「怖い話」を考えてみる・04

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ビビったりするけれど、
 子どもたちはみんな勇者である









「横丁の角を曲がれば、それが旅です」

と、永六輔さんは言いました。
見慣れた横丁であっても、たとえ毎日歩いている通勤路であっても、
いつものコースをちょっと外れてみると、その角のすぐ先は未知の場所だったりします。
住所は5丁目で、駅の裏あたりなどと、情報としてはわかっているつもりでも、
実際に足を運んでみると、おもしろげな店があったり、
垣根に思わぬ花が咲いているのに出くわすなどという発見があったりします。
そんな未知の場所へ行ってみることが、もうすでに「旅」であるというんですね。

子どもたちにすれば、この世界の至るところに曲がり角があり、その先に未知があります。
生きることすべてが旅のようなものです。
この世界に生まれ落ちてきて日の浅い子どもたちにとっては、この世界そのものが未知。
これから初めての一歩を踏み出そうとしている子どもたちにとって、
この世界はまだ理解の及ばないシロモノです。

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最初は、ベッドの中。
生後2~4ヶ月頃で目が焦点を合わせられるようになり、視覚が発達しますが、
寝たままだと、半径数10センチの世界です。
それでも、様々なものに興味津々。
それが、ハイハイ出来るようになると、行動範囲が広がり、世界が広がります。
ネコは、見知らぬ部屋に連れて来られると、クンクンとそこら中の匂いをかぎながら、
どんな場所かを探り、知ろうとしますが、
赤ちゃんも、見たり触ったり、時には舐めたりして、部屋じゅうを探索します。

その原動力となるのは、好奇心。
けれど、その小さな冒険は、半面、危険を伴うものでもあります。
まさかこんな高さを登れないだろうという窓枠に登って、外へ転落するかもしれません。
灰皿の吸い殻を口に入れてしまうかもしれません。
落ちていた10円玉硬貨を呑み込んでしまうかもしれません。
野口英世は、当時1歳半、母親が畑仕事をしている隙に、
ハイハイだったか、あるいはヨチヨチ歩いたのか、挙げ句に囲炉裏へ落ちて、
手に大火傷を負いました。
今は囲炉裏はありませんが、ストーブや電気コンセントなどがあったりもします。
ケガをして、近所の子から「手ン棒」と呼ばれていじめられるようになる可能性も、
そしてひょっとしたら、命に関わる事故にあう可能性だってあるわけです。
だから、乳幼児のいる環境は気を配って、
お母さんなり保護者が見守ってあげる必要があるのですが、
かといって、厳しい監視で縛りつけるように、少しの冒険も禁止するとしたら、
人間が持っている本来の生きる力を奪うことになります。

ティッシュを散らかしたり、引き出しを開けて中身を次々に出してみたり、
ゴミ箱の中のゴミを部屋じゅうにぶちまけるなどは、
大人の目からは悪業三昧のイタズラにしか見えません。
が、それは探索活動の一環で、
子どもたちはいろいろなことに興味をもって、あれこれ試してるんですね。
そうして部屋じゅうを冒険したりもする。

生後6ヶ月頃の赤ちゃんは、見なれたものでも、見なれないものでも、
好奇心のまま、無差別に近づきます。
それが8ヶ月頃になると、見なれないものに警戒心を抱く。
「怖さ」を覚えていくわけです。
そして1歳児になると、見なれない未知のものに出くわしたとき、躊躇し、
母親の方を振り向いて、その顔色を見るという態度が見られるようになります。

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発達心理学の有名な実験に、「視覚的断崖(Visual Cliff)」実験があります。
ギブソンとウォークによる実験(1960年)。
赤ちゃんに、1~2メートルほどの台の上に乗ってもらいます。
1~2メートルほどの高さでも、赤ちゃんにとっては断崖です。
そこから落ちれば、ケガは必至。打ち所が悪ければお陀仏です。

