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斜線構図の順勝手と逆勝手


ここでちょっと「順勝手」「逆勝手」という言葉について整理してみます。

これは、もともと絵巻で使われていた言葉で、
絵巻では、
「順勝手」といえば、「順勝手の斜線構図」のことを、
「逆勝手」といえば、「逆勝手の斜線構図」のことを
限定で意味することも多いようです。

ちなみに、絵巻では、登場人物が左に向かって進んだり、左を向く(←)ことを
「左向(さこう)」といいます。
反対に、右に向かって進んだり、右を向く(→)ことを
「右向(うこう)」といいます(1)

こうした「左向」「右向」なども含めて、
斜線構図だけに限らず、
物語の展開する方向に順(したが)う動きや表現を「順勝手」、
反対に、逆らう動きや表現を「逆勝手」
ということもあります。

この斜線構図だけに限定しない絵巻の用語を、
絵本作家の長谷川集平さんが、絵本を語る上で使っておられました(2)
それにならって、笹本純さんが同じ用語の使い方をしています(3)

これがとてもわかりやすい。
それでこの稿でも、長谷川集平さんの使い方にならい、
紙芝居や絵本、絵巻、マンガなど、
物語の展開に方向性がかかわるメディアに共通する表現として、
この用語を使うことにしたのでした。

では、絵巻の「順勝手の斜線構図」「逆勝手の斜線構図」とは
どういうものなのでしょうか。

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「源氏物語絵巻」に代表されるように、
平安時代に作られた王朝の物語を映像化した絵巻の舞台となるのは、
主に室内です。
室内をどう描くかというとき、多用されたのが、
「吹抜屋台(ふきぬきやたい)」という手法でした。
屋根や天井を取っ払い、斜め上の俯瞰から建物の室内をのぞき込むという描き方です。
また、家の中をのぞくために、正面の壁も取っ払われて描かれることが多くなります。

このとき画面には、
柱、
長押(なげし:柱と柱を水平につなぐ木材)、
縁(えん:縁側)、
畳の縁(へり)、
襖障子(ふすましょうじ:現在のふすま)、
几帳(きちょう:部屋を仕切るつい立て、パーテーションのような道具)
などなど、
建物や調度類の直線が頻繁に描かれることになります。

この直線をどう描いてデザインするかによって、
画面の印象も変わってきます。
そしてそれによって、心理的な表現もされるようになりました。

この「吹抜屋台」を描く手法には、2種類があるといいます(4)
ひとつは、「水平構図」。

「吹抜屋台」で描くとき、室内の奥行きを表現するため、
奥行きの方向を斜めに描くことがよく行われます。
この奥行きの方向を斜めにとる斜線に対して、建物の間口の方向を水平に描くやり方が
「水平構図」です。
(水平構図は、奥行きの線だけが斜めなので、「片斜め構図」ともいわれます(5)。)

▼水平構図(片斜め構図)
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もうひとつは、
奥行きの方向を斜めに描くのは同じなのですが、
それに対する間口の方向も、斜めに描くやり方。
これは、「斜め構図」といわれます。
(斜め構図は、奥行きも間口も両方斜めなので、「両斜め構図」ともいわれます(5)。)

この斜め構図は、建物の一角から対角線の方向へ見下ろすアングルになりますね。

▼斜め構図(両斜め構図)
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同じ部屋の風景でも、「水平構図」で描くか、「斜め構図」で描くかによって
画面の雰囲気が変わって見えます。

「水平構図」は、安定感があり、落ち着いた感じ。

「斜め構図」は、ちょっとエキセントリックなおもしろさがあるでしょうか。
水平構図とは反対に、不安定で、落ち着かない感じになります。

たとえば「源氏物語絵巻」の「柏木(一)」の場面。

主人公・光源氏に嫁いだ女三宮(おんなさんのみや)が、
柏木という貴公子と浮気をして、子をなす。
その浮気相手の柏木が死んでしまったため、
出産してからまだ間もない女三宮が、
光源氏という夫がいるにもかかわらず、出家したいと父に願い出るところです。
光源氏にしてみれば、妻を寝取られた上に出家までされて去られるわけです。
これまで、女性たちに愛され、栄華への道を歩んできた光源氏が、
晩年につれて、悲劇に満ちた物語の後半へと向かうところ。

この場面が、「斜め構図(両斜め構図)」で描かれています。
そのことによって、
「心理的な不安や人物間の葛藤の表現を強く感じさせることになった」(5)
と評されます。

▼「源氏物語絵巻」(「柏木(一)」)
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なるほど、畳の縁(へり)の斜めの直線と斜めの直線が交錯することによって、
緊張感が高められている。
さらには几帳の直線が4本、渦を描くように並べられ、
まさに波乱の幕開けといった感じですね。

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また、「斜線」の描き方の角度によっても、画面の印象は変わってきます。

斜線の角度の傾斜が、緩やかな場合。
こちらは安定感があり、ゆったりとした印象があります。
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対して、斜線の角度が急な場合。
こちらは、不安定な印象です。
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たとえば、「源氏物語絵巻」の「御法(みのり)」の場面。
ここは、光源氏の最愛の妻である紫の上が、死の床につき、
最期の別れを源氏と交わすところ。

