右か左か、明日はどっちだ?・04
2011年 02月 06日
日本はなぜか
地獄の側(左)へ行きたがる?(1)
左右について調べはじめたら、すっかり右か左かの迷路にはまってしまい、
右往左往のままに文章を書き並べてしまいました。
本来ならば、紙芝居の本論からかけ離れた些末なことなどカットすべきなのですが、
そこはユルユルゆる~い当ブログのこと。
ページの無駄、文章の無駄と思いつつ、このままカットしないでアップしてしまうのでした。
興味のない方は、ご勘弁、どうぞお読みとばしのほどを。
さて、日本においての「右・左」はどうか。
まず、言葉のその語源を尋ねてみると、諸説あります。
その代表が、日(太陽)に由来するとしたもの。
南を向くと、太陽が昇るのは東。これは左の方向です。
そこで、太陽がぶら下がって「日が垂れる」かたちから、「日垂り」、
あるいは、「日が出る」から、「日出り」、
太陽の光が満ち足りて「日が足りる」から、「日足り」
ということから、「ひだり」となった。
逆に、太陽が沈む西は、右となります。
落ちゆく日を見限ることから、「見限り」「見切り」となり、
「みぎり」→「みぎ」となったというわけです(1)。
東洋史学者である白鳥庫吉は、これに異説を唱えています。
欧米やインドなど世界中で、右は「正しい、まっすぐなこと」を意味し、
左は「悪い、歪んで曲がっていること」を意味することは、この稿でもこれまで見てきました。
この傾向は、ツングース語、ブリヤート・モンゴル語、アイヌ語など、
アジアの中北部で話されているアルタイ諸語という言語でも同様なのだそうです。
ところが、その中にあって、
昔、匈奴のひとつとも目されていたテュルク語族(突厥)と、
そして日本のみが異なっているというのです。
つまり、日本では、左が「まっすぐなこと」であり、
右が「曲がったこと」であった。
日本語の「ひた」は「まっすぐなこと」を意味し、漢字の「直」の読みがなともなりました。
その「直(ひた)」に語尾の「り」が付いて「左(ひだり)」となった。
対して「曲がったこと」の「曲がり」が変化して「まがり」→「みぎり」となった。
「曲がり」の「マガ」は、禍事(まがごと=不吉なこと、悪いこと)の禍(まが)に通ずる。
というのが、白鳥庫吉の説です(2)。
「古事記」で、死の国、黄泉から帰って来たイザナギノミコトは、
穢れたからだを清めて禊ぎ払いをします。
そのときに、からだに付着していた黄泉の穢れから、禍津日神(マガツヒノカミ)が生まれます。
この神さまが世界に災厄をもたらす。
が、同時にイザナギは、その凶事を直すための直毘神(ナオビノカミ)を生みました。
マガツヒ(マガツビ)の神がマガ(禍、曲)である凶をもたらし、
ナオヒ(ナオビ)の神がそれを祓い清めることで、直(ナオ)して吉にする。
マガツビとナオビは対立しながらも背中合わせでペアをなし、
日本の文化を貫く大きな要素のひとつとなっています。
白鳥庫吉は、この「マガ(禍、曲)」と「ナオ(直)=ヒタ」が、
「右」と「左」の語源ではないかというんですね。
この白鳥説に対して、
新村出(しんむらいずる)は昭和3年(1928年)当時、反論しています。
そして「右」の語源については、
「にぎり(握)」が「みぎり」になったのではないかという貝原益軒の説をとっています。
だから新村出が編んだ「広辞苑」では、
第六版の今でも、「右」の項に、「(ニギリ(握り)の転か)」と記されています(3)。
さて、白鳥庫吉のように、日本には、左を尊び右を卑しめる「左尊右卑」の文化があった。
……と、説いたのは、本居宣長ら近世の国学者たちでした。
その証拠としたひとつが、「古事記」の叙述です。
「古事記」(4)には、左を尊いとするような箇所がいくつも見られるんですね。
たとえば、冒頭。
天地創造のとき、地上に現れたイザナギ、イザナミの男神・女神は、
つくった島に太い柱を立てて御殿を建てる。
男神イザナギはその柱の左から廻ります。
本来ならば、紙芝居の本論からかけ離れた些末なことなどカットすべきなのですが、
そこはユルユルゆる~い当ブログのこと。
ページの無駄、文章の無駄と思いつつ、このままカットしないでアップしてしまうのでした。
興味のない方は、ご勘弁、どうぞお読みとばしのほどを。