ギブソンとウォークは、その台の延長の先に厚い硬質ガラスの板を張り渡す
装置を作りました。
断崖の下の床面には台上と同じ模様が描かれていて、
遠近法により、奥行きの距離がわかりやすい。
そのガラス板に乗ると、足元の台の地面の感触は平らで変わりませんが、
視覚としては、透明なガラスの向こうに断崖の下の奥行き=高さがわかることになります。
赤ちゃんは、その奥行き=高さをちゃんと知覚することができたのでした。
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たとえば、東京タワーの展望台などには、床の一部がくりぬかれていて、
透明なガラス張りの下に150メートルほど下の下界が見下ろせるところがあります。
これは丈夫で透明なガラス板(アクリル板?)で、乗ってもだいじょうぶと
理解している大人であっても、この上に立つのは怖いものです。
透明なガラス板という仕組みをまだ理解できない赤ちゃんにとってはなおさらでしょう。

この「怖い」という感覚は、自分の生命を守るために必須なものです。
「怖い」から、転落しそうな断崖には近づかない。

実験では、生後間もないネズミやヤギでも、ガラス板が張られた「視覚的断崖」の上へ
進もうとしませんでした。
人間の赤ちゃんも、生後6ヶ月頃のハイハイする時期には、
視覚的断崖には行かなかったそうです。
視覚だけでみれば、ガラス板の上へ一歩を踏み出すことは、崖から飛び降りるのに等しい。

さらに別の実験では、ハイハイがまだ出来ない月齢の子も含めて心拍数を調べたところ、
生後3ヶ月でも、視覚的断崖を前にすると心拍数に変化が見られ、
つまり奥行き=高さということをちゃんと知覚して、
「怖さ」を感じているらしいことがわかったといいます。

ところが、赤ちゃんは、そんな怖さを感じながらも、視覚的断崖のガラス板を
平気で渡る場合があるというんです。

ハイハイをする赤ちゃんが、視覚的断崖の際までやって来る。
段差の高さに気づき、危険を察知して慎重な動きになります。
躊躇しながら、少し手を伸ばしてみたりと、安全を確認するようなしぐさをする。
すると、赤ちゃんは、近くで実験を見守るお母さんの表情を見るのだそうです。

もしもこのとき、お母さんがまるで血相を変えたように
「ダメよっ! そっち行ったら! 危ないでしょッ!」と
言わんばかりの顔をしたら、赤ちゃんはそこでストップします。

が、もしもこのとき、
「だいじょうぶよ。安全だからね」と語りかけるように微笑んだとしたら、
赤ちゃんは逡巡したとしても、結局、視覚的断崖の上を渡ってしまうというんですね。
信頼するお母さんのその表情で判断し、安全を確認することで、安心して渡ることが出来る。
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写真では、お母さんが視覚的断崖の向こう側にいて手招きし、
「おいで。こっちへいらっしゃい」と呼びかけるように微笑んでいます。

「You Tube」の動画にもありました。
※ギブソンとウォークの実験をさらに発展させて実験を行ったジョゼフ・キャンポスが語っています。


心理学では、これを「社会的参照」というそうです。
お母さんという信頼できる他者の表情を「参照」することで、危険か安全かを判断する。
何が正しいか、何が悪いか、あるいは、好き嫌いのような価値観も、
親や周りの人の表情を見ることで、その基礎をかたちづくることがあるのでしょう。

たとえば、お母さんが虫嫌いで、アリやテントウムシを見るだけで眉をしかめ、
この世の終わりというような悲痛な目でにらみつけたとしたら、
その子は虫と接する前から、虫を親の仇のように怖がる可能性があります。
逆に、お母さんがリラックスしたフレンドリーな目でながめるとしたら、
その子が虫に恐怖を感じていたとしても、それを乗り越えて友好的になるかもしれません。