この場面では、奥行きの斜線が急角度で描かれているため、
「画面に安定感を欠き、それがいっそうこの場面の不安な悲劇性を強調している」(1)
といいます。

▼「源氏物語絵巻」(「御法」)
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右から左へと(←)視線を進ませる絵巻では、
人間の営みの場であり、生活の営みの場である室内の風景がここで途切れて終わり、
その先に、きらびやかな宮中とは対照的に、
余白をいかした、どこかもの寂しげな草々の風景が広がります。
その自然の風景と室内の風景が、急角度の斜線で区切られることによって、
しかも、ここには縁側も描かれていないため、
隔絶感を生んでいる。
生活の場がフッツリ途絶えるように区切られるという印象です。

そして、主人公・光源氏はその区切りの際で、
右を向いている(=右向)──流れとは反対の逆勝手の方向を向いている、
というのも暗示的です。
その背中に広がる余白が、空虚さを演出し、
自然の営みである“死”ということを感じさせるようにも思います。

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さてそして、絵巻のように、物語の展開に方向性が関わる場合、
斜線の方向が影響することになります。

このとき、右上から左下へと引かれる斜線が「順勝手の斜線」と呼ばれます。
右から左へと(←)物語が展開する絵巻では、
この方向の斜線が、流れに順(したが)うように見えるからです。

▼順勝手の斜線構図

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これは、立体を描く斜投影図の「右面構図」に対応します(6)
立体の右面が、こちらから見えるかたち。

▼斜投影図「右面構図」
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反対に、左上から右下へと引かれる斜線は「逆勝手の斜線」と呼ばれます。
右から左へと(←)物語が展開する絵巻では、
この方向の斜線が、流れに逆らうように見えるのです。

▼逆勝手の斜線構図

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これは、斜投影図の「左面構図」に対応します(6)
立体の左面が、こちらから見えるかたちになります。

▼斜投影図「左面構図」
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右から左へ(←)と進む人物の視点から見れば、
彼の前方には立体の右面があり、彼は右面をながめることになります。
左へ(←)進む絵巻では、鑑賞者も同じく左へ(←)視線を移動させるので、
立体の右面を描く順勝手の斜線構図が自然で、これが基本になります。

反対に、逆勝手の斜線構図で描かれる立体の左面は、
右から左へ(←)進む人物の視点からは、
見ることの出来ない裏側ということになりますね。

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そしてこの斜線の方向は、流れのイメージに影響します。
これは、たとえば下図のように考えるとわかりやすいかもしれません。

たとえば人物が、傘もささずに雨の中、
右から左へ向かって(←)走っているとき。

このとき、右上から左下へ向かう順勝手の斜線を描く雨は、
イメージとしては、スムーズ。
進行に対して邪魔をすることなく、むしろ背中を押して、
スピードの加速を助けているかのように見えます。
雨は、風の影響を受けているわけで、
これは、風でいうならば、「順風」ということになります。

▼順勝手の斜線の雨
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対して、左上から右下へ向かう逆勝手の斜線を描く雨は、
進行を妨げ、スピードを奪うかのようなイメージです。
これは風でいうならば、「逆風」ということになります。

逆風の雨に立ち向かって走るという図は、
負けずに走る力強さを演出することにもなるでしょう。

▼逆勝手の斜線の雨
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順勝手の斜線構図は、物語の展開の方向に沿って、
そして読者の視線の方向に順(したが)っているので、
流れがスムーズとなり、流動感があります。

そのため、物語を描いた絵巻では、基本的に、
順勝手の斜線構図が多用されることになります。

「一遍上人絵伝」は、生涯にわたって遊行を続けた一遍の旅をつづった絵巻で、
その道行きの舞台となるのは、室外です。
室内を描くための吹抜屋台は使われません。
登場する民家や寺社の建物は、屋根付きの俯瞰で描かれるのですが、
このとき、順勝手の斜線構図が頻繁に使われています。

▼「一遍上人絵伝」(部分)
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ここで、順勝手の斜線構図が多く使われているのは、
「一遍が右から左に向かって遍歴をつづける進行にあわせて、
流動的な効果をあげることを意図したものだろう」
(1)
と、奥平英雄さんは述べています。

が、しかし、順勝手の斜線構図ばかりでは、画面が単調に見えてしまう。
そこで、単調さを避け、ところどころ変化をつけるために、
逆勝手の斜線構図を用いたりもしているといいます。

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順勝手と逆勝手の斜線構図は、
こうしたイメージや心理的な表現を伴っているわけですが、
すべてにあてはまるわけではありません。
上述のように、単調さを避けるために変えられたり、
また、後年の絵巻では、斜線構図の形式だけを踏襲しているものもあるようです。

そんな中、逆勝手の斜線構図の表現の好例として、奥平英雄さんが挙げているのが、
「源氏物語絵巻」の「宿木(三)」の場面です(1)

▼「源氏物語絵巻」(「宿木(三)」)
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これは、「斜め構図(両斜め構図)」でもありますね。
「斜め構図」自体が、
順勝手の斜線と、逆勝手の斜線の組み合わせということになります。
ここでは、その逆勝手の斜線が効果的に使われています。

