小林玲子さんの「涅槃図」の絵解き・9
2012年 02月 09日
摩耶夫人、降臨
沙羅双樹の樹上、空にたなびく雲に乗り、
天女に付き添われて降りて来るのが、
ブッダの生母のマーヤー(摩耶)です。
一般に、摩耶(まや)夫人(ぶにん、ふじん)と呼ばれるようです。
彼女はブッダを生んだ後、7日後に亡くなりました。
その後、忉利天(とうりてん=または、三十三天)という、
神々が住む天上の世界に生まれ変わったといいます。
そこへ、ブッダの弟子であるアヌルッダ(阿那律)がブッダの入滅を知らせにきたので、
彼の案内で、ここクシナガラへ降りてきたのでした。
マーヤーの死後、ブッダは、
マーヤーの妹であるマハー・プラジャーパティー(摩訶波闍波提:まかはじゃはだい)に
養われて育ちます。
この養母であり、義母であるマハー・プラジャバティーは、後年、
ブッダの妻であるヤソーダラー(耶輸陀羅)らとともに出家します。
比丘尼となった彼女は、ブッダ入滅のときには、かなりな高齢。
一説には彼女は、ブッダの命脈のそう長くないことを知り、
その終焉に立ち会う悲しみを避けて、
ブッダが入滅する3ヶ月前に入寂したと伝えられています。
その説にしたがえば、すでに死去していて「涅槃図」には描かれていないことになります。
ちなみに、同じく比丘尼となっていたヤソーダラーはどうしていたのでしょうか。
夫が死の床にあり息子のラーフラがその枕元にいたとき、
彼女はどんな状況にいたのか気になったのですが、筆者の調べたかぎりではわかりませんでした。
ところで、マーヤーに危篤を知らせ、案内しているのはアヌルッダ(阿那律尊者)です。
また、前回触れましたが、アーナンダ(阿難尊者)を介抱し、励ましているのも
アヌルッダ(阿那律尊者)です。
つまり、1人の人物が、同じ絵の中で、複数描かれているわけです。
これは、絵巻などでよく使われる「異時同図法」というやつですね。
時間が異なる場面は、
絵本や紙芝居であれば、複数のページや場面に割りふって描きます。
マンガであれば、複数のコマに分割して描きます。
絵巻でも、基本的には複数の場面に分割して描きますが、
同じ場面の絵の中に描きこむことがある。
だから同じ人物が、「分身の術」のように絵の中に複数描かれることになります。
掛け軸絵のように1枚の絵の中でこれを使うと、
不自然に感じられることがあるかもしれません。
しかし、「絵解き」として語る場合には、
「異時同図法」を多用しても、まったく違和感がありません。
おはねざしでその場面の部分の絵を指し示して注目を促すと、
それが、いわばズームアップのはたらきをします。
そうして物語の展開や時間の推移を語りながら、
次々に場面を指していくことで、コマ割りと同じような表現になるんですね。
もっとも、この「大涅槃図」では、2人の服装も顔つきも異なっているようなので、
絵の作者は、マーヤーを案内した人物とアーナンダを励ました人物を
別人として描いているかもしれません。
マーヤーを案内したのはアヌルッダ(阿那律尊者)ではなく、
やはり弟子のひとりのウパーリ(優婆離)であるという話も、中国・敦煌の写本などにあるそうで、
そうした伝承の違いがあるものと思われます。
さて、そして摩耶夫人(マーヤー)の物語が語られます。
先にも触れた薬を入れた包み袋の話です。
忉利天で暮らしていた摩耶夫人のもとに、ブッダ入滅が知らされ、
何とかして救おうと、霊薬の入った錦の薬袋をもって駆けつけたものの、
鳥たちがじゃまをして、地上へ降り立つことができない。
そこで「エイッ」とばかりに投げ下ろしましたが、
それが運命だったのか、薬袋は沙羅双樹の枝に引っかかってしまい、
ブッダはついにその薬を口にすることがかなわなかったということです。
この袋包みには、もうひとつの説があるそうです。
死を悟ったブッダは、最後にアーナンダ(阿難尊者)に教えを説き、
自分の唯一の持ち物である錫杖(杖)と、托鉢のための鉢を包んだ袋を
アーナンダに託します。
それが、サーラの樹の枝に引っ掛けられているというのです。
手の届かないような高さに掛けられていることを考えれば、