子どもたちは意識はしていないかもしれませんが、
信頼する人から微笑みをもらうことで、怖さを乗り越えることがあるんですね。

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子どもたちが、この世界を生きていくということは、
たとえそれが受け身であれ、未知の世界に足を踏み入れて切り拓いていくこと。
未経験な物事にチャレンジして、自分の経験にすること。
そうして世界を知り、理解し、その理解を広げていくことです。

それは、よしんば危険がないとしても、恐怖が伴うものです。
未知の物事に対する不安。
自分が理解出来ないものへの虞(おそ)れ。
そうした感情が恐怖につながる。

また、好奇心のまま、無鉄砲なままにチャレンジしたとしても、
未熟な子どもたちにはままならないことも多々あります。
たとえば、初めての自転車に挑戦して乗ってみたら、倒れてケガをした。
痛い目にあって、自転車をこぐのが怖くなるということもあるかもしれません。
自分の中の劣等意識や弱さが「怖さ」につながることもあります。

子どもたちはみんな、恐怖の種を宿している。
けれど、それぞれに抱えている恐怖と戦って、恐怖を克服して、
なおも挑戦していくのも、子どもたちです。
少々のケガを覚悟して、何度倒れてコケても自転車を練習して、
いつの間にか、走れていたりする。

そうした恐怖に打ち克っていく過程を、
神話や昔話などの物語は、昔からくりかえし語ってきました。

昔話では、恐怖は、具体的なかたちとなります。
たとえば、鬼。たとえば、妖怪。お化け。
そしてたとえば、オオカミ。

オオカミ──「赤ずきん」に登場するオオカミと女の子のエピソードがあります。
昔話の研究で知られるマックス・リューティーが紹介しているもので、
心理学者のヨゼフィーヌ・ビルツが伝えている話だそうです(1)

その子は、当時2歳半。
「赤ずきん」を語って聞かせたところ、とても興味を持ったようすだったといいます。
ところが、次の日からその子はよく眠れなくなる。
夜中に目を覚ましては、「赤ずきん」に登場した悪いオオカミを怖がります。
さてはて、どうしたものかと困り果てた両親は、たぶん絵本の絵でしょうか、
絵のオオカミが描かれたところを切り取って、目の前で燃やしたそうです。
すると、眠れるようにはなったものの、
何かにつけてはオオカミの話を持ち出してグズる。
そのたびに両親は、いやいや、オオカミはもう燃やしたからいないんだよ、
万が一いるにしたって、遠いロシアあたりにいるくらいなもんさ、
と説明したといいます。

おそらくその子が住んでいるスイスから見れば、
ロシアは、おいそれとは行くことの出来ない、遠い遠い北の国だったのでしょう。

それから数週間たったある日、お父さんと近くの森へ遊びに行くことになりました。
女の子の仕度をしてあげながらお母さんが言うには、
「いいわねえ、パパといっしょに、森にいるうさちゃんのところへ行くのよ」
大喜びの女の子とお父さんがアパートの階段を降りていくと、
ちょうど近所の人に遭いました。
「あらあら。お父さんといっしょにお出かけ? どこへ行くの?」
すると、女の子は答えたそうです。

「森へ行くの、オシヤの狼さんのとこよ!」(1)

まだ舌足らずで「ロシア」とは言えなかったんですね。
けれど、その言葉はきっぱりと、何のためらいもなかったといいます。

オオカミの話を聞いて眠れなくなってしまった、感じやすい子です。
怖くて眠れない夜を幾晩も過ごしてきた。
なのに、その葛藤を通して、心の中に勇気を培ったのでしょう。
可愛らしいウサギに会いにではなく、オオカミに会いに森へ行こうとしていた。
そこには、お父さんといっしょだからだいじょうぶという気持ちも
働いていたかもしれません。
しかし、このとき、2歳半の女の子には、
恐ろしいオオカミと真っ正面から対決しようという心構えが出来ていたのでした。