琵琶を優雅につま弾いているのは、貴公子・匂宮(におうのみや)。
「源氏物語」後半の主人公・薫のライバルでもあります。
その音色に聴き入る女性は、彼の妻であり、妊娠中の中君(なかのきみ)です。

一見、弾き語りに耳を傾ける仲睦まじいカップルに見えるのですが、
彼らの胸中にかかえている想いは複雑です。
匂宮は、中君の他に妻をめとり、右大臣の娘婿となってそちらに入り浸っています。
そんな夫の行状に思い悩む中君は、薫に相談を聞いてもらって慰められるのですが、
匂宮は、その二人の仲を疑っている。

こうした両者の錯綜する感情が、逆勝手の斜線構図で描かれることによって、
微妙な緊張感をかもし出しているというわけです。

ここでは、室内と室外を隔てるところに縁側があり、
それがクッションとなって調和され、
枯れ尾花がたなびく外の余白が、叙情的な余韻となっているように見えます。

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ところで、この「宿木」の帖の場面は、
(一)も(二)も、逆勝手の斜線構図で描かれています。
下図は、「水平構図(片斜め構図)」の逆勝手ですね。

▼「源氏物語」(「宿木(一)」)
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ここで逆勝手の斜線構図が用いられているのは、
物語の内容とは無関係のように思われます。

ただ、物語絵巻では、
物語が始まっていく前半に、順勝手の斜線構図が描かれやすく、
物語が終息に向かう後半に、逆勝手の斜線構図が描かれやすい、
という傾向があるようです。

源氏物語の後半である「宿木」が逆勝手の斜線構図であるのは、
もしかしたらその傾向によるかもしれません。

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絵巻は、巻いた紙をスクロールさせながら右から左へと(←)読み進みますが、
ページをめくって読み進む綴じ本形式の「草子(草紙)」もまた、
右から左へと(←)物語が展開するメディアです。

この草子である「御伽草子(渋川版)」の挿し絵が、
やはり順勝手と逆勝手の斜線構図を巧みに使い分けていることを
黒田日出男さんが指摘しています(7)

この「御伽草子」の挿し絵にも、
物語が始まっていく前半に、順勝手の斜線構図が描かれやすく、
物語が終息に向かう後半に、逆勝手の斜線構図が描かれやすい、
という傾向があるといいます。

たとえば、
「小町草紙」の最初
「小敦盛」の最初
には、物語の始まりの場面として、順勝手の斜線構図。

反対に、
「蛤の草紙」の最後
「猫のさうし」の最後
は、物語の終結の場面として、逆勝手の斜線構図が使われています。

以上を基本としてふまえた上で、それに対する変則的な表現が見られます。

「文正さうし」の最後
「唐糸さうし」の最後
などは、本来ならば、逆勝手の斜線構図が使われるところです。
しかし、これらの物語は、とびきりのハッピーエンド。
その「末広がりのめでたさ」を強調するため、
流れの前向きな順勝手の斜線構図が、わざわざ使われているというのです。

またたとえば、「木幡狐」の最後。

▼「御伽草子(渋川版)」〜「木幡狐」挿し絵
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これは、斜め構図(両斜め構図)ですが、
縁側の斜線など、順勝手の斜線が強調されています。
また、主人公の狐の尼僧も、左(順勝手の方向)を向いていますね。

一匹の美しい女狐。
姿を人間に変じて、都へ上り男性と結婚します。
一子をもうけ、幸せに暮らしていましたが、その家で犬を飼うことになる。
狐である彼女は、家に犬が居ては、いられません。
泣く泣く子をおいて家を出て、故郷に帰ってくるのですが、
子と夫への想いやみがたく、出家して尼となり、
来世で結ばれることを願い、物語は幕を閉じます(8)

ここは、修行に励み、来世の未来に想いを託そうとする場面。
物語は閉じられるのですが、そうした開かれた感じを描くため、
最後にも関わらず、順勝手の斜線構図が用いられているというわけです。

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また、物語の途中は、展開をスムーズにするため、
順勝手の斜線構図で描かれるのが基本です。
しかし、意図的に、逆勝手の斜線構図で描かれることがある。
そうした例を、黒田日出男さんが挙げています(7)

「文正さうし」……場面転換となるところ。
「鉢かづき」……鉢がとれるという劇的な事件が起こるところ。
「唐糸さうし」……主人公が死を覚悟して行動に踏み切るところ。

▼「御伽草子(渋川版)」〜「唐糸さうし」挿し絵
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たとえば、その「唐糸さうし」。

源頼朝と木曾義仲が、同じ源氏でありながら争っていた時代。
鎌倉御所に仕えていた唐糸という女房が、木曾義仲の命令で頼朝の命を狙います。
しかし、事が発覚し、土牢に幽閉される。
その娘・万寿姫は母親を救い出そうと、鎌倉御所に乗り込みます。
そして一歩間違えれば殺されるのを覚悟で、頼朝の前で、得意の舞いを披露する。
その舞いの素晴らしさに感激した頼朝が、母親の唐糸の罪も許すという物語です(8)

決死の覚悟の万寿姫は、逆勝手の方向を向いて舞いを舞っている。
そのドラマチックな場面が、やはり逆勝手の斜線構図で描かれているんですね。
(こちらも斜め構図(両斜め構図)ですが、逆勝手の斜線の角度が印象的です。)