さて、日本においての「右・左」はどうか。
まず、言葉のその語源を尋ねてみると、諸説あります。
その代表が、日(太陽)に由来するとしたもの。
南を向くと、太陽が昇るのは東。これは左の方向です。
そこで、太陽がぶら下がって「日が垂れる」かたちから、「日垂り」、
あるいは、「日が出る」から、「日出り」、
太陽の光が満ち足りて「日が足りる」から、「日足り」
ということから、「ひだり」となった。
逆に、太陽が沈む西は、右となります。
落ちゆく日を見限ることから、「見限り」「見切り」となり、
「みぎり」→「みぎ」となったというわけです(1)。
東洋史学者である白鳥庫吉は、これに異説を唱えています。
欧米やインドなど世界中で、右は「正しい、まっすぐなこと」を意味し、
左は「悪い、歪んで曲がっていること」を意味することは、この稿でもこれまで見てきました。
この傾向は、ツングース語、ブリヤート・モンゴル語、アイヌ語など、
アジアの中北部で話されているアルタイ諸語という言語でも同様なのだそうです。
ところが、その中にあって、
昔、匈奴のひとつとも目されていたテュルク語族(突厥)と、
そして日本のみが異なっているというのです。
つまり、日本では、左が「まっすぐなこと」であり、
右が「曲がったこと」であった。
日本語の「ひた」は「まっすぐなこと」を意味し、漢字の「直」の読みがなともなりました。
その「直(ひた)」に語尾の「り」が付いて「左(ひだり)」となった。
対して「曲がったこと」の「曲がり」が変化して「まがり」→「みぎり」となった。
「曲がり」の「マガ」は、禍事(まがごと=不吉なこと、悪いこと)の禍(まが)に通ずる。
というのが、白鳥庫吉の説です(2)。
「古事記」で、死の国、黄泉から帰って来たイザナギノミコトは、
穢れたからだを清めて禊ぎ払いをします。
そのときに、からだに付着していた黄泉の穢れから、禍津日神(マガツヒノカミ)が生まれます。
この神さまが世界に災厄をもたらす。
が、同時にイザナギは、その凶事を直すための直毘神(ナオビノカミ)を生みました。
マガツヒ(マガツビ)の神がマガ(禍、曲)である凶をもたらし、
ナオヒ(ナオビ)の神がそれを祓い清めることで、直(ナオ)して吉にする。
マガツビとナオビは対立しながらも背中合わせでペアをなし、
日本の文化を貫く大きな要素のひとつとなっています。
白鳥庫吉は、この「マガ(禍、曲)」と「ナオ(直)=ヒタ」が、
「右」と「左」の語源ではないかというんですね。
この白鳥説に対して、
新村出(しんむらいずる)は昭和3年(1928年)当時、反論しています。
そして「右」の語源については、
「にぎり(握)」が「みぎり」になったのではないかという貝原益軒の説をとっています。
だから新村出が編んだ「広辞苑」では、
第六版の今でも、「右」の項に、「(ニギリ(握り)の転か)」と記されています(3)。
さて、白鳥庫吉のように、日本には、左を尊び右を卑しめる「左尊右卑」の文化があった。
……と、説いたのは、本居宣長ら近世の国学者たちでした。
その証拠としたひとつが、「古事記」の叙述です。
「古事記」(4)には、左を尊いとするような箇所がいくつも見られるんですね。
たとえば、冒頭。
天地創造のとき、地上に現れたイザナギ、イザナミの男神・女神は、
つくった島に太い柱を立てて御殿を建てる。
男神イザナギはその柱の左から廻ります。
左から廻るということは、つまり右回り(時計回り)ということですが、
ここでは「左から」ということが意識されています。
このあたりはややこしいので、ちょっと整理しておきます。
右方向へ進む・左方向へ進むでも、廻ろうとする円環のどの位置にいると意識するかで、
回転の方向が違ってしまうのです。
ここでは「左から」ということが意識されています。
このあたりはややこしいので、ちょっと整理しておきます。
右方向へ進む・左方向へ進むでも、廻ろうとする円環のどの位置にいると意識するかで、
回転の方向が違ってしまうのです。
「右に回す」「右に回る」といえば、上図Aを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
ところが、中国から男尊女卑の思想が入ってきたため、それが間違いだったと変えられる。
たとえば、ダイヤルやネジを「右に回す」といえば、