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子どもの勇気を描いた絵本に「モチモチの木」(2)という名作があります。
主人公の豆太は5歳。
物語の冒頭、のっけから
「まったく、豆太ほどおくびょうなやつはない」
と語られるほどの臆病者です。
夜中にひとりで雪隠(せっちん)=手洗いへ行くことが出来ない。
昔のことで、山の峠の猟師小屋なので、手洗いは家の外に設置されています。
ひとりで真っ暗闇の野外へ出て行かなければならないのだから
ハードルは高いでしょう。
そして手洗いの手前に「モチモチの木」があります。
この大きな木が、豆太の前に立ちはだかる恐怖の象徴となります。

この木の実をすりつぶしてモチを作って食べると、ほっぺたが落ちるほど美味いそうで、
これは栃餅を産するトチノキ(=マロニエ)のことなのでしょう。
昼間のモチモチの木は何ともないのですが、夜になると恐ろしくなる。
枝々がからみ合い、風にザワザワ揺すれるさまは髪の毛をバサバサさせるようで、
枝が大きな両手をあげて、「オバケ〜〜」と脅かして来るかのようだと語られ、
これは確かに怖そうです。

そんな夜中のトイレ通いに付き合ってくれるのが、爺(じ)さまです。
母親については言及されないのですが、
父親は猟師で、熊と勇敢に格闘して死んだといいます。
やはり現役の猟師で武骨なじさまは、一人残された孫の豆太をやさしく見守ります。
「女々しいぞ」となじるでもなく、「男らしくせい」と叱るでもなく、
臆病な豆太のそのままを受け容れ、思いきり甘えさせるじさまが、ほのぼのと描かれます。

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 「モチモチの木」(2)
 斎藤隆介作、滝平二郎絵
 岩崎書店



そして事件は突然やってきます。
ある晩、じさまがひどい腹痛を訴え、歩くことも立つこともかなわなくなる。
当時は救急車もありません。
里へ行って医者を連れて来るしかないのですが、それが出来るのは、豆太だけ。
しかし医者のところまでは、真夜中の暗い山道をひとりで行かねばなりません。
おまけに霜月(11月)のことで、霜が降りるほどの寒さ。
(後には、星月夜にも関わらず初雪がちらついたといいます。)
家のすぐ隣りの手洗いへ行くのさえ、怖くてひとりで行けない豆太が
はたして行けるのか?

筆者も子どもの頃に読んで、ドキドキしたものでした。
結局豆太は、じさまを助けたい一心で寝巻きのまま、はだしのまま、暗い山を走り抜け、
かじかんだはだしから血が出ても、泣き泣き走り抜け、
ただ、ただ、夢中でその仕事をやり遂げたのでした。
そうして駆けつけてくれた医者のおかげで、じさまは命をとりとめます。

豆太は、医者に背負われながら小屋へ戻ったところで、あのモチモチの木を見上げました。
霜月(11月)の20日の丑三つ(夜中の2時〜2時半頃)に、木に灯りがともる。
それは山の神様のお祭りで、勇気のある子どもにしか見ることができないと語られていました。
どうせ臆病者の自分は見られないのだと、豆太はさっさと寝床についていたのです。
豆太が目にしたのは、まさしくその光り輝く光景でした。
その時刻、ちょうど月と星が木の裏へ位置するために見られる自然現象だというのですが、
切り絵で絵本の見開きにドーンと描かれた光景の、その美しさ!