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以上を整理してみると、
順勝手の斜線構図は、
 始まり・順調・前向き・活発・積極的・動的・未来へ向かう
などのニュアンスがあるようです。

対して、逆勝手の斜線構図は、
 終息・逆境・変化・停滞・不安・葛藤・劇的・後ろ向き・消極的
などのニュアンスがあるようです。

これらの要素は、斜線構図に限らず、
右を向く・左を向くなども含めた順勝手・逆勝手に共通するもので、
下図の要素とも重なるところが大きいと思われます。

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絵本「アンガスとあひる」(9)の中で、
好奇心いっぱいの子犬・アンガスが、
庭の境にある生垣の向こうから聞こえてくる声に興味を抱く場面があります。

屋敷の中で暮らすアンガスにとって、生垣の向こうは、未知の世界。
そこに何がいるか、アンガスは知りたくてたまらなくなる。
そのとき、障害となる生垣が、順勝手の斜線の方向で描かれているのです。

(この絵本は、左開きですから、絵巻や草紙とは逆に、
左から右へ(→)展開します。
その方向から見れば、左上から右下への方向が、順勝手の斜線となります。)

▼絵本「アンガスとあひる」(9)の部分を模写

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右へ(→)進むアンガスの目線から見れば、生垣の左面が見えるわけで、
順勝手の斜線構図で描かれるのは、ごく自然です。

生垣は急角度で描かれており、行く手を阻む障害であることは明白です。
が、しかし、逆勝手ではありません。
順勝手の斜線構図で描かれることによって、
乗り越えていけそうな、その先に進んで行けるという
開かれた可能性のあるニュアンスをかもし出しているような、
そんな気が、筆者はします。

結局、アンガスは生垣の下をくぐって、未知の世界へ飛び出します。
そして声の正体があひるであるのを知り、ひどい目に合って家に逃げ帰る。
そのとき、アンガスは3分間のあいだ、何も知りたいと思わなかったと語られます。
けれど3分後には、きっとまた、生垣の向こうへの冒険に想いを馳せたに違いありません。
順勝手の斜線構図で描かれた生垣は、
「また乗り越えて行けるよ」と言っている気がします。

ちょっと“牽強付会”気味ですが、
生垣が順勝手の斜線で描かれているのを見て、そんなふうに感じたのでした。

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《引用・参考文献》
(1)奥平英雄「絵巻物再見」角川書店
(2)長谷川集平「絵本づくりトレーニング」筑摩書房
(3)笹本純「絵本の方法ー絵本表現の仕組み」〜中川素子、今井良朗、笹本純「絵本の視覚表現ーそのひろがりとはたらき」日本エディタースクール出版部・所収
(4)佐野みどり「じっくり見たい『源氏物語絵巻』」小学館
(5)若杉準治編「絵巻物の鑑賞基礎知識」至文堂
(6)高畑勲「十二世紀のアニメーション ー国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるものー」徳間書店
(7)黒田日出男「歴史としての御伽草子」ぺりかん社
   黒田日出男「御伽草子の絵画コード論」〜黒田日出男・佐藤正英・古橋信孝「御伽草子ー物語・思想・絵画ー」ぺりかん社・所収
(8)市川貞次校注「御伽草子」岩波文庫(上・下)
(9)マージョリー・フラック作・絵、瀬田貞二訳「アンガスとあひる」福音館書店

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順勝手と逆勝手──空間表現から心理的な表現へ


物語が展開する流れの方向に対して、順(したが)う表現が、「順勝手」。
逆らう表現が、「逆勝手」です。
これらは、一般的には、空間的な表現となります。

たとえば、「行って帰ってくる」という構造の物語。
この構造は、昔話や童話やファンタジーなどに広く見られるものです。
(参照:当ブログ「『行って帰ってくる』物語」

古典的ともいえる絵本、ワンダ・ガアグ作「100まんびきのねこ」(1)も、
「行って帰ってくる」の構造を含んでいます。

年をとったおじいさんとおばあさん。
二人だけではさびしいと、飼う猫を一匹探すため、
おじいさんが丘を越えて谷間を越えて出かけていきます。
「行って帰ってくる」の「行って」の場面です。


「100まんびきのねこ」(1)の部分を模写スケッチ

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この模写スケッチでは割愛しましたが、
上図の左のページには、おじいさんとおばあさんの家、
そしておじいさんの歩いた道が丘や谷間をぬって描かれています。
道は、左下のおじいさんの家を起点として右上へと伸びていきます。
その途中に、右を向いて歩くおじいさんの姿があります。
これは横書きの絵本(左開きの絵本)ですから、展開する方向は右向き。
おじいさんは、順勝手の右方向へ進んでいるわけです。

道とそれを取り巻く畑や森や丘、そして空が、ややS字を描きながら、
左下から、対角線上に右上へと向かい、連なっている。

そして、いちばん右の端の雲はだんだん小さくなって遠く彼方へ続いていき、
さらに、その下の道も、遠く彼方の山へ越えて続いているのがわかります。
手前から遠くへという距離感が、実にうまく描かれている。