この絵では、前者の説で描かれているといえます。
しかし、袋包みと錫杖がセットになっていることを考えれば、
後者の説で描かれているといえます。
これは、どちらでも解釈できるように描かれているのではないでしょうか。
ひとつの絵から、いろいろな解釈や物語を紡ぎ出し、
いろいろな想像を誘ってくれるのも、「絵解き」の魅力のひとつだと思います。
そうしてまた、摩耶夫人のもうひとつの物語が語られました。
忉利天で、なぜか悪夢を見続けていた摩耶夫人。
ブッダの入滅を予感します。
そうして、はたしてアヌルッダ(阿那律)が迎えにくる。
いったんは気絶したものの、気をとり直し、
「生まれて7日であちらの世を去り、
この手で抱きしめてあげられなかったことが心残り、
わが息子を抱きしめてあげたい」
と、クシナガラへ向かうのでした。
かつて、ブッダが、生きとし生けるものすべてに対して慈悲心を持ちなさいと法を説いたとき、
そのたとえとして述べられていたのは、
「母が己(おの)が独り子(ひとりご)を命を賭けて護るように」
という言葉でした(1)。
母親が命を賭けて子どもを護るように、他の人や生きものを慈しみなさいというのです。
まさしく、この場面で語られているのは、
母親が子どもを命を賭けて護ろうとする、美しく感動的な姿です。
しかしながら、ここでもまた、わたしたちの耳には、再び、
「論理的追求を突き詰めるよりも情緒的な救済の方に直行する」ような日本人的な仏教解釈があるのではないか、
という池上洵一さんの言葉が聞こえてくるように思います(2)。
父性的な論理よりも母性的な情緒を好む傾向が、わたしたち日本人にはあって、
それが、摩耶夫人の物語をいくつも語り伝えているのかもしれません。
それは美しいものですが、そこには危うさをはらんでいるとも言えます。
慈悲の愛は尊いものです。
が、しかし執着に過ぎれば、盲目となる。
「子への思いに迷う」こととなる。
愛するものを失った時には執着から離れられず、
時には憎しみとなったり、絶望となったりもする。
駆けつけた摩耶夫人。
天女に付き添われて降りて来るのが、
ブッダの生母のマーヤー(摩耶)です。
一般に、摩耶(まや)夫人(ぶにん、ふじん)と呼ばれるようです。
彼女はブッダを生んだ後、7日後に亡くなりました。
その後、忉利天(とうりてん=または、三十三天)という、
神々が住む天上の世界に生まれ変わったといいます。
そこへ、ブッダの弟子であるアヌルッダ(阿那律)がブッダの入滅を知らせにきたので、
彼の案内で、ここクシナガラへ降りてきたのでした。
マーヤーの死後、ブッダは、
マーヤーの妹であるマハー・プラジャーパティー(摩訶波闍波提:まかはじゃはだい)に
養われて育ちます。
この養母であり、義母であるマハー・プラジャバティーは、後年、
ブッダの妻であるヤソーダラー(耶輸陀羅)らとともに出家します。
比丘尼となった彼女は、ブッダ入滅のときには、かなりな高齢。
一説には彼女は、ブッダの命脈のそう長くないことを知り、
その終焉に立ち会う悲しみを避けて、
ブッダが入滅する3ヶ月前に入寂したと伝えられています。
その説にしたがえば、すでに死去していて「涅槃図」には描かれていないことになります。
ちなみに、同じく比丘尼となっていたヤソーダラーはどうしていたのでしょうか。
夫が死の床にあり息子のラーフラがその枕元にいたとき、
彼女はどんな状況にいたのか気になったのですが、筆者の調べたかぎりではわかりませんでした。
ところで、マーヤーに危篤を知らせ、案内しているのはアヌルッダ(阿那律尊者)です。
また、前回触れましたが、アーナンダ(阿難尊者)を介抱し、励ましているのも
アヌルッダ(阿那律尊者)です。
つまり、1人の人物が、同じ絵の中で、複数描かれているわけです。
これは、絵巻などでよく使われる「異時同図法」というやつですね。
時間が異なる場面は、
絵本や紙芝居であれば、複数のページや場面に割りふって描きます。
マンガであれば、複数のコマに分割して描きます。
絵巻でも、基本的には複数の場面に分割して描きますが、
