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もう1ヶ月前のことになりますが、会期終了ぎりぎり、「デューラー展」に行ってきました
(東京上野・国立西洋美術館「アルブレヒト・デューラー版画・素描展『宗教/肖像/自然』」)。

緻密。
よくも、悪くも、緻密な印象でした。
今回は版画、素描がメインで無彩色の展示ばかりだったから、真面目で緻密な追求というような印象が余計に目についたのかもしれません。
理詰めで自然を観察し、理詰めで風景を測定し、理詰めで象徴を構築していくような、そんな追求。

だからたとえば、アダムとイブをモチーフに、美しい理想的な女性の裸婦像を描いたとしても、筋肉や骨格がしっかり追求されている。
けれどあまりに正確なために、優美さやエロス的なものがすっかり削げ落とされている。
物質としての肉体に見えてしまいました。
もっとも、神聖な聖書の物語に、情念やエロスを求める方がおかしいんでしょうね。

謹厳実直なマルティン・ルターと同じ時代の、同じドイツの人で、影響もずいぶん受けたらしいと聞いて、なるほど納得。
いかにもドイツ人らしい。

が、かといって、しかつめらしいものばかりでもありません。
たとえば「ライオンを引き裂くサムソン」という絵は版画なのですが、線が力強く、いきおいというか、情感がみなぎっていて、惹きつけられました。
そしてどれも緻密に描かれているのですが、細かく描き込まれていても、明暗の対比や構図の妙で、それが邪魔にならない。
中間のトーンの美しいものもありました。

また、踊る村人の光景とか、ちょっとユーモラス。
男性性器を暗示するように、男性の腰のそばに水道の蛇口をわざわざ描いたものなどもありました。
しかし、いかにも「象徴的に描いて遊んでみました」感があり、洒脱さに欠ける。
全体的なテーマともチグハグだったので、これは変という印象で終わってしまいました。

そんなデューラーにとって、恋と情熱の国イタリアへの旅行という異文化体験は大きかったのでしょう。(当時、レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめとするルネサンスの画家たちに出逢ってるんですね。彼にはないものが、イタリア美術にはあったような気もします。)
今回の展覧会にはありませんでしたが、二度目の旅行の帰国後に描かれた「アダムとイブ」には優美さとエロス的なものを感じます。
まあ、版画と違って、油彩という違いもおおいにあると思うんですが、今回のものとはずいぶんと違うように思われました。

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右と左の稿でデューラーの作品に触れたので、筆者はどうもそういう目でもながめてしまいました。

展覧会には、版画のための下書きが展示されていました。
版画は刷るものですから、当然、左右が反転します。
作家が肉筆で描いたものと、右と左が逆になるわけです。
しかし、職人的でもあるデューラーはそのことを熟知していたように思われます。

彼の生きた15〜16世紀は、グーテンベルクの発明した印刷技術が急速に発展した時代でした。
聖書が印刷されることにより、人々が身近に聖書という原典を手にすることが出来やすくなった。
それがルターの宗教革命を導いたともいえます。

デューラーは、神聖ローマ帝国のマクシミリアン1世の肖像を油彩でも描いていますが、
まず版画で肖像を描いて評価されたようです。
そのエラのはった肖像も展示されていました。
油彩ならばたった1枚を、限定された場で限定された人に見せるだけ。
しかし、版画を印刷すれば、より多くの人々にアピール出来る。
彼の肖像は印刷されて、街のあちこちに貼られたんだそうです。
ちょっとしたブロマイドですね。

「マクシミリアン1世の凱旋門」という作品は圧倒的でした。
印刷された1枚はふつうの大きさ。
しかし、それを50枚近くつないで貼り合わせて3メートル四方の大画面を現出させるのです。
ハプスブルグ家の栄光を描いたそれは、ひと時代前であったら、実際に彫刻を施した凱旋門を建てるとか、油彩の大作として描かれたのでしょう。
しかし当時の権力者は、印刷技術を使い、より多くの人々の目にふれさせることで、威光の顕現を企図したわけです。

デューラーは、当時では最新の、そうした印刷技術をうまく使って作品を手がけた人だったんですね。
多くの本の印刷にも関わっているそうです。
聖書のポピュラー化とともに、その映像化も望まれたのでしょう、デューラーはイエスの生涯を描いた「受難伝」の連作をいく種か描き、それが本にもなっています。
本になることを想定して描いた。
活字は横書きで、左綴じ。
右へとページをめくる流れが意識されていたと思われます。
「受難伝」では特にそうでした。

しかし、右への流れは西洋美術の基本なのでしょう。
他の作品でも、それが版画であっても1枚ものであっても、総じて右方向へ進むものが多いように思いました。(例外もありますが。)
デューラーの全作品をあたったわけではありませんが、その中にあって、左方向へと進む「騎士と死と悪魔」はやはり異質といえるのかもしれません。
だからこそ、イングリット・リーデルもその著「絵画と象徴ーイメージ・セラピー」(1)で取り上げていたのでしょう。

彼女は、死の方向へと向かう騎士の姿を論じて、
「この銅版画の成立時期が、すでにデューラーの生命線の最期へと向かう致命的な疾患の時期と合致するかどうかは、よく考えてみなければならないだろう。」
(イングリット・リーデル「絵画と象徴ーイメージ・セラピー」(1)
と述べています。
「騎士と死と悪魔」の制作が、1513年。
デューラーはこのとき、42歳。
15年後の1528年、彼はマラリアでその生涯を閉じることになるわけですが、制作当時、その肉体としての死を意識していたかどうか(無意識的にもとらえていたかどうか)は、おおいに疑問です。
やはりこれは、よく「考えてみなければならない」でしょう。

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展覧会は、いぶし銀の職人の逸品を見させてもらったという感慨がありました。



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《引用・参考文献》
(1)イングリット・リーデル、城眞一訳「絵画と象徴ーイメージ・セラピー」青土社
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