これは、人の目線の意識は、左下の手前から右上の奥へ移行するという
「グランス・カーブ理論」にぴったり符合します。
(→参照ページ

おじいさんの歩く道とその周辺の丘や林や空の雲は、グランス・カーブの通り、
左下の手前から、右上の奥へと続いているわけです。

そして、その道をたどる読者の目線もグランス・カーブを描き、
道のその先には、何が待っているのだろうと、
右上の奥の彼方に思いを馳せて、ページをめくることになります。

1946年に没した作者のワンダ・ガアグが、
1950年に発表されたグランス・カーブ理論を知っていたとは思われません。
これは、絵本を読む目線を熟知していた絵本作家がその直感に従って描いた絵が、
理論の通りだったということなのでしょう。

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そうして、猫のいっぱいいる丘にたどりついたおじいさんは、
猫をいっぱい引き連れて、家へ帰ります。
「行って帰ってくる」の「帰ってくる」場面です。

空間の方向としていえば、右へ行って、帰ってくるのですから、
その帰りの方向は、左へ向かわなければなりません。
つまり、「逆勝手」。

だから、帰り道の場面を、逆勝手で描く絵本の作品も多いです。
「かいじゅうたちのいるところ」(2)でも、
かいじゅうたちのいる島から、主人公マックスがヨットで帰ってくる絵は、
逆勝手で描かれていました。
後述しますが、絵本作家ブルーナの作品は、ほとんど、
帰ってくる場面が逆勝手で描かれています。

が、この「100まんびきのねこ」の物語では、帰り道の途中で、
猫たちが水を飲んだり、草を食べたりするというエピソードが
6ページにわたって描かれます。
帰り道であっても、事件やエピソードや、そうした物語の展開がある場合、
意識としてはまだ旅の途中であるでしょう。
この帰り道の6ページは、まだ旅を進んでいるという意識として、
右へ進む「順勝手」で描かれるのが、やはりふさわしいと思います。

また、行く道では、左から、右へと描かれていたのに対し、
帰り道では、左から、右へと描かれます。
丘を下っているのだというイメージが加えられ、
順勝手であっても、帰り道だというニュアンスが伝わってきます。

そうして、ようやく家へとたどり着く場面。
ここで、ようやく
おじいさんと猫たちは、左を向いた「逆勝手」で描かれます。


「100まんびきのねこ」(1)の部分を模写スケッチ

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こちらの模写も、右のページを割愛しました。
見開きで見ると、模写の絵の右に、
おじいさんに付いてきた1兆匹(!)の猫たちが並んでいます。

読者の視線は、やはり、左から右へ。
まず、帰って来たおじいさんと、迎えるおばあさんを見ることになる。
それから、あらあら、こんなにいっぱい付いて来ちゃったのか、
どこまで並んでいるんだろうと、
延々と列をつくる猫たちを、右の方向へながめていくことになります。

帰宅の場面が、逆勝手というのは、物理的な方向の通りなのですが、
心理的・象徴的にも合致することになります。

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左方向は、「内」であり、「ホーム」であり、
外へ旅して、ねこたちを連れてきたおじいさんは、
その「ホーム」へ帰って来たことになります。


これは、絵本を紙芝居化した
高橋五山脚色の「ひゃくまんびきのねこ」(3)でも同じです。

紙芝居は、左向きに展開するメディアですから、
猫を探しにおじいさんは、左へ進み、順勝手の通り、「行き」ます。
そして1兆匹の猫を連れて家へ「帰って」くる9場面は、
おじいさんたちが右へ進む逆勝手で描かれています。

本来のグリュンワルドの象徴図式とは左右が逆になるわけですが、
ここでは、物語が展開する流れに引っぱられ、
左が「外」で、右が「内」になると、筆者は考えます。
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紙芝居に触れましたが、
物語の展開の流れが、右から左へ向かうメディアの場合でも共通です。
紙芝居や絵巻、また、文章が縦書きの絵本(右開きの絵本)などでは、
「行って帰ってくる」の「行って」の順勝手が、左方向となります。

せなけいこ作「うさぎちゃんつきへいく」(4)は、文章が縦書きで、
表紙が右にある絵本。
主人公うさぎちゃんが、宇宙人の円盤に乗って月へ「行く」場面は、
左へ向かう順勝手で描かれます。


「うさぎちゃんつきへいく」(4)の部分を模写スケッチ

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※絵本の原画は、貼り絵の独特な味わいが楽しいものですが、模写では伝えられません。スイマセン。

そして月へ「行って帰ってくる」、その「帰ってくる」場面は、
右の地球へ向かう逆勝手で描かれます。
円盤の向きと、流線がどちらに付いているかで、
飛んでいる方向の右左がわかりやすく描き分けられています。


「うさぎちゃんつきへいく」(4)の部分を模写スケッチ

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さてしかし、この「行って帰ってくる」の「帰ってくる」のところが
逆勝手ではなく、順勝手で描かれる場合もあります。

絵本の「はじめてのおつかい」(5)もそのひとつです。

同名タイトルのテレビ番組もそうですが、
子どもたちの「初めてのおつかい」という体験には、
「行って帰ってくる」冒険の、原初的な、典型的なかたちがあると思います。

その大きな冒険に立ち向かう主人公みいちゃんのドキドキ感が、
絵本には巧みに描かれています。

そうしてみいちゃんが、牛乳を買ってくるという使命をやり遂げた、帰りの場面。
みいちゃんを迎えに家の近くへ出たお母さんの待つ場所へ、
走って向かっているところです。

