズアップ/超クローズアップ
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舞台と観客の距離では、俳優は顔をクローズアップで見せることはできません。
だから舞台俳優は、微妙な表情のニュアンスよりも、
オーバーなアクションや、誇張した表情、そして台詞の声による演技が求められます。
しかし、その舞台で、クローズアップの表現をしている演劇がある、
それが日本の歌舞伎だ──
といったのは、旧ソ連の映画監督、エイゼンシュタインでした。

パタンッ、パタンッ、パタッ、パタッ、パタ、パタパタパタパタパタパタ……。
だんだん高まるテンションとともに、板で木を打つ「ツケ」という効果音が響きわたり、
役者は気を盛り上げながら、やおら腕を大きく開いたり、大きくガッと足を踏み出したりする。
そして、決めのポーズで、ストップモーション。
気合いの極まった瞬間、そのまま、ピタッと静止する。
──いわゆる「見得を切る」という歌舞伎の演技です。

この「見得を切る」瞬間、観客の視線は、吸い寄せられるように役者の顔に集中します。
観客の視界いっぱいに、隈取りの化粧をしたその人物の表情、そしてその心情が
大写しとなって迫ってくる。
こうした演出効果を、エイゼンシュタインは「クローズアップ」と捉えたのでした。

戦前、二代目市川左團次がモスクワ海外公演を果たしたとき、
その「見得を切る」場面を目にしたエイゼンシュタインが、
「これは、映画でいえばクローズアップだ」と、感想を述べたのだそうです。

ただ、これは、観客の眼が突然サイボーグ化して、
カメラのズームアップ機能を行うというわけではもちろんありません。
しかし、心理的に、象徴的に、実に的確な指摘だと思います。

「見得」を切る人物の心情に、観客の気持ちが寄り添うように、
クローズアップには、観客の気持ちを引きつけるものがあります。

ハンガリーの作家であり、映画理論家であるバラージュ・ベーラー(ベラ・バラージュ)は、
「顔や、顔の表情に表れるものは魂の経験である」
として、映画のクローズアップは、
まわりから人間の顔を切り離して、その魂に入り込むことだといいました(1)

魂が入り込んでしまうくらい、観客はクローズアップの人物に共感し、寄り添い、
引きつけられる。

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基本的に、
ロングショットなど、
カメラと被写体との距離が離れるほど、客観的に見るようになる。
逆に、ミディアムショットやクローズアップなど、
カメラと被写体との距離が近づくほど、主観的に見るようになるといいます。

もっとも、あまりに近づき過ぎて、超クローズアップになると、逆効果。
たとえば、単に鼻だけをアップに映したとしても、
それは物理的に部位として見えるだけで、
そこに主観的な視点や、心情をくみとるようなことは出来にくいでしょう。

表情の見える顔のクローズアップは、
観客の心をとらえ、主観的に見るように促す。
観客は、スクリーンの中の俳優に、共感し、同一化するようになります。

絵本のページの中のキャラクター、
紙芝居の場面の中のキャラクターもまた、
クローズアップで描かれることで、同じ効果を得ます。

これには、顔の中の目──まなざしということが
深く関わっているのではないかと思われます。

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《引用・参考文献》
(1)ルイス・ジアネッティ、堤和子・増田珠子・堤龍一郎訳「映画技法のリテラシーⅠ〜映像の法則〜」フィルムアート社
(2)田河水泡「のらくろ上等兵」〜「復刻版のらくろ漫画全集1」講談社
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いやあー、「パピー・ウォーカー」って、初めて知りました。

将来、盲導犬になろうという子犬たちを、
まだ生まれて間もない2ヶ月の頃から約10ヶ月のあいだ、
ふつうの家庭で預かって育てるというボランティアのことなんだそうです。

ワンコたちもこれからプロを目指すんだったら、
それこそ“早期英才教育”を施して、幼児のうちから専門訓練を積めばばいい、
訓練を始める時期が早ければ早いほど、いい盲導犬に育つのではないか……と思うと、
それが違うんだそうですね。