モチモチの木は、自然の象徴でもあるでしょう。
その産する実はモチとなって、人に恩恵を与えてくれたりもしますが、
厳然として恐ろしい存在でもあります。
そして時に美しい姿を見せたりもする。
恐怖にとらわれている豆太の目から見れば、お化けであり怪物でした。
が、恐怖を克服した豆太へのまるでご褒美のように、別の顔を見せてくれるんですね。

「おまえは弱虫じゃない」と、豆太を諭し、励ましながら、じさまは言います。

「人間、やさしささえあれば、やらなきゃならねえことはきっとやるもんだ。」(2)

それこそがほんとうの勇気だと、作者はいうのでしょう。
豆太が「怖さ」をはねのけたのは、じさまへのやさしさ──愛情ゆえでした。
そうした人間的なつながりが、子どもたちが恐怖へ立ち向かうときのカギとなるようです。

大人への一歩──ほんの一歩ですが、大きな一歩を踏み出し、成長した豆太。
物語の最後で、それでもあいかわらず、夜中に手洗いへ行くときには
「……じさま」と小さく声を掛けていっしょについて来てもらうのだと語られます。
やっぱり豆太は豆太だなあと、読者は共感してちょっぴりホッとして、
けれど、将来はじさまや父親に負けない勇敢な男になるかもしれないなどと
ちょっぴり想像するのでした。

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それにしても、子どもたちは「怖い話」が好きです。
怖いのを怖がるというよりも、怖いのを楽しむ。おもしろがったりもする。
「今の話、怖かった?」と聞くと、たいていの子どもたちは
「ぜんぜん怖くなかった」と言います。
ほんとうに怖かった子も中にはいるのでしょうが、「怖くなかった」と答える。
そこには、「こんな恐怖、屁でもない」「こんな恐怖に負けたりはしないぞ」
というような意志も感じられます。

「ねえねえ、怖い話、聞かせて」と子どもたちがせがむ大人は、
子どもたちから信頼され、好かれている大人だと、分析心理学の河合隼雄さんはいいます(3)
たとえば幼稚園の先生が、子どもたちから「怖い話、してえ」と頼まれるとき、
その先生は子どもたちから慕われ、信頼されているのだというのです。

人間は、喜怒哀楽の感情を体験して、自分のものにしながら成長していきます。
「喜」や「楽」だけではない、怒りや悲しみというような負(マイナス)の感情も大切です。
そして「怖い」という感情もまた。
子どもたちがこの世界を経験し、探索し、知っていく──つまり生きていくことは、
「怖さ」を伴うもので、その「怖さ」と対決し、克服していくことが求められます。
怖い物語は、そのシミュレーションという意味合いもあると思います。

親や保育者にしてみれば、あまりマイナスなことを味あわせたくない、
わざわざ恐ろしいことを聞かせて脅すのはよくないと敬遠しがちなこともありますが、
河合隼雄さんは、ふつうに成長し健康に発達していく自然な流れの中で、
子どもたちが「『こわい』感情体験もしたくなるのは当然である」といいます(3)

どんなに「怖い」怪人や怪物や妖怪やお化けが登場して、怖い思いをしたとしても、
それをやっつけるヒーローや主人公から勇気をもらうということもあるでしょう。
暗闇が怖くて、電気を消すのを嫌がったり、ひとりでトイレに行けない子が、
お気に入りのヒーローの絵が入ったパジャマを着ることで
行けるようになったという例もあります。
TVドラマの子役で知られた鈴木福くんは、幼い頃にひとりでトイレに行けなかった。
そこでお父さんが、トイレに仮面ライダーの人形を飾ったところ、
彼から勇気をもらい、トイレへ行けるようになったそうです。

勧善懲悪がワンパターンだとしても、
怪物やお化けなど、怖い存在を退治して──つまり怖さに打ち克つ物語は、
昔からくりかえし、語られてきました。

一方で、そうしたハッピーエンドや解決する結末がなく、より大きな恐怖を想像させたり、
恐怖の余韻を残して終わる、怪談やホラーといわれるような物語もあります。
そういう物語もくりかえし語られてきました。
子どもたちは、こうした話も好きで、ドキドキを楽しんだりもします。