この場面では、みいちゃんは家に帰り着いて、ホッと安らいでいるわけではありません。
まだ冒険の途中。
ここは、順勝手で描かれるのがふさわしいでしょう。


「はじめてのおつかい」(5)の部分を模写スケッチ

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いわば冒険のゴールである、お母さんの待つ場所は、
象徴的に、「目的」「未来」である右端に位置しています。
しかも、右「上」。

物語の設定では、買い物をするお店は、坂のてっぺんにあり、
みいちゃんの家は坂の下です。
お母さんは坂の下で待っています。
わかりやすく描こうとすれば、お母さんを画面の右「下」に描いたことでしょう。

右「下」は、グリュンワルドの象徴図式では、
「敗北」とか「取り消し」などの意味が与えられている方向でもあります。
もしも、お母さんが右下に描かれていたらと筆者が想像すると、
物語が終息するというイメージが濃くなると思います。

しかし、絵本画家の感性は、
お母さんというゴールを、画面の右「下」に描くことを拒んだのかもしれません。
アングルを変えることで、まったく自然に、
坂の「下」にいるお母さんが、画面では、右「上」に位置して描かれます。
そしてそのことによって、画面は、グランス・カーブ理論の
「グランス・カーブ」の構図を描くことになりました。

ゴールのお母さんが右上に描かれることによって、
読者の子どもたちは、みいちゃんといっしょにラスト・スパートする高揚感とともに、
やり遂げるという気持ちを共有するのだと思います。

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「行って帰ってくる」の構造を含む物語において、
主人公は、

「行って」→《順勝手の右向き》
「帰ってくる」→《逆勝手の左向き》

──という動きで描かれる(左開きの絵本の場合)。

このことを、絵本作家ブルーナは、
まるでルールのように、非常に律儀に遵守しています。

それには、年齢の小さな子どもたちを対象にしているため、
あくまでもわかりやすくという配慮があるのでしょう。

ミッフィー(うさこちゃん)のシリーズから例をあげれば、
たとえばこんな具合。

「うさこちゃんとゆうえんち」(6)
◎うさこちゃん(ミッフィー)、とうさん、かあさんの3人が自動車に乗って
遊園地に行く→《順勝手の右向き》
◎3人が自動車に乗って、遊園地から帰ってくる→《逆勝手の左向き》

「うさこちゃん ひこうきにのる」(7)
◎うさこちゃんがおじさんに、飛行機に乗せてもらう→《順勝手の右向き》
◎「そろそろ帰ろうか」とおじさんが言って、飛行機で戻ってくる→《逆勝手の左向き》

「うさこちゃんとじてんしゃ」(8)
◎うさこちゃんが、自転車で遊びに出かける→《順勝手の右向き》
◎時間が遅くなってきたので、坂道を下りて帰る→《逆勝手の左向き》
帰る坂道を下りるときに転ぶ→《逆勝手の左向き》
帰り道の途中で雨が降ってくる→《逆勝手の左向き》

ミッフィー(うさこちゃん)のシリーズ以外でも、
ブルーナ作品では、こうしたルールが守られています。
ところが、このルールに反する例外中の例外ともいうべき作品があります。
「こねこのねる」(9)です。

子猫の「ねる」は、
うさこちゃんや、子犬のくんくん(英語名:スナッフィー)、子熊のボリスなど、
ブルーナの他のキャラクターたちが、シンプルな点々な目なのに対し、
いかにも猫らしい猫目をしていて、ちょっと変わった印象です。

その彼女が魚に乗って、インディアンのいる国へ出かけるとき、
逆勝手の左向きに描かれるのです。


「こねこのねる」(9)の部分を模写スケッチ

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彼女の後を追って、3羽の鳥がついていくのですが、
彼らもやはり、逆勝手で左に向かって空を飛んでいます。
インディアンの国は、左方向にあるらしい。
が、インディアンの国から帰ってくるときもまた、逆勝手の左向きに描かれます。

「行って」→《逆勝手の左向き》
「帰ってくる」→《逆勝手の左向き》

となっているわけです。

空間的な整合性に欠けています。
ブルーナの作品に親しんでいる読者であれば、違和感を感じるはずです。
これは、なぜなのでしょう?

物語を見てみると、「こねこのねる」は、その個性的な目だけでなく、
他の作品群と異なっていることがわかります。

ブルーナの作品は、子どもたちの現実に根ざしたモチーフを
扱っていることが多い。
うさぎが服を着て言葉を話すということ自体は、非現実的ですが、
扱っているモチーフは、
「海へ遊びにいく」(10)
「赤ちゃんが生まれてお姉さんになる」(11)
「大事なものをなくしてしまい、探しまわる」(12)などなど、
小さな子どもたちの生活に密着したものです。

「外国人と友だちになる」(13)
「万引きをしてしまう」(14)
「祖母が死ぬ」(15)など、
一般的とは言えないかもしれない特殊なケースもありますが、
現実にあり得ないことではありません。
「異文化交流」「罪」「死」というようなテーマは、
子どもたちの生活や人生を考える上で大切なことであるでしょう。