同じ場面の絵の中に描きこむことがある。
だから同じ人物が、「分身の術」のように絵の中に複数描かれることになります。
掛け軸絵のように1枚の絵の中でこれを使うと、
不自然に感じられることがあるかもしれません。
しかし、「絵解き」として語る場合には、
「異時同図法」を多用しても、まったく違和感がありません。
おはねざしでその場面の部分の絵を指し示して注目を促すと、
それが、いわばズームアップのはたらきをします。
そうして物語の展開や時間の推移を語りながら、
次々に場面を指していくことで、コマ割りと同じような表現になるんですね。
もっとも、この「大涅槃図」では、2人の服装も顔つきも異なっているようなので、
絵の作者は、マーヤーを案内した人物とアーナンダを励ました人物を
別人として描いているかもしれません。
マーヤーを案内したのはアヌルッダ(阿那律尊者)ではなく、
やはり弟子のひとりのウパーリ(優婆離)であるという話も、中国・敦煌の写本などにあるそうで、
そうした伝承の違いがあるものと思われます。
さて、そして摩耶夫人(マーヤー)の物語が語られます。
先にも触れた薬を入れた包み袋の話です。
忉利天で暮らしていた摩耶夫人のもとに、ブッダ入滅が知らされ、
何とかして救おうと、霊薬の入った錦の薬袋をもって駆けつけたものの、
鳥たちがじゃまをして、地上へ降り立つことができない。
そこで「エイッ」とばかりに投げ下ろしましたが、
それが運命だったのか、薬袋は沙羅双樹の枝に引っかかってしまい、
ブッダはついにその薬を口にすることがかなわなかったということです。
この袋包みには、もうひとつの説があるそうです。
死を悟ったブッダは、最後にアーナンダ(阿難尊者)に教えを説き、
自分の唯一の持ち物である錫杖(杖)と、托鉢のための鉢を包んだ袋を
アーナンダに託します。
それが、サーラの樹の枝に引っ掛けられているというのです。
手の届かないような高さに掛けられていることを考えれば、
この絵では、前者の説で描かれているといえます。
しかし、袋包みと錫杖がセットになっていることを考えれば、
後者の説で描かれているといえます。
これは、どちらでも解釈できるように描かれているのではないでしょうか。
ひとつの絵から、いろいろな解釈や物語を紡ぎ出し、
いろいろな想像を誘ってくれるのも、「絵解き」の魅力のひとつだと思います。
そうしてまた、摩耶夫人のもうひとつの物語が語られました。
忉利天で、なぜか悪夢を見続けていた摩耶夫人。
ブッダの入滅を予感します。
そうして、はたしてアヌルッダ(阿那律)が迎えにくる。
いったんは気絶したものの、気をとり直し、
「生まれて7日であちらの世を去り、
この手で抱きしめてあげられなかったことが心残り、
わが息子を抱きしめてあげたい」
と、クシナガラへ向かうのでした。
かつて、ブッダが、生きとし生けるものすべてに対して慈悲心を持ちなさいと法を説いたとき、
そのたとえとして述べられていたのは、
「母が己(おの)が独り子(ひとりご)を命を賭けて護るように」
という言葉でした(1)。
母親が命を賭けて子どもを護るように、他の人や生きものを慈しみなさいというのです。
まさしく、この場面で語られているのは、
母親が子どもを命を賭けて護ろうとする、美しく感動的な姿です。
しかしながら、ここでもまた、わたしたちの耳には、再び、
「論理的追求を突き詰めるよりも情緒的な救済の方に直行する」ような日本人的な仏教解釈があるのではないか、
という池上洵一さんの言葉が聞こえてくるように思います(2)。
父性的な論理よりも母性的な情緒を好む傾向が、わたしたち日本人にはあって、
それが、摩耶夫人の物語をいくつも語り伝えているのかもしれません。
それは美しいものですが、そこには危うさをはらんでいるとも言えます。
慈悲の愛は尊いものです。
が、しかし執着に過ぎれば、盲目となる。
「子への思いに迷う」こととなる。
愛するものを失った時には執着から離れられず、
時には憎しみとなったり、絶望となったりもする。
駆けつけた摩耶夫人。
が、その時すでにブッダは事切れたあとで、棺の中でした。