たいていは上図のAのように、時計回りに回転させることになります。
また、会場やらせん階段を、「右に回る」のも、
同じくAのように、時計回り回転です。
一般的には、「右回り」=「時計回り」とされます。
反対に、「左に回す」「左に回る」。
たいていは上図のAのように、時計回りに回転させることになります。
また、会場やらせん階段を、「右に回る」のも、
同じくAのように、時計回り回転です。
一般的には、「右回り」=「時計回り」とされます。
反対に、「左に回す」「左に回る」。
たとえば陸上競技のトラックを「左に回る」ように走るとすれば、
上図のBのように、反時計回りに回転することになります。
「左回り」=「反時計回り」です。
ところが、下図のC・Dの地点のように、
円環の手前にいるとすると、方向が逆になるのです。
たとえば、柱や山を目の前にして、
左「から」回り込んで進もうとすれば、Cのように時計回りとなります。
「左回り」=「時計回り」ということになる。
これが、男性であるイザナギの回り方です。
反対に、D地点にいて、右方向「から」回って進もうとすれば、
「右回り」=「反時計回り」ということになります。
これが、女性であるイザナミの回り方です。
上図のBのように、反時計回りに回転することになります。
「左回り」=「反時計回り」です。
ところが、下図のC・Dの地点のように、
円環の手前にいるとすると、方向が逆になるのです。
左「から」回り込んで進もうとすれば、Cのように時計回りとなります。
「左回り」=「時計回り」ということになる。
これが、男性であるイザナギの回り方です。
反対に、D地点にいて、右方向「から」回って進もうとすれば、
「右回り」=「反時計回り」ということになります。
これが、女性であるイザナミの回り方です。
一口に「右回り」といっても、「右へ回る」図Aと、「右から回る」図Dでは、
回転の方向が逆になってしまうわけです。
このことは、世界各地の習俗でも混乱しがちなのですが、
右へ進むのを意識しているか、左へ進むのを意識しているかという
意識の違いがポイントになるようです。
そこで混乱を避けるため、
陸上競技のルールでは、「left-hand inside(左手を内側に)」と言ったり、
仏教では、「右肩を中心に向けて回る」などという表現をするんですね。
さて、女神イザナミは、イザナギとは反対に右から廻って(反時計回り)、
出合ったところで相和し子どもをつくります。
ここには、男性は女性よりも上位にあり、
上位の男性は、左から廻ることが正しいとする考え方が反映されているといいます。
また、イザナギが黄泉から帰って禊ぎ払いをしたときの、先述のくだり。
その最後、左の眼を洗ったときに天照大御神(アマテラスオオミカミ)、
右の眼を洗ったときに月読命(ツクヨミノミコト)、
鼻を洗ったときに建速須佐之男命(タケハヤスサノヲノミコト)が生まれます。
アマテラスは太陽をあらわす最も重要な女神で、月をあらわすツクヨミよりも上位。
上位のアマテラスは、左の眼から生まれる。
また、このとき、イザナギが穢れをはらおうと
身につけている衣服や装飾品を投げ捨てたときにも、神さまが誕生します。
左手にまいた玉飾り(原文では「手纒(たまき)」)を投げたときに、
・奥疎神(オキザカルノカミ)
・奥津那芸佐毘古神(オキツナギサビコノカミ)
・奥津甲斐弁羅神(オキツカヒベラノカミ)
次に、右手にまいた玉飾りを投げたときに、
・辺疎神(ヘザカルノカミ)
・辺津那芸佐毘古神(ヘツナギサビコノカミ)
・辺津甲斐弁羅神(ヘツカヒベラノカミ)
の神さまたちが生まれます。
つまり左手の玉飾りからは「奥」のつく神々、
対して、右手の玉飾りからは「辺」のつく神々が生まれる。
これと似た箇所は、火の神さま、カグツチのくだりにも見られます。
火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)は、母神イザナミから生まれ出る際に母親を焼いて傷つけ、
イザナミが死ぬ原因となりました。
妻の死を嘆き悲しんだイザナギはカグツチを斬り殺し、そこから神々が生まれます。
そのとき、カグツチのからだから生まれる神さまは次の通り。
左手→志芸山津見神(シギヤマツミノカミ):樹木がうっそうと茂る山の神さま。