それらに対し、「ねる」の物語は、
まるっきり非現実的なファンタジーです。
「インディアン」の人々も、ネイティブ・アメリカンとしてではなく、
架空の国のキャラクターとして登場します。

ブルーナ作品では、「空想」も大事なテーマですが、
「ねる」以外の作品群では、「空想」そのものよりも、
「空想する」という子どもの行為が主眼となっています。
たとえば、
「魔法が使えたらなあ」(16)
「おかしの国へ行けたらなあ」(17)
と、想い描いて空想する子どもの姿が描かれる。
“空想好き”という特性をもつ子どもたちの現実が描かれるわけです。

対して「ねる」が抱いた望みというのは、
インディアンのおじさんに会いたいという、幻想へのあこがれです。
彼女が今まで会ったことのない人物──「今、ここ」には存在しない人物へのあこがれ。
その幻想への道行きが、逆勝手に描かれるんですね。

ここには、猫が魚に乗って行くというような、チグハグさを楽しむ、
ナンセンスのおもしろさもあります。
そのために、わざと逆さまの方向である左へ向かわせたと考えられなくもありません。

が、ここで作者は、逆勝手に描くことで、空間的な整合性をあえて破り、
心理的な表現を意図したと考えることも出来るように思うのです。
逆勝手の方向である左は、内なる方向であり、
内なる無意識へ沈潜した向こう側に、幻想があります。
その方向へ、子猫のねるは、「行く」わけです。

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幻想という点では、ちょっと似たような表現を、たとえば、
絵本「ちいちゃんのかげおくり」(18)に見ることが出来ます。

この絵本は、文章が縦書きなので、左向きに展開します。
仲のよい4人家族。
けれど、戦争のために、父は戦場に送られ、
残った母、兄と、幼いちいちゃんは空襲に見舞われます。
混乱の中、ちいちゃんは母や兄とはぐれた末に、
近所のおばさんに連れられ、今は廃墟と化している家のあった場所へ帰ってくる。
が、そこでひとり、1日待っても、2日待っても、
母も兄も帰って来ないところをみると、もう亡くなっているのでしょう。
そして朝、ちいちゃんは空のいろの花畑に立っている。
──と、ここまでが基本的に、左向きの順勝手で描かれます。

そして、はるか向こうに父、母、兄の姿を見つけて、
ちいちゃんが花畑の中を駆け出す。
この場面のちいちゃんが、右方向へ向かう、逆勝手で描かれるのです。

空いろの花畑に立っている時点で、ちいちゃんは幻想の中にいるのかもしれません。
が、離ればなれになった家族と再会できる安らぎでもあり、
それは“死”でもある幻想の最奥部の場面で、
ちいちゃんは、逆勝手に走り出すんですね。

ここは、逆勝手に描かれなければならなかったと思います。

そうして次のページ──
「小さな女の子のいのちが、空にきえました。」という場面には、
廃墟の中、ちいちゃんが左向きの順勝手に突っ伏している現実の姿があります。

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順勝手に描くか。
逆勝手に描くか。
──は、基本的に空間的な表現としてあるわけですが、
そこに、主人公の気持ちや、作者の意図をあらわす心理的な「表現」を
読み取ることが出来ます。

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《引用・参考文献》
(1)ワンダ・ガアグ文/絵、いしいももこ訳「100まんびきのねこ」福音館書店
(2)モーリス・センダック、神宮輝夫訳「かいじゅうたちのいるところ」冨山房
(3)ガァグ原作、高橋五山脚色、川本哲夫絵「ひゃくまんびきのねこ」童心社
(4)せなけいこ「うさぎちゃんつきへいく」金の星社
(5)筒井頼子作、林明子絵「はじめてのおつかい」福音館書店
(6)ディック・ブルーナ、石井桃子訳「うさこちゃんとゆうえんち」福音館書店
(7)ディック・ブルーナ、石井桃子訳「うさこちゃんひこうきにのる」福音館書店
(8)ディック・ブルーナ、松岡享子訳「うさこちゃんとじてんしゃ」福音館書店
(9)ディック・ブルーナ、石井桃子訳「こねこのねる」福音館書店
(10)ディック・ブルーナ、石井桃子訳「うさこちゃんとうみ」福音館書店
(11)ディック・ブルーナ、松岡享子訳「うさこちゃんとあかちゃん」福音館書店
(12)ディック・ブルーナ、松岡享子訳「うさこちゃんのさがしもの」福音館書店
(13)ディック・ブルーナ、松岡享子訳「うさこちゃんとにーなちゃん」福音館書店
(14)ディック・ブルーナ、松岡享子訳「うさこちゃんときゃらめる」福音館書店
(15)ディック・ブルーナ、松岡享子訳「うさこちゃんのだいすきなおばあちゃん」福音館書店
(16)ディック・ブルーナ、松岡享子訳「うさこちゃんまほうをつかう」福音館書店
(17)ディック・ブルーナ、松岡享子訳「おかしのくにのうさこちゃん」福音館書店
(18)あまんきみこ作、上野紀子絵「ちいちゃんのかげおくり」あかね書房