その安置された金の棺にすがって、夫人が泣き崩れたときのようすが、
「摩訶摩耶経」という経典に書かれていて、
それが「今昔物語」にも綴られています(3)。
それによれば、摩耶夫人の悲しみようは激しく、
遺品の衣と錫杖を右手に持って地面に投げたので、
ガッシャーンとでも響いたのでしょうか、大きな山が崩れるような音がしたといいます。
半狂乱と言ってもいいと思います。
すると、突如、すでに入滅したはずのブッダがその神通力をもって、
棺のふたを開け、身を起こして立ち上がる。
そうして、千の光を放ちながら合掌して夫人に向かい、
嘆き悲しみたまうことなかれ、すべてのことは無常なのだからと
真理を説いたというのです。
生まれたものは必ず滅ぶもの。もろもろのすべては無常である。
それを覆すことはできないものなのだ。
それはこの「涅槃図」の物語の中でブッダがくりかえし語っていたことであり、
入滅の際に弟子たちへ語った最後の言葉でもあります。
その師の言葉をもってアヌルッダは、アーナンダや他の弟子たちを励ましていました。
すると、その言葉を聞いた摩耶夫人の顔が、蓮の花のように和らいでいく。
それを確かめて安心したのか、
ブッダは、再び棺の中に身を隠し、棺のふたは元のようにしまったということです。
この場面は、「釈迦金棺出現図」という絵のモチーフとなっているのだそうです。
愛情と、愛著(執着する愛情)の違いは何なのか、その境がどこにあるのか、
筆者にはなかなかわかりません。
しかし、おそらく摩耶夫人の愛情が、愛著へと変わろうとしていた。
「子への思い」が、「子を思うがゆえの迷い」に陥ろうとしていたのでしょう。
そのとき、ブッダが涅槃の中から出現する。
そうして彼が母親にかけたのは、慰めの言葉ではありませんでした。
ではなく、理を説くことによって、夫人の迷いが消えていく。
救われることになる。
ここには、救済を得ようとする情緒的な母性と、
真理を求めようとする論理的な父性とが結合したかたちがあります。
そしてここにおいて、物語が完結を迎えるように、筆者には思われます。
もしも人の死にざまが、その人の生きざまを写すとするならば、
ブッダの「涅槃」を描いたこの絵と物語は、
ブッダの生きた様(さま)を語っているのでしょう。
そしてそれを語る「絵解き」もまた。
「涅槃(ニルヴァーナ)」とは、
もともとは「火を吹き消す」という意味だそうですね。
そこから、煩悩を吹き消して、安らぎを得る悟りの意味となる。
そこから、命の火を吹き消す意味にもなった。
かくてブッダの命の火は吹き消され、
物語を語り継ぐための燭台の火も吹き消されることとなります。
が、「絵解き」を体験した筆者の胸には、
ほっこり、小さな火が灯っているようなのでした。
ただ単に「涅槃図」の絵をながめたときには、何が描かれているかもわからず、
大きいなあとか、ゴチャゴチャ描き込んであるなあとしか、正直、思いませんでした。
しかし、「絵解き」を体験した後で、改めて「涅槃図」の絵をながめたとき、
感じ方も、おもしろさも、印象が180°変わりました。
構成にしろ筆致にしろ、実によく描かれているものだという感動になりました。
また、ブッダという人への興味も変わってきたようです。
昔は、こうした「絵解き」を楽しみながら、仏教に親しんだんでしょうね。
いやあー、おそるべし、絵解き。
こちら常保寺の「大涅槃図」は、2月15日まで公開しているそうです。
常保寺のHPは、こちら。
小林玲子さんは、この2月、長野や富山での口演を予定されているようです。
くわしくは、こちらのブログへ。
また、関東近辺では、2月15日(13時30分より)、
東京・西多摩郡瑞穂町の圓福寺で口演されるそうです。
圓福寺のHPは、こちら。
それによれば、摩耶夫人の悲しみようは激しく、
遺品の衣と錫杖を右手に持って地面に投げたので、
ガッシャーンとでも響いたのでしょうか、大きな山が崩れるような音がしたといいます。
半狂乱と言ってもいいと思います。
すると、突如、すでに入滅したはずのブッダがその神通力をもって、
棺のふたを開け、身を起こして立ち上がる。