しかしながら、と河合隼雄さんは綴ります。
悲しみや怒りや怖さなど、負の感情があまりに強く大きい場合、
子どもが耐えることができず、破壊的になってしまう危険があるというんです。

たとえば、2011年の東北大震災の恐怖は、子どもたちにも傷痕を残しました。
今もPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩む子がいるといいます。
そうした現実とは比較の出来ない、たとえ架空の「物語」であったとしても、
そのテーマだったり、子どもたちの年齢やそれぞれの感性によっては、
影響の大きいケースもあるでしょう。
「赤ずきん」のオオカミを怖がった2歳半の女の子は、
数日間ではありますが、眠れない夜を過ごし、オオカミの影に脅えました。
結果的にはその体験が彼女の成長に役立ったわけですが、
うまくいかずに心的な障害となる可能性もないわけではないと思います。

そこで、子どもたちが信頼する大人の出番となります。
そんな信頼のできる大人にこわい話をしてもらう。
それは、人間的なつながりという安全安心な足場をしっかり確保しながら、
「『こわい』体験ができる──ときにはそれを楽しめる──」ということになります。
だから子どもたちは、信頼のおける好きな大人に怖い話をせがむのだと
河合隼雄さんはいうわけです(3)
(だから河合隼雄さんは、怖い話は、本や動画などを与えて一人で体験させるよりも、
読み聞かせなど、大人たちが直接関わる語り聞かせを推奨しています。)

生後6ヶ月頃の赤ちゃんは、視覚的断崖で怖さを覚えますが、
信頼できる母親の表情を見て安全だとわかれば、その視線に見守られながら
恐怖の断崖も渡ることができました。
2歳半の女の子は、父親といっしょに、父親に支えられながら、
悩まされ続けるロシアのオオカミと対決しようとしました。
5歳の豆太は、祖父のためにひとりで恐怖に立ち向かったわけですが、
彼を支えていた拠りどころは、祖父の存在だったと思います。
──子どもたちが恐怖へ立ち向かおうとするとき、
その軸となるのが、親や保育者など、信頼できる人とのつながりです。
けっしてひとりだけで戦うわけではない。

かと言って、大人が戦いに直接参加するわけではありません。
ただ見守る。ただ心配する。ただ「だいじょうぶだよ」と微笑む。
それが子どもたちの力となる。

子どもの頃、自転車の運転が初めての筆者は、自転車に乗るのが恐怖でした。
何度練習してもひっくり返る。
そんなとき、練習に付き合ってくれたのが父親です。
後ろで荷台をつかまえて、倒れないように支えてくれた。
すると、スイスイ走れるようになり、しばらくして後ろを見るとびっくり。
父親の姿がありません。
いつの間にか父親の支えなしで、自分で運転できるようになっていたのです。
支えてくれているという安心感が、恐怖でこわばっていた体をリラックスさせ、
本来のバランス感覚を取り戻すことができたのかもしれません。
信頼できる人間が後ろにいてくれるという安心感が、子どもの力となるのでしょう。

心理学者のボウルビィは、親や保育者など、
子どもの愛着の対象者──親密な愛情のつながりのある相手──は、
「安全基地」だといいます(4)

いわば、港。
安全な港が築かれてこそ、船は出航できます。
もしも港が信頼のできない不安定な場所だとしたら、
もしも帰って来てもめちゃくちゃでどうなるかわからない場所だとしたら、
船は港から出港できるものではありません。
1ミリたりとも離れることができません。
よけいにしがみつくことになる。
港が安心安全な信頼できる場所となってはじめて、船は出航できます。
そうなれば遠く荒れる外海へだって、飛び出して行ける。
そしてそこで、たとえ未知の強敵に出くわしたとしても対決することができます。

「怖い話」が、たとえ恐ろしい強敵であっても、
それを語ってくれるのが、信頼できる大人であったなら、
その彼(彼女)が「安全基地」となるのだと思います。
そうして子どもたちは、「怖い話」を、楽しむことさえできる。