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f0223055_1254426.gifひとつの仮説


さて、これまで、
右から左へ(→)の方向が「すすむ」で、未来は左にあるのか。
それとも、左から右へ(←)の方向が「すすむ」で、未来は右にあるのか。
もしそういう無意識的な傾向があるとすれば、それは人間の生理的なものに根ざしているのか、
それとも文化によって異なるものなのか。
──ということを、右往左往しながら、あれこれ勉強して考えてみました。

その結果──。
「わからない」というのが、筆者の結論です。
さんざん回り道をして、結局「わからない」というのも情けない話ですが。

が、わからないなりに、考えてみたひとつの仮説(笑)があります。
まあ、仮説というほど、たいそうなものではないのですが、
以下にちょっと整理してみたいと思います。

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グリュンワルドやスーザン・バッハといった心理学の専門家は、象徴的に、
左から右へ(→)の方向が「すすむ」であり、未来があるとしています。
それは、大半の人々──特に欧米の人々にあてはまると考えられており、
心理テストや臨床の場にも応用されています。

図にすると、下の通りです。

▼グリュンワルドの空間図式をもとに、横軸だけを取り出して作成
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一方、カンディンスキーなど一部の人々や、また一部の日本文化には、その逆
──つまり、右から左へ(←)の方向が「すすむ」であり、未来があるとする感じ方があります。

その違いは、脳機能などの生理的なものなのか、
文化によるものなのか、文字を読み書きする方向の違いによるものなのか、
それとも個人的な感性によるものなのかは、はっきりとわかりません。
そのあたりは、専門家の方がこれからはっきりとさせてくれるかもしれません。

筆者が思う仮説というのは、紙芝居や絵本限定です。
連続する絵(映像)によって物語を表現するメディアにおいてのみの話です。
つまり、絵本や、マンガ。
絵巻や、冊子、草子。
そして紙芝居などといったメディアでは、
象徴の図式が変わってくるのではないかということです。

こうしたメディアでは、物語が展開する方向が自然に定められています。
くりひろげられるメディアの世界の中ではその力が強烈なので、
たとえ、仮に、人が生理的にあるいは文化的に、右へ向かおうとする性向を持っていたとしても、
もしくは、仮に、左へ向かおうとする性向を持っていたとしても、
ちょうど、強力な磁場がはたらいている空間では、重力さえ無力に感じられるように、
その方向に引っぱられてしまう。

そして引っぱられるがゆえに、象徴の図式が塗り替えられるように思うのです。
つまり、こんなふうに。

物語や絵が右向きに展開するメディアの場合
■文章が横書きの絵本・本・冊子(左開き・左綴じ)
■台詞が横書きのマンガ(左開き・左綴じ=欧米のコミックなど)
■コンピューター・ゲーム
■ウェブなどの電子メディア

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これは、グリュンワルドの空間図式の横軸そのものです。
が、しかし、展開する方向が左向きになると、
これとは逆の、下図のようになると思われるのです。

物語や絵が左向きに展開するメディアの場合
■文章が縦書きの絵本・本・冊子・絵草紙(右開き・右綴じ)
■台詞が縦書きのマンガ(右開き・右綴じ=日本の一般的なコミック)
■絵巻
■紙芝居

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「順勝手」「逆勝手」というのは、もともと「絵巻」で使われていた言葉です。
日本の絵巻では、左(←)に進むという方向が明確に決まっています。
その流れに順(したが)う表現を「順勝手」といい、
その流れに逆らう表現を「逆勝手」といいます。

※絵巻では、「順勝手となる構図」のことを、慣用的に「順勝手」と呼び、
「逆勝手となる構図」のことを「逆勝手」と呼ぶこともあるようです。
これについては、後述しようと思います
(後述:「斜線構図の順勝手と逆勝手」)。

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たとえば、登場人物が右を向いているか、左を向いているかだけで、
「順勝手」「逆勝手」の表現となることもあります。

左(←)に進む「絵巻」において、左を向いている人物は「順勝手」。
主人公の多くは、「順勝手」に描かれます。
それに対して逆の右(→)を向いている人物──つまり「逆勝手」の人物が登場することは、
主人公が出会う相手であったり、あるいは敵対する人物であったりします。

こうした「空間的な表現」は、小さい子どもたちを対象とする「絵本」では、
特にしっかりと配慮されています。

たとえば、右(→)に進む「絵本」において、右を向いている人物は「順勝手」。
物語には、「行って帰ってくる」という構造のものが多いのですが、
その「行く」ときに、主人公は、右(→)を向く「順勝手」で描かれます。
そして「帰る」ときに、主人公は、左(←)を向く「逆勝手」で描かれることが多い。

そして、これら「空間的な表現」とともに、
「順勝手」「逆勝手」は、「心理的な表現」として使われることがあります。
そのとき、上図のような空間象徴が成り立っていると思われることが多いのです。

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もっとも、「順勝手」「逆勝手」という言葉がなくても、
そうした表現は、自然発生的に、無意識的に、幅広く、使われているものです。
たとえば、マンガや、海外の絵本などでも効果的に使われていて、
それが物語をよりおもしろいものに見せています。

だから仮説といっても、「何を今さら」という気もします。
これらメディアに親しんでいる読者(観客)にとっては、当たり前のことかもしれません。
が、改めて、
「順勝手」「逆勝手」の表現の具体例を見ていきたいと思います。

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