そうして、千の光を放ちながら合掌して夫人に向かい、
嘆き悲しみたまうことなかれ、すべてのことは無常なのだからと
真理を説いたというのです。
生まれたものは必ず滅ぶもの。もろもろのすべては無常である。
それを覆すことはできないものなのだ。
それはこの「涅槃図」の物語の中でブッダがくりかえし語っていたことであり、
入滅の際に弟子たちへ語った最後の言葉でもあります。
その師の言葉をもってアヌルッダは、アーナンダや他の弟子たちを励ましていました。
すると、その言葉を聞いた摩耶夫人の顔が、蓮の花のように和らいでいく。
それを確かめて安心したのか、
ブッダは、再び棺の中に身を隠し、棺のふたは元のようにしまったということです。
この場面は、「釈迦金棺出現図」という絵のモチーフとなっているのだそうです。
愛情と、愛著(執着する愛情)の違いは何なのか、その境がどこにあるのか、
筆者にはなかなかわかりません。
しかし、おそらく摩耶夫人の愛情が、愛著へと変わろうとしていた。
「子への思い」が、「子を思うがゆえの迷い」に陥ろうとしていたのでしょう。
そのとき、ブッダが涅槃の中から出現する。
そうして彼が母親にかけたのは、慰めの言葉ではありませんでした。
ではなく、理を説くことによって、夫人の迷いが消えていく。
救われることになる。
ここには、救済を得ようとする情緒的な母性と、
真理を求めようとする論理的な父性とが結合したかたちがあります。
そしてここにおいて、物語が完結を迎えるように、筆者には思われます。
もしも人の死にざまが、その人の生きざまを写すとするならば、
ブッダの「涅槃」を描いたこの絵と物語は、
ブッダの生きた様(さま)を語っているのでしょう。
そしてそれを語る「絵解き」もまた。
「涅槃(ニルヴァーナ)」とは、
もともとは「火を吹き消す」という意味だそうですね。
そこから、煩悩を吹き消して、安らぎを得る悟りの意味となる。
そこから、命の火を吹き消す意味にもなった。
かくてブッダの命の火は吹き消され、
物語を語り継ぐための燭台の火も吹き消されることとなります。
が、「絵解き」を体験した筆者の胸には、
ほっこり、小さな火が灯っているようなのでした。
ただ単に「涅槃図」の絵をながめたときには、何が描かれているかもわからず、
大きいなあとか、ゴチャゴチャ描き込んであるなあとしか、正直、思いませんでした。
しかし、「絵解き」を体験した後で、改めて「涅槃図」の絵をながめたとき、
感じ方も、おもしろさも、印象が180°変わりました。
構成にしろ筆致にしろ、実によく描かれているものだという感動になりました。
また、ブッダという人への興味も変わってきたようです。
昔は、こうした「絵解き」を楽しみながら、仏教に親しんだんでしょうね。
いやあー、おそるべし、絵解き。
こちら常保寺の「大涅槃図」は、2月15日まで公開しているそうです。
常保寺のHPは、こちら。
小林玲子さんは、この2月、長野や富山での口演を予定されているようです。
くわしくは、こちらのブログへ。
また、関東近辺では、2月15日(13時30分より)、
東京・西多摩郡瑞穂町の圓福寺で口演されるそうです。
圓福寺のHPは、こちら。
《引用・参考文献》
(1)中村元訳「ブッダのことば 〜スッタニパータ〜」岩波文庫
(2)池上洵一「『今昔物語集』を読む(15)」神戸大学文学部・大学院人文学研究科同窓会「文窓会」HP
(3)「今昔物語集」巻三第33話「仏入涅槃給後、摩耶夫人下給語」〜山田孝雄・山田忠雄・山田秀雄・山田俊雄校注「今昔物語集・一」(日本古典文学大系22)岩波書店
(1)中村元訳「ブッダのことば 〜スッタニパータ〜」岩波文庫
(2)池上洵一「『今昔物語集』を読む(15)」神戸大学文学部・大学院人文学研究科同窓会「文窓会」HP
(3)「今昔物語集」巻三第33話「仏入涅槃給後、摩耶夫人下給語」〜山田孝雄・山田忠雄・山田秀雄・山田俊雄校注「今昔物語集・一」(日本古典文学大系22)岩波書店
by kamishibaiya
| 2012-02-09 00:00
| 絵を見せて語るメディア