まずふつうの生活の中で、人間とふれあい、ふつうに暮らす。
その中で、ふつうの生活環境に慣れたり、
また、人間との愛情とか、信頼とか、そういう関係を学んでいく。
その土台がしっかりしていないと、
いくらその後で訓練を積み重ねてもうまくいかないのだとか。

けれど、ふつうの生活というその「ふつう」っていうのがきっと難しい。

中にはかなり激しいやんちゃな子もいて、
家具や家の壁をガリガリかじったり、夜中に鳴いたり、
いろんなところに粗相をしたりもする。
しかしそんな彼らに、腹立ちの感情にまかせての叱責はNGなんだそうです。

かといって、いいわいいわで甘やかすのも大きなNG。
やりたい放題を容認するということは、子犬にしてみれば、
自分は人間よりも群れの中の上位である、というメッセージを受け取ることになる。
そうなると、自分が群れのリーダーの責任を負わなければいけなくなり、
下位である人間を率いるために、威嚇してうなったり、かみつくようになったりする。

何をしていいか、何をしてはいけないのか、
その「Yes」と「No」をきちんと伝えなければいけない。
叱責するにも、ただ感情にまかせて怒るのではなく、
これは「No」なのだと、きちんと叱らなければいけない。
躾けひとつ教えるにしても、「ふつう」に飼うということは、これはタイヘンな仕事だと思います。

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そんなとき、たとえば「アタッチメント」ということをするんだそうです。
これは、パピー・ウォーカーに限らず、
一般に犬をしつけるときの基本的な訓練法。

いわゆる「スキン・シップ」とも言えるでしょうか。
犬を後ろから抱きかかえて座らせ、
おなかや手足の先っぽ、耳や鼻先などを触って撫でてあげる。

よく犬や猫が、飼い主の前でころんと寝転び、おなかを見せるのは、
気を許したしるしだと言いますよね。
攻撃されたら致命傷ともなりかねない、弱点の「腹」をさらすというのは、
相手を上位と認め、信頼するという意味を持つのだとか。

そもそも、犬は下位のものに後ろを取られることを嫌がるそうで、
だから人間に後ろから抱きかかえられるのは、人間を上位と認めることでもある。
その上、急所のおなかや、神経の敏感な手足の先や鼻先を撫でまわされるというのは、
よほどの信頼感がないと出来ません。
しかし、相手が心から信頼している存在で、その彼(彼女)に身を委ねるとしたら、
これは心地よい愛撫ともなるでしょう。

「アタッチメント(attachment)」という言葉は、「付属品」という意味でも使われる通り、
「くっつくこと」というのがもともとの意味です。
この言葉を心理学者・ボウルビィは、
とくに幼児期の人間が、母親や周りの人々にくっつきたいと思う気持ちとして用いました(1)
だから日本語では、「愛着」と訳されることが多いのですが、
「愛情」といってもいいと思います。

人間と犬がくっつきあうこの「アタッチメント」という訓練法も、
ただ単に「支配ー服従」の関係性を強いるために行われるのではなく、
やっぱり「愛情」というやつが必要なんでしょうね。
互いの「愛情」を育てるためのスキン・シップでもあるかもしれません。

そんな「愛情」をもってパピー・ウォーカーさんたちは、
しつけひとつ、叱り方ひとつにも苦労しながら、子犬を育てておられるのでしょう。
その苦労が楽しさであったりするのかもしれない。

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「パピー・ウォーカー(Puppy Walker)」って、
パピー(子犬)を歩かせる人──つまり“子犬を散歩させる人”という意味なのかもしれません。

しかしもしかしたら、
育てる側も、育てられる側も、互いにくっつき合いながら、
互いにいろいろ学び合いながら、
日々を子犬といっしょに“歩いていく”という意味でもあるかもしれないと思いました。

犬の子育てと人間の子育てとを、もちろん一緒くたにすることは出来ませんが、
わたしたちが人間の子どもたちと対するときにも、
なかなかに示唆に富む話だよなあと、いやあー、思わず感心してしまったのでした。







《参考文献》
(1)J・ボウルビィ、黒田実郎・大羽蓁・岡田洋子訳「母子関係の理論(原題:Attachment and Loss)」岩崎学術出版社
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