左足→原山津見神(ハラヤマツミノカミ):平かな峰をもつ山の神さま。
右手→羽山津見神(ハヤマツミノカミ):「はやま」は端山で、山の端、つまり麓(ふもと)の山の
右へ進むのを意識しているか、左へ進むのを意識しているかという
意識の違いがポイントになるようです。
そこで混乱を避けるため、
陸上競技のルールでは、「left-hand inside(左手を内側に)」と言ったり、
仏教では、「右肩を中心に向けて回る」などという表現をするんですね。
さて、女神イザナミは、イザナギとは反対に右から廻って(反時計回り)、
出合ったところで相和し子どもをつくります。
ここには、男性は女性よりも上位にあり、
上位の男性は、左から廻ることが正しいとする考え方が反映されているといいます。
また、イザナギが黄泉から帰って禊ぎ払いをしたときの、先述のくだり。
その最後、左の眼を洗ったときに天照大御神(アマテラスオオミカミ)、
右の眼を洗ったときに月読命(ツクヨミノミコト)、
鼻を洗ったときに建速須佐之男命(タケハヤスサノヲノミコト)が生まれます。
アマテラスは太陽をあらわす最も重要な女神で、月をあらわすツクヨミよりも上位。
上位のアマテラスは、左の眼から生まれる。
また、このとき、イザナギが穢れをはらおうと
身につけている衣服や装飾品を投げ捨てたときにも、神さまが誕生します。
左手にまいた玉飾り(原文では「手纒(たまき)」)を投げたときに、
・奥疎神(オキザカルノカミ)
・奥津那芸佐毘古神(オキツナギサビコノカミ)
・奥津甲斐弁羅神(オキツカヒベラノカミ)
次に、右手にまいた玉飾りを投げたときに、
・辺疎神(ヘザカルノカミ)
・辺津那芸佐毘古神(ヘツナギサビコノカミ)
・辺津甲斐弁羅神(ヘツカヒベラノカミ)
の神さまたちが生まれます。
つまり左手の玉飾りからは「奥」のつく神々、
対して、右手の玉飾りからは「辺」のつく神々が生まれる。
これと似た箇所は、火の神さま、カグツチのくだりにも見られます。
火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)は、母神イザナミから生まれ出る際に母親を焼いて傷つけ、
イザナミが死ぬ原因となりました。
妻の死を嘆き悲しんだイザナギはカグツチを斬り殺し、そこから神々が生まれます。
そのとき、カグツチのからだから生まれる神さまは次の通り。
左手→志芸山津見神(シギヤマツミノカミ):樹木がうっそうと茂る山の神さま。
左足→原山津見神(ハラヤマツミノカミ):平かな峰をもつ山の神さま。
右手→羽山津見神(ハヤマツミノカミ):「はやま」は端山で、山の端、つまり麓(ふもと)の山の
神さま。
右足→戸山津見神(トヤマツミノカミ):「とやま」は外山で、山の外のあたり、
つまり平地や里に近いところの山の神さま。
つまり、左側から生まれるのは山の「奥」の方であり、
右側から生まれるのは山の周辺、「辺」の方である。
国学者・本居宣長はこれらの箇所を指摘して、
左は「奥」にあたり、右は「辺」にあたるといい、「万葉集」の次の歌を掲げます。
「振田向宿禰が、筑紫の国に下った時の歌一首
我妹子(わぎもこ)は 釧(くしろ)にあらなむ 左手の 我が奥の手に 巻きて去(い)なましを」(5)
宿禰(すくね)という姓をもっているくらいだから上級官僚だったのでしょう、
その振田向(ふるのたむけ)という男性が、九州の筑紫国へ赴任して旅立つ際に、
妻と別れなければならなくなる。
そこで、わが妻(我妹子)が、釧(くしろ)であればいいのにな。
そうしたら、手に巻き付けていっしょに連れて行けるのに。
という、愛惜の情を歌った「相聞歌(恋の歌)」なわけです。
チューリップというバンドが、往年のヒット曲「心の旅」で、
「眠りについた君を ポケットに詰め込んで そのまま連れ去りたい」(財津和夫作詞)
と歌っていたような感じでしょうか。
釧(くしろ)というのは、玉や金属や貝などで作った手首に巻く装身具のことで、
いわば、ブレスレット。
「手纒(たまき)」のようなものでもあるのでしょう。
愛するひとを大事に思って身につけるとしたら、それは奥の方である。
だから「奥」の手であり、日頃から尊ばれている左手に巻き付けるのだと、
本居宣長はいうわけです(6)。