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こうした信頼できる人とのつながりは、
「バンジージャンプのロープ」にたとえられると、筆者は思います。

バンジージャンプは、ご存知の通り、
ゴムロープを足首に結わえ付けて崖やビルから飛び降りるアトラクションです。
もともとの起源は、南太平洋メラネシアのバヌアツ共和国で、
「ナゴール」と呼ばれる通過儀礼(イニシエーション)でした。
通過儀礼──子どもが成人になるための儀式です。
覚悟を決めて恐怖を乗り越えることで、その試練を通して大人になる。
一種の度胸試しという要素が強調され、
今は、楽しむことのできるエンターテインメントともなっています。
エンターテインメントでもある「怖い話」と似ているところです。

このとき、命綱であるゴムのロープが、脆弱で頼りなければ、
人は飛び降りることなどできません。
丈夫で絶対の安全が保障された信頼できるロープであるからこそ、
自分の身を任せ、飛び降りることができる。
信頼できる親や保育者とのつながりは、そうしたロープではないかと思うのです。
子どもたちはそこから、大人への成長のステップを踏み出そうとする。


筆者が旅の途中、ある保育園で紙芝居をやらせてもらったときのことです。

それはやまんばが登場する昔話の紙芝居で、まあまあ怖い話だったのかもしれません、
途中で2歳児クラスの女の子が泣き出してしまいました。

いえ、もしかしたら筆者の声の大きさにびっくりして泣き出したのかもしれませんね。
ある書店で演じたときのアンケートで、筆者の演じ方は、
ただ大声を出して驚かせて怖がらせているだけだと書かれたことがあります。

いずれにしろその子が泣いてしまったので、機転を利かせた保育士さんが抱きかかえて
隣りの部屋へ連れて行ってくれました。
それでそのまま続けていたんです。

と、どのくらい経った頃でしょうか、ふと部屋の後ろの方でいつの間にか、
保育士さんに抱かれながら、さっき泣いていた子が紙芝居を観ていたのです。
後で聞くと、その子が観たがったので連れてきたのだそうです。

お兄さんやお姉さんや友だち、園のみんながいっしょに観ているので、
それで興味をひかれたのかもしれません。
けれど観たがってくれたんですね。

で、「あ、さっきのあの子だ」と気づいてふと見ると、
その子は抱かれながら、保育士さんの袖をギュウッと握りしめていたんです。
ギュウッと握りしめながら、泣くのをがまんしていたのでしょう、
けれどそれはそれは真剣なまなざしで、観てくれたのでした。

その当時は旅の途中、アポなしでふらりと保育園を訪ねては、
「紙芝居させて下さい」と頼みこんでやらせてもらっていました。
子どもたちにとっては、どこの馬の骨ともわからない、見知らぬおじさん。
そんな男が、いきなり怖いやまんばの話をし始めるのだから、小さい子には怖かったでしょう。
けれどその子は、勇気を出して、「怖さ」に立ち向かったんですね。
「怖さ」に立ち向かう力を持っていた。
この世界に立ち向かい、生きていく力を持っていた。

その子にとっては、日頃から信頼していて大好きな保育士さんの袖が、
バンジージャンプのロープだったのだと思います。
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(1)マックス・リューティ、野村泫訳「昔話の解釈」ちくま学芸文庫
(2)斎藤隆介、滝平二郎絵「モチモチの木」岩崎書店
(3)河合隼雄「おはなし おはなし」朝日新聞社
(4)J. ボウルビィ、黒田実郎・大羽蓁、岡田洋子訳「母子関係の理論 ①愛着行動」岩崎学術出版社























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by kamishibaiya | 2018-03-14 05:00 | 紙芝居/脚本を書く | Comments(0)

「ポレポレ」は、スワヒリ語で「のんびり、ゆっくり」という意味です。紙芝居屋のそんな日々。


by kamishibaiya