つまり、
「奥」=「左」=上位(尊い)
「辺」=「右」=下位(卑しい)
という図式です。
以上を説明し、上野誠さんは、この「左」という表現の中に、「心のうわ辺」ではなく、
「心の奥底」で大切に想っているのだという心情も読み取れると指摘しています(7)。
さてところが、「奥の手」というのは、
必ずしも左手のことではなかったのではないかという反論があります。
釧(くしろ)は臂(ひじ)に巻くものなので、手の「奥」とは臂のことではないかと思ったと、
本居宣長自身も記しています。
が、両方どちらでも巻くものをわざわざ「左手」とことわっているのは、
左を奥としたからだと結論しているわけです。
しかしこの結論は、決定打に欠けているように筆者には思われます。
「広辞苑」が「奥の手」を説明し、「一説に、かいな。二の腕」と述べているように、
塚崎幹夫さんは、「二の腕」と解しています(8)。
これは「ひじ」であれ、「二の腕」であれ、
手の腕の奥まった部分へ袖に包んで肌身離さず身につけるということで、
その想う気持ちはじゅうぶんに伝わるのではないでしょうか。
また、賀茂真淵らが指摘するように、日常の生活で頻繁に用を足すのは右手です。
そのため、腕に飾りを付けるとしたら、ふだんは使わない左手にということもまた、
じゅうぶん常識的に理解出来るわけです。
これは「左手」が「奥の手」というわけではなく、
素直に、ただ単に左手の奥の方の部分と解してもいいように思われます。
そしてこの歌は、必ずしも、
左手が尊ばれているという証拠にはつながらないのではないでしょうか。
イザナギの左右の手纒から生まれた海の神さまは、
それぞれ海域を示す名前が付けられていると考えられます。
本居宣長は、「奥」はすなわち「沖」で、
「辺」はすなわち「海辺」であるといいます。
そして「辺」が右に当たるのは、
「砌(みぎり)」という言葉にも合致していると述べています(6)。
「砌(みぎり)」は、「幼少のみぎり……」などと言うように、
「とき。時節」または「ところ。場所」などを表す言葉。
これは、軒下の雨だれを受ける敷石や石畳のある所で、
水際をあらわす「水限(みぎり)」というのがもともとの意味なんだそうです。
なるほど、「辺」である水ぎわを示す「砌(みぎり)」で、「みぎ=右」にも通じる。
しかしながら、六柱の神さまは、「奥」と「辺」の対に整理されていて、
一見わかりやすいように見えながら、個々に見ていくとわかりにくい。
たとえば、渚をあらわすナギサ彦が、
「辺」にあってヘツナギサビコ(辺津那芸佐毘古神)となるのはわかりますが、
「奥(沖)」にあってオキツナギサビコ(奥津那芸佐毘古神)となるのは矛盾します。
また、ヒノカグツチから生まれた八柱の山の神さまにしても、
端(「辺」)である羽山津見(ハヤマツミ)に対応する「奥」は、
むしろ腹から生まれた奥山津見神(オクヤマツミノカミ)と考える方が自然で、
こちらも整合性には乏しいように思われます。
「日本書紀」では、手足は左右に分けられることなく、「手」から麓山祇(ハヤマツミ)、
「足」から䨄山(シギヤマツミ)が生まれたことになっていて、
「奥/辺」の観点からすると、バラバラです。
どうも、「古事記」の方は、後付けでむりやり整理したようにも感じられますね。
そして、「奥/辺」に振り分けようという意図があり、それが「左/右」に対応しているとしても、
これらの場面からは、「奥=左」が、「辺=右」よりも上位にあって、尊いということが
必ずしも読み取れるというわけではありません。
そういえば、新村出は「広辞苑」で、「左」を
「端・へりの意のハタ・ヘタが転じた語か」としていました。
この説の出所と理由は、筆者はわかりませんが、
もしもこの説の通りなら「端・へり」を意味する「辺」は「左」となるわけで、
これはまったく反対ということになります。
本居宣長は、「日本書紀」は中国の影響が大きい、それに比べると「古事記」は影響が少なく、
日本古来のオリジナルな伝承を伝えているといいます。
しかし、生粋の「メイド・イン・ジャパン」といわれる「古事記」もやはり、
中国の影響をまぬがれていません。
たとえば、男神イザナギが柱の左から廻り、女神イザナミが右から廻る場面。
これは、前漢の書「淮南子(えなんじ)」の「雄左より行き雌右より行く」という言葉の通りだと
白鳥庫吉が述べています。
またこれは、「天左旋地右動」でもあり、やはり中国の古典から拠っている原則であることを
平田篤胤が指摘しているそうです(9)。
天はすなわち陽であり、男性。
地はすなわち陰であり、女性。
陽である天(男性)は左から廻るものであり、陰である地(女性)は右から廻るものという
中国の陰陽説を、「古事記」の作者はなぞったのだというわけです。
また、女神イザナミから先に声をかけたため、子づくりに失敗する場面。
ここにも中国の影響が見られると中西進さんはいいます(9)。
当時、日本は母系社会で、結婚の形態は、男性が女性のもとへ通う「通い婚」がふつうでした。
子どもは(長子は特に)小さい頃は母親の元にいて育てられるので、
成長してからも「おや」といえば母親のことをさし、
両親のことは「母父(おもちち)」と呼んでいました。
「父母(フボ)」と呼び習わすようになったのは、
中国の儒教的な男性優先の思想が入って来てから後なんだそうです。
漢字に中国の発音を当てたのが「音読み」ですが、
その音読みで「フ・ボ」といい、母よりも父を先におく言い方をするようになる。
それまでは、男を先におく「男女(ダンジョ)」という言い方もなかった。
そのため、女性から先に声をかけたとしても、
本来は間違っていなかったのではないかというわけです。
そのときに生まれた子は、骨のない醜い「水蛭子(ヒルコ)」ですが、
しかし本来は、「日る子」、すなわち太陽の子であり、
「日る女(ヒルメ)」であるアマテラスに対応する神ではなかったかとする説があります。
アマテラスは、別名「大日孁貴(オオヒルメノムチ)」で、
大いなる太陽の女神(日る女=日孁)の高貴な方(ムチ)の意をあらわします。
右足→戸山津見神(トヤマツミノカミ):「とやま」は外山で、山の外のあたり、
つまり平地や里に近いところの山の神さま。
つまり、左側から生まれるのは山の「奥」の方であり、
右側から生まれるのは山の周辺、「辺」の方である。
国学者・本居宣長はこれらの箇所を指摘して、
左は「奥」にあたり、右は「辺」にあたるといい、「万葉集」の次の歌を掲げます。
「振田向宿禰が、筑紫の国に下った時の歌一首
我妹子(わぎもこ)は 釧(くしろ)にあらなむ 左手の 我が奥の手に 巻きて去(い)なましを」(5)
宿禰(すくね)という姓をもっているくらいだから上級官僚だったのでしょう、
その振田向(ふるのたむけ)という男性が、九州の筑紫国へ赴任して旅立つ際に、
妻と別れなければならなくなる。
そこで、わが妻(我妹子)が、釧(くしろ)であればいいのにな。
そうしたら、手に巻き付けていっしょに連れて行けるのに。
という、愛惜の情を歌った「相聞歌(恋の歌)」なわけです。
チューリップというバンドが、往年のヒット曲「心の旅」で、
「眠りについた君を ポケットに詰め込んで そのまま連れ去りたい」(財津和夫作詞)
と歌っていたような感じでしょうか。
釧(くしろ)というのは、玉や金属や貝などで作った手首に巻く装身具のことで、
いわば、ブレスレット。
「手纒(たまき)」のようなものでもあるのでしょう。
愛するひとを大事に思って身につけるとしたら、それは奥の方である。
だから「奥」の手であり、日頃から尊ばれている左手に巻き付けるのだと、
本居宣長はいうわけです(6)。
つまり、
「奥」=「左」=上位(尊い)
「辺」=「右」=下位(卑しい)
という図式です。
以上を説明し、上野誠さんは、この「左」という表現の中に、「心のうわ辺」ではなく、
「心の奥底」で大切に想っているのだという心情も読み取れると指摘しています(7)。
さてところが、「奥の手」というのは、
必ずしも左手のことではなかったのではないかという反論があります。
釧(くしろ)は臂(ひじ)に巻くものなので、手の「奥」とは臂のことではないかと思ったと、
本居宣長自身も記しています。
が、両方どちらでも巻くものをわざわざ「左手」とことわっているのは、
左を奥としたからだと結論しているわけです。
しかしこの結論は、決定打に欠けているように筆者には思われます。
「広辞苑」が「奥の手」を説明し、「一説に、かいな。二の腕」と述べているように、
塚崎幹夫さんは、「二の腕」と解しています(8)。
これは「ひじ」であれ、「二の腕」であれ、
手の腕の奥まった部分へ袖に包んで肌身離さず身につけるということで、
その想う気持ちはじゅうぶんに伝わるのではないでしょうか。
また、賀茂真淵らが指摘するように、日常の生活で頻繁に用を足すのは右手です。
そのため、腕に飾りを付けるとしたら、ふだんは使わない左手にということもまた、
じゅうぶん常識的に理解出来るわけです。
これは「左手」が「奥の手」というわけではなく、
素直に、ただ単に左手の奥の方の部分と解してもいいように思われます。
そしてこの歌は、必ずしも、
左手が尊ばれているという証拠にはつながらないのではないでしょうか。
イザナギの左右の手纒から生まれた海の神さまは、
それぞれ海域を示す名前が付けられていると考えられます。
本居宣長は、「奥」はすなわち「沖」で、
「辺」はすなわち「海辺」であるといいます。
そして「辺」が右に当たるのは、
「砌(みぎり)」という言葉にも合致していると述べています(6)。
「砌(みぎり)」は、「幼少のみぎり……」などと言うように、
「とき。時節」または「ところ。場所」などを表す言葉。
これは、軒下の雨だれを受ける敷石や石畳のある所で、
水際をあらわす「水限(みぎり)」というのがもともとの意味なんだそうです。
なるほど、「辺」である水ぎわを示す「砌(みぎり)」で、「みぎ=右」にも通じる。
しかしながら、六柱の神さまは、「奥」と「辺」の対に整理されていて、
一見わかりやすいように見えながら、個々に見ていくとわかりにくい。
たとえば、渚をあらわすナギサ彦が、
「辺」にあってヘツナギサビコ(辺津那芸佐毘古神)となるのはわかりますが、
「奥(沖)」にあってオキツナギサビコ(奥津那芸佐毘古神)となるのは矛盾します。
また、ヒノカグツチから生まれた八柱の山の神さまにしても、
端(「辺」)である羽山津見(ハヤマツミ)に対応する「奥」は、
むしろ腹から生まれた奥山津見神(オクヤマツミノカミ)と考える方が自然で、
こちらも整合性には乏しいように思われます。
「日本書紀」では、手足は左右に分けられることなく、「手」から麓山祇(ハヤマツミ)、
「足」から䨄山(シギヤマツミ)が生まれたことになっていて、
「奥/辺」の観点からすると、バラバラです。
どうも、「古事記」の方は、後付けでむりやり整理したようにも感じられますね。
そして、「奥/辺」に振り分けようという意図があり、それが「左/右」に対応しているとしても、
これらの場面からは、「奥=左」が、「辺=右」よりも上位にあって、尊いということが
必ずしも読み取れるというわけではありません。
そういえば、新村出は「広辞苑」で、「左」を
「端・へりの意のハタ・ヘタが転じた語か」としていました。
この説の出所と理由は、筆者はわかりませんが、
もしもこの説の通りなら「端・へり」を意味する「辺」は「左」となるわけで、
これはまったく反対ということになります。
本居宣長は、「日本書紀」は中国の影響が大きい、それに比べると「古事記」は影響が少なく、
日本古来のオリジナルな伝承を伝えているといいます。
しかし、生粋の「メイド・イン・ジャパン」といわれる「古事記」もやはり、
中国の影響をまぬがれていません。
たとえば、男神イザナギが柱の左から廻り、女神イザナミが右から廻る場面。
これは、前漢の書「淮南子(えなんじ)」の「雄左より行き雌右より行く」という言葉の通りだと
白鳥庫吉が述べています。
またこれは、「天左旋地右動」でもあり、やはり中国の古典から拠っている原則であることを
平田篤胤が指摘しているそうです(9)。
天はすなわち陽であり、男性。
地はすなわち陰であり、女性。
陽である天(男性)は左から廻るものであり、陰である地(女性)は右から廻るものという
中国の陰陽説を、「古事記」の作者はなぞったのだというわけです。
また、女神イザナミから先に声をかけたため、子づくりに失敗する場面。
ここにも中国の影響が見られると中西進さんはいいます(9)。
当時、日本は母系社会で、結婚の形態は、男性が女性のもとへ通う「通い婚」がふつうでした。
子どもは(長子は特に)小さい頃は母親の元にいて育てられるので、
成長してからも「おや」といえば母親のことをさし、
両親のことは「母父(おもちち)」と呼んでいました。
「父母(フボ)」と呼び習わすようになったのは、
中国の儒教的な男性優先の思想が入って来てから後なんだそうです。
漢字に中国の発音を当てたのが「音読み」ですが、
その音読みで「フ・ボ」といい、母よりも父を先におく言い方をするようになる。
それまでは、男を先におく「男女(ダンジョ)」という言い方もなかった。
そのため、女性から先に声をかけたとしても、
本来は間違っていなかったのではないかというわけです。
そのときに生まれた子は、骨のない醜い「水蛭子(ヒルコ)」ですが、
しかし本来は、「日る子」、すなわち太陽の子であり、
「日る女(ヒルメ)」であるアマテラスに対応する神ではなかったかとする説があります。
アマテラスは、別名「大日孁貴(オオヒルメノムチ)」で、
大いなる太陽の女神(日る女=日孁)の高貴な方(ムチ)の意をあらわします。
それに対し、大いなる太陽の御子、つまり「日る女」=アマテラスの男性版が
「日る子」=ヒルコだったというのです。
ところが、中国から男尊女卑の思想が入ってきたため、それが間違いだったと変えられる。
女性から先に声をかけてアプローチするのは、はしたないとされる。
そこで、再度やりなおすことになり、男神イザナギの方から先に声をかけることで
そこで、再度やりなおすことになり、男神イザナギの方から先に声をかけることで
正常な出産が出来るようになったのではないかというんですね。
そうしてこのとき、イザナミは、淡路島や四国や九州や本州など、日本の島々を生みます。
そうしてこのとき、イザナミは、淡路島や四国や九州や本州など、日本の島々を生みます。
──「父母(フボ)」「男女(ダンジョ)」など、音読みにして
男を先におく言い方は、中国の影響。
すると、「右左(みぎひだり)」ではなく、
「左右(サユウ/サウ)」と音読みにして、左を先におく言い方なども、
やはり中国からの輸入と考えて、あながち間違いではないように思われます。
塚崎幹夫さんは、以上の他にも、左を尊び右を卑しめる日本の「左尊右卑」説を吟味し、
その主張する根拠が、実は微妙であり、
多くは中国からの輸入を基にしているのではないかと指摘しています(8)。
では、中国での「右・左」はどうなのか?
(スイマセン。右往左往が、もうちょっと続きます。)
すると、「右左(みぎひだり)」ではなく、
「左右(サユウ/サウ)」と音読みにして、左を先におく言い方なども、
やはり中国からの輸入と考えて、あながち間違いではないように思われます。
塚崎幹夫さんは、以上の他にも、左を尊び右を卑しめる日本の「左尊右卑」説を吟味し、
その主張する根拠が、実は微妙であり、
多くは中国からの輸入を基にしているのではないかと指摘しています(8)。
では、中国での「右・左」はどうなのか?
(スイマセン。右往左往が、もうちょっと続きます。)
《引用・参考文献》
(1)谷川士淸「倭訓栞」名著刊行会
(2)白鳥庫吉「左(pidari)右(migi, migiri)」~礫川全次編「左右の民俗学」批評社・所収
(3)新村出編「広辞苑・第六版」岩崎書店
(4)福永武彦訳「古事記」~「日本国民文学全集1」河出書房
(5)土屋文明訳「万葉集」巻第九・1766番 ~「日本国民文学全集2」河出書房
(6)本居宣長、倉野憲司校訂「古事記伝(二)」岩波文庫
(7)上野誠「左手の奥の手」~「左右/みぎひだり──あらゆるものは「左右」に通ず!」學燈社・所収
(8)塚崎幹夫「右と左のはなし」青土社
(9)中西進「天つ神の世界ー古事記をよむ・1」角川書店
(1)谷川士淸「倭訓栞」名著刊行会
(2)白鳥庫吉「左(pidari)右(migi, migiri)」~礫川全次編「左右の民俗学」批評社・所収
(3)新村出編「広辞苑・第六版」岩崎書店
(4)福永武彦訳「古事記」~「日本国民文学全集1」河出書房
(5)土屋文明訳「万葉集」巻第九・1766番 ~「日本国民文学全集2」河出書房
(6)本居宣長、倉野憲司校訂「古事記伝(二)」岩波文庫
(7)上野誠「左手の奥の手」~「左右/みぎひだり──あらゆるものは「左右」に通ず!」學燈社・所収
(8)塚崎幹夫「右と左のはなし」青土社
(9)中西進「天つ神の世界ー古事記をよむ・1」角川書店
by kamishibaiya
| 2011-02-06 12:05
| 紙芝居/